「はーあ」
女は、わざとらしい溜息を吐く。それは、目の前に居る人物を馬鹿にした様な、その姿に安心した様な、どちらとも取れる響きがあった。
「なんじゃ? 何か言いたい事があれば言うが良かろう。オーレオールよ」
現在ビクトーリアが腰を降ろす場所は、ナザリック地下大墳墓 第八階層 桜花聖域。そこは、いつも桜の花が咲き乱れ、忘れられた、記録の中の写真でしか垣間見る事が出来ない、数百年前の日本の田園風景が再現された場所。オーレオール・オメガの住まいも、合掌造りと呼ばれる、アーコロジー内の博物館に展示されているミニチュアでしか見る事が出来ない様な住まいだ。庭に目を移せば、オーレオールの僕であるウカノミタマ、オオトシと言う少女、少年型のモンスター達が賑わしく遊び回っている。実にのどかな場所だ。
ビクトーリアの言葉を受け、オーレオールは恐れながら、と口を開く。
「馬鹿だ、馬鹿だとは聞いていましたが、此処までとは。考え無しとはビクトーリア様の事を申すのでしょう」
白衣の袖で顔を隠しながら、オーレオールは毒を含んだ言葉を語る。
「うん? 妾のどこが考え無しじゃ」
「知らぬのならば、それは幸せと言う物かと。ですが、回復もせず敵地へと乗り込むとは………………怒りで我を忘れましたか? タナトスの気苦労が透けて見えます」
図星を突かれ、ビクトーリアは、ぐうと唸るに留まる。
「それに、ペストーニャ様にも感謝して下さいね。内緒で治療して下さったのですから」
「解っておるわ」
「そして、私にも」
そう言ってオーレオールはニコリとほほ笑んだ。だが、ビクトーリアにはその裏の意味が透けて見えた。
「それも解っておる。次来る時は、何ぞ菓子を持参しよう」
その言葉を最後に、ビクトーリアは立ち上がり、歩き出す。十歩程歩いただろうか、背後からオーレオールが言葉を掛ける。
「またのお越しを」
「うん? 此処は本来ならば侵入禁止じゃぞ。そうおいそれとは来れまいて」
「言葉に真実味がありませんよ。ビッチ様」
「ビッチじゃのうて、ビクトーリアじゃ」
桜花聖域に笑い声が木霊した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
~ナザリック地下大墳墓 第六階層 星青の館 書斎~
ビクトーリアは書斎の椅子に座り、書類の一枚、一枚に目を通す。傍らのソファーには、いつもの三人の姿が。のんびりとした空気の中、書斎のドアがノックされた。
「どうぞ」
透き通る様な声が、入室の許可を出す。入って来た人物は、意外な人物だった。赤を基調とした異国の衣服、スーツを着込み、刺の付きだす尻尾を垂らし、宝石の瞳をサングラスで隠した者。ナザリックの知恵者、デミウルゴス。
「おじゃまするよ」
デミウルゴスが発した言葉には、敬意も、尊敬も、微塵も感じられない物だった。その言動に、絶死絶命とクレマンティーヌから、殺気が噴き出す。だが、それを諌める様にビクトーリアが口を開く。
「止めなさい。彼はあなた達が敵う者では無いわ。それで、何の用かしら?」
ビクトーリアの言葉に、デミウルゴスは小さく笑い
「守護者統括様から、今後のプランを開示せよ、と申しつけられましてね」
不機嫌さを隠しもせず、説明を口にする。
「そう。あなた達、申し訳無いけど、席を外してもらえるかしら」
言葉を掛けられ、三人は立ち上がり、書斎のドアへと足を向ける。ドアノブに手を掛けた絶死絶命の動きが一瞬止まった。どうやら、メッセージの呪文で、頭に声が響いた様だ。こめかみに指を当て、暫し待てと呟きながら退室して行く。ドアが閉じられ、室内には、ビクトーリアとデミウルゴスが残る。
