「えい!」
豪華な屋敷の扉の前で、マーレは力強い言葉と共に杖を地面に突き立てる。その力に導かれ、地面から多数の蔦が屋敷をからめ取った。窓を、戸口を塞ぎ絡まったその蔦は、まるで檻の様に見える。
「じゃあ、行きましょうか」
「はぁーい!」
マーレの言葉に、エントマが元気良く答えた
マーレはゆっくりとドアノブを握り、そっと回す。鍵が下りていると思ったそれは、驚くほど軽やかに回る。
「あれ? 鍵が掛っていない」
小さな呟きと共に、静かに扉を押し開く。
解き放たれた扉の隙間からは、人が生活する中で生じる匂いでは無く、別の物がマーレとエントマを包み込む。鉄にも似た、濃厚な生臭い香りが。
それを認識しつつ、マーレはぐっと扉を押し込んだ。
屋敷の中は……想像通りの光景であった。壁には黒い飛沫が飛び散り、床に至ってはドロリとした液体が広がり、ニンゲンであった物があちらこちらに散乱していた。何人分の破片なのかも解らぬほど大量に、手が、足が、頭部が、内臓が散乱する。
「うわぁ。ど、どう言う事なんでしょうか?」
惨状を目の当たりにし、疑問を口にするマーレの後で、ジュルリと言う何かをすする様な音が聞こえた。静かにマーレは、音のした方に視線を向ける。そこには着物の袖で、人間で言うあごの辺りを拭うエントマの姿があった。
「いけない、いけない」
先程の音は、エントマが涎をすすった音だった様だ。その事実に、マーレは苦笑いを漏らす他なかった。
「あ、あの、エントマさん。おやつはお仕事が終わった後、で良いですか?」
「はぁーい」
マーレの提案に、エントマは両手を上げ了承の意を告げる。
「そ、それじゃあ、僕は二階を見てきますね」
「りょーかいしましたぁ」
その言葉を最後に、二人は別れ屋敷の捜索に乗り出した。
エントマは、階段を上って行くマーレを見送ると、足元に転がる男性と思われる足を手に取り
「少しくらいならいいよねぇ」
そう呟きながら噛り付く。
「うん! やっぱり、ダイエットにはお肉は男のだよねぇ。おっと、いけない。お仕事、お仕事。みんなぁー!」
言って左袖をブンブンと振る
その合図を見取り、屋敷の外から一メートルはあろうかと言う甲虫が何匹も現れた。エントマは、その甲虫達と向き合い
「はーい。みんなでお仕事ー。部屋の中にある物を、全部持って行ってねぇー」
命令一過、甲虫達は各部屋へと散っていった。
残されたエントマはと言うと。
「わたしは監督作業。……もうちょっといいよねぇ」
そう言って二本目の足へ手を伸ばした。
方やマーレと言えば、二階の部屋を一つずつ確認して回っていた。一部屋、寝室の様な部屋を見つけたのだが、誰かを発見する事は出来なかった。
「可笑しいなぁ?」
そんな独り言を呟きながら階段を降りると、エントマが荷物を持った甲虫達と外へと向かう所だった。
「あ、あの。エントマさん」
マーレが声を掛ける。
その声に反応し、エントマが振り向いた。
「あ。マーレ様。二階はどうでしたぁ?」
エントマの言葉に、マーレは二度ほど首を横に振ると
「ダメでしたぁ。誰も居ません」
「一階も一緒でしたぁ」
そう言ってエントマはブンブンと袖を振る。
「?」
その姿を見て、マーレは首を傾げる。
微妙に、いや、妙にエントマの腕が長いのだ。
目をこすり、再度エントマを視界に納める。それによって、違和感の正体が解った。
エントマは自身の手に、床に落ちていたニンゲンの腕を掴んでいたのだ。それも、両手とも。
「あ、あのー。エントマさん。そ、それは?」
マーレの問いに、エントマはニンゲンの腕を振り
「これですかぁ? おやつですぅー」
