会議が終り、数時間が経った。夜の闇が世界を支配する時間、法皇執務室のドアがノックされた。来訪したのはニグン。会議室での約束を果たしてもらいに来たのだ。入室の許可が下り、部屋へと一歩を踏み入れる。
「やはり来たか」
「ええ。我が王の心の中、ぜひとも知りたく有りまして」
ニグンの冗談、とも取れる言葉にリリー・マルレーンの頬が緩む。ニグンと言う男、硬苦しいだけでは無い様だ。
「で、土産は?」
遠慮のない言葉に、ニグンは右手に持つ物を掲げる。瓶に入れられた琥珀色の液体だ。詳細に言えば、蒸留酒。簡単に言えば、ウイスキー。
リリー・マルレーンはそれを受け取ると、ニグンにソファーへの着席を進め、虚空からグラスと氷を取り出した。その光景に、見慣れていないニグンは僅かに驚きを顕にするが、この者なら何でもアリ、と思い込みグラスを受け取る。御互いのグラスに、蒸留酒を注ぎ、喉を潤したところで、リリー・マルレーンは口を開く。
「それで、何を聞きたい?」
「まず最初に、あの時何を見ていたのですか?」
「あの時? ああ、地図の話じゃな」
そう言うと、テーブルに地図を広げる。そして、地図の二か所を順に指差した。
「王国と帝国、ですね」
「そうじゃ。この両国は戦争状態。間違い無いな」
「はい。元は一つの国でしたが、分裂してからずっと」
ニグンから話される現状に、リリー・マルレーンは一つ頷き
「法国としては、どう言う手を打っておる?」
「内々にではありますが、帝国側についております」
「と、言う事はじゃ。いずれ帝国に王国を吸収させると?」
「はい。先代の最高神官長は、そう考えていた様で」
この言葉に、リリー・マルレーンは苦い表情を作る。
「それはぁ……無理じゃろう」
告げられた言葉に、ニグンは驚きを顕にした。その表情に満足したのか、リリー・マルレーンは地図の一点を指差す。
「アゼルリシア山脈、ですか?」
「うむ。王国を吸収するのは良かろう。じゃが、治安管理や各都市の統治は誰がするのじゃ? 帝国が人材過多と言うならば、妾の早とちりじゃが?」
「いえ、決してその様な訳では無い様ですが……」
「それにのう。王国側の貴族達はどうするのじゃ?」
ニグンは思い出す様に、一度目を閉じ
「恐らくではありますが、現皇帝が行った粛清が再び起こるかと」
「貴族の間引き、か」
「はい」
ニグンの言を聞き、今度はリリー・マルレーンが一度目を瞑る。
「しかし、それじゃと統治者が足りぬのでは無いか?」
「統治者、で御座いますか?」
「うむ。統治者が減れば、一人が統治する土地の面積が広がるじゃろ?」
「はい」
「広大な面積での農地管理。そこからもたらされる収穫による税政。出来るかのう」
ニグンには、答える事が出来ない。貴族の支配地での税収。全ての貴族が自分の支配地で、百パーセント回収出来ているかと言われれば、否である。誰かが税を誤魔化している可能性を無視出来ないからだ。リリー・マルレーンも同様の意見を持っていた。
「土地が広がり監視が手薄になれば、今以上に税を嘘吹く者達が出てこよう。そ奴らが、私服を肥やし行き着く結末は一つじゃぞ」
「反乱、ですか」
「うむ。彼奴等は革命と言うかも知れぬがな。そうなった時、帝国はどうする?」
「兵を挙げ、鎮圧するかと」
ニグンの言葉に、リリー・マルレーンは我が意を得たりと、地図の中央を指差す。
「アゼルリシア山脈?」
「そうじゃ。帝国の首都はここじゃ。ここから王国領に攻め込むとなると……」
言いながら、リリー・マルレーンの指はUの字を描く。
「成程」
「じゃろ。大回り過ぎるとは思わんか?」
「では、我が王。こちらから出兵しては?」
ニグンの指が、法国の北東を刺す。
「そこには?」
