「ふ……ふ……」
一人の少女が走っていた。
走った時間も距離もそれほどではない。魔力負荷などもない状況で、少女は息を一定間隔で吐き出して汗を流していた。
「……ッ」
奥歯を噛み締めて立ち止まる。顎に伝った汗が落ち、地面に雫が弾ける。
袖で乱暴に顔を拭った少女、ミスズは荒くなっていた呼吸を整える。
踵を打ち鳴らし、足元に魔法陣を広げる。円形であるミッド式でもなく、三角形であるベルカ式でも、ましてやソレと混合したモノですらない。
中心に円、そしてソレの円周に辺を付ける五角形。空白に文字が書かれ、夕日にも似た緋色のソレが光だす。
「解析魔法行使……心肺機能に負荷確認……」
自身の状況を頭の中に叩き込んでいく。どれほどの負荷でどれほど動けなくなるのか。ソレをじっくりと確かめていく。恐らく実戦ではこれ以上に疲労するだろう。けれど、知っている事と知らない事では大きく差が開く。これが彼女の親の教えであった。
「……今日のご飯は和食にしましょう」
並行していた思考で冷蔵庫の中身を思い出してレシピを引き出す。同時に足りない物を頭の片隅に叩き込み、ついでに覚えていた宿題を解いていく。
「…………よし。大根がありませんね」
買う物を確認して、ミスズは解析魔法を解いた。
同時にドッと流れ出した汗を服を捲り拭う。健康そうな臍が見えて、服で密閉していた体に外気が入る。
流石にパタパタと空気の入れ替えをする程彼女は羞恥心を捨ててはいないので、裾を戻して息を吐き出す。
そして走る準備をするでもなく、構えすらなく立つ。いかにも普通の一歩を踏み出す。
地面が蹴られ、そして彼女の姿が消え、10M程の距離に彼女が立っている。
「ぶはぁ……はぁ……はぁ……」
解析魔法を行使した時よりも疲労した様に彼女は息を荒々しく吐き出して天を仰いだ。
自身のソレよりも赤い夕日が空を染めている。
「……足の筋肉が少し傷んじゃいましたか」
ヒクヒクと動いていた腿を撫でて少女は苦笑する。同時に何かあった時用、と言われ父に教わっていた回復魔法を行使する。変な術式の割に回復率の高いソレはしっかりと腿の痛みを治してくれた。
何度か地面を踏んでミスズは呼吸を整えて、また走り出す。
「……一旦、シャワーでも浴びましょうか……」
どうせ着替えたかったし、と汗の臭いが付いてしまった衣服を少し嗅いで、現在の自宅であるティアナ・ランスターの部屋へと向かった。
◆◆
「遅いです」
「ご、ごめんなさい」
思わず謝ってしまったティアナ・ランスター。目の前には『むっすぅ』と効果音が付きそうなほど膨れたミスズ・テスタロッサ・ツキムラ。勿論、彼女は恋人でも何でもなく、単なる居候であり、そして家出した身分でもあるのだけれど。
そんなまるで「せっかく気合いれて手料理を作ったのに……残業なんて聞いてないもん」と妻が膨れてどうしようか困っている仕事疲れで帰ってきた夫役をしているティアナ・ランスター。ちなみに家主である。
そんな家主の後ろにいた存在に気づいたのかミスズは膨れ顔をやめて後ろへと意識を向ける。
「あれ? スバルさん?」
「う、うん。えっと……ごめんティアナ!!」
「うん? え? いや、おそらくアンタが思ってるような事は一切ないから」
「うう……昨晩は寝かしてくれなかったというのに……まるで私が売女の様な言い分です……ううぅ」
「はいはい、ミスズもスバルを騙そうとしない」
「騙そうだなんて……私はただ真実を述べているだけだというのに……!」
「追い出すわよ」
「すいません、全て嘘です。 よければご飯でもご一緒します?」
「う、うん」
なんという手の平返しの早さか。「男は中身よ」と言いつつ次の日にはイケメンの男を引っ掛けている女の様に手の平の返しが早い。
