窓から射す優しい日の光は、室内を漂う埃を現実の世界へと映し出す。
そこは、お世辞にも上等とは言えない場所だった。城塞都市エ・ランテルの場末にある、低級冒険者御用達の宿屋の一室である。室内には、簡素な作りのベッドが二つに、にわか作りの机と椅子が一脚あるだけ。
何時もはそれだけが、この部屋の主であると主張する場に、今日は別の物が存在した。部屋の中央にて、我こそは、と存在する異質な物が。
それは、黒い霧の様に見えた。
それは、どこまでも続く暗黒に見えた。
その漆黒から、まるで生まれ出る様に何者かがこの場へと足を踏み入れる。
「汚ったないのう」
「何か、くさい」
「こんな所に御泊りとは……」
出現したのは、女性が三人。
ビクトーリア、番外席次、ユリ・アルファ。
この者達が、エ・ランテルに何か用があるのか、と聞かれれば、これと言って用は無い。今回の転移は、何かあった時用の為の転移拠点作りの為である。わざわざアインズに、ゲートの呪文を使わせての。
そんな、ビクトーリアと番外席次の二人は、左腕を腰に当て、右手で鼻を摘む、と言う同じポーズで並んで立つ。ユリは一歩引いた場所で、頬に手を当て主人の境遇を嘆くのだった。
ビクトーリアは周囲をゆっくりと見回した後
「小娘、ちいとそこのマット、めくって見よ」
悪趣味とも言える興味で、そんな事を口にした。
「えー」
言われた番外席次は、否定的な言葉を口にしながらも、何故か興味を引かれ、ゆっくりとベッドの上にあるマットを引きはがす。
「うあっ! なんか動いた!」
「おおさま! なんか見た事無い虫!」
無様にもはしゃぎまくる圧倒的強者の姿があった。
その後ろで呆れ返る声が囁かれる。
「酷い物です。これでお金を取ろうなどと、恥ずかしい行いです」
「どう言う事じゃ、ユリ?」
ビクトーリアに問われ、ユリは一点を指差す。
「うわべのシーツは……酷い物ですが、洗濯はされている様です。ですが……」
「「ですが?」」
ユリの言葉に、ビクトーリアと番外席次は同じ言葉を返す。
「見てください。そのマットのシミを」
そう言うユリの表情は、嫌悪感を映していた。
言われたままに、二人の視線は番外席次が持つマットへと注がれる。
「「うあぁ」」
ドン引きだった。
マットには、べっとりとしたシミが広がっていたのだ。
それは、長年の間この部屋が見送って来た、数多くの冒険者達の汗や体液なのだろう。だが、そう言えば聞こえは良いが、結局の所このマットは、長年交換される事も無く、なおかつクリーニングすらしてないのだと物語っていた。
「なんかこう……妊娠しそうじゃな」
ビクトーリアはマットを見ながら、そんな感想を呟く。
「新しいモンスターとか誕生しない?」
これは番外席次の感想だ。
「ああ、
「「汚物喰らいの亜種?」」
「はい、病原菌の代わりに、汗や精液などで構成された……」
ユリの言葉に、顔をしかめながら
「それって……男の冒険者の?」
番外席次は、口に出すのも嫌だと言った風に呟く。
「そうでしょうね……性欲満タンの若き者から、脂ぎった中年男性までの、ありとあらゆる――」
「やめーーい!」
ビクトーリアは会話を中断させる。これ以上は聞いていられないと。
「何かこう、背筋が寒むうなってくるわ」
そう言って自分自身を抱きしめる。番外席次の行動も同じ物だった。
「ユリよ、何故にうぬは平気なのじゃ?」
「はあ。近寄って来たら……まあ、殴り倒せば――」
ユリのこのあまりな回答に
「はあ。やっぱりうぬは、やまいこの子じゃのう」
ビクトーリアは疲れた言葉で、この場を締めるるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二階から姿を現した三人組に、宿屋のラウンジ……などとはお世辞にも言えない吹きだまりは、大騒ぎとなっていた。理由の一つは、降りて来た三人が、全て絶世の美女であった事。
そして二つ目、これが一番の理由だろう。此の宿には、こんな客は居ないからだ。それが当然と言った様に、階段から降りて来た。何故?この者らは一体どこからやって来たのだろうか? 吹きだまりに鎮座していた者達の思考は、最早機能してはいなかった。
しかし、その三人は、知った事かと自身の行動を貫き通す。吹きだまりの中央にあるテーブルに三人は席を取る。そしてビクトーリアは店主を呼び寄せ
「店主、取り合えず酒じゃ。酒を持ってまいれ」
「おおさま、わたしは甘い飲み物」
「私は結構です」
三者三様に注文を下す。
店主はため息を一つ吐くと
