バハルス帝国皇帝、鮮血帝とも呼ばれるジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。現在彼は、自室のソファーにどっかりと腰を下ろし、ある書簡を眺めていた。
「クソッ!」
一様に読み終えた書簡を、忌々しげに投げ捨てる。
「何が法皇だ! 奴らは一体、何が狙いだ! 爺!」
いらつきを隠しもせず、ジルクニフはある一人の人物に呼びかける。
帝国首席宮廷魔法使い件、帝国魔法省最高責任者 フールーダ・パラダイン。真っ白で長い髪と鬚が、いかにもな魔法使いを現す高齢の男だ。実質その年齢は、二百歳とも二百五十歳とも言われている。
「ふぉふぉふぉ。何が狙いかは解りませんが……そう気を荒げなさるな、陛下。して、書簡には何と?」
フールーダは、右手で鬚を撫でながら問いかけて来る。その余裕を持った態度が、さらにジルクニフを苛立たせる。
「挨拶に来るそうだ」
「挨拶、ですと?」
「ああ。戴冠の挨拶だそうだ。クソッ!」
フールーダはジルクニフの姿をその眼に留まらせながら
「来ると言うならば、お手並み拝見ですな。あの神様狂いの者達が、どんな一手を打ってくるのか……違いますかな? 陛下」
茶化す様に言葉を締めるのだった。
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ガタゴトと車軸を軋ませながら、法国の一団は帝国へと入っていた。法皇リリー・マルレーンは、馬車の窓から流れ行く市街の光景を見つめていた。
「良い街じゃなあ」
ポツリと呟いた言葉に、風花聖典隊長のイサブロウが受け取る様に答える。
「ええ、まあ。現皇帝の政策が身を結んだ結果ですね」
「貴族の間引き、か?」
「ええ。それだけではありませんが」
イサブロウの言葉に、リリー・マルレーンは興味有りそうに右の
「他には何を?」
「そうですな。平民から騎士階級への取り立て、なども行った様ですね」
この言葉に、リリー・マルレーンは一気に興味が失せたと言わんばかりに、視線を再び街へと戻し
「その程度か。皇帝とやらでも…………底が知れるのう」
ポツリと、そんな言葉を零した。その言葉は、皇帝と言う一個人に充てた物か?それとも、帝国と言う国を捉えた物なのか?はたまた、この世界全てに放たれた侮蔑の言葉か?馬車に同乗する者達には、それを選択する事は出来なかった。
そんな重苦しい空気が支配する馬車は、市街地を抜け王城へと到着する。三台の馬車と、六頭の馬に分散して乗っていた風花聖典の隊員達が先に城へと入り、法皇の乗る馬車を迎える。その中心には帝国側で選抜された者達の姿もあった。
秘書官 ロウネ・ヴァミリネン。雷光、激風、重爆と呼ばれる帝国四騎士の内の三人。そして、数名の侍女達。
馬車はゆっくりと城門をくぐり、隊員達の前に横付けで止められた。居並ぶ隊員達の中で、一番地位の高い者が一歩前に出、法皇の乗る馬車の扉を開く。最初に降り立つのは、風花聖典隊長 イーサ・ブロン・ササ。次はエルフの女性二人、ヴォーリアバニーのヴァイエスト。
ちなみに、三人の服装はリリー・マルレーンと同じデザインの法服である。
そして、最後に法皇リリー・マルレーン。この一団を見て、帝国側から引き攣った様な驚きが漏れた。それは、法皇の威厳………………と言う物では無い。一行の人種構成からの物であった。法皇の馬車に同席していた者達は、法皇を除きエルフが二人にヴォーリアバニーが一人、そして人間が一人。最早信じるしか無いのだ。法国の軌道修正を。
「ようこそ御出で下さいました、法皇陛下。私、案内を仰せ使いました秘書官のロウネ・ヴァミリネンと申します」
帝国を代表してロウネが挨拶を口にする。
「うむ。急な来訪に対応して頂き、貴国に感謝を」
そう言ってリリー・マルレーンは、右手を僅かに上げた。簡単な挨拶を終え、ロウネは「こちらへ」と貴賓室への案内を開始する。帝国側の者達は二列に並び、法皇の道を作る。その中心を一行が歩いて行く。
その歩が中程まで来た時、リリー・マルレーンの動きが止まり、ある人物をその黄金の瞳に映す。その人物とは、帝国四騎士の内の一人 重爆 レイナース・ロックブルズ。整った顔立ちに金糸の様な髪、そのプロポーションは鎧で隠れて見えないが、僅かに覗くふとももから察するに、魅力的な物だろう。そんなレイナースの唯一の違和感。まるで顔の右半分を隠す様に降ろされている前髪だ。リリー・マルレーンはその部分を凝視し、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、まるで何事も無かった様に歩みを再開する。残されたレイナースの顔には、屈辱の表情が浮かんでいた。
