OVERLORD~王の帰還~   作:海野入鹿

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敗者として

 男はゆっくりと、その重い瞼を持ち上げる。焦点が合わず、ぼやけた視界に映る物は、記憶に無い景色であった。見た事も無い天井、そこに走る梁。

 

 男は、無意識にそれに手を伸ばそうとした。しかし、若干の重さを持つ何かに、阻害される。それが、掛け布団である事を認識するのに、僅かな時間を要した

 

「ここは……どこだ?」

 

 視界の霞が徐々に晴れて行く中で、男は囁くほどの大きさで言葉を口にする。それは、誰に聞かせるでもなく、自分自身に問いかける訳でも無く、只、口に付いただけの様だった。

 

「何を言っているんだ、俺は?」

 

 男が僅かに身体を起こし、自嘲気味に薄く笑みを浮かべた時、部屋にガチャリと言う金属音が響いた。その後、ギィィと言う何かが擦れる音が聞こえる。ドアが開き、誰かが入って来た様だ。

 

「ん? 目が覚めたか」

 

 そう言ったのは、鍛え抜かれた身体に、髪を短く刈り込み、顎髭を蓄えた目つきの鋭い男だった。

 

「………………ガゼフ? ガゼフ・ストロノーフ、か?」

 

 ベッドで身体を起こした男は、記憶の中にある良く似た男の名を口にした。その、あやふやな言葉を聞き、ガゼフと呼ばれた男は、呆れた様に口角を僅かに上げ

 

「おぼろげか? 俺は覚えていたんだがな、アングラウス」

 

 ベッドの男の名を、ハッキリと口にした。それを聞き、ベッドの男、ブレイン・アングラウスは重い身体を無理させる様に右腕を上げ、頭を掻く。申し訳無いとでも言う様に。

 

「まあ良い。もう少し寝ていろ。お前の事だ、半日もすれば、動ける様になるだろう。そうしたら、下に降りて来い」

 

 それだけを言って、ガゼフは部屋を出て行った。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 ガゼフの言葉通り、ブレインは半日、夕方頃には起き上がり歩ける程には回復していた。現在、一階のリビングと思える部屋で、二人は相対していた。

 

「落ち着いたか?」

 

 そう言ってガゼフは、ブレインの前に湯気の立つカップを差し出す。

 

「……すまないな」

 

 ブレインはゆっくりと、そのカップに口を付ける。野菜か何かのスープなのだろうか、温かさがゆっくりと身体に沁み渡り、気分が僅かだが落ち着いて行くのが感じられた。

 

「アングラウス。何があった? お前ほどの男が……」

 

 雨に打たれ、生きる事を諦めるなど、と続けるつもりだったのだが、途中で言葉にする事を躊躇った。それほどまでに、ブレインの顔は憔悴していた。

 

「ストロノーフ。俺達は弱い。弱いんだ」

 

「アングラウス、お前は何を言っているんだ? そんな事は解っていた事だろう? 亜人や異形の者達と比べて――」

 

「そうじゃ無い。そうじゃ無いんだ! 亜人や異形の者達も含めてだ! 俺達は……」

 

 目を見開き、絶望を顕にするブレインに対し、ガゼフは妙な違和感を覚える。

 

「……アングラウス。お前、何を見た? 一体、誰と出会った?」

 

 ガゼフの問いに、ブレインはポツポツと自分が出会った吸血鬼の話を語って聞かせた。何の手を打つ事も出来なかった、と。傷を付ける事も出来なかった、と。自分を、敵として見る事もしなかった、と。

 

 ブレインの独白に、ガゼフは静かに「そうか」とだけ呟く。その言葉に、ブレインは自嘲気味に、無理やり笑顔を形作ると

 

「信じられないだろうな、だが、真実だ。けど、俺が生きる事を手放したのは、吸血鬼のせいじゃ無い。別の存在のせいだ」

 

「別の存在?」

 

「ああ。長くなるが、聞いてくれるか?」

 

 そう言うブレインに対し、ガゼフは静かに首を縦に振った。

 

 

 

 

「そんな者が?」

 

「ああ。俺が手も足も出なかった吸血鬼を倒したんだ。それもたった一人で。力と力の戦いで。……そんな奴は存在するのか? い、いや、存在したんだが。刃を通さぬ肌を叩き潰し。地形すら変える力を、その身に受け。その上、世界を滅ぼす程の、魔法を行使していたんだ。それも……女がだ!」

 

 そう言ってブレインは、拳をテーブルに叩きつける。

 

「ははっ。気が触れたと思っているんだろ? ストロノーフ。だが、だがな、事実なんだ」

 

 ガゼフは目を瞑り、何も言わずじっと思考の中に居た。何度目だろうか、自虐的な言葉を口にするブレインを前に、ゆっくりと瞼を開いて行った

 

「アングラウス。………………その者は、金色の髪をしていなかったか?」

 

「ストロノーフ?」

 

「ドレスを身に纏い、髪と同じ、金色のガントレットとグリーブを身に付けていなかったか?」

 

「ど、どうして……」

 

「強力な、夜を昼に変える程の雷を纏っていなかったか?」

 

「何故、何故知っている。アイツは、アイツは誰なんだ?」

 

 ブレインの問いに、ガゼフの口が閉じられる。言うべきかどうか迷っている様に見えた。

 

「アングラウス。お前が見た者は、お前が出会った御仁は……煉獄の王、だ」

 

 煉獄の王? ブレインは一瞬、ガゼフの頭がどうにかしてしまったのでは? と言う思いが浮かぶ。だが、表情を見れば、それが間違いだと気付かされる。

 

「ほ、本当なのか? 本当に……」

 

 疑問の言葉を繰り返すブレインに対し、ガゼフは頷き

 

「本当だ」

 

 短くそう言って、自身の経験した事柄を語って聞かせた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンに、セバスと言う老執事……その二人が煉獄の王の近くに居るのか?」

 

「ああ。それだけ、とは限らないがな」

 

「「ふふっ」」

 

 二人から、自然と笑みが漏れた。

 

「願わくば、彼らが敵であらぬ事を」

 

 ガゼフが呟く様に、そんな言葉を口にした。それに応える様に、ブレインは「まったくだ」と呟き、立ちあがる。

 

「どうした。身体は良いのか?」

 

「ああ。少しダルさは残ってはいるが、少し身体を動かしたい」

 

「そうか。金は有るのか?」

 

 そう言われて、ブレインは言葉を失う。吸血鬼と遭遇し、何も持たずに逃げ出した自分に対して、酷な問いかけだ。言い淀むブレインに対して、ガゼフが小さな巾着の様な物を投げてよこす。首を傾げながら中を覗くと、銀貨が十数枚入っていた。

 

「それだけあれば、少し飲み食いする分には困らんだろ」

 

「す、すまない」

 

 ブレインは戸惑いながらも、礼の言葉を口にした。

 

「帰りに、ワインでも買って来てくれ。その駄賃だと思ってくれれば良い」

 

「分かった」

 

 その言葉を最後に、ブレインはガゼフの家を後にした。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 とぼとぼと、街並みを確認する様にブレインは歩く。喧騒の中に落ち着きがり、国民の生活は落ち着いている様だ。表向き、は。

 

 そう感じながら大路を歩いていた時、人だかりが目に留まる。好奇心から近付き、野次馬の隙間から視線を巡らすと揉め事の様だった。

 

 老紳士と冒険者の様な男が向き合い、少し離れた場所に冒険者風の少年が、幼い男の子を介抱している。街の裏側で良くある光景だ。

 

 ブレインはそう思い、その場を立ち去ろうとした。喧騒に背を向けたその時、背筋に悪寒が走った。闘気、とでも言えば良いのだろうか? 何者かが発する殺気が身体を襲う。焦り振り向くが、場はすでに納まり、老紳士達は姿を消していた。その事を確認したブレインは、すぐさま裏路地へと駆け出した。

 

 幾つかの辻を曲がった所で、件の人物達の姿が確認できた。その姿を視界に捉えた瞬間、先ほどの殺気とは別物の、強烈な空気が辺りを襲った。その重圧が、老紳士から発せられた物だと認識するまでに、暫しの時間を要した。それほどに強大で、人が放てる物とは到底理解できない程の物。理解出来る様に言葉にするとすれば、竜が持つ絶望感、と言える物だった。

 

「どちら様ですかな?」

 

 唐突に、老紳士から声が掛る。ブレインは辺りを探るが、誰も居ない。やはり先ほどの言葉は、自分に対しての言葉だった様だ。

 

「申し訳無い。覗き見するつもりは無かったんだが……」

 

 頭を掻き、恥ずかしげにブレインは姿を見せる。それと同時に、視線は老紳士を捉え続けた。すらりとした体躯。上質な衣装。どこに出しても恥ずかしく無い、執事として見本の様な人物だ。だが醸し出される雰囲気は、一流の剣士であるブレインでさえも、気遅れしてしまう物がある。

 

「すまないが、あなたの名前を教えてはくれないか? い、いや、すまない。俺はブレイン。ブレイン・アングラウスだ」

 

「ブレイン? あなたがブレイン・アングラウスさん……」

 

 ブレインの予想に反して、口を開いたのは少年の方だった。

 

「知っているのか? 俺を」

 

「ええ、もちろんです。あの戦士長様と、互角以上の剣士だと」

 

 少年の言葉は、以前のブレインならば喜ばしい事だったのだろうが、恐怖から逃げ出した今の自身にとっては、皮肉以外の何者でも無かった。

 

 それと同時に、ブレインの興味は少年へも向けられる。

 

「君は、何故先程の覇気を受け止められたんだ?」

 

 そう、ブレインが感じた竜が放つような殺気、覇気は、この少年、クライムに向けられた物だったのだ。問われたクライムは、恥ずかしそうに、また、困った様に笑いを浮かべ

 

「守りたい方がいますから」

 

 揺るぎの無い言葉だった。だがブレインにとって、この言葉は衝撃的な物だった。

 

「それだけなのか? それだけの事で、あの覇気を……」

 

 信じられない。ブレインにとっては、そんな理由だった。

 

「ではお聞きします。アングラウス様、あなたは、何故力を欲するのですか?」

 

 老紳士から言葉がかけられた。ブレインは拳を握り、答えを求める。必死に、何故、力を求めるのか、と言う問いに。

 

「負けないためです」

 

 顔を上げブレインは、自分の中にある答えを口にした。

 

「そうですか。それだけですか」

 

「どう言う事、ですか?」

 

 負けない為に力が欲しい。それのどこに間違いがあるのだろうか? 力を欲するのに、それ以上の意味があるのだろうか? そうでなければ、誰も護れはしないのに。自分の命でさえも。

 

 だが、目の前の老紳士は、それは小さな事だと暗に語っていた。

 

「アングラウス様の仰った事は、正しい事です。ですが、それだけでは次の段階へは行けないと愚考しますが?」

 

「次の段階?」

 

「ええ。」

 

 短く相槌を打ち言葉を切る。その時、老紳士の頭の中で、あの言葉が浮かんだ。自身のもう一人の主と、地下の館で話した言葉が。

 

「ある貴族の言葉です。私のもう一人の主人は、その貴族の言葉を聞き、感銘を受けたそうです」

 

「その、言葉とは?」

 

 ブレインの喉が、ゴクリと鳴った。

 

「私は、負け続けながらも、戦い続ける者を愛している」

 

 かつてのモモンガの様に、と続けられた言葉を切り、老紳士は言葉を告げた。

 

 ブレイン、クライムの顔を老紳士は見つめるが、いまいちピンと来なかった様だ。老紳士は笑みを浮かべ、噛み砕いて再び言葉を投げかけた。

 

「何度負けようと、心を砕かれ様と、退がらず、立ち止まり、一歩を踏み出す。それが敗者の特権であり、求める者の姿だと。そんな姿勢を愛していると言われたのですよ」

 

 老紳士から見て、ブレインの瞳に力が戻って来た様な気がした。自分達に話しかけた時の、死者の様な瞳に。

 

「俺は負けた。だけど生きている。そう言いたいのですね」

 

 ブレインの言葉に、老紳士は表情を緩め

 

「私はそれほど偉くはありませんよ。只、主人の言葉を口にしただけです」

 

 謙虚にそう言うのみだった。そして、思い出した様に

 

「失礼。名を名乗ってはいませんでしたね。私はセバスと言います」

 

ブレインは、頭を思いっきり殴られた様な気がした。

 

 やはりこの老紳士は、ガゼフが出会ったセバスだったのだ。そして、先ほどの言葉。あれは、恐らく彼の者の言葉なのだろう。ゆっくりと、僅かにだが、ブレインは心の霧が晴れて行くのを感じた。

 

 




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