ビクトーリアが、何のためらいも無く足を踏み込んだ部屋の前で、クレマンティーヌは立ち尽くす。部屋から顔を出した女、あれは一体何者だったのか。容姿からして、人間では無い。それはそうだ、顔面の皮膚を剝がされて、笑いながら日常会話が出来る者など居ないのだ。もしかして、あの女も自分よりも強いのではないだろうか?そんな事を、ここ数日の記憶と共に思い出す。
絶死絶命の登場。煉獄の王との出会い。絶死絶命以上の強さを持つと言う、異形の女。小春日和の自然溢れる大地から、転移門をくぐれば氷雪吹きすさぶ純白の世界と言う現実。最早、クレマンティーヌの頭脳はついていけない状況だった。
「雌猫。時間は有限じゃ、早よう入れ」
苦悩するクレマンティーヌに、室内からビクトーリアの檄が飛ぶ。その声に逆らえる訳無く、クレマンティーヌは恐る恐る一歩を踏み出す。だが、その一歩の勇気も木端微塵に砕かれる事になった。部屋の中に、今だ知らない異形の姿を確認したからだ。
闇夜を思わせるアカデミックガウンを纏ったスケルトンの姿を。その、スケルトンと思われる者から溢れ出る雰囲気は、通常とは、クレマンティーヌの知る物とは全く違う物だ。もしかすると、エルダーリッチなどの上位種の可能性もある。クレマンティーヌの額から汗があふれ出る。恐らく、このスケルトンも強者なのだろう。そんな思いに、心が挫けそうになる。その中で、目の前のスケルトンは、興味深げに自分を見ていた。その骨の指で顎を撫でながら近づいて来る。そして……
「うーん。確か………………クレマンティーヌ、だったか?」
目の前のスケルトンの言葉に、クレマンティーヌの表情が変わる。まるで、心臓を鷲掴みにされた様な心情だった。
「知って……! 知っているのですか、私の事?」
どもりながら、言葉を選びながら、クレマンティーヌは何とか言葉を絞り出す。
「うん? 随分と、しおらしくなった物だな。あの時は、随分と挑発的に話していたではないか」
あの時? 一体いつの事だろう?もしかして、かつて殺害した何者かがアンデッドとして蘇ったのか?そんな考えが頭の中によぎるが、目の前のスケルトンは楽しそうに、次の言葉を口にした。
「この人外、クレマンティーヌ様には勝てねーんだよ。だったか?」
此の言葉で、クレマンティーヌは理解出来た。今、目の前のスケルトンが誰なのか。
「お前ぇ。いや、あなたは……モモン――――さん?」
「ふふっ。そうだ。モモンだ。本当の名は、アインズ・ウール・ゴウン、と言うがね」
クレマンティーヌの受け答えが楽しかったのか、アインズは笑みを含んだ声で答えた。
「アインズよ、遊びは程々にせえ」
「まあ、そうだな。二グレド、お前の力を借りたい」
「それは無論の事。それで、探すのは生物ですか?無生物ですか?」
二グレドの言葉に、アインズは首を傾げる。
「如何なされました、アインズ様?」
アインズが示した態度に、アルベドが疑問を投げかけた。
「いや、そうだな……。ビッチさんは、生きていますよね」
「当たり前であろう」
「ですよね。じゃあ、俺は?」
アインズが投げかけた謎で、場が凍りつく。ビクトーリア、アルベド、二グレド、クレマンティーヌ、種族は違えど彼女らは生者だ。生者であるがゆえ、死は避けられない者達だ。
では、アインズ、アンデッドはどうなのだろうか。アンデッド達には、死、と言う概念は無い。アンデッドにとってのそれは、滅び、なのだから。
「うーむ。アインズの現状を見れば、動く骨じゃな」
「そうですね」
「言いかえれば、動くカルシウム」
「嫌な言い方ですね。間違ってはいないですけど」
「じゃあさぁ、ヴァンパイアとか、ゾンビは?」
何とか場の空気に溶け込もうと、必死にクレマンティーヌは言葉を綴る。この新たなる議題は、さらなる混乱を呼ぶ。
「なるほどなるほど。カルシウムとヴァンパイア、アンデットと言っても、同じカテゴリーとして括っても良いか、と言うことじゃな」
「せめて、骨でお願いします」
ビクトーリアが口を開くが、何か解決案を言っている訳では無い。ただ、現状確認をしているに過ぎないのだ。
「ふむ。こう言うのはどうじゃろう」
ビクトーリアが、何か閃いたのか口を開く。その堂々とした達振る舞いが、一層アインズの不安感を煽る。