「これが、今後の計画の最初の一歩、と言う事です」
そう言って、何枚かの羊皮紙の束を投げ捨てる様に机に置いた。この行為に、ビクトーリアは嫌悪感を微塵も感じさせず、書類を手に取り眼を通す。何枚目を通しただろうか、ビクトーリアの頭の中に声が響く。
「ごめんなさい、デミウルゴス。少し席を外してもいいかしら?」
「ええ、どうぞ。ですが、こちらも暇ではありませんので」
「ええ。解っているわ」
そう言ってビクトーリアは、書斎から出て行った。その姿を見送る形となったデミウルゴスは、やれやれと両手を挙げポーズを決める。だが、その態度もすぐに驚きに変わる。出て行った直後に、ビクトーリアが入室して来たのだ。デミウルゴスに声を掛ける事無く、ドッカリと椅子に座り書類に目を通す。暫しの沈黙が室内を支配する。自分の計画に対し、絶対の自信を持つデミウルゴスは、この行為を無駄と断ずる機会を窺っていた。煉獄の王を、部外者を無能と断罪する為に。だが、実際は異なる方向へと進む。無音の室内に、ビクトーリアの嘲笑が響いたのだ。
「くくっ。スクロール用の羊皮紙生産の為の実験。それに伴う牧場の建設、か。その家畜は、近隣諸国、亜人種の村から調達、か。」
そう呟くと、瞳をデミウルゴスへと向ける。
「どうやって調達する?」
この問いに、デミウルゴスは薄ら笑いを浮かべ
「部下に攫わせます。いや、辺境の村を襲い、全員を捕らえた方が効率は良いですねぇ」
自信満々に、口を開く。その瞬間、ビクトーリアの瞳が爬虫類のそれに変わる。
「馬鹿者がぁ! キサマは何を考えておる! 村を襲うじゃと、効率が良いじゃと、その様な空気しか詰まっておらぬ頭など切り落としてしまえ!」
デミウルゴスは言葉に詰まる。自分の目の前に居るのは、確かにビクトーリアだ。だが、先ほどの者とは、全くの別人に見えるのだ。そんな、押し潰される様な気迫の中、何とか声を絞り出す。
「い、一体何が可笑しいのかね」
精一杯の意地だった。だが、それすらも押し潰す様にビクトーリアは相対する。
「かね? かね、じゃと………………デミウルゴス、キサマは何様じゃ」
ビクトーリアの身体から、バチバチと小さな音が上がる。ビクトーリアは、暗にこう言っているのだ。これ以上の無礼を働くならば………………殺す、と。その殺気、その重圧を目にし、デミウルゴスは膝を折るしか無かった。だが、ビクトーリアの叱責は続く。
「村人全てを拉致した後、どうするのじゃ?」
「え?」
「どうするのかと聞いておる。答えよデミウルゴス」
その黄金の瞳に射抜かれ、デミウルゴスの喉は渇きを覚える。
「デミウルゴス」
「何も考えてはおらぬ様じゃな。辺境の村でも、どこかの国に所属しておる。しからば、税を巻き上げに徴税官は訪れ、村人が消えた事が発覚する。そこはクリアーしておるのか?」
「い、いえ」
「徴税官を始末するか? さすれば、次は軍が、国が動くぞ。それすらも始末するか? では、ナザリックの知恵者に問おう。この世界で、最も強き者は誰じゃ?」
デミウルゴスの額に、汗が浮かぶ。
「そ、それは、アインズ――」
「愚か者がぁ! キサマは、調べ上げ言うておるのか! 違うと言うのなら、今すぐ、その空っぽの頭を叩き割るぞ! それとも、妾自らアインズを殺し、キサマの無知を証明せねば解らぬか!」
デミウルゴスは、ビクトーリアの言葉に、息をする事さえ忘れていた。ビクトーリアはため息を吐きながら椅子に座ると、呟く様に口を開く。
「羊皮紙の牧場は、一時棚上げじゃ。まずは、近隣諸国の地下組織を調べよ」
「そ、それは一体どのような狙いが?」
「攫うのは、一般人で無くても良かろう? 重罪人、死刑囚、などでも事足りる。その者らならば、犯罪結社などとも繋がりがあろう。牢からその様な者達が消えたらどうじゃ? まず目を付けられるのは、そう言った組織じゃ。それを旨く使えば、ナザリックに繋がる事はまずありえん。亜人の方は、モモンに化けたドッペルゲンガーを使い拉致せよ。その時は、冒険者組合を通し、討伐と言う形を取れ。モモンの名声が高まる。それと、妾の雌猫も使うが良かろう。アレはそう言う所に精通しておるじゃろうからな」
「な、成程」
ビクトーリアの言葉に、デミウルゴスは肯定の意を告げる。それに納得したのか、ビクトーリアは場の空気を変える様に、次の話題を口にする。
「デミウルゴス。うぬらは、アインズをどうするつもりじゃ?」
この問いに、デミウルゴスの表情は一瞬キョトンとした物を浮かべるが、すぐにそれは歓喜の物へと変化した。
「アインズ様に、この世界の全てを捧げるつもりです。」
「左様か」
ビクトーリアは、言葉少なく口を噤む。暫し、何か考える様な仕草をした後に、デミウルゴスへと向き直る。
「デミウルゴス、これは妾からの忠告じゃ。世界を征服しようと決して考えるな。アインズに世界を捧げたいと思うならば、統治、と言う手段を選択せえ」
「それは一体?」
「自分で考えよ。それと、この言葉をナザリック全てに通達せえ。以上、今日はこれまでじゃ」
そう言うと、ビクトーリアは一方的に話を切り上げた。
デミウルゴスが退室した書斎、その部屋の中には、二人のビクトーリアが居た。
「ビクトーリア様。先ほどデミウルゴスに仰った意味は?」
横に立つビクトーリアを、椅子に座ったビクトーリアは見つめ
「征服、と言う物は、力で、恐怖で従える事じゃ」
「はい。承知しています」
「そうなれば、反発する者が必ず出て来る。それが、一国の内で済めば良いのじゃが……」
「だが、ですか?」
「うむ。それが世界規模で何十、何百、何千と言う規模で起こったらどうする? 潰せはせんぞ、そんな物」
立ち尽くすビクトーリアは、姿を変え本来の物へと戻る。褐色の肌と、銀色の髪に。タナトスだ。
「以前、ビクトーリア様が仰っていた、蜂、ですね」
「うむ。彼奴等の監視、頼むぞタナトス」
「御心のままに」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ナザリック第九階層を、デミウルゴスはふらふらと歩いていた。それを見つけ、声を掛ける者が居た。守護者統括のアルベドだ。
「あらデミウルゴス、随分と気落ちしている様だけど、何かあったのかしら?」
上機嫌でそう訊ねる。まるで、弱ったデミウルゴスを楽しんでいるかの様だ。実際そうなのだろう。デミウルゴスはそれを理解しながらも、事のあらましを語った。気落ちした心を、何とか晴らしたかったのかもしれない。話を聞いたアルベドの表情は、とろける様な物へと変化する。
「流石は私の旦那様。くふぅ」
「旦那様はさておき、やはりあの方は化け物ですよ」
「……化け物?」
アルベドの眉が跳ねる。
デミウルゴスは両手を上げ首を左右に振ると
「私はこれまで、私とあなた以上の知恵者など、至高の四十一人様以外居ないと思っていました。しかし、あの方は別格だ。まるで、これから起こりうる全ての出来事を、絵図面でも見る様に駒を配置なさっている。これを讃える言葉は………………化け物、でしょう? 違いますか、アルベド」
そう言ってデミウルゴスは、疲れた様に笑った。