「ね、ねえ。ちょっと」
モモンは、後ろから掛けられた緊張気味の声に振り返る。そこには、割れた瓶を持った赤毛の女性が立っていた。その赤毛は短く刈られており、肌は日焼けで健康的な褐色。
そんな人物が、勝気そうな瞳を伏せ、恐る恐ると言った感じでモモンに言葉を掛ける。
まあ、先程の暴れっぷりを見ていれば、当然なのかも知れないが。そんなブリタからの声に、主人を守る様に率先してナーベが返事を返す。
「
「え? や、やぶ?」
ナーベからの、突然の虫発言に、ブリタはまるで踏鞴を踏んだ様に切れ切れに言葉を繰り返す。
この、目の前で披露されているナーベのコミュニケーション能力を見た、いや、見させられたモモンは、静かにため息を吐くと、ナーベの肩に手を掛け後ろに下がらせる。
「申し訳無い、連れがご迷惑を。それで、用件は何でしょうか?」
「あ、あのさ、さっきあんたが、いや、あなたが暴れた余波で、あたしのポーションが割れてしまったてね、そ、それで、その、弁償、して貰えないかと……」
ブリタはおどおどと、言葉を選びながらモモンへの要求を口にした。
モモンは、ブリタが手に持つ割れた小瓶を凝視する。御世辞にも上級品とは言えない小瓶に、僅かに付着したポーションを見て、モモンの頭脳は疑問符を掲げる。
YGGDRASILで使用されるポーションの色は、総じて赤だ。だが、小瓶に付着した物は、青味を帯びている様に見える。モモンはここで、YGGDRASILとこの世界の、相違点の確認を試みてみると言う選択をした。
「解りました。弁償はしましょう」
「ほんと!」
「ええ、ですが一つ条件が」
「な、何よ」
モモンの返答に対し、ブリタは懐疑的に答える。だが、モモンからの提案は意外な物だった。
「そのポーションを買った店を教えては貰えませんか?」
「へ?」
あまりにも単純な要求に、ブリタの声は間抜けな物となる。それに気づき恥ずかしかったのだろうか、ブリタは慌てて次の言葉を口にした。
「い、いいわよ、それぐらい。それで、どう弁償してくれるのかしら? 品物? それともお金?」
モモンはしばし考えてから
「現金で支払おう。いくらだ?」
「金貨一枚と、銀貨十枚」
モモンは小さな革袋から指定の金額を取り出すと、静かにブリタの掌に載せる。だがブリタは、乗せられた金貨を数える事無くモモンをただ見つめていた。
「どうした?」
ブリタの、この行動に違和感を覚え、モモンは問いかけた。
この言葉で、ようやく正気に戻ったのか、ブリタは慌てたように金額の確認をする。その行動と共に、ブリタは心中をさらしていった。
「い、いや。冒険者なんて、さ、荒くれ者の集団、だからさ、あんたが紳士的だったから、ちょっとびっくりしちゃって。あは、あは、あはは!」
言って、ブリタは照れくさそうに頭を掻く。
モモンは、この女性の、自分に対する好感度は悪くないのでは?と感じていた。ならば、ここで行うべき行動は一つ。さらに好感度を上げ、自分の名を広げて貰う駒の一つとする事だろう。
この行動が、ビクトーリアの言う友好的に、と言う行動にも当てはまるはず。
「ふむ。これは異なことを言う。人に対しては友好的に接する。これは当たり前の事だろう?」
この、気障ったらしいとも言える言葉に、ブリタは頬を赤く染めながら「そうですね」としおらしい返事を返す。
まあ、彼女以上に羨望の瞳で見つめていた人物が隣に居たのだが、今はそれを語るべき時ではないだろう。
その後、件の店の説明を受け、モモンとナーベは宿を後にした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「此処のようだな」
そう言ってモモンは一軒の店先で足を止めた。
「その様です」
隣に控えるナーベが、解析眼鏡越しに店名を確認しそれを肯定する。
モモンは意を決して、ドアノブに手を掛けると静かに手前へと引いて行く。その瞬間、店内の空気が一気に漏れだした。そして、その中に混ざる青臭い臭い。モモンには覚えが無い臭いであったが、それが薬草の匂いであろうと想像は出来た。