「御客さん、お代は銅貨三枚だよ」
「は?」
「だから、銅貨三枚」
「………………モモンが支払う。ツケておくが良いぞ」
ビクトーリアの言葉に、店主の顔がひきつる。
「御客さん、困るよ」
そう店主は言葉を続ける。この者達が、ホントにモモンの仲間だとしたら、問題は無い。しかし、あの騒ぎを聞きかじった無関係の者達ならばどうなのだろう?恐らく………………もう一度、店はボロボロだ。
だから、店主はツケを渋るのだった。
「むう」
はて困ったと、ビクトーリアは唸り声を挙げる。その声で、店主は全てを悟り、カウンターへと消えて行った。
無一文の三人組は、どうした物かとテーブルを見つめる。その中で、ユリに動きがあった。懐から畳まれたハンカチを取り出すと、テーブルの中央でそれを開く。中には……金貨が一枚。
それは、交易金貨と呼ばれる物で、むろんこの場で使用可能な代物である。
「うん? これは何じゃ?」
「おおさま。これはお金と言う物だね」
「そんくらいは知っておるわ」
「で、ユリよ、これは?」
「あ、はい。これはアインズ様が、正確にはナーベラルからですが、資料にと渡された物です」
「使っても良いものか?」
「さあ。いけない、とは言われてませんが?」
ビクトーリアは、じっと目の前の金貨を見つめる。さすがにコレは不味いだろう。下手をすれば、ユリの立場が問われかねない。
ビクトーリアは、テーブルの下に空間を開き、何か無いかとアイテムボックスを探る。頭の中で、様々なアイテムを思い浮かべながら。遠い記憶の旅の途中で、ビクトーリアはある物と遭遇した。それを手に取り、テーブルの上へと置く。
それは、何の変哲も無いペンダントに見えた。細い鎖と、先端に付いた小さな金属プレートで出来たペンダント。
「ビクトーリア様、それは?」
ユリからの問いかけだ。
言葉こそ発しないが、番外席次も興味深そうに凝視している。
「これか? これは、あまのまひとつに貰った物でな、何でもナザリックのゲスト用に創った物らしいぞ。没作品じゃが」
そう言って、ユリの目線に金属のプレートを掲げる。そこには、しっかりとギルド アインズ ウール ゴウンの紋章が彫刻されていた。
「没作品、ですか?」
「うむ。制限付きでのリング オブ アインズ ウール ゴウンを作りたかった様じゃな」
「ですが、何故、それが没に?」
「客が一人しか来んのじゃから、意味無かろう。ギルド外の者で、ナザリックに招かれたのは、やまいこの妹のあけみだけじゃぞ。」
そう言ってビクトーリアは、周りの人間達を観察して行く。そして、店の奥にあるテーブルに着く者に目を付ける。赤い髪をしたその女は、テーブルに並べられたアイテムを、一つ一つ確認しつつバッグに納めていた。
ビクトーリアは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、単身その者の下へと歩いて行く。
「ねえ、ユリさん」
「なに?」
「おおさま、悪っるい顔してたね」
「ええ。お腹が真黒な笑みでしたね」
二人が見つめる先、ビクトーリアは女の正面に座ると、手で口元を隠し、何かをささやいていた。その後、身振り手振りで何かを伝えると、再び手で口元を隠し、何かをささやく。そして最後に、左手を右手で覆い隠し、なにやら指を立てている様子が見える。女も首を縦に振ったり、横に振ったりを繰り返していた。
時間にして三十分程だろうか、ビクトーリアが帰って来た。
「売れたぞ」
「「は?」」
「じゃから、先ほどのペンダントが売れたのじゃよ」
そう言って、テーブルの上に金貨一枚と銀貨を五枚置いた。
それを見て、番外席次は「おお」と言う声と共に、好意的な表情を浮かべるが、ユリの表情は苦々しい物だった。
「どうした?」
「いえ。いくらお金の為とはいえ、至高の方々が御造りになった物を……」
ユリの言葉は、ビクトーリアには痛いほど解った。だが、この行動は単なる売買行為では無かった。一種の賭けであり、未来の行動指針への投資でもある。
「ふふん。妾の蒔いた、あの蝶の羽ばたきが、どうなるか、じゃよ」
「ビクトーリア様?」
「アレが、あの女の中で収まるのか、それとも外へと波及するのか。楽しみではないか」
謎かけの様な言葉を口にするビクトーリアを、ユリはじっと見つめ
「それは………………ナザリックが外にどう広まるか? と言うことですか?」
「うん? ナザリックと言うよりも、アインズ ウール ゴウンが、じゃな」
そう言ってニヤリと笑うのだった。少なからず、女、ブリタの幸運を願って。