混濁した意識の中、その者は眼を覚ました。
だが、その瞳に映る世界は、自分の知っている物では無かった。それどころか、一度も見た事が無い世界だった。広々とした部屋は、塵一つ落ちて居らず、そこを飾る調度品は、精巧な細工を施された一級品。横たわるベッドは天蓋付きで、それから下がる布は、薄く透き通っている。よほど細く高価な糸を使っているのだろう。布団、枕、一つとっても分厚く軽い。
此処は貴族、いや王族の部屋、と思われる場所だった。
しかし、自分にはこんな場所で寝かされている理由が無い。一体、自分はどうしたのだろうか?まだ霞が残る頭を振り、体を起こして見る。
そして、また驚いた。さらさらとした感触ながら、肌にしっとりと馴染む。そんなワンピース型の部屋着を着せられていた。
何が起こったのか?それだけが頭の中を支配する。
その時、ドアがノックされた。起きているのに気付いていないのか、ノックの主はドアを開け入室して来た。
「あれ、気が付いた?」
そう言って入室して来たのは、番外席次。トコトコと何の遠慮も無くベッドに近づくと、丁寧に天蓋のカーテンを開ける。そして、ベッドに座る者の顔を、じっと見つめると
「うん。意識の混濁とかはないみたいだね。顔色も良いみたいだし。蘇生成功」
「蘇生?」
ベッドに座る者、少女ニニャの背筋に、冷たい物が走る。
「な、仲間は?!」
ニニャの問いに、番外席次は無言で首を横に振る。
それを見た瞬間、ニニャに感情が戻る。同時に、嗚咽と共に尽きる事無く涙が溢れ出す。番外席次は「また来るね」と声を掛け、部屋を後にした。
それから一週間、徐々にだがニニャは落ち着きを取り戻していった。目にも力が戻り、食事も口にする様になっている。そして、此処がどこなのかも解った。何故、自分が此処に居るのかも。自分が救われた事も。
そんな中、ノックの音がした。
「はい。どうぞ」
「失礼致します」
居候でしか無い自分に対して、きちんとした礼を持ってメイドが入室して来る。メイドの名はユリ・アルファ。あの時、カルネ村で出会ったメイド。
「ニニャ様、ビクトーリア様がお呼びです」
「は、はい」
ビクトーリア・F・ホーエンハイム、この屋敷の主人であり、番外席次、ユリ・アルファ共々、村で出会った人物だ。そして、ニニャは村以降一度も会ってはいない。そんな人物が、急に自分を呼び出すなど、一体何の用だろう?ニニャは不思議に思いながらも、素直に言葉に従う。
部屋を出、目的の場所はすぐそこだった。階段の下。詳しくは、階段下に隠れる様に存在するドアの前だ。
「ニニャ様、これを御付け下さい」
ユリは、指輪を一つ察し出す。ニニャはそれを受け取り
「これは?」
「毒耐性の効果を持つ指輪です」
「ど、毒?」
「はい。薬も度が過ぎれば毒となりますから」
重病人でも居るのか?と考え、その指輪に指を通す。ユリは、それを確認すると、ゆっくりとドアを開ける。開かれたドアからは、赤ともピンクとも取れる煙が漏れて来た。
「これは?」
「回復のポーションを、気体化した物です。さあ、下でビクトーリア様がお待ちです」
そう言われたら、ニニャには断れ無かった。恩人が待っていると言われているのだから。ドアの向こうは、別の世界と言っても良い物だ。
木材で形作られた館とは正反対に、ドアの向こうは無骨な石の階段で構成された空間があった。その螺旋を描く石造りの階段を、下へ下へと降りて行く。
徐々に靄が強くなり、何かくぐもった声も聞こえて来た。
それの正体は、最下層に到着する事で、明らかになる。
ニニャの瞳には、あの女が映っていた。自分を拷問し、仲間を殺した女が。その女が………………スライムに捕食されている姿が。
「よう来たな。どうじゃ? 愉快な光景じゃろ?」
酷くつまらなそうな声が響く。
その声に視線を向ければ、スライムに捕食されるクレマンティーヌの前に置いた椅子に、どっかりと腰を降ろすビクトーリアの姿が。詰まらなそうに、何の感慨も無く、只、一点にビクトーリアの瞳はクレマンティーヌを見つめていた。
だが、そんなビクトーリアの神が作りし、その姿を見つめていたニニャは気が付いた。いや、気付いてしまったと言った方が正解だろう。