元気に答えを返す。
「あ、そうですか。それじゃあ僕は、受け入れの手筈を整えますので、ナザリックへ戻ります。こちらの事はお願いしますね」
そう言ってマーレは、ペコリと頭を下げる。
「わかりましたぁ。マーレ様もお気をつけてぇ」
同じ様に、エントマも可愛らしく頭を下げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
マーレを見送り、エントマと甲虫達は荷造りと出荷作業に盛を出す。もそもそと甲虫達が屋敷を出入りし、屋外では人を超える大きさの羽虫達が荷を受け取り飛び立って行く。
その作業も終わりを迎えるころ、背後から声が掛けられる。
「よぉ。何やってんだ?」
気軽に、何でも無い様に、軽い挨拶の様に掛けられた言葉だったが、それには酷い殺気が含まれていた。
「なにって? おさんぽー! ただの、おさんぽー!」
だが、エントマは気にするでも無く振り返り言葉を返す。
「こんな夜にか?」
声を掛けて来た
「そう、さんぽー! 優雅にさんぽー!」
「じゃあ、その手に持っている物は何だ?」
そう言われて、エントマは改めて自分の袖口を見つめる。そこには、当然の如くニンゲンの腕がブニョンブニョンと揺れていた。
「これ?」
エントマは、手に持つ物をさらにブニョンブニョン揺らしながら問いかけた。それを見つめていた良く解らない種族の剛の者は、ゆっくりと頷く。
「これはねぇー。これはぁ。……おやつ? さんぽのおやつー!」
ふざける様な、茶化す様なエントマの言葉に、良く解らない種族の剛の者は無言でウォー・ピックを振り下ろす。だが、この攻撃をエントマはひらりとかわす。
「もー! 危ないなぁ!」
そして両の袖をブンブン振りまわし、抗議の意を示す。
「危ねえだぁ? こっちは殺す気で行ってんだ。覚悟しろよな、人喰いの化け物!」
叫び、良く解らない種族の剛の者のウォー・ピックが何度もエントマを襲う。
「もー! しつこいなぁ!」
エントマが言葉を発した瞬間、良く解らない種族の剛の者のウォー・ピックがすんでの所で止められる。
「何だ」
自身の得物の先を凝視する良く解らない種族の剛の者。そこには、盾の様な物によって力を止められたウォー・ピックの槌部分が。
「何だ? 急に盾が。……魔法か?」
そう呟いた瞬間、盾が律動しウォー・ピックを弾く。
「っつ! 何だ!」
視線に止める化け物の盾がズルリと動く。
「硬甲蟲。私はねぇ、虫使いなの。剣刀蟲!」
エントマの言葉に呼応し、空中から一匹の虫が飛来する。
その羽虫は、躊躇する事無くエントマの腕に止まり、前足を重ね合わせる。擬態、とでも言えばいいのだろうか? 羽虫は剣へと姿を変える。
「ほう。なかなか面白れえ事をするじゃなねえか」
「何時まで、そんな事が言えるかなぁ!」
言葉を交わし、エントマと良く解らない種族の剛の者は激突する。
良く解らない種族の剛の者は、何度もウォー・ピックを振り下ろし、薙ぐが、その全てをエントマはステップでかわし、または硬甲蟲で弾く。
何合と打ち合うが、一行に決定打が打てない事に、良く解らない種族の剛の者からは焦りが見え隠れする。その時、良く解らない種族の剛の者の背後から
「ガガーラン! 加勢する!」
エントマは声の方へと視線を巡らせた。
良く解らない種族の剛の者、ガガーランと言うらしい名前? 種族? の後方には二体の
「お仲間?」
エントマは動きを止め、ガガーランと言う種族の者に問いかける。
「ああ。若干卑怯だが、これでテメェも御終いだ」
「うーん。三対一かぁ。面倒だなぁ」
