桜花聖域で目覚めた翌日、デミウルゴスは緊張感に苛まれながら第九階層の廊下を歩く。
そして、あるドアの前にたどり着くと、ネクタイを正し、さらなる緊張感を持ってドアをノックする。すぐにドアが開かれ、本日のアインズ様当番のメイドが顔を出した。用件を伝えると、すぐに許可が下りデミウルゴスは部屋の中へと歩を進める。
「どうしたのだ? デミウルゴ――」
デミウルゴスと言おうとしたアインズの言葉が途中で止まる。その理由は、デミウルゴスの姿にあった。
ビクトーリアの
「ど、どうしたのだデミウルゴス! お、お前、その顔……」
アインズは驚きを顕にする。後半、演技を忘れるほどに。
デミウルゴスは苦笑いを浮かべながら事のあらましを説明する。もちろん、かなりぼかしてだが。
「ふむ。お前が先日提案した現地亜人のLv調査において、少々やり過ぎて、プッ、ビッチさんに、ププッ、怒られ、プププッ。殴られた、と?」
「はい」
アインズの言葉に、デミウルゴスは
「あー、いや、すまんな、デミウルゴス。お前の受けた罰が、あまりにもウルベルトさんと似ていてな」
「ウ、ウルベルト様とですか?」
デミウルゴスの問いに、アインズは顎に指を当て暫し考える様な仕草をした後
「あれは何時だったか、ウルベルトさんが人間、そう人間に宣戦布告をしたのだ」
「おお!」
デミウルゴスが感嘆の声を挙げる。
「その時、攻撃の手段として使ったのが、第十位階の
「流石はウルベルト様」
「だがな、一つ誤算があったのだ」
「!」
デミウルゴスの顔に、緊張が走る。
「その人間達は、初心者………………非常にLvの低い者達でな、うっかり全滅させてしまったのだ。その時、たまたま居合わせたビッチさんに、殴られたそうだ。やり過ぎだ、馬鹿者! と言う言葉と共に、な。」
そう言うアインズは、酷く楽しそうで
「ナザリックに帰還したウルベルトさんを見て、皆で笑った物だ。何せウルベルトさんのHPは、一桁まで削られていたのだからな」
言葉を聞き、デミウルゴスからは冷や汗が流れる。まさか、親子共々同じ失態を犯し、同じ理由で叱られたのだから。
「ははっ」
最早、デミウルゴスからは乾いた笑いしか出て来なかった。穴があったら入りたい。まさに、そう言う心境だった。
「おっと、話が逸れたな。それでデミウルゴス、用件は何だ?」
アインズの軌道修正に対し、デミウルゴスはうやうやしく腰を折ると
「はい、アインズ様。ダーク・エルフ、ダーク・ドワーフ共に、リザードマンとの差異は感じられませんでした。しかし、ごく一部の者は脅威になる可能性を秘めておりました。」
デミウルゴスの報告に、アインズは一度頷き「そうか」と了承の言葉を口にする。だが、デミウルゴスの報告はそれだけでは無かった。
「それとスレイン法国の事なのですが……」
「うん? あの国がどうした?」
アインズの問いに、デミウルゴスは表情を引き締め
「彼の国は、ビクトーリア様が責任を持って見守る、との事で………………」
「どうした? 遠慮せずに言え」
アインズからの許しを受け、デミウルゴスはビクトーリアからの伝言を口にする。
「もし、干渉しよう物ならば、そのあばら骨でギロの演奏会を開催してやる! と」
「えーー」
(あいつの事だ、やると言ったら、絶対にやる。俺のあばらがギロになるどころか、頭蓋骨を打楽器に、掌をカスタネットに、足の裏をシンバルと化し、世にも奇妙な不協和音の演奏会を開始する。)
「そ、そうか。では、法国はビッチさんに任せよう。………………それにしても……デミウルゴス、お前は何時からビッチさんに敬意を払う様になったのだ?」
アインズの問いにデミウルゴスの心拍が跳ね上がった。それどころか、大量の汗が額を伝い、本体、もとい、サングラスの中で目が泳ぐ。それはそれは縦横無尽に。誰も居ない巨大な露天風呂で、一人大はしゃぎする子供の如く。デミウルゴスは、ゆっくりと本体、いや、サングラスの位置を直すと
