自室へと転移したアルベドは、湯浴みで汗を流し部屋の一角を見つめる。そこには自身の鎧、ヘルメス・トリスメギストスの姿があった。まるで立像の様に存在するソレを見つめ下唇を噛むと自室を後にする。
第九階層の廊下を足早に歩き、あるドアの前で立ち止まった。そこは自身の創造主、タブラ・スマラグディナの部屋である。アルベドは、何の躊躇も示さずドアを開けると、まるで解っていた様に目当ての場所へと進む。
目当ての場所。そこには、大きな両開きのクローゼットがあった。扉の取っ手に手を掛け、観音開きのドアを開ける。そしてそれは現れた。
タブラ・スマラグディナが特別に製作した、アルベド用の決戦装束。タブラ曰く花嫁衣装。アルベドはドレスを脱ぎ去り、それを着用する。
衣装の形状は、過ぎた日の記憶。過去への憧憬。忘れられた歴史。和服と呼ばれる物に酷似していた。それも、花魁と呼ばれた遊女の物に。
白い薄手の着物に袖を通す。次は黒い着物。そして最後に、豪華で美麗な赤い着物。それには、金糸で幾つもの小さな蝶と、裾の辺りに一際大きな蝶が刺繍されていた。アルベドは知っていた。黄金の蝶が何を意味するのか。それは、自分の愛する者。煉獄の王ビクトーリア・F・ホーエンハイムの旗印。
その衣装を、これまた豪華な装飾の入った帯で飾ると、白銀のガントレットとグリーブを着用した。
そして、クローゼットに残された二つの物を手に取る。一つはフラッグポール。ポールの先端には、金糸で彩られた翼と角の刺繍が施された黒い旗。このフラッグポールは、通常アルベドが使用しているバルディッシュと同じ物の、外装を弄った代物だ。
そしてもう一つ。眼の部分だけくりぬかれた白い仮面。アルベドはその仮面を抱きしめ
「愛しのリリー・マルレーン」
タブラ・スマラグディナが、ビクトーリアへの思いと共に、昔呟く様に歌っていた歌詞の一節を口にする。アルベドが今、身に纏う装備の中で、唯一創造主が製作していないのがこの仮面。アルベドの誕生を祝して、ビクトーリア自身がタブラに送った物だ。その効果は、情報の遮断、及び偽装と言う物。その仮面を胸に抱きながらメッセージの呪文を発動する。
『はいはーい』
甘ったるく軽い返事が返って来た。
「私よ。準備は整ったわ。ゲートをナザリックに繋げなさい」
『りょーかーい』
メッセージを終了し、次は転移門の管理者、オーレオール・オメガに繋げ、クレマンティーヌが発動したゲートを繋げる様に、アインズの名前で指示を出す。
「準備は整ったわ」
そう言って笑みを浮かべる。その微笑みは、子を守る獅子の様であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
~バハルス帝国 王城廊下~
「しかしのうイサブロウや」
「何です陛下?」
「ゴリラの呼び名を変えねばならぬのう」
突然の言葉に、イサブロウは首を捻る。
「だってそうじゃろ。本物が帝国におったのじゃから」
「陛下、ひょっとして………………バジウッド殿の事ですか?」
バジウッド・ペシュメル。帝国四騎士。今では三騎士と言った方が正しいのだが、その内の一人、雷光を名乗る物だ。
「もう一人おったじゃろ。確か………………ナザ……」
「ナザミ・エネック殿。不動と呼ばれる御方でしたな」
イサブロウの言葉に、リリー・マルレーンは一つ頷くと
「アレらが真にゴリラと言う者よ。我が国のゴリラでは、いささか力不足と言う物」
「ほう。では何と?」
「……………………コンドウ、かのう」
そう言うリリー・マルレーンの言葉に、イサブロウは首を傾げる。