彼女の、ビクトーリアの黄金の瞳には、クレマンティーヌは映っていない事に。道端に転がる石ころの様に、土の上を這いずる蟻を見る様に、興味無く、詰まらなく、関心無く、只、前を向いているだけなのだ。
「おうごん。びくとーりあさま。おうごん。おうごん………………」
クレマンティーヌは、右腕を天井から鎖で繋がれ、全裸の状態で捕食され続けている。その右手には、指輪が一つ。そして、残りの左手、両足は……三分の一程を残し、存在していなかった。
「解るか、娘。今、こ奴は腹の中を喰われておる。その痛みたるや、精神異常無効の指輪をしても、この状態よ。ふふっ、愉快じゃろ」
「おうごん。びくとーりあさま………………うあ」
クレマンティーヌは、只、そう呟くのみ。
「ひ、ひどい」
ニニャが言葉を漏らす。
「酷いですか? あの者は、あなたの仲間を殺し、あなたを拷問する事で快楽を得る様な者ですよ。過去にもそれ以上の事をしている事でしょう。その者に罰を与えるのは、酷い事ですか?」
ユリは、少し気分を害した様な口調で、ニニャにそう告げる。
「で、ですが、こんな……」
頭では解っていても、人としての心がそれを許さない、今のニニャは、そんな状態だった。ビクトーリアとクレマンティーヌを、交互に見つめるが、どうする事も出来なかった。そんな状態のニニャに、選択の声が飛ぶ。
「ならば、うぬならどうする?」
「え?」
「このまま放置し、餌とするか? 首を飛ばし、一思いに殺すか? それとも……許すか?」
ニニャは理解した。自分はその為に、此処に連れて来られたのだと。選択をする為に、来たのだと。目を瞑り、今までの事を思い返す。
仲間の事を。
街で出会った、多くの人の事を。
家族の事を。
そして、姉の事を。
「助けてあげて下さい」
迷いなく、ニニャは口にした。
ユリは、この選択に驚いている様だったが、ビクトーリアは表情を崩し
「ありがとう」
その言葉を残し、非情が支配する世界から姿を消した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「わ、わたし……」
クレマンティーヌは、ゆっくりとその赤い瞳孔に世界を映す。
「おー、目が覚めたみたいだねぇ」
「だ、大丈夫、ですか?」
声を掛けられ、クレマンティーヌの意識は急激に覚醒して行く。そして、表情を引き攣らせる。眼に映る人物は、二番目に嫌悪している者と、自分が殺した者なのだから。
「てめぇ! それに、お前ぇは!」
「おーおー、そんだけ口が利ければ大丈夫だねぇ」
番外席次はそう言うと、クレマンティーヌの髪をむんずと掴み、引きずりながら部屋を出る。
「い、痛い! いたた。コラ! テメェ! 離せ! 離しやがれ!」
「だーめ。おおさまに叱られるからねぇ」
人の話を聞かず、番外席次は軽快に階段を下る。そうなれば、当然の事、引き摺られているクレマンティーヌは
「いだだだだだだだだだだだだだだ!」
階段の角で、尻を打ち続けるのである。
しかし、それだけでは終わらない。階段を抜け、ビクトーリアの待つ書斎までには、丁寧に掃除された板張りの床が。
「あ! 熱い! 熱い! 熱い! 熱い! 熱い! 熱い! 熱い! 熱い!」
キュウー!と言う甲高い音を、クレマンティーヌは響かせる。
クレマンティーヌは、もう涙目だった。一体、これは何て言う拷問なのだろう、と。
この光景を見せ付けられているニニャに出来る事は、苦笑いを浮かべる他無かった。
ガチャリと音を立てながらドアを開け、番外席次は書斎へと入る。ビクトーリアは、入って来た面子を見るなり、盛大な溜息を吐き
「小娘よ、妾は雌猫を連れて来いと言うたはずじゃぞ」
「うん? 連れて来たけど」
「違う。違うのう。うぬが連れて来たのは、裸族じゃ。露出狂じゃ。生粋の変態じゃ。」
此の言葉で、番外席次とニニャはクレマンティーヌを見つめ
「ああ」
同意の溜息を洩らす。クレマンティーヌの姿は、一糸纏わぬ姿、いわゆる全裸だった。
「ねえ、ひよこ。あんた何で裸なの? 馬鹿なの? 趣味なの? 変態なの?」
「あぁ? てめぇが連れて来たんだろぉがぁ!」
大声で悪態を吐くクレマンティーヌだが、視線の端で憧れの者を見つけると、急にしおらしくなる。
「あ、あの、ビクトーリア様、で間違い無いでしょうか?」