「水、炭素、アンモニア、石灰、リン、塩、硝石、鉄、ケイ素、その他少量の十五の元素を内包する、無生物」
「長いわーーー!」
ビクトーリアの発言に、アインズは盛大な突っ込みを入れた。それはもう、精神抑制も及ばぬ程の。そんな寸劇を繰り返す王二人を尻目に、二グレドがそっと手を挙げる。
「あのー。探す対象は何で御座いますか?」
「シャルティアよ、姉さん」
「そうであれば、すぐに始められるわ。可愛い方の妹」
そう言うと、馬鹿な会話を続ける支配者を余所に、二グレドは準備を開始する。そんな現場を垣間見、そして、場の空気を感じたクレマンティーヌは、ここで上手くやっていけそうだと思うのだった。
「
複数の魔法を発動し、二グレドは丁寧に腰を折った。
「あ? うむ。では、映せ」
「は。
何も無い空間に、映像が浮かぶ。そこに映し出された光景は、何も無い平原にぽつんと佇むシャルティアの姿。
「!」
その姿を目にしたアインズは、言葉を失った。その理由、それは、シャルティアが完全武装の姿であったためだ。そして、その手には
「……スポイトランス」
「どうした?」
動揺するアインズに、ビクトーリアが声をかける。
「ビッチさん、シャルティアの手にある物……」
「ふむ。あれがどうかしたか?」
「あれ、
「なに!」
アインズの言葉に、ビクトーリアも動揺を示す。
「あれは、ペロロンチーノさんがシャルティアに与えた神器級マジックアイテム。スポイトランスです」
スポイトランス。見た目は科学実験に使う、スポイトに酷似した物で、名前、形を取ってもふざけた感は否めないが、その実武器としての能力は、極悪と言ってもいい物だ。与えたダメージの何パーセントかを、装備者の体力へと還元するアイテムは多々あるが、スポイトランスはそれに特化した武器なのである。
「行くぞ」
アインズは踵を返し、部屋を出ようとする。
「待て。何を焦っておる」
その行動に、ビクトーリアは待てと声をかける。
「待てって。ビッチさん、シャルティアが心配じゃ無いんですか!」
「解っておる。誰も心配していないとは言うておらん。もう少し、情報を集めてからでも、遅そう無いと言うておるのじゃ!」
すぐにでも現場に出向くと言うアインズと、それを止めるビクトーリア。御互いの感情は、両者共理解は出来た。だからこそ、引く事は出来ないのだ。どこまで行っても、平行線な意見を言い合う両者だが、その中でアインズの脳内に言葉が響く。何者かが、メッセージの呪文で語りかけていた。
「誰だ!」
『申し訳ありません。ナーベラルです』
「何だ! 今は忙しい――。すまなかった。それで?」
激昂していたアインズの感情は、沈静化によって一様の冷静さを取り戻す。
『は、はい。冒険者組合のハリガネムシが訪ねて来ました』
「用件は……先日の墓地での事か?」
『いいえ。吸血鬼、との事です』
「吸血鬼、だと」
アインズの焦りは、高まって行く。すでに、冒険者組合にまで情報が流れていると言う事は、早急にシャルティアを保護する必要がある、と。
「そ、それで、どうなのだ? 組合は何と言って来ている」
『申し訳ありません。組合からの使者は、下等な者の様で、吸血鬼に対しての相談がある、と言う事のみの伝達でした』
アインズは「そうか」と呟くに留まり、口を閉ざす。
「行ってこい」
横からビクトーリアの言葉が響く。
「シャルティアは、妾達が見ておく。うぬは他の憂いを断ってこい。知っておるか、この様な情報の精査は、妾の得意とする所じゃぞ」
そう言って、ニヤリと笑う。その姿を空洞の瞳に映すと
「ナーベラル、すぐに行くと伝えろ」
『畏まりました、アインズ様』
アインズは魔法を終了させ、ビクトーリアへと向き直る。だが、ビクトーリアは口を開く事無く掌を振り、早く行けと行動で示す。それを確認したアインズは、どこか安心したように場を後にした。
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「さてと、どこから掛ろうかのう」
ビクトーリアは腕を組み、クリスタル・モニターを睨みつける。
「ビッチ様。シャルティアが完全武装と言う事は、何者かとの戦闘が行われたと思われますが」
「そうじゃのう。二グレド、視線を上空へ」