ガガーランと言う種族は、勝ちを確信し、ニヤリと笑うのだが、エントマは首を傾げるに留まる。
「そうだぁ! 式蜘蛛符ぅ!」
言葉と共に、左手に握った符を四枚、ガガーランと言う種族の背後に投げつけた。地面に落ちた術符は、姿を巨大な蜘蛛へと変える。
「あんた達の相手は、その子ぉ」
茶化す様なエントマの言葉に、仮面の雌は憤る様に言葉を漏らした。
「舐めてくれる。
仮面の雌が右手を掲げ、力ある言葉を紡ぐ。その言葉に呼応し、正面に霧の様な物が噴出される。霧に包まれた蜘蛛達は、徐々に力を失い、最後には痙攣し砂の粒へと消える。
「……何をした?」
エントマの口調が変わる。本能が、今の魔法に警鐘を鳴らしていた。
「ふふっ。何を怖がっているんだ? ただの殺虫魔法だぞ」
エントマの言葉に、気を良くしたのか、仮面の雌はどうだとばかりにぺったんこの胸を張る。多分、仮面の下でドヤ顔をしているのだろう。
それが理解出来るからこそ、エントマの気分はこれでもかと地に落ちる。
「ころすぅ。もう、ころすぅ」
呟きながら、眼前の敵へ突撃を開始した。だが、相手もそれを許す事はしない。
「ガガーランは右! ティアは左! 私の魔法が当たった瞬間に仕掛けろ!」
「「了解!」」
「
力ある言葉に呼応し、幾本の水晶の槍がエントマを襲う。
その攻撃を、エントマは左右の蟲で弾く。
だが、同時に左右から
弾くか? 止めるか? それともかわすのか?
エントマは即座に次の行動を思い描く。だが、迫りくる攻撃に対し、決定が付けられずにいた。理由は只一つ。情報不足。
敵の持つ武器が、どれほどの
次に、敵がどれほどの攻撃力を持っているのかが解らない。
自分より上なのか? それとも下なのか。自分に対して、傷を付けられる者なのか? はたまた低レベルの雑魚なのか。全てが未知であった。
ガガーランと言う種族の攻撃は止める事が出来た。だが、それが本気の一撃であったかどうかも不明。
エントマの思考が停止する。
この瞬間、エントマの脳裏を占める思いは只一つ。
無能と思われて死にたくない。支配者であるアインズに、功を捧げぬまま死にたくない。そんな思いだった。
「蜘蛛子ちゃん、刀を弾いてくれるかなぁ」
後ろから、妙に甘ったるい声がエントマに掛けられる。
エントマはすぐに反応し、硬甲蟲で刀を弾く。それと同時に、ガガーランと言う種族の者が後方へと吹き飛んだ。何者かが蹴り飛ばした様だった。
エントマの隣に、声の主が並び立つ。
エントマは知っていた。この者が敵では無いと言う事を。自分の事を蜘蛛子と呼んだ事によって。
「くそっ! 誰だテメェは!」
ガガーランと言う種族の者が、胸を押さえながら叫ぶ。
敵である三人の目、合計六つの瞳がエントマの隣に立つ者に注がれていた。
ワンピース水着の様な革鎧に、革製のブーツにグローブ。短い刀を両手に持ち、左手には道化師の様な彫刻が刻まれたバックラー。そして、表情を隠す目元だけくりぬかれた白い仮面。その仮面には、大げさにまつ毛が彩られ、左頬の辺りに涙を思わせる意匠が描かれていた。
「何者だ? 敵か?」
仮面の雌が再度問い詰める。
「あたし? うーん……」
(本名はまずいよねぇ。あとはぁ、ビクトーリア様の名前もまずいかぁ)
乱入して来た女は僅かに逡巡し
「わたしはコロンビーヌって言うのぉ。愛の奴隷でぇ、そんでもってお掃除の達人。お見知り置きを、蒼の薔薇の子豚ちゃん」
ケラケラと笑いながら名乗りを挙げた。
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