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貴賓室に通され、一行はソファーに腰を降ろす。その中で、先程のリリー・マルレーンの行動が議題に上がる。
「陛下。先ほどのアレは一体?」
イサブロウの問いかけに、リリー・マルレーンは眉をピクリと跳ねさせる。だが、その口は開かれない。
「陛下。イサブロウ様がお聞きになっていられますが?」
気を使ったのか、ヴァイエストが注意を促す。だが、再度眉を跳ねさせただけで、一行に口を開こうとはしない。その時、ドアをノックする音が響く。その音に反応する様に、エルフの一人が立ち上がりドアを開けた。そこには、先程列に並んでいた女、レイナースの姿があった。
「レイナース・ロックブルズ、御呼びとの事で参上致しました」
言葉こそ礼を取ったものだが、醸し出す雰囲気は険悪な物だ。それは当然の事なのだが、法皇リリー・マルレーンには通じない。なにせ、この法皇陛下は、意地が悪いのだ。リリー・マルレーンは、レイナースが入室しドアが閉まるのを確認すると
「娘。うぬは何故にそんなに腐敗臭を槇散らかせておるのじゃ? 香水代わりか? 悪趣味じゃぞ」
無作法にも、そう言って切って捨てる。この言葉に、レイナースは苛立ちを覚えながらも、相手の立場を考えぐっと言葉を飲み込む。それが表情に出るのを嫌ったのか、レイナースはハンカチを取り出すと顔の右側に充てた。その動作を見て、リリー・マルレーンの瞳がすぅっと細められる。
「娘。うぬは何をしたのじゃ?」
リリー・マルレーンの声に、レイナースの心拍が上った。
「うぬの顔から染み出しておる物。膿じゃろ。病気には見えんし、そう言う種族だと言うなら良いが、うぬが人であるならば…………それは呪いの類では無いか?」
レイナースは息を飲む。自分はどうしたらいいのだろうか?相手はスレイン法国のトップである。六大神が降臨した国ならば、帝国や王国では知られていない様な術式が存在していてもおかしくは無いのだ。すぐにでも縋りたい気持ちを、レイナースはぐっと押し殺す。相手は法国、交渉相手なのだ。いくら自身の身を第一に、と言う契約を皇帝と結んでいるとはいえ、自身の行いを交渉のテーブルに乗せられるのは避けたい。ぐっと唇を噛み耐えるレイナースに、リリー・マルレーンが助け船とも取れる言葉を投げかける。
「難しい顔をしておるのう。心配せんでも、うぬの事柄に関しては、妾の知的好奇心じゃ。帝国へは迷惑をかけん事を誓うぞ。ほれ、話してみよ」
だが、レイナースの表情は硬い。まるで、心の中での葛藤が透けて見える様だ。
リリー・マルレーンは、何度も同じ内容の言葉を繰り返す。すると、徐々にレイナースの表情が軟化して行くのが解る。後ひと押し、そうリリー・マルレーンが確信した瞬間、身内から反逆者が現れた。
「しかし陛下。彼女の状態が呪いの類だとすれば、解呪は困難なのでは? エリートとして言わせていただきますと、その様な呪法は数が限られております。ましてや、呪うのでは無く、解呪となればさらに……」
イサブロウが無表情で口を出して来た。その瞬間リリー・マルレーンの瞳は、鋭くイサブロウを睨みつける。その意味は、要らん事を言うな!である。だが、当の本人は涼しい顔だ。
リリー・マルレーンは思う。最近のコイツ等は生意気だと。特にニグン、イサブロウ、ゴリラの三人は。しかし、リリー・マルレーンは大人だ。文句を言いたいのをグッと我慢する。自分で自分を褒めてやりたい。出来た大人、だと。だが、ここで自画自賛しても仕方が無い。リリー・マルレーンは本題へと戻る。
「しかしイサブロウ。呪いを解くと言っても、解呪の方法はさまざまじゃろう。まずは、どの様な呪いを受けたかじゃ。じゃろ?」
「さようですな。レイナース殿、でしたか? 詳しく説明願えますかな?」
レイナースは、なし崩し的に事情を話す展開へと持って行かれる。この功績により、大暴落したイサブロウの株価は僅かに上昇したのだった。
この事により、レイナースは覚悟を決めたのか、ポツリポツリと自らの過去を語り出した。