「ははっ。何を仰いますかアインズ様。私は最初からビクトーリア様を敬愛申し上げてりますよ。ははっ、ははっ」
ぎこちない言葉と共に、デミウルゴスは乾いた笑いを浮かべる。
(あー、これは、ずいぶんこっぴどくやられたなぁ。一度火が付くと、ビッチさん手加減しないからなぁ。ウチのギルドで、ビッチさんにやられていないのは………………やまいこさんくらいかぁ。後で、ねぎらってやら無いとなぁ。見ているコッチが可哀そうになって来るよ)
そんな思いを胸に秘め、アインズは右手を僅かに挙げると
「御苦労だったデミウルゴス」
この言葉で報告会は終了となった。
アインズの部屋を出たデミウルゴスは、礼を持って扉を閉め、十メートル程廊下を歩くと、壁に寄りかかる様に蹲る。その弱り切ったデミウルゴスに、二つの影が近付く。
「あれ? デミウルゴスじゃん。どうしたの!」
「あ、あの、大丈夫、ですか?」
第六階層守護者、アウラとマーレであった。デミウルゴスは、声のする方へとゆっくりと振り向き。
「あぁ。あなた達、でしたか」
そう言うデミウルゴスを、二人は憐みの瞳で見つめる。今のデミウルゴスは、なんかもう、疲れ果て幾分げっそりとして見えたからだ。
「何があったのさぁ」
アウラが代表して聞くが、デミウルゴスは首を横に振り
「同じ階層守護者として忠告します。あの方には、ビクトーリア様には決して逆らってはいけませんよ」
「え? それってどう言う――」
再び問いかけるアウラの言葉を遮る様に
「あの御方は、我々の創造主そのものですよ。私は言葉を聞き違えていました。ビクトーリア様の仰った血肉を食らったと言う御言葉は、咎などでは無く、私達の創造主、ウルベルト様やぶくぶく茶釜様の、心と意思を受け継いだ、と言う事だったのですよ」
「「ええーー!」」
双子の声が重なる。
「覚えておいて下さい。ビクトーリア様には、私達の創造主様の意思が、思いが、宿っているとぉぉぉーーー」
その言葉を最後に、デミウルゴスは意識を手放した。ここ数日の心労ゆえに。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ビクトーリアは、久々に我が家とも言える星青の館に戻って来ていた。御供の者は居なく、いや、恐らくタナトスはいるだろうが、連日の激務の疲れを癒すために、二日程ダラダラすると決めていた。ちゃっかりと法国の食糧蔵から、酒を拝借すると言う事も忘れずに。
懐かしき我が家を見つめ、そのドアのノブを回し、扉を開く。後は適当な肴を用意して、自室でのんべえを気取るのみ。そんな晴れやかな気分で、屋敷に一歩踏み入れる。
「あら? いらっしゃいませ」
聞き覚えの無い声がかけられた。そして、その物と視線が交差する。箒を持ち、メイド服を身に纏った、白い蜥蜴と。
ビクトーリアは「おじゃましました」と小さな声で告げ、ゆっくりと扉を閉めると、脱兎の如く駆け出した。近隣の木の陰に身を潜め
「モモンガァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」
呪文を介しての大絶叫を伝えた。
『ノウォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!』
そいて、受けた方も驚きの声を上げる。
「モモンガ! モモンガ! モモンガ! モモンガァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」
『え? ビッチさん? どうしました?』
「モモンガ! モモンガ!」
どうにも要領を得ない。アインズは溜息を一つ吐くと、対ビクトーリア用の魔法の呪文を口にする
『落ち着け駄巨乳! やまいこさんに連絡するぞ!』
