「……酷い目にあった」
ニグンを先頭に、スレイン法国の最奥へ向かうビクトーリアの表情は、酷く疲れ切った物だった。しかし、その原因である番外席次の表情は、非常に晴れ晴れした物である。ビクトーリアの腕に自身の腕を回し、しな垂れかかりながら満面の笑みで隣を歩く。だが、この一行で一番疲れているのは、一番泣きたいのは、一番酷い目にあっているのは、間違いなくニグンであろう。
そんな一行の前に、厚く重苦しい扉が現れた。これがスレイン法国の最奥、法国裏側の最高意思決定所。
ニグンはうやうやしくその扉を開けた。だが、その敬意は法国でも六大神でも無く別の者に向けられている。
ガチャリと言う小さな音を立て、扉が開かれる。その僅かな隙間から、冷たい空気と、少しカビ臭い香りが辺りを満たした。
ニグンは一人で先に部屋に入り、魔法の光と呼ばれるマジックアイテムで内部を照らす。しかし、法国で使用されている魔法の光の光量は小さく、部屋の中をぼんやりと照らすに留まっていた。
その仄暗い明かりでも、この部屋の状況はありありと解った。それは、この部屋には極端に物が少なかったからだ。部屋の中心に半円形の机があり、それを囲む様に椅子が十一脚。そして一段高くなった上座には、その他の椅子よりも一段豪華な椅子が一脚と、何かの儀式か調印にでも使用するのだろうか、椅子と机の中ほどの場所に高さ一メートル、程の石の台がある。そして、豪華な椅子の後ろにぼんやりと浮かぶステンドグラス。それだけだった。
書類を入れておく書棚や、資料を管理する書棚などは何も無かった。
この場は、会議と決定のみをする場なのだろうとビクトーリアは推測する。
ニグンは豪華な椅子へとビクトーリアに着席を促すと、目的の人物を呼び出す為に部屋を後にした。ビクトーリアは、その椅子にどっかりと腰を降ろす。そして足を組み、舐める様に部屋の中を観察する。時折、番外席次に声をかけ、細かい事を確認しながら、スレイン法国と言う物を頭の中で組み立てて行く。
どれほどの間そんなやり取りを続けただろうか、扉をノックする音が聞こえ、ニグンが戻って来た。
扉を開き誰かを中へと招き入れる。その人物を見て、番外席次はサディスティックな笑みを浮かべるが、ビクトーリアの反応は淡々とした物だった。
この部屋へ招かれた人物、それはスレイン法国の最高位に座す者、最高神官長。
最高神官長は部屋の中で、自分が座る場所に腰を降ろしたビクトーリアと、何故か此処に居る番外席次を見つめながら怪訝な表情でニグンに言葉をかける。
「陽光聖典隊長、これは何の遊びだ? 伝説を見つけたと言うから此処まで来たのだが」
その言葉にニグンは「ごもっとも」とだけ答え、最高神官長をビクトーリアの前まで誘導した。そして一礼すると、表情を引き締め最高神官長に対し口を開く。
「最高神官長、あなたの目の前の御方がお解りですかな?」
そう言うニグンの言葉には、スレイン法国と言う国にも、最高神官長と言う肩書にも、一切の礼は無かった。あえて言うならば、真実を知らぬ哀れな者に教えを授ける聖職者のそれだった。有る意味ニグンは、全くブレてはいないとも言える。信仰の対象が変わっただけで。
最高神官長は、ニグンに恫喝する様な視線を向けながら口を開く。
「知らぬ。知らぬな。陽光聖典隊長、君は私に何をさせたいんだ?」
「言ったはずですが? 私は伝説と出会った、と。そして、真の信仰を見つけたと」
「確かに。しかし、この娘が伝説と言うのか? そうであるのならば、君は一度心を癒すべきだ。」
ビクトーリアに対しての、無礼とも取れる発言にニグンの顔色が変わる。しかし、次の行動はビクトーリアの言葉によって止められた。
「よい。妾はビクトーリア。うぬがこの国を治める者と見てよいのか?」
「どこの娘かは知らぬが……キサマが座っている椅子が如何なる物か解っているのか?」
質問を質問で返す様な最高神官長の言葉を、ビクトーリアはいとも楽しげな表情で聞いている。
「これか? この椅子が如何なる物か、………………粗悪品じゃな。クッションは悪いし背もたれも立ち過ぎておる。最高神官長とやら、この椅子を選んだ者を此処に呼べ。妾直々に説教してやる。有り難い説教をな」
そう言ってカラカラと笑った。