要約するとこうである。レイナースは、貴族ロックブルズ家の令嬢として産まれた。ある時、領地内ではモンスターの出現が頻繁する様になった。その時、剣に覚えがあったレイナースはモンスター退治を買って出たのだった。何体ものモンスターを狩り、徐々に領地は平穏を取り戻して行った。そして、一体のモンスターと出会う。レイナースは何とかそのモンスターの討伐を成功させるが、モンスターが死に際に放った言葉により、自身の身体は呪いに侵されたと言う。
この説明を聞き、リリー・マルレーンは一つの仮説を展開する。
「うーむ。これは恐らく………………
「「
全員の声が重なった。その声を満足そうに聞きながら頬杖を付いたリリー・マルレーンは、持論を展開して行く。
「この世、いや、国では、どんな物も呪いと言うかも知れぬが、妾の世、国では呪いと
この言葉に、レイナースの喉がゴクリと鳴る。
「呪いとは、まじないや祈祷によって起こされる現象を指す。方や
「そ、そんな!」
悲痛な声がレイナースから漏れる。だが、リリー・マルレーンはそれを鼻で笑う。
「実際の所その状態は、うぬ自身が招き入れた物では無いか」
「何故です!」
「何故も何も、うぬが好きで呪われたのじゃろ?」
リリー・マルレーンの、この言葉によって場が騒然となった。それはそうだろう、リリー・マルレーンの言葉は荒唐無稽で無茶苦茶な物なのだから。誰が好き好んで呪われると言うのだろうか?誰もが疑問を抱き、視線をリリー・マルレーンへと向ける。
「うん? 説明が必要かや?」
この言葉に全員が頷く事で肯定の意を示す。それを見つめ、リリー・マルレーンはニンマリと意地の悪い笑みを浮かべ
「うぬらは感が悪いのう。自ら呪いを受け入れたと、娘は最初から言うてるではないか」
同じ言葉を繰り返す。だが、場の全員は理解が出来ていないようだ。リリー・マルレーンは溜息を一つ吐くと、再び口を開く。
「この娘は何と言うておった? 解らぬか? この娘はこう言うた。自らモンスター退治を買って出た、と」
確かにそうだ。レイナースは確かにそう言ったが、それが何だと言うのだろうか。リリー・マルレーンは、皆の困惑する表情を見つめ、それすらも楽しむ様に言葉を続ける。
「戦士、騎士は戦となれば、死を覚悟して戦場に立つ。未知を求める者は、その探求に命を掛ける。ならば、うぬはどうじゃ? モンスターを狩る時、死を覚悟して立ちはせんかったのか?」
この質問とも取れる言葉にレイナースは
「た、確かに私は領民の為に命を掛けて立ちました」
「ならば本望じゃろう。まあ、呪いだけですんだのじゃ、結果オーライ。良かったのう」
真面目な空気は何処へやら、最早面倒臭いとでも言う様にリリー・マルレーンは締めに入る。だが、この行為はレイナースの感情に火を付ける行為だ。
「ふざけているのですか!」
テーブルに拳を叩きつけ、レイナースが激昂する。しかし、その姿を見てもリリー・マルレーンの表情は涼しい物だ。むしろ、この状況を作ろうとしていたかの様にも思える。
「ふざける? ふざけた事を言うておるのは、うぬじゃろう? 領民の為? その為に、うぬはどれだけの命を奪った? その代償としての呪いじゃ。名声を得たのじゃ、我慢せえ」
リリー・マルレーンはキッパリと言い切った。
「そんな!」
だだ、レイナースとて引き下がる事は出来ない。今までの言葉を聞く限り、リリー・マルレーンは何か情報を持っていると思われるからだ。
「何じゃ。まぁだ呪いを解きたいと思うておるのか? もう、諦めぇ」
「嫌です!」
詰め寄るレイナースに、リリー・マルレーンは本日何度目かの溜息を吐きつつ
「うぬが殺したモンスターは、死に際に
「は、はい。」
諭すように言葉を投げかける。
「この場合、
レイナースは、コクリと頷く。
「これを解呪しようとすれば、同等かそれ以上の対価が必要となるのじゃが…………無理じゃろ? 命以上の対価など存在せんぞ。結果、妾的に解呪は無理と判断したのじゃ。はい、しゅうりょー!」
パチパチと手を叩きながら、リリー・マルレーンは締めの姿勢を取った。その瞬間、レイナースの表情に絶望が浮かぶその顔を見て、またもやリリー・マルレーンの口からは溜息が洩れる。本日は、溜息のバーゲンセールだ。
「娘、良く聞け。可能性はほぼ無いじゃろうが、打てる手はある。それに賭けてみるかや?」
この言葉に、レイナースの表情が一気に輝き
「お願いします!」
大きな声で、そう返事を返して来たのだった。
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