「す、すいません! もうしません!――――あれ?」
『落ち着きましたか?』
「う、うむ」
『それで、どうしました?』
アインズの問いに、ビクトーリアは一度喉を鳴らし
「あのね、わたしの家にね、白くてね、でっかいね、ウーパールーパーみたなのがいるの。そんでね、メイド服着てね、掃除してるの。それでね、いらっしゃいませって、いうの! どーゆうこと! どーゆうこと! 説明せんかい! クソボッチ骸骨がぁ!」
ビクトーリアの絶叫を聞きながら、アインズは「ああ」と思い出す。リザードマンの適性を見る為に、色々な仕事をさせていた事に。ビクトーリアにすぐに行くと伝え、アインズは転移の指輪を発動させた。
アインズが館に到着した時、ビクトーリアは未だ木の陰に隠れていた。あの魔女と呼ばれた者が、まあ可愛らしい事で。記録用のスクロールを持って来ていない事が、悔やまれる様な姿であった。
「ビッチさん」
アインズは思い切って声を掛ける。錯乱状態なら、いきなり襲って来る可能性も考慮しつつ。聞きなれた友の声に、ビクトーリアはゆっくりと視線をそちらに向ける。
「モ、モモンガ?」
「ええ。今はアインズですが」
そう答えるアインズの声など聞いていないと言うばかりに、ビクトーリアは館を指差す。アインズは一度頷くと、館へと消え、扉が開いた時には、あの珍獣と共にいた。
「ビクトーリアよ。この者はクルシュ・ルールー。リザードマンだ」
「へ?」
アインズの言葉に、クルシュは驚いたように瞼をパチクリさせると、一歩前へと出
「ビクトーリア様、この度は我らリザードマンの命を御救い頂き、全部族を代表し感謝を」
そう言ってペコリと頭を下げた。
だが、そう言われても、ビクトーリアには身に覚えが無い。
「あのー、モモンガさんや。」
「アインズです」
「そのアインズですさんや、この人は何を言っておるのじゃ」
困惑するビクトーリアに、アインズはテラスの椅子に座る様に進め、お茶を入れて来たクルシュと共にリザードマンの村での経緯をビクトーリアに語って聞かせた。
「ほう。あのコキュートスがのう」
「ああ、私も驚いた物だ。まさか、土壇場になって計画の変更を告げられるとはな」
クルシュの前であるからか、アインズは支配者モードで会話を続けている。
「では、うぬが貸したアンデッドの軍勢は?」
「結局は一度も戦闘せずに終わったな」
そう言って「ふふふ」と笑う。その笑い方が支配者の笑いだと思っているのだろう。ビクトーリアは思いっきり茶化してやろうかと思ったが、クルシュの手前止めてあげる事にした。自分の優しさに感謝しろと思いながら。
「それで?」
ビクトーリアが先を促す。
「ああ。何度かの示威行為によって、彼らの緊張感と危機感を高め、最後の詰めとして私も使われたのだよ。ふふふ、素晴らしい成長だろう?」
「ほう。それが最後の引き金となって、同盟状態だったリザードマン達は、一致団結した訳じゃな」
「ああそうだ。その後で、コキュートスは一族の代表を選ばせ戦った」
「成程のぅ。して、被害は?」
「死亡者三名、だな」
「怪我人を含めると?」
ビクトーリアが尋ねると、アインズは顎に手をやり、暫し考えた後。
「最初に行った宣戦布告の混乱で五十名程と聞いている。まあ、ほとんどがかすり傷程度だがな」
それを聞いたビクトーリアは、ティーカップに口を付けると
「死した者達は?」
「うむ。三人の内の一人は、全リザードマンの族長として、彼の村にいる。他の二人は……」
今まで流暢に話していたアインズが言い淀む。ビクトーリアに嫌な予感が湧きあがる。一体何をしたのだろうか? まさか本当にアンデッドの製作実験を?
「あー、そのー、ハムスケと修行しています」
「は?」
「ですから、ハムスケと修行中です」
「ハムスケ。ハムスケ。ああ、モモン専用のメリーゴーランド!」
「やーめーてー!」
結果を言えば、リザードマンの村への