最早、この会話は探り合いや心理戦などでは無かった。只の安い挑発だ。
普段の最高神官長ならば、これを上手くかわしていただろう。だが、この場は異常過ぎた。
国の最奥、選ばれた者しか足を踏み入れる事が許されない場所に、若い女が堂々と入り込み、裏の玉座と言っても良い椅子に腰を降ろしている。そればかりか、スレイン法国の最高機密である、漆黒聖典番外席次、絶死絶命が横に立っている。何も知らずに見れば、王と従者にも見えた。そんな状況だからこそ、最高神官長は対応を間違えた。興奮からビクトーリアの出したヒントに気づかずに。
「娘。キサマの頭は相当病んでおる様だな。生きては帰れんぞ!」
怒りの言葉と共に、最高神官長は前にあった石造りの調印台を両手で叩いた。
その瞬間、最高神官長の手首に痛みが走る。最高神官長には、何が起こったのか解らなかった。それほどのスピードでの出来事であった。
最高神官長は、茫然とする意識の中で、痛みの発生元を確認する。目線の先には、調印台に固定された自分の両腕があった。石の調印台に、突き刺さる様に伸びた鉄の手錠によって。
「どうじゃ? 妾からの贈り物は?」
ビクトーリアは最高神官長に顔を近づけ、ニヤリと笑う。
一体ビクトーリアは何をしたのか?答えは単純にして明快であった。最高神官長が怒りと共に、調印台に両手を叩きつけた瞬間、背後の椅子の頭頂部にあった飾りを引きちぎり、それを叩きつけたのだった。
最高神官長は必死に拘束から逃れようともがくが、深く打ち込まれた金具はびくともしない。
ビクトーリアはそれを見、満足そうに頷くと、番外席次に声をかける。
「小娘、うぬは少し外に出ておれ。これから起こる事を見ん方が良きゆえな」
この言葉に、番外席次は可愛らしく頬を府膨らませると異議を唱える。
この抗議があまりにもだった為、仕方無くビクトーリアは同席を認めた。
ビクトーリアは調印台の前に立ち、最高神官長に対し「さて」と議題を提出する。
「さて。これから始まる催しは、うぬの罪を数えるものじゃ」
「つ、罪だと! スレイン法国の最高神官長として、そんな物は無い!」
「ふむふむ、なるほど。では最初の罪じゃ。ニグンよ、うぬは誰の命で村を襲った?」
この問いに、ニグンは腰を折ってからハッキリとした言葉で発言した。
「今回の任務は、最高神官長直々の命で御座いました」
「だそうじゃ」
そう言って邪悪な笑みを浮かべ、拳を最高神官長の右の小指めがけて振り下ろす。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
部屋に悲鳴が響く。見れば、最高神官長の右小指は紙の様にぺらぺらにつぶれていた。
「次の質問じゃ。襲った村の数は?」
「二つで御座います。一つ目の村の住人は、全員が死亡。村は焼き払いました」
「なるほど。では罪としては、一つ目の村での殺害と放火。そして、あの村での殺害、じゃな」
言って最高神官長の薬指、中指、人差し指を潰す。最高神官長は悲鳴を上げ続けるが、ビクトーリアは構わず話を続ける。
「では次じゃ。村への襲撃の目的は何じゃ?」
「リ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフの殺害で御座います」
「なるほど。ちなみにニグンよ、人を殺す事は良き事かえ?」
「いいえ、それは罪で御座います」
「そうじゃな」
返事と共に、右親指に向け拳を振り降ろす
「ちなみに、あの村で妾達や戦士団と会わなんだらどうなっておった?」
「村を全滅させ、次の村へと向かえとの命令でした」
「ひどい話じゃ」
言って左の親指に向け拳を振り降ろす。
「しかし、何故に戦士長を殺害しようとしたのじゃ?」
「はい。王国内の軋轢を生むためであります」
「それはどう言う事じゃろうか? 妾に解る様に説明してはもらえぬか?」
「王国には王制派と貴族派が居りまして、貴族派はどちらかと言えば、スレイン法国寄りの考えを持つ者達で御座います」
「そう言う事か。王国を分裂させ、あわよくば傀儡として使おうと」
「左様で」
「最高神官長、それは内政干渉じゃなぁ。他国のうぬが、ましてや、神の言葉を伝える神官のする事では無いな」
最高神官長の左人差し指が潰される。