二グレドはビクトーリアのリクエスト通り、観測点を上空へと持って行く。
「辺りに人影は無し、か。生体反応は?」
「ありません、ビクトーリア様」
二グレドは一切の感情を挟まず、簡潔に答える。
「この地の記憶を読む事は?」
「出来ます」
「ならば、そうじゃな十二時間程前から頼む。
「了解いたしました。
観察系の魔法に分類される、リバース・タイム・ログ。これは、その土地、場所での自身の行動の記録を、過去半年に限り閲覧する事が可能な魔法だ。だが、探知形の種族、スキルなどの習得を、ある一定の条件でクリアした場合に発現する隠し種族、
「出ました」
映しだされた画面には、先ほどと違い夜の情景が映し出される。
「何もないようじゃな。二グレド、五倍速で頼む」
「畏まりました」
二グレドの指が、何かを指示する様に横に動く。すると、それに呼応し、画面が素早く流れて行く。
暫しの時間を置き、画面に変化が現れた。十数人の武装した者達と、シャルティアの戦闘だ。その者達が画面に映った瞬間、ビクトーリアの背後から、小さな呟きが聞こえた。
「どうした、雌猫。言いたい事があれば、発言せえ。うぬは奴隷でも何でもないのじゃからな」
ビクトーリアに言葉に、クレマンティーヌの心臓が跳ね上がった。
「ビクトーリア様、あの者達は漆黒聖典。スレイン法国の暗部の者達です」
「また、スレイン法国か……。舐めおって、あの馬鹿共が」
ビクトーリアがため息を吐こうとした瞬間、まさにその瞬間、画面が光で溢れる。
「ビッチ様、これは?」
「二グレド、巻き戻せ」
「はい。ビクトーリア様」
二グレドは、その場面を何度も巻き戻す。それを場の者達は、舐める様に見つめていた。
「右からの光は、シャルティアの清浄投擲槍、と思われます」
アルベドが見解を口にする。
「では、左からの光はなんじゃ?」
「ビクトーリア様。うーん、多分、ケイ・セケ・コゥクじゃないかなぁ」
全員の視線が、クレマンティーヌに集中する。それだけで、クレマンティーヌの背中は冷や汗で濡れる。
「あ、あの。集団の中に、カイレのババァが居ましたので、間違い無いかなぁ、と」
クレマンティーヌの言葉は、推定から肯定の者へと変わる。
「しかしのぅ、雌猫。そのケイ・セケ・コゥクとはなんじゃ?」
ビクトーリアは、腕を組んだまま疑問の言葉を口にする。クレマンティーヌを見つめる、その黄金の瞳は、暗に全てを話せと恫喝していた。クレマンティーヌにとっても、それは望むところであった。スレイン法国になど、何の未練も持っておらず、現在のクレマンティーヌにとって、ビクトーリアが全てなのだから。
「ケイ・セケ・コゥクはですねぇ、六大神のクソッタレが残した物の中でも、至宝中の至宝、と言われている物です」
「アイテムの名、かや?」
「うぅん、そうだよぉ。少し戻してくれるかなぁ」
クレマンティーヌの言葉を受け、ビクトーリアは二グレドへと視線を向ける。画面が巻き戻され、戦闘開始前の場面が映し出される。
「あー、居た、居た。ビクトーリア様ぁ、影に隠れている気色悪いババァ、見えます」
「うむ」
「あれが、カイレのババァですねぇ」
ビクトーリアの眼がモニター上のカイレの姿を捉えた瞬間、その瞳は爬虫類を思わせる物に代わる。
「なるほど。ククッ。こんな所で出会えるとはのぅ」
楽しげに、憎々しげにビクトーリアは言葉を綴る。
「ビッチ様、あの……」
ビクトーリアの変化に、アルベドが、二グレドが、クレマンティーヌが不安げな眼差しを送る。それを感じ、ビクトーリアは一息吐き、自身を落ち着けると
「ワールドアイテムじゃ」
短く言葉を吐いた。
「本当で御座いますか?」
そう言うアルベドの表情は、明らかに動揺の意を表している。
「ああ。ケイ・セケ・コゥク。成程のう、言い得て妙じゃ。言葉だけでの伝達じゃな。アルベド、二グレド、雌猫、良く聞くが良い。あのババァが身に付けている物は、ケイ・セケ・コゥクでは無く、ワールドアイテムの中でも、いやらしい能力を持つ品、精神支配無効の者の精神すら支配下に置く事が出来る品物。ワールドアイテム 傾城傾国じゃ」
アルベド、ニグレド、雌猫。
カタカナで表すと、アルベド、ニグレド、メスネコ。
何か、語感がいいです。