あの惨劇から二週間。スレイン法国上層部は、今後の行く末を早急に決定する必要があった。
六つの塔がそびえ立つ神殿の中央塔、その最も高き場所にその部屋はあった。普段は決して使われる事の無い部屋。約五十人程が、ゆったりと過ごせる広さを持ったワンフロアーのみで構成された、部屋である。その部屋の中央に、二十人程が着席出来る長テーブルが一つ置かれ、その上にはクッキーやジャムなどの軽食が置かれていた。テーブルの上座、その右側に座る男、スレイン法国最高次官ニグン・グリッド・ルーインがうやうやしく口を開く。
「まずは、先日の愚か物達についてですが――」
ニグンがそこまで言うと、場の者達は騒然となる。ニグンの発した愚か物、と言う言葉に違和感を覚えたためだ。ニグンに取って見れば、先日の事件に置いての死者は、神の怒りを買った愚者だ。だが、他の者の考えは、邪悪なる神の虐殺、それに戦いを挑んだ者達。つまりは殉教者なのだ。
「ニグンの坊や、愚か者とは言葉が過ぎるのではない?」
ニグンの正面に座る女性が、注意の声を上げる。火の神官長である、べレニス・ナグア・サンティニ。
「これは失礼。しかし、坊やは御止め下さい、べレニス様」
そう言ってニグンは頭を下げる。無論本心は逆なのだが。
「では、改めまして先日の件での事ですが、死者三十二名、負傷者二十名。死者の内、蘇生が可能な者は十三名、蘇生拒否が一名、となっております」
ニグンは、被害のあらましを何の感情も無く、淡々と告げる。
「蘇生可能な人物の中には、漆黒聖典も入っているのか?」
水の神官長ジネディーヌ・デラン・グェルフィが質問を口にする。
「はい。謎の
ニグンの言葉に、ジネディーヌは頷きで返す。
「では、蘇生拒否の者とは?」
風の神官長ドミニク・イーレ・パルトゥーシュだ。温厚そうに見える男で、元陽光聖典に所属していた事もある者だ。
「カイレ様です」
ニグンは簡潔に、その者の名を口にする。それを受け、場は音を失った。皆の思いは、やはり、と言う納得の感情だろう。
「まあ、その事はイヴォン様に一任するとして、正式な議と行こうでは無いか。
場の空気を変えようと発言したのは、土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサン。この意見に、この場に集まるスレイン法国最高議会、総勢十二名は頷きで肯定する。この部屋に集められた意味、それは、次期最高神官長の選出。いわゆる、コンクラーベと言う物だ。
「確か、先代は光の神官長が選ばれましたな」
そう言うのは、闇の神官長マクシミリアン・オレイオ・ラギエ。
「ええ。ですので私は除外、と言う事になります」
マクシミリアンの問いに答えたのは、光の神官長イヴォン・ジャスナ・ドラクロワ。
「次の最高神官長は、光を抜いた五色から、で良いわけね?」
意見をまとめる様に、べレニスが言葉を発する。だが、この正論に異議を申し立てる者がいた。
「そうは簡単には行くまい」
ジネディーヌだ。
「何故です、老侯?」
レイモンが解らぬ、と言った表情で聞き返す。
「煉獄の王、じゃよ。あれが存在し、法国へと介入した以上、我らの取る道は、二つしか無いからのぉ」
ジネディーヌが、ヤケクソとも取れる笑顔でそう言った。
「隷属か、敵対か、ですか?」
レイモンの発言に、場が笑いに包まれる。この笑いは、レイモンを馬鹿にした物では無く、自嘲の笑いだった。
「すまないねぇ、レイモン坊や。あなたの勇気が嬉しくて……」
べレニスが謝罪の言葉を口にする。
「で、では一体?」
レイモンの問いに答えたのは、イヴォン。
「レイモン。我々の取れる方法は、隷属と、滅び、だよ」
この発言に、レイモンの口は閉ざされた。
「しかし、我々が滅びるのは、神に近し者の殉教として許せるが、民まではなぁ」
べレニスの言葉に、誰も口を挟む事が出来なかった。
「では、アレをぶつけて見るのはいかがでしょうかな」
沈黙を破ったのは、軍事の最高責任者である大元帥だ。
「アレ、とは法国の最高機密の事かな?」
マクシミリアンが言葉を受け取る。
「そうだ。あの神人だ」
大元帥の提案に神官長達はため息を漏らす。
「何だ? 俺は変な事を言ったか?」
焦る大元帥に対し
「絶死絶命ならば、とうの昔に煉獄の王の手駒だよ」
レイモンが疲れた様に真実を語る。
「やはり、隷属か滅びしか無いのか」
大元帥は諦めの言葉を口にする。場の空気は、隷属の方へと傾いて行く。
「な、ならば、最高神官長は……」
ドミニクの呟きと共に、場の十一人の視線がニグンへと向けられる。
「ニグンよ、我らの総意だ。次の最高神官長はお主だ」
全員の総意を、光の神官長イヴォン・ジャスナ・ドラクロワが告げた。だが、選ばれたニグンの表情は冴えない物だ。
「これだけのお歴々が集まっても、その結論ですか。滑稽、これは滑稽ですな」
ニグンのこの無礼とも取れる発言に、ドミニクの檄が飛ぶ。
「ニグン、キサマァ! 我らを愚弄するにも程があるぞ!」
激昂するドミニクを、べレニスがたしなめる。
「ドミニク。幾らかつての部下だとて、今の彼奴は最高次官、言葉を選ぶがよいぞ」
そう言われては、ドミニクとて拳を治めるほか無い。
「ならばニグンよ。最高次官様よ。キサマならば、どう言う手を打つのだ」
この言葉に、ニグンは歓喜の表情を現し
「当然の事! 我らが神に! 煉獄の王を頂くのですよ!」
コンクラーベは紛糾する。
「じゃ、邪神を神と崇めるのか!」
「アレは、六大神様が封じた邪悪な者ぞ」
「法国に穢れを持ちこむと言うのか!」
それぞれの者が、それぞれの意見を口にする。だが、ニグンの愉悦は、消え去りはしない。
「誰です? 一体、誰が煉獄の王を、ビクトーリア様を邪悪と決め付けたのです!」
先程とは打って変わり、ニグンの表情には怒りの色が浮かんでいた。場の誰も彼もが、「六大神が」「伝承が」と口にする。だが、これにニグンは声を大にして反論した。
「先代の最高神官長が下した、村の焼き打ちを阻止し、村人を守ったのは誰ですか! 誰もが忌み嫌う
スレイン法国最高機関は、最早、ニグンの言葉を飲む事しか選択肢は無かった。それこそが、煉獄の王の傘の下に収まる事が、スレイン法国の、ひいては国民の安全と幸せを守る事に他ならないからだ。
この日の夜半、礼拝堂の煙突から、白い煙が上がった。