「陛下。意味が解りませんが?」
「うむ。コンドウとは、古来からゴリラを生業とする者達の総称じゃな。シュウジしかり、イサミしかり、イサオしかり」
「成程。シュウジやイサミ、イサオは、人名なのですな。では今後、ハーマン殿の事はコンドウと」
イサブロウの言に、リリー・マルレーンは大きく頷いた。
「では、新しい火滅と陽光の隊長はいかが致しましょう?」
この問いに、リリー・マルレーンはそうか、と思い至る。帝国に来訪する前、法国では二つの人事異動が行われていた。火滅聖典と、陽光聖典の隊長の交代である。陽光聖典は、ニグンが隊長職を辞した後、副隊長が繰り上がったのだが、自分には荷が重いとの直訴により選び直しとなった。
火滅聖典に至っては最悪の状態で、先の法国を最も引きずっている様な男だった。リリー・マルレーンは、その男を閑職へと回し、結果二つの聖典の隊長が選び出される事になった。
選考は火滅、陽光、漆黒を除く三聖典の隊長とリリー・マルレーンで行われ、ゴリラ改めコンドウの下に居た問題児二人が選出された。リリー・マルレーンは件の二人の顔を思い出しながら
「コンドウの下に居たのじゃ。ヒジカタとオキタで良かろう」
ケラケラ笑いながらそう言い捨てる。だがその理屈は、エリートであるイサブロウにも解らなかった。そんな心中を覗き見た様にリリー・マルレーンは補足を加える。
「シンセングミ。その括りじゃな。忘れても良いぞ」
「いえ。エリートとして覚えておきます」
「意味はないのじゃがなぁ」と呟くビクトーリアの脳裏に、言葉が飛び込んで来た。
『へーかー。肉奴隷のクレマンティーヌでーす』
この言葉に、リリー・マルレーンの眉がピクリと跳ねる。
「雌猫。人聞きの悪い事を言うでは無い」
『そーお? じゃあ、愛人のクレマンティーヌでーす』
「ほう。ならば正妻は誰じゃ?」
『一号がアルベド様でぇ、二号がアンチクショウ』
「………………」
『じょーだんだってばぁ。ちょっとコッチでキナ臭い事になっててさぁ……』
リリー・マルレーンの眉が再び跳ねる。リリー・マルレーンは沈黙で答え、クレマンティーヌはそれに応答する。
『今、ダーク・エルフの集落に居るんだけどさぁ、そこにダーク・ドワーフが逃げて来てさぁ。そんで話を聞いたら悪魔の軍勢が攻めて来るって言うじゃない? どうする? 陛下』
クレマンティーヌに暫し待てと命を出し、イサブロウへと向き直る。
「イサブロウ。悪魔が多数現れたと言う情報は上がっておるか?」
この問いに、イサブロウは顎に手をやり暫し考えた後
「ありませんね」
簡潔に答える。
「では質問を変えよう。悪魔達は、大量に湧く物か?」
イサブロウは黙って首を横に振る。そしてリリー・マルレーンの視線は、ヴァイエスト、セイレーン達へ。それを受け止め、三人は同様に首を振る。
「左様か。ならば、何者かの手引き、と言う事じゃな」
そう言ったリリー・マルレーンの顔を、イサブロウは直視出来なかった。それほどまでにリリー・マルレーンの怒りは深い物だったからだ。
虚空からフリントロック短銃を取り出すと、迷い無く引き金を引く。破裂音と共に、暗闇が現れる。
「イサブロウ、後は任せる。メロディ、また子、付いてまいれ。ノリスケはワカメに繋ぎ一族を動かせ。落ち合う場所は、うぬの魂魄が彷徨っておった森じゃ。使いの者を送る」
「「畏まりました」」
その言葉を合図に、リリー・マルレーン、ヴァイエスト、サイレンは闇に消えた。
~スレイン法国 最高神官長執務室~