「それと、いらっしゃいませ、ノーヴェさん。私と戦いましょう」
「ははは、この子を助け終わったらね」
「…………」
ノーヴェの背負う女の子を凝視するミスズ。軽く踵を打ち鳴らした所でベシリとティアナに頭を叩かれた。
ジトリとミスズが見返せばティアナは溜め息を返した。
「何勝手に解析しようとしてるのよ」
「己を知り、敵を知れば百戦危うからず。味方を守るなんて建前どうでもいいんです、解析したいだけです。解析させてください!」
「おい、建前を建前って言うんじゃないわよ」
「相変わらずだねー」
「スバルも呑気にしてないで、止めなさい」
「ティアナ、ベッド借りるぞ」
「ええ。スバルはそこらで寝かすとして、ミスズと私は一緒に寝ればいいか」
「えー、私も一緒に寝る!」
「年齢を考えなさい。そんなことだから恋人もいないどころか職員から私と恋人なんじゃないかって噂が立つのよ」
「火のない所に煙は立たないと言いますしね! 私、そのソファで寝てましょうか?」
「変な気は使わなくていいわ、馬鹿娘」
「あ、大丈夫です。 ちゃんと毛布を何重にもして音が聞こえない様にします! ただ解析だけは広げさせてくださいね」
「ティア! この焼き魚とっても美味しいよ!」
「あ、ソレは酢橘を絞るともっと美味しいですよ」
「さーて、私はコイツの手当をしてっと」
「おい、誰かこの混沌をどうにかしてくれ、いいや、ください」
そんなティアナの悲痛な言葉に従う様に時間は飛ばしていく。なんせ書く事なんて結局一緒に眠ることになったティアナとスバル、そしてミスズの川の字程度だ。
◆◆
「さて、っと」
そんな夜半、いつもの様にベッドを抜け出したミスズ。
コキリと首を鳴らして自身のカバンの中から黒いフード付きのパーカーを取り出す。彼女の師匠曰く、昔からそういう服を着た方が姿は隠しやすい、とのことらしい。
身をすっぽりと隠せるパーカーを着て、フードをしっかりと被る。
「どこに行くの?」
「あぁ、スバルさん。起こして……いいえ、起きてましたか」
「うん。私には薬の類は聞かないから」
「あぁ、そうでした。うっかりです」
ニッコリと笑ったミスズはペコリと頭を下げる。
そして顔を上げた時にはニコリとした笑顔すらない表情の『H』もない様な顔でスバルを見た。
「少し、牙を磨いて、爪を研ぎに行くだけですよ」
ニタリとまぁ、なんというか、お前って主人公だったよね?と聞きたい程邪悪な悦に浸るような笑顔を浮かべたミスズ。親が親だけに夜には強いし、非常に妖艶だ。
そんな妖艶なミスズに溜め息を返して、スバルは頭を掻く。
それほど難しい事を考える人間ではないけれど、一応元上司の言いつけである。バレないようにどうにか彼女を追いかけたい。けれどそんな事自分に出来ない。
「うん、じゃぁ私も着いてく」
「…………」
「え、ダメ?」
思いっきり眉間を寄せて反応したミスズ。それに対してスバルは何時ものように邪気の欠片もない気の抜けた笑いをする。
「いいえ、構いません。どうせ今日が終われば少し期間を開けるつもりでしたし」
「そっか、じゃあ行こうか」
「はい」
そしてミスズは慣れたように部屋から音も無く出て行く。追いかけてくるならご勝手に、とでも言いたげだ。
そんなミスズに苦笑してスバルは隣で眠っているティアナに声をかける。
「じゃあ、行ってくるね」
「……えぇ」
瞼を閉じたままティアナは返事をした。その返事に肩を竦めてスバルはミスズを追いかけた。
薬を盛られた、その事実なんてティアナは知っていた。というか、最初の日から盛られていたのだから気付かない方がおかしいのだ。