「それでは最高神官長、うぬ自身への問いじゃ。何故に小娘はこんな場所におる」
ビクトーリアの問いに、この場に居る全員が息を飲んだ。名を出された番外席次など、口を開けたり閉めたりしながら、あっけに取られていた。
痛みの為言葉が出ない最高神官長に対して、その髪を掴み自分の方へと向かせると、再度同じ質問をする。
最高神官長は、痛みで朦朧としながらやっとの事で言葉を返す。
「あの者は、スレイン法国の最高機密にして人類の守り手……外に出ればドラゴン・ロードの怒りを買う恐れが……」
「ふうん、それから?」
それから?それ以外に何があるのだろうか?機密が漏れる、もし命を落とす事があったら、人類は守り手を失う。そして、ドラゴン・ロードに存在がバレれば、スレイン法国と言う国が消滅してしまう。
それが、目の前の女には解らいと言う。最高神官長は、なんて馬鹿な者なのかと思う。だが、そうでは無かった。
それがビクトーリアの口から発せられた瞬間、この場の全員に再び衝撃が走る。
「小娘一人に全てを背負わせなければならない者など、滅べばいいのじゃよ。ドラゴンごときから、自国の民一人を守る事が出来ん国など、滅んで当然じゃ。これは、罪が重いのう」
言って左の掌へ向け、拳を振り降ろす。その衝撃は凄まじく、最高神官長の左手ごと、調印台を粉砕した。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!!!」
衝撃で拘束具も飛び、最高神官長は床を転げ回る。
そして、何とか言葉を絞り出す。
「誰だ! 誰なんだ! キサマ! もしかして神人か!」
「神人? 何を言うておるのじゃか。妾はビクトーリアじゃと言うたであろう。」
ビクトーリアは涼しい顔でそう言うが、最高神官長はまだ気付けずにいた。
その時、ニグンが代表する様に口を開いた。
「最高神官長。この御方はビクトーリア・F・ホーエンハイム様。煉獄の王ビクトーリア・F・ホーエンハイム様で御座います」
ニグンの言葉を聞き、最高神官長の顔色はどんどん白くなって行く。喉の渇きが増大し、体中からねっとりとした汗が噴き出すのを感じる。
真実なのか? と言う頭に、嘘だと答える心。
これはスレイン法国、いや、六大神、もしくは四大神でも良い、それを信仰する者達には決して認められぬ出来事なのだ。自らの全てを捧げた神々が、力の限りを尽くしても封印が精いっぱいの者が目の前に居るのだ。
ニグンとは違い、最高神官長と言う立場から六大神の事は良く知っていた。知っていると言っても、直接の事柄では無い。識っていると言い変えた方が適切であろう。
番外席次が守る宝物澱、そこに眠る法国の秘宝、六大神の残した武具に触れる機会があった、と言う事だ。
それを直に見、そして触れた事がある最高神官長には解る、この世界のどんな物でも傷つける事さえ不可能だったその武具を纏った六大神と、一人で戦い死ななかった者。それがどれほど危険な存在か。
最高神官長は、恐る恐るニグンに声をかける。
「陽光聖典隊長よ、真実か? 真実なのか?」
この問いに、ニグンは今までの出来事を語った。カルネ村での一件を、天使の集団を一瞬で屠った事を。
最高神官長はがっくりと膝を付く。もう信じるしか無かった。
「王よ、どうか私を御裁き下さい。ですが、何卒、法国の民を御救い下さいますよう」
最高神官長は命を差し出す覚悟を決めた。
だが、ビクトーリアの返事は奇妙な物だった。
「困ったのう。うぬの命なぞ、妾はいらん」
「は?」
「は? では無い。償いがしたいなら、殺めた者達にせえ。妾から言う事は、二つの願いと一つの提案だけじゃな」
こうしてスレイン法国の最奥で起こった亡国の危機は去って行った。
最高神官長は、すぐさま法国の最高会議を開き、被害にあった者達への救済を決めた。もちろん犯人が自分達だとは隠してだが。
ニグンはスレイン法国に残り、最高神官長付きの次官となった。これは煉獄の王との橋渡しをするための処置であった。
ビクトーリアに関しては、最高神官長止めの最高機密とされ、外部には一切漏らさない事が決定する。
そして、スレイン法国最高機密、漆黒聖典番外席次、神人、絶死絶命は………………スレイン法国から姿を消した。