ニグンが日常業務の書類仕事をこなしていた時、眼前に闇が産まれた。通常ならば驚くべき事なのだろうが、ニグンに取っては当たり前の事であった。
「おや我が王よ何用で?」いつも通り軽口で対応しようとしたが、その意思は一瞬にして消し飛んだ。急ぎ立ち上がると、現れたリリー・マルレーンの前に膝を折る。リリー・マルレーンは、その姿を視界に収めると
「ニグン。火滅と陽光の隊長を呼べ。聖典を動かす」
「皇の御心のままに」
言うや否や、ニグンは足早に退室して行った。そしてリリー・マルレーンも同様に、謁見の間へと向かった。
~神宮殿 第一塔 法王謁見の間~
リリー・マルレーンが赤いドレスを揺らし謁見の間のドアを開けると、二人の聖典隊長はすでに到着していた。
「キサマら、火滅と陽光を動かす。場所はアベリオン丘陵近く。全軍を持って悪魔の軍勢を殲滅しろ」
「あぁ? 何言ってんだ。俺達火滅は国の守りだ。なんでアベリオン丘陵くんだりまで出向かなきゃいけねえんだよ」
「まあ、俺達陽光は殲滅部隊。陛下がやれって言うなら従いますがねぇ」
火滅聖典隊長ヒジカタは憮然と、陽光聖典隊長オキタは飄々と、それぞれの心境を隠す事無く口にする。
――ヒジカタは三十台前半、オキタは二十代後半。二人とも剣の腕は超一流で、漆黒聖典に入っても可笑しくは無い人物だ。だが、その素行不良が原因でどこの聖典でも持てあまされ、結局は人の良い水明聖典隊長ハーマン、いや、コンドウに拾われたのだ。――
リリー・マルレーンはヒジカタの胸倉を掴み柱に叩きつけると
「かの場所が法国の土地ならば良いのだな? V字前髪」
「ああっ!」
それでもヒジカタは屈しない。
「ああっ、では無いわ! 答えろヒジカタ! かの場所が法国の土地ならば良いのだな?」
細腕でヒジカタの身体を持ち上げる。息が詰まり、呼吸が困難な状態でヒジカタは短く「ああ」と肯定の意を告げる。リリー・マルレーンは投げ捨てる様にヒジカタを解放すると
「雌猫、妾じゃ。早急にその土地を手に入れろ。代金は、そうじゃなぁ、ダーク・エルフとダーク・ドワーフ全員の命と繁栄」
メッセージを繋げてから約五分。返事が返って来た。リリー・マルレーンはそれを沈黙で受け取ると、二人の隊長と向き合う。
「交渉は締結された。今、この時より彼の地は法国の領地である。これで問題は無いな、ヒジカタ?」
こうも手早く無茶苦茶に外堀を埋められては、最早ヒジカタは頷くしかなかった。それを確認し、リリー・マルレーンは背を向ける。
「本日中に出立せよ! 作戦の目的は、敵悪魔の殲滅! 一匹残らず塵と化せ! 法皇リリー・マルレーンの勅命である!」
退出して行った法皇の背を見送り
「なかなか面白い陛下じゃありやせんか。そう思いませんか、ヒジカタさん?」
「ヒジカタって俺かよ?」
「ええ。そうらしいですぜ。ちなみに、俺の事はオキタと呼んでくだせぇ。それで、どうです?」
問われ、気分を害した様に一度舌打ちをし
「無茶苦茶なヤツだ。だが、悪くない」
唇の端を僅かに上げ、そう言葉にした。
リリー・マルレーンは執務室へ向かう間も、今回の黒幕について考えを巡らす。だが、その人物はすでに判明していた。ヤルダバオトと名乗った悪魔。クレマンティーヌがダーク・ドワーフから聞き出した情報から導き出される人物は一人。
「舐めおって。あれほど言っても解らぬか。忠を履き違えた馬鹿者が。タダで済むと思うなよ………………デミウルゴス」
戦いの火蓋は切って落とされた。
感想お待ちしております。
補足、コンドウ シュウジさんは、プロレスラーの方です。
キングコングと呼ばれています。