単なる睡眠薬。それも即効性のない物だ。彼女の親かそれとも叔母の一人か。はたまた祖母か。ともあれ、誰かがソレを作り、そして彼女が使った。それだけの話だ。
「さて、私も寝ましょ」
ふぁぁ、とアクビをして耐えていた眠気を呼び込む。これを使用してから朝はスッキリ起きれるのだから、薬様々である。
場所は飛んで、廃ビル街。
ツカツカと靴を鳴らすスバルとその少し前を音も無く歩いているミスズ。
「で、どこに行くの?」
「少し前にここより西で犯罪がありましたよね?」
「あー、あったね…………うん、ダメだよ?」
「いやですね。私だって犯人を捕まえる為に行動している訳じゃないんですよ」
西で起こったのは殺人事件だ。手口、という物はなく、暴力によって巻き起こった殺人。そして犯人は捕まっていない。
思わず思った事を制止したスバル。そしてそんな制止は思い違いです、と言ってのけたミスズ。
安堵の息を出したスバル。そしてニマリと口角を上げたミスズ。顔を表すなら、計画通り、だろうか。
「ただ、犯人をぶち殺しにきただけです」
「ふぇ?」
まさに、意表を突くだった。
ミスズは廃ビルに入るった、そして声を上げるのだ。
「窮鼠でもない鼠さん? さぁ、どこにいるのかしら? 猫さんが食べにきてあげましたよぉ? その腹を見せて殺されるもよし、前歯で迎撃するもよし。 個人的には後者を選択してほしいですねぇ!!」
ワラワラと出てきたのは屈強とも言える男たち。そんな男たちは目を細めて来訪者を見た。
黒いフードを被った子供だ。声が高いから女の子。そう判断した。そして下卑た嗤いをした。
「ミスズ、ダメだよ」
「あぁ、スバルさんは降りかかる火の粉を払うだけにしてくださいね」
「おーい」
「あぁ、とっても素敵です。この下卑た嗤いを一身に浴びるのも、この下品な糞共の血を浴びるのも、下衆が地に這うのも、あぁ!! 素晴らしい!!」
「あ、ダメだ」
スバルは諦めた。諦めたのと同時に近くの病院と局に通信を入れる。
ソレを見たミスズは踵を打ち鳴らす。構える。しっかりと拳を握るのではなく、緩く握り、左手を前に、右手は顎の近くで構えた。後ろに一歩分、前に半歩開いた足。準備は整った。
「さて、制限時間は五分かそこらでしょうか……」
上唇を舌で舐めたミスズ。本当に、今から戦闘をするような表情ではない。
まず、ミスズの一歩目。
至高である、無駄を省いた一歩。緩く握られていた右手がしっかりと拳を作り一人の男の顎を捉えた。
魔力で強化された肉体で放たれた不意の一撃。男は意識することなく、意識を飛ばして体を浮かせた。
柱へと叩きつけられた男は力なく四肢を垂らす。そんな男を見て、ようやく男たちは女の子を敵だと認識した。
そんな敵はニンマリと邪悪に嗤い、男たちに囲まれている。
「さぁ、踊りましょう。畜生と踊るのは気が引けますが、道化として踊りましょう」
まずは一人の男が飛びかかった。
ソレを振り向き様に肘打ち。遠心力のしっかりと乗った肘が男の顎に当たり、脳を揺らす。カクンと膝が折れ、男は立て膝をついた。もうこの戦闘に参加することは出来ないだろう。
回転を殺すこともなくもう一回転したミスズの脚が側頭へと打ち込まれた。メキリと嫌な音を立てて地面と頭を削って男はついにピクリとも動かなくなった。
「あら、申し訳ありません。でもこれで戦いのない世界へ行けますね。おめでとうございます」
ニッコリ。
果たしてそこが黄泉の世界なのか、病院のベッドの上なのか。それはわからないけれど、ミスズはとても幸せそうに哂っている。
別の男が魔力弾を射出した。
背後から迫るソレはミスズの意識の外であった。意識の外ではあった。けれども、ソレは悪手だ。
「ふッ」
一息でその魔力弾を弾いた。そして見下すように見てやればムキになったその男は新しい魔力弾を補充し、射出。
次は手を伸ばす。そして魔力弾を弾くでもなく、消失させた。
魔力弾を飛ばした男は思わず唖然としてしまう。同質のモノを当てれば消える。けれどもソレは完全に同質なモノである時だけだ。それ以外は魔力の粒子が残るハズである。
けれどもミスズは消して見せた。一度だけ見たその魔力弾を。
「魔導なんてモノは一回見れれば上等ですよ。一回弾いたら、二度目は消して見せましょう。三度目にはもっと容易く消してみせます」
それが、我がエンプティ家です。
きっちり、五分後
「ふむ、こんな所ですか」
影で見るに徹していたスバルは思わずうわぁ、と声を出してしまった。
それまではミスズの動きを目で追っていたけれど、いざ周りを見てみれば男たちが意識を総じて失っている。
ある程度確認はしたけれど、恐らく死傷者はいないだろう。
それを仕出かした犯人は目の前にいて、手や顔に付いた返り血を黒い袖で拭っている。猫が自身の毛並みを揃えるソレのように。
「まったく噛みごたえのない連中です。まだ野生の獣を相手にしていた方が美味しいです。戦いの最中も終ったあとも」
食べれない獲物を壊した事に溜め息と無駄な労力だった、と言わんばかりにミスズは男達を見下ろした。
傷一つ付いていない彼女と意識を失った男達。勝者が誰かだなんて、言うまでもないけれど、ミスズとしては負けた気分だった。
「さて、帰りましょう」
「……ねぇ、ミスズ。こんな事して楽しい?」
「いいえ、全く。今回は特に……もう少し噛んでも味の出る相手がいいですね」
「そういうことじゃない!」
「……何を怒っているんですか」
スバルは全く意識していないミスズに思わず頭に来てしまった。
少女の危険もそうであるし、目の前の事態は救急隊であるスバルには目に余るモノだった。
胸ぐらを掴もうと腕を伸ばした。ソレは払われて掌底が目の前に現れた。
「スバルさんの否定はある程度わかります。力に力で対抗した所で、なんて言うんでしょう?」
「……うん。こういうのは管理局に任して」
「その管理局で対処しきれない、或いは一般市民の願いを聞き入れる為に傭兵はいます」
「…………」
「そして、私はその傭兵…………見習いです」
しっかりと間を開けて手を引いたミスズは肩を竦めた。どうせ怒られる事も含めてスバルの随伴を許したのだ。
空中にウィンドウを出したミスズ。そこにはしっかりと今回の依頼内容が書かれていた。そして同時にソレは管理局の力不足を意味している。
スバルは思わず下唇を噛んでしまう。
「まぁ、そこまで意識する必要はありませんよ。管理局に安全を完全に守ってもらっても、人間ってヤツはこうやって願うモノです。管理局の方々も流石に猫を探してほしい、だとか聞けないでしょう?」
「……うん」
「ようは適材適所。今回は私がこうして出向かなくても管理局はここを突き止めて、そして敵を排除したでしょう。けれど、それまでに他の影響があるかもしれない。そこで、傭兵です」
「その情報を管理局に」
「あぁ、ソレはダメです。傭兵の情報なんてものはアヤフヤです。あぁやって珍しく情報はあっていた、それだけです。いつもなら格好よく口上を言っても誰も出てこないとかザラですよ」
その前に解析魔法を掛けますけどね、と苦笑して付け加えたミスズ。
少し納得はいってないようだけれど、ミスズはスバルにそれ以上思考させないようにビルから押し出した。
そろそろスバルの呼んだ管理局員が来るのだ。スバルは大丈夫かもしれないが、コレの実行犯であるミスズは少なからず今日の学校は休まなくてはいけなくなるだろう。