と言うリリー・マルレーンの問いかけに
「ここには帝国の要塞があります」
「ふむ。ではここは?」
リリー・マルレーンの指が要塞の南を指し示す。
「やはり無理ですか。カッツェ平野の守りが薄くなりますな」
「カッツェ平野?」
「はい。アンデッドが無尽蔵に湧く場所です」
「物騒じゃのう。しかし、それならうぬの言う通り、手薄には出来んな」
「はい。しかし、我が王よ。帝国側に立って一体どう言うお考えが?」
リリー・マルレーンの問いかけに真剣に返す程、このウォーゲームの意味が解らなくなって行く。だが、リリー・マルレーンはキョトンとした表情で
「意味は無いのう。本題はここからじゃし」
意地の悪い笑みを浮かべるのだった。その笑みは消える事無く、リリー・マルレーンの指は一点を指し示す。
「妾はここを獲るつもりじゃ」
「ここは……エ・ランテル」
ニグンの顔に驚きが張り付いた。それはそうだろう。この新しき王は、他国に戦を仕掛けると言っているのだ。それも、帝国と王国、二国を敵に回して。
「我が王よ、あなたが幾ら強大とは言え、二国を相手に戦など……」
ニグンは進言する。無謀であると。だが、そんな事はリリー・マルレーンも解っている。
「気が早いのう。今すぐとは言うておらん」
「で、では?」
ニグンの疑問にリリー・マルレーンは指刺す事で答えを開示して行く。それは、エ・ランテルの街を中心に逆Y字を描く事から始まる。
「良いか? 法国、帝国、王国が領土を分かてばこの様になる。」
「はい」
「じゃがこれではエ・ランテルを中心に国境が犇めき合い、緊張が絶えん」
リリー・マルレーンが一旦言葉を切るが、ニグンは話にのめり込んでいるのか、頷きだけで答える。
「じゃからのう、此処に干渉地帯を作るのじゃ。東西南北に五十キロ程のな」
「直径百キロ……ですか」
「そうじゃ。そこに新たな、法国と最も友好な国を築き戦力を集中させるのじゃ」
「そ、そんな事が……」
出来るのか?とニグンは続ける。だが、リリー・マルレーンの返事は少し曖昧な物だった。
「タダでは国は作れん。新たな国の長には絶対的なカリスマが必要じゃからな」
「では……」
「うむ。妾が見続けている者が、そうなれば、良いのじゃが」
「それでは、この話は?」
「まだ仮定の話じゃ」
そう聞いて、ニグンはどこかほっとした様に見えた。しかし、リリー・マルレーンの話は終わってはいない。後から思い出せば、これからの話の方が物騒な事だったとニグンは思い返す。
「しかしのぅ。王国にはちいと疲弊して貰いたいのう。少なくとも、王制がちゃんと機能するぐらいにはの」
「我が王よ。それは、王国貴族を間引きすると言う事で?」
「ニグンよ、うぬは物騒な思考の持ち主じゃなぁ」
そう言って、グラスを片手にケラケラと笑う。だが、今回は前と違いその笑顔はかき消える。
「ニグンよ、まずは王国銀貨を集めよ」
「王国銀貨、で御座いますか?」
確認の言葉に、リリー・マルレーンは「左様」と返す
「妾は帝国へと入り、皇帝と茶番を演じる。共の者は風花から選べ。妾が時間を稼ぐ間に、金工職人と鋳物職人を探させろ」
「金工職人と鋳物職人、で御座いますか? 我が王よ、一体何をお考えで?」
ニグンの問いにリリー・マルレーンは「ふふん」と笑い
「決まっておろう。王国銀貨を創るのじゃよ」
「銀貨を密造する御積りか!」
「左様。それも僅かに純度を下げてな。そうじゃのう……十枚が十二枚になる程に」
「な!」
最早声も出なかった。銀貨十枚を十二枚にしても、型の代金、薪などの燃料代を考えれば損害の方が大きい。では、千枚、万枚と創った場合はどうだろう?答えは、莫大な儲けが出る、である。だが、この王が儲けの為にそんな事をするのだろうか?