扉を完全に開け放ち、モモンとナーベは店内へと歩を進める。店内は、先ほど表で嗅いだ匂いの十倍程の匂いで満ちていた。まるで、空気に色が付いている様な密度で。
そんな中、モモンはゆっくりと店内を見回した。側面の壁は、小さな引出がびっしりと詰まった棚が占拠しており、奥には小さなカウンターと、私室なのだろうか?そこへと続く戸口が一つ見てとれる。簡素と言えば簡素なのだが、そこからはえも言われぬ重い雰囲気が漂う。
モモンは異国情緒とはこう言う物なのか?と僅かな関心と、湧きあがる好奇心でこの光景に見入っていた。
そんな時、店の奥から声がかけられる。
「いらっしゃいませ」
静かで、それでいて丁寧な言葉だった。
声の方向に視線を移すと、少年が一人奥の扉を開け、店へと出て来る所だった。
モモンの、眼球の無い瞳に映し出されるその少年は、単にだらしの無い少年だった。丁寧にケアすれば、眩き光を放つであろうその金髪はぼさぼさで、長く伸ばされ、彼の瞳を世間から隠している。身に纏っている装束も、所々、薬品だろうか?、しみが目立ち、お世辞にも清潔とは言えない物だ。営業マンとして、長くの時間を過してきたモモン、いや、鈴木悟としては、一言注意の言葉を投げかけてやろうと思うレベルに酷い格好だった。接客業としては失格だと。
だが、今は異世界で初めての飛び込み営業を成功させるべきと、気持ちを切り替える。
「突然の来訪を失礼。実は少々お話を聞かせて貰えればと思いまして。ああ、私はモモン。冒険者です。隣はナーベ、同じく冒険者です」
「僕はンフィーレア・バレアレ。この店の店主代理、みたいな者です」
御互いの挨拶も終り、ンフィーレアは本題は?と切り出す。
これを受けモモンは、ポーションを見せてほしいと願い出る。
当たり前と言えば当たり前なリクエストに対し、ンフィーレアはそれをすぐさまカウンターに三本の瓶を乗せた。そこにある物は、モモンが予想した通り、青い色をしたポーションだった。手にとっても?と言うモモンに対し、ンフィーレアはそれを快く了承する。
ガントレットをはめた厳つい手で、ポーションを優しく掴むと、明りにかざしながらゆっくりと観察を始める。
YGGDRASIL製のポーションと比べると、この世界のポーションには幾つかの違いが見てとれた。
まず、第一に色。そして二つ目に気になった所は、二つの瓶の底に見える若干の沈殿物の存在である。見た目で解る違いはその二つであるのだが、次の確認は中身に関してである。
これは素直に制作者に聞いた方が良いとモモンは判断した。
「ンフィーレアさん、これはどの程度の回復が可能な品物ですか?」
「はい。こちらの商品は第二位階魔法、
「第二位階魔法、ですか……」
「ええ。それが何か?」
「いえ。それ以上の効果を持つポーションは?」
「存在しません。いえ、伝説の中にはあるようですが」
「では、青以外の色のポーションは?」
「それも存在しません。製造過程で全てのポーションは青くなります」
モモンは成程と頷くと、今までの情報を頭の中で整理する。
今、モモンの手にあるポーションは、この店の最上級品で金貨八枚の値段であり、第二位階の魔法と同等の効果を発揮する物だ。この品以外の、あと二種類は、それぞれ金貨一枚と銀貨十枚の品と、銀貨数枚の品がある、と。
そして重要なのが、この世界のポーションは劣化すると言う事だ。そのためブリザベイション、保存の魔法をかける必要がある。
モモンは、この先の行動を思案する。
この情報だけを持ち帰り精査するか、それともYGGDRASIL製のポーションを開示して見るか。暫く沈黙と共に思考の海に浸っていたが、ここは出自をうやむやにしながらの提示を選択する。
「ンフィーレアさん、これを見ていただけますか?」
そう言ってマントの陰に開いたアイテムボックスから、マイナーヒーリングポーションを取り出す。
カウンターに置いた瞬間、ンフィーレアの顔色が傍目からでも解るほどに変化する。
「モ、モモンさん! これをどこで!」
「いえ、旅の途中で偶然手に入れた物なので。それで、それは何なのですか? ポーションだとは思うのですが」
「モモンさん、落ち着いて聞いて下さい。これは恐らく…………伝説の神の血です!」