もじもじと身体をくねらせ、羞恥に悶える少女の様に、質問を口にする。
「うん? 裸族は妾の名が知りたいのかや? 左様、妾が煉獄の王ビクトーリア・F・ホーエンハイムじゃ」
「やっと、やっと会えた……」
クレマンティーヌは両手で顔を隠し、ふとももを擦り合わせながら喜びに打ち震える。そんな感動的で扇情的な場面も、傍から見れば妙な物だ。
「ねえ、何か着ない? 趣味とはいえ、話相手がヌーディストって何かねぇ」
「だから、てめぇが連れて来たんだろぉがぁ!」
「うるさいのぉ。着るものぐらい妾が出してやるわ」
そう言うとビクトーリアは、アイテムボックスを探り
「えーっと、馬鹿には見えないドレスと、そこの娘が後生大事に抱きしめていた汚パンティーと、羊皮紙。好きなのを選ぶが良いぞ」
そう言って、ニッコリとほほ笑みを浮かべる。
「おー、羊皮紙。なかなか高度な変態度。ここは馬鹿には見えないドレスだねぇ。無難だけど」
番外席次も、この悪ノリに参加の意向を示す。
だが、そんなお祭り騒ぎもすぐに終わりを迎える。今まで微笑んでいたビクトーリアの顔から、表情が消えたのだ。少女の様に、はしゃぎ、楽しんでいた顔から、全てを従える王のそれへと。
「遊びは此処までじゃ。さて、雌猫の処遇、じゃが……」
言ってビクトーリアは、クレマンティーヌに向け、自身の寝間着を投げ渡す。
「娘、この者の所有権はうぬに有る。どうする?」
急に話を振られ、なおかつクレマンティーヌが自分の物など、急すぎて、ニニャに取って到底受け入れられる物では無い。
隣を見れば、クレマンティーヌが唇を噛み、何かに耐える様な表情でうつむいている。ニニャには、その表情に覚えがあった。それは、かつての自分の表情だ。力ある者に、手を伸ばす弱者の顔だ。どんなに怨んでも、どんなに恋焦がれても、決して手が思いが届かない者の表情だ。過程や工程、主義や手段、様々な違いはあれど、今のクレマンティーヌは過去の自分なのだ。
だが、一体どんな言葉で伝えれば良いのか、ニニャには想像すら出来なかった。
「ふう。答えは出んか。ならば、その雌猫、妾が貰い受けるが、良いか?」
場の全員の目が、ビクトーリアに集中する。様々な思いを乗せ、その視線はこう言っていた。コイツ、今なんて言った、だ。
「何じゃ? 何ぞ異存でもあるのか」
いかにも憤慨したぞ、と言った口調でビクトーリアは口を開く。
「でもさぁ、いいの?」
心配そうに、番外席次がそう告げる。
「何がじゃ」
「あれだよ。変態だよ。快楽殺人鬼だよ」
「じゃがのぅ、此処で見捨てれば、さらにヤバい事しそうじゃし……」
そう言う口元は、僅かに緩み、その瞳は優しさを湛えていた。
番外席次はクレマンティーヌに近寄ると、その身体を肘でつつく。
「ほら、おおさまにお礼」
「う、うん」
クレマンティーヌは、頬を染め、どもりながら
「あ、あの。ビクトーリア様……」
「街中で素っ裸になって、走りながら妾の名を連呼されてものぅ」
「「え?」」
全員が疑問の声を上げる。
「何を恍けた顔をしておる。それとも何か、小娘、妾がヌーディストの王と言われても、良いと言うのか? ならば、うぬも呼ばれてみよ。漆黒聖典 番外席次 神人 脱衣脱毛、とか?」
「うっ! それは……」
番外席次の頬がひきつる。ビクトーリアの言う事は、あまりにも、なのだ。だが、すぐにそんな砕けた雰囲気は消え去り
「まあ、妾の下に居れば、これ以上悪さはしまい。これが落とし所なのじゃろうて」
「ふーん。でもさぁ、おおさま」
「何じゃ?」
「立場的には、どうなるの?」
番外席次の問いに、ビクトーリアは一度目をつむり
「妾の小姓で良かろう。しばらくは、身の回りの雑務をさせる……それで良かろう。雌猫もそれで良いな?」
ビクトーリアは、クレマンティーヌに視線を向ける。クレマンティーヌは、身を縮め、小刻みに震えながら、何度も頷く。その姿を確認し、ビクトーリアはため息を一つ吐くと
「それから、そこな魔女っ娘」
「え! ぼ、ぼくですか?」
驚きと共に、ニニャが返事を返す。
「蘇生が成功した反動で、うぬは以前よりも弱体化しておる。うぬも、しばらく此処に留まるが良い」
此の言葉に、ニニャは一瞬虚を突かれるが、彼女本来の柔らかい笑みを浮かべ
「はい。お世話になります」
そう答えるのだった。