「我が王よ、真意を伺いたい」
「そうじゃな。これでは不親切じゃな。良いか、出来るだけ多くの王国銀貨の純度を下げる。それの半分ほどを流通させる。そして、時期が来たらこう囁くのじゃ。王国が秘密裏に銀貨の純度を下げている、とな」
「商人達はパニックになるでしょうな」
「いや、そうでも無かろう。彼奴等は両替に走るだけじゃ」
ニグンの理解が追い付かなくなっていた。神官と言う職務に、若いうちから付いていた事もあるのだろう。今のニグンは、法皇が語る腹黒い計画がまるで英雄譚の様に聞こえていた。それほどまでにのめり込んでいたのだ。
「これで困るのは、王国内で貯め込んでいた者達じゃよ。それでも銀貨程度では腹は痛とう無いじゃろうな」
「で、では……」
「これまでで一番被害をこうむっておるのは、王国の信用、と言うやつじゃ。王国の秘密裏に行った純度の引き下げ。こんな物、嘘でも誠でも良い。所詮は話、言葉じゃ。しかし、銀貨の純度が下がっておるのは事実。人はどちらを信じるかのう」
まるで詐欺師の様な口ぶりで話す法皇に、ニグンの喉がゴクリと鳴った。王国の信頼の失墜、これが法皇の狙いだとニグンは確信した。だが、そうでは無かった。実際にはもっと恐ろしい物だった。
「そこでじゃ!」
そう言ってリリー・マルレーンは人差し指を一本立てた。
「信用が下がった所で、法国内に残った銀貨を市場にばら撒く。どうなると思うかや」
問われたニグンは、首を横に振る。解らないと。
「王国の貨幣価値の大暴落、じゃよ。誰も王国の銀貨を信用せん。最早、混ざり物の銀の価値しか無い物に変わっているからのう。それと同時に、何の嘘偽り無い金貨の価値も、重さの価値へと変わる。王国は自国で通貨を作る事は出来ん様になった訳じゃな」
「しかし、我が王よ。それで一体我々に何の理が?」
「鈍いのう。価値が下がろうが、ゴミと化そうが、
再度の問いに、ニグンは再び首を横に振る。
「信用ある他国の通貨を使う事じゃよ。交易通貨もその一つじゃな。じゃが、王国通貨では最早交易通貨へと両替は出来ん。金銀のインゴットで交換するしか無い。ならば、法国が買ってやろうでは無いか。とな」
「い、いや。我が王よ。理は一体どこに?」
「まだ判らんか? インゴットの値段は幾らじゃ? 相場? バカを言うな。こちらの言い値じゃろ。こちらは善意で助けてやるのじゃからのう」
「他国の経済を牛耳る、と言うことですな」
「左様」
「しかし我が王よ。銀貨はどうやって集めるので?」
ニグンが根源の疑問を提示する。この問いに、リリー・マルレーンは本日最大の笑みを見せ
「神殿があるじゃろうが。王国中の神殿で銀貨を集める様、水明聖典に勅命を出せ。幾ら頭脳明晰な人物が居ても、神殿が自国の経済を破綻させようとしているなど、絶対に考えつかんからな!」
そう言ってカラカラと笑う。
「しかし、我が王よ。王国には黄金と呼ばれる姫がおります」
「黄金じゃと?」
リリー・マルレーンの眉がピクリと跳ねる。どうやら少々機嫌を損ねた様だ。それに気付いているニグンは、怖れながらと言葉を口にする。
「何でも王国の黄金は、怪物と呼ばれる程の知恵者、と言う噂で御座います」
リリー・マルレーンは怪物、と言う言葉に反応する様にニヤリと笑みを形作る。
「ほーう。怪物かや。面白い、すこぶる面白い。黄金の姫か、黄金の魔女か……姫の知恵が勝つか、妾の腹黒さが勝つか。勝負じゃ! ニグンよ、書状を回せ! 帝国経由で王国へと向かう! 妾の戴冠の挨拶と行こうでは無いか!」
「はっ! 王の御心のままに」
次話からは、帝国を巻き込んでのお話し。
オリジナル第ニ篇。
死を呼ぶ凶鳥篇となります。
ジル君やフールーダの爺さんの登場。
ヒロインはレイナース。
感想お待ちしております。