「……陛下」
ラナーの部屋を出たリリー・マルレーンに、ヴァイエストが気遣う様に声を掛ける。先程の言葉は、酷過ぎはしないか、と。だが、そんなヴァイエストを振り返る事無く、リリー・マルレーンは言葉を凶器とする。
「それ以上言うでは無いぞ。誰が一番酷い扱いを受けたのか、それをしでかしたのは誰かを知れ」
「失礼致しました、ビクトーリア様」
ヴァイエストは、目の前を歩く人物の真名を呼ぶ。
この数日の一件で、誰が怒りを覚えているのか、理解しているからだ。怒っているのは、怒りを抱いているのは、スレイン法国法皇リリー・マルレーンではない。煉獄の王、ビクトーリア・F・ホーエンハイムなのだから。
「これから、どう出るでしょうか?」
もう一つの不安案件を、ヴァイエストは口にする。
リリー・マルレーンが言った様に、可愛がっている男に色眼を使うかも知れない、などと言う事柄で、十数人もの元娼婦を殺害しているのだ。絶えず気を張っていないと、リリー・マルレーンに危険が及ぶ。
だが、当のリリー・マルレーンは呑気なものだ。
「なぁあに、主犯は、あのクソガキで、実行犯も解っておる。妾に手を出すならば、潰すまでよ。そうじゃろう、メロディ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
法皇との面白くも無いお茶会を終えた夜、ラナーは珍しく苛立ちを表に出し、来訪者を待っていた。その者は、音も無く暗闇から現れ、ラナーの背後から声を掛ける。
「渡したスクロールをこうも早く使うとは、何か問題がありましたかな?」
声の主。
赤い異国のスーツと呼ばれる衣装を纏い、色付きの眼鏡、サングラスを掛けた悪魔。名をヤルダバオト。
ラナーは、ヤルダバオトの出現に驚く事も無く、そのドロリとした視線を向ける。
「ええ。私とクライムの仲を引き裂こうとする人がいるの。殺しては頂けないかしら?」
平然とそんな言葉を口にする。あどけない表情で、子供っぽい口調で。まるで、面白半分に蟻を潰す幼子の様に。
「ふむ。それは、追加の謝礼、と言いうことですかな?」
ヤルダバオトは笑みを絶やさずラナーと向き合う。
「出来れば、そうして頂けるとありがたいですわ」
グニャリと表情を崩しながら、ラナーは答えた。
「考慮しましょう。それで、ターゲットはどなたですかな?」
「法皇よ。スレイン法国の法皇陛下。とっても意地悪な人なの」
そう言って表情とは裏腹な、少女らしい笑い声をあげる。
「スレイン法国、ですか」
「何か問題が?」
ラナーの問いかけに、ヤルダバオトは僅かに眉を寄せ
「あの国は、私の主人の一人が見ている国なのでね。おいそれと手が出せないのだよ」
ヤルダバオトの言葉で、ラナーの顔には一層の歪んだ笑顔が浮かぶ。
「大切な主人の為にも、あんな人を王にしていてはいけないわ。あんな人が王様になっている国ですもの、いずれ偉大なるあなたの主人にも手を掛けようとすわ」
ラナーは何とか誘導をしようとしているのだろう。
以前の盲目的な自分なら、主人の為と言って、勝手な思い込みで行動していたかもしれない。だが此処で行動して、この後に控える計画に支障が出るのは避けなければいけないのだ。あの恐怖の魔王が関わっているのだから。
「仕方ありませんね。一度、様子を探ってみましょう。殺す、殺さないはその後。計画の成功を持って、と言う事で」
「仕方ありませんわね。忠告はしましたよ」
ラナーは素直に引きさがりながら、殺害を急がせる様な言葉を付け加えるのを忘れない。この言葉に、ヤルダバオトは苦笑いを隠しながら、闇へと溶けて行った。
再びヤルダバオトが姿を現した場所は、王城の尖塔である。足場など無い円錐の頂点に、器用に爪先で立っていた。
「さて、困りましたねぇ」
茶化す様に、楽しむ様に、デミウルゴスはサングラスの位置を直しながらほくそ笑む。
「しかし、報告だけは致しませんと」
デミウルゴスはそう呟き、右の指をこめかみへと持って行く。
「ビクトーリア様。デミウルゴスで御座います。夜分遅く申し訳ございません」
声を低くし、謝罪の様に言葉を綴る。
『何じゃ、デミウルゴス。しかし、何とも胡散臭い声じゃのう』
礼儀正しく言葉を尽くしても、この返事である。全く意地が悪いとは、この人物を指す言葉なのだろうとデミウルゴスは心の内で呟く。
「ははっ、お戯れを。それで本題なのですが……」
『ふむ。うぬの、その調子から見るに、何か楽しげな事なのじゃろうな』
ビクトーリアから、無茶振りのリクエストである。
法皇暗殺が楽しい話題なのか、楽しくない話題なのか? 悪魔としてのデミウルゴスにとっては、混乱の引き金となる話は楽しい物だ。では、会話相手の暴君にとっては? デミウルゴスの額に、嫌な汗が浮かぶ。
「ま、冗談は置いておいて本題じゃ。何用じゃ?」
デミウルゴスは、ほっと息を吐いた。
「件の黄金の姫なのですが……」
『ほう。あの、発情期のクソガキがどうかしたのかや?』
発情期のクソガキ。もう嫌な予感しかしない。一体、あの
「え、ええ。ゲヘナへの協力の見返りに、スレイン法国の法皇を暗殺する様に頼まれたのですが、いかがなされますか?」
『……』
ビクトーリアからの返事が無い。デミウルゴスの額には、滝の様な汗が流れ出る。
『かかっ!』
僅かながら、脳内に笑い声が響いた。この声はよく知っている。ビクトーリアの声だ。
『法皇を暗殺しろとな? 面白い。殺せるのかや? リリー・マルレーンを』
「リリー・マルレーン……」
デミウルゴスが、ビクトーリアの言った法皇の名を繰り返す。
その瞬間、空中に暗闇が出現し、何者かが転移して来た。
「殺せるのかや? 妾を。法皇リリー・マルレーンを」
リリー・マルレーン。デミウルゴスの前に現れた法皇は、ビクトーリア・F・ホーエンハイムその人だった。
「ビ、ビクトーリア様!」
デミウルゴスの驚きの声に、リリー・マルレーンはいやらしいく意地の悪い満面の笑みを浮かべ
「何を言うておる。妾は、そなたの殺害対象じゃぞ。妾はスレイン法国法皇、リリー・マルレーン。こうして顔を合わせるのは二度目じゃな、ヤルダバオト殿」
そう言って、踊る様に宙を舞う。
デミウルゴスは、どんどんと自分の喉が渇いていくのを感じていた。失念していた。考えが浅墓だった。自分は再び、煉獄の王を見誤っていた。
考えてみれば解ったはずなのだ。
偵察に出したシャドウ・デーモンを事も無げに倒し。あのニグレドの監視網を搔潜る者など、目の前の人物意外、自分は知らないのだ。
まず初めに法皇と疑うべきは、煉獄の王ビクトーリア・F・ホーエンハイムなのだ。そう、この者は法皇であったからこそ、あの戦い、アベリオン丘陵での戦いに参戦したのだ。
「は、ははっ」
からからに乾いた喉から、やっと絞り出された声は、歓喜の笑いだった。
「あははははは! 素晴らしい! 素晴らしいです! 脱帽致しました、ビクトーリア様! 流石はナザリックの神体! すでに国を取られ、さらに! その国の表も裏も支配されているとは! これも、ナザリックによる世界支配の一環でございますね!」
喜びに打ち震えながら、デミウルゴスは湧くし立てる様に賛辞の言葉を綴る。
「支配じゃのうて、ナザリックを表に出す計画なのじゃがな」
そう言いながら、リリー・マルレーンは、ふふんと鼻で笑う。方やデミウルゴスの表情には、歓喜が張り付いていた。
「それでどうするのじゃ? 妾を殺すのか? 殺さぬのか?」
喜びの中に居たデミウルゴスにとって、水を浴びせ掛けられた様な心境だった。出来る事ならば、今すぐにでもこんな事態を招いた発情期のクソガキを、恐怖候の下へと送ってやりたい心境だ。
「冗談は御止め下さい。ははっ」
胃が痛くなる。この神体は、本当に意地が悪い。そして、口も悪い。
「どうするのじゃ? ほれ、言うてみよ」
よほど腹が立っているのか、ビクトーリアの追及は終わらない。デミウルゴスが何か答えを出さねば、この会話は朝日が登るまで続くだろう。そう考えるだけで背筋が寒くなる。
目の前の人物は、自身の創造主でさえフルボッコにした人物なのだ。デミウルゴスは必死で頭を回転させる。何か良い案は無いか、と。暗中模索の中、デミウルゴスの脳裏に光が灯る。
「ビクトーリア様」
「なんじゃ?」
「依頼は失敗、と言う事にされてはいかがでしょうか」
デミウルゴスの意外な回答に、ビクトーリアは興味深げに首を傾げる。
「ほう。ナザリックの威光を第一に考えるうぬにしては、珍しい回答じゃな」
「いいえ。これもナザリックの威光を高める為の処置で御座います」
「失敗、と言う結果がか?」
「ええ。あの発情期のクソガキは、一時的にはこちらを甘く見て来るでしょう」
「そうじゃな」
「しかし、実態はどうでしょうか? 自分が殺して欲しいと願った人物が、自分が頼ろうとした組織の神である人物だった。それを知った時、あの発情期のクソガキは、どう思うのでしょうねぇ」
言ってデミウルゴスは、ビクトーリアと同じような意地の悪い笑みを浮かべてみる。
「なるほどのぅ」
ビクトーリアの目が細められる。
此の瞬間、デミウルゴスは叱責を覚悟した。焦っていたとはいえ、あまりにも幼稚な発想だったと。だが、それは杞憂に終わる。
「ふふん。絶望に染まる顔が見たいか。悪魔らしい趣味嗜好じゃ。良いじゃろう、好きにするが良い」
デミウルゴスは、ほっと息を吐いた。とりあえずは何とかはなった、と。だが、相手はビクトーリア。これだけで終わる訳が無い。
「今回連絡を怠ら無かった事は、褒めてやろう」
「おお、ありがたき幸せ」
「じゃが、前回報告が無かったのは、何故じゃ?」
前回? その言葉でデミウルゴスの表情筋が痙攣をおこす。一体、どれが前回なのだろう。アベリオン丘陵での戦の事であろうか? それとも……。
「うぬらが、娼婦を殺害した件じゃよ」
デミウルゴスの額からは、一旦引いていた汗が滝の様に流れ出す。
「ふん。どうせ、ゲヘナに妾が参加せん予定であったせいじゃろ」
「ま、誠に……」
短く呟かれたデミウルゴスの言葉に、ビクトーリアは溜息を零し
「デミウルゴスよ」
「は、はい」
「うぬは知恵者じゃ。それは妾も認める」
「あ、ありがとう御座います。ビクトーリア様」
「じゃがな」
来た。そう思ったデミウルゴスは、背筋を正す。
「うぬの情報収集は、一方的過ぎる。娼婦の件にしても、王国戦士達が保護したのは知っておったのじゃろう?」
「は、はい」
「ならば、何故前を遡らんかった。遡れば、セバスが関係していた事に気付けたはずじゃが?」
「そ、それは……」
デミウルゴスは答える事が出来なかった。答えるどころか、答えその物がみつからないのだ。
「デミウルゴス。今回の件を心に刻め。この失態は、うぬが人間をあまりにも軽く見ていた為起きた事象じゃ」
「下等生物を、ですか?」
「左様。ニンゲンを下等生物と軽んじた為に、ナザリックに汚点を、恥をかかせたのじゃ」
「わ、私が、ナザリックに汚点を……」
「そうじゃろう? アインズまで担ぎ出して、セバスが助けた娘の付属品を守れなんだのじゃからな。これで、世界征服などと、へそが茶を沸かすわ」
「返す言葉もありません」
デミウルゴスは、ガックリと肩を落とす。知らず失態を犯していた事を恥じているのだろう。その、あまりにも悲痛な表情を垣間見、ビクトーリアは何度目かの溜息を洩らす。
「一つ勉強になったであろう? 実際にナザリックに被害が出てからでは遅かったのじゃ、タイミング的にはギリギリセーフ、じゃな」
「ありがとう御座います、ビクトーリア様」
そう言って、臣下としての礼を取る
「この事は、報告はせん。良いな?」
「お、御心使い、感謝いたします」
「その礼、と言っては何じゃがな」
「はい?」
「妾の事も暫し黙っておれ」
「ビクトーリア様の事を、ですか?」
デミウルゴスの問いに、ビクトーリアは一度頷き
「法国の法皇は、今だ正体は不明。良いな?」
「畏まりました、ビクトーリア様」
感想お待ちしております。