二つの絶望を前にして出来る事など何も無かった。
ロンデスの膝はガクガクと笑い出す。
少しでも気を抜けば失禁しそうな恐怖が精神を削って行く。
その恐怖が、絶望が、一歩一歩ゆっくりと自分に迫って来た。
体中に冷や汗が溢れ、喉はからからに乾き、頭痛と耳鳴りが襲って来る。
気が付けば目の前には赤いドレスの裾が優雅に揺れていた。ロンデスの視線は本人の意思とは裏腹に、そのドレスを上へ上へと登って行く。
見たくは無かった。知りたくは無かった。信じたくは無かった。そして目を瞑る事もしたく無かった。見た事、知った事、信じた事で絶望の未来は真実に変わり、目を瞑った事で終わりを受け入れてしまう。
「助けて、助けて、助けて……」
ロンデスの口からは、その言葉が無意識のうちに溢れだしていた。
助けを求める声が天に届いたのだろうか、赤いドレスの女は何もせずに、まるでロンデスの事が見えていないかの様に横を通り過ぎて行った。
ロンデスは全ての神経を聴覚に集中する。ゆっくりと遠ざかって行く絶望の足音を聞き逃さない様に。
どんどんと足音は小さくなって行く。ロンデスは安堵した。周りに目をやれば、自分と同じような仲間達が数人いた。その者達と目が合うと自然と笑みが漏れる。助かった、と。
だが、絶望の波は簡単には引いてはくれなかった。ビクトーリアはゆっくりと振り向くと指をパチンと鳴らす。
それが合図となって、今まで停止していたデス・ナイトが動きだした。
ドスンドスンと地面を揺らしながらロンデス達との距離を詰め、タワーシールドを振るう。その強大な力はロンデス達を、いや、人と言う種を、まるで群がる羽虫の様に跳ねのけた。ビクトーリアはそれを何の感情も浮かべず、至極興味がなさそうに見つめると指をこめかみへと持って行った。
「モモンガさん聞こえますか?」
『ええ。どうしましたビッチさん』
ビクトーリアは上空で待機しているモモンガにメッセージを飛ばす。
「これはダメです」
『何がです?』
「弱すぎです。モモンガさんの言い付け通り.無力化して捕らえようと思っても一撃で死んじゃいます」
『うーん。それでも何人かは生かして捕えてほしいんですよ。ちなみに任せますって言ったらどうします?』
「低位階魔法一発ぶち込んで……ですかねぇ」
『千尋の谷ですか?』
モモンガは、呆れ気味にそう言葉にした。
「そう言う訳でも無いんですが……。魔法の実験もしたいかなーと」
『成程。そう言う事なら許可します』
「感謝します。それとモモンガさん、下に降りて来る時は変装して下さいね」
そう言ってメッセージを終了し視線を前方へ向ける。そこには、部隊長であるベリュースを守る様に数人の兵士が束になっていた。
ビクトーリアは、ゆっくりと波打つ様に右手を上げると力ある言葉を紡ぐ。
「ライトニング」
ライトニング(電撃)、第三位階に属する魔法である。
右手から放たれた稲光は一直線に相手へと走って行く。稲光は、中心付近に居た兵士一人を貫き.ブスブスと煙を立たせ絶命させた。
此処までの結果はYGGDRASILの時と変わらない。
しかし、事はこれでは終わらなかった。周囲に居た兵士達も同時にバタバタと倒れ痙攣し出したのだ。
この結果に満足したビクトーリアは僅かに口角を上げる。
此処が現実だと確信した時.ビクトーリアにはある疑問が生まれた。
YGGDRASIL、つまりはゲーム内での魔法と言う物は、範囲であったり火球や光の筋に当たり判定が存在していた。まあ、それはこの世界でもそうなのだが、ファイアーボールなどが自分の横を通り過ぎていっても、当たっていなければ何のダメージを食らう事は無い。
しかし、それが現実で起きた場合はどうなのだろうか?と 言うのがビクトーリアの疑問だ。
自分のすぐ傍を、何千度と言う火球が通り過ぎて無事でいられるのだろうか? 熱を発する暖房器具ですら、手を近づけすぎれば直接触らなくても火傷をする。
ならば、火球や氷の矢などが近くを通る、または近くに着弾した場合はどうなのだろうか。結果はビクトーリアの想像通りの結果となって現れた。
着弾したライトニングの魔法は、被弾した人物の周りにも電撃をまき散らせていたのだ。それほど大きな範囲では無いだろうが、確かに周りにも影響を及ぼしている。
自分の考えが正しかった事に喜ぶビクトーリアは、小さくガッツポーズを作る。
だが、握った指先に違和感を覚えマジマジと指先に視線を向けた。
指先は黒く汚れていた。
ビクトーリアは最初、魔法での怪我か? 火傷か? と疑ったが指を擦りつけてみると黒い汚れは消えていった。さらさらと砂の様に。
指に付着した物が何なのかを理解したビクトーリアは先ほどよりもさらに口角を上げ喜びを露にした。
その時、ビクトーリアの耳に短い間隔の足音が聞こえた。
音の聞こえる方角へ視線を向ける。そこには、ガシャガシャとみっともなく鎧を鳴らしながら逃げて行く人影が見えた。人影との距離はまあまあ有る。直線状にその者は居た。
ならばやる事は一つ。
理解した事を試して見よう。ビクトーリアは直立のまま力ある言葉を紡ぐ
「ライトニング」
その直後に、腕を下から上へと勢いよく振り上げる。
バチバチと言う破裂音が響き、稲光が地面を這う様に人影を追う。
しかし、それだけでは無かった。
稲光を追う様に、黒いカーテンが波打ちながら走ったのだ。
そして、その黒いカーテンは人影の右腕を切断した。
勢いのまま右腕は舞い、残された側からは紅い液体が勢いよく噴き出した。
この結果に、ビクトーリアは満面の笑みを浮かべ人影へと歩を進める。いつもと同じように、優雅にゆっくりと人影に近づいて行く。途中で人影が落とした物を拾いそこへと到着する。
そこでは、左手で右手があったであろう場所を抑え転げ回る鎧を着込んだ男がいた。
ビクトーリアは、男の腹を蹴りあげると胸を踏みつける。
「ギャーギャーと五月蠅いのう。少しは黙らぬか」
踏みつけられ息が詰まったのか、それとも痛みで頭が可笑しくなったのか、男は騒ぐのを止めた。しかし、今度は「腕が、腕が……」と呟き続ける。
ビクトーリアはため息を一つ吐くと、極上の笑みを浮かべ
「ほーら、妾が拾ってきてやったぞ」
そう言って拾った右腕を投げ捨てる。
まるで魚に餌を与える様に。
「キサマ、名は?」
ビクトーリアは質問するが、男は答えない。
いや、男は自分から離れて行った右腕を、じっと見つめ答える事が出来なかった。
だが、ビクトーリアにとってそんな事はどうでもいい事だった。大事なのは自分の質問に答えなかったと言う事。
「何じゃ、そんなに生き別れになったソレが不憫か? なら友を作ってやろう。友は良きものじゃからな」
そう言うと、至極楽しそうに左腕を胸元辺りまで上げると、
「ライトニング」
掌から地面へ向け稲光が走る。それと同時に、地面から黒いカーテンが登って来た。
その黒いカーテンは男の左腕を切断する。それは、ギロチンの様だった。下から上へと登る逆ギロチンといえる物だ。
男は、口をパクパクさせるだけでもはや言葉が出なかった。そんな状態の男に、興味の失せたビクトーリアは
「もうよい」
そう言って、男の喉めがけてフラッグポールを突き立てる。
それが、部隊長ベリュースと言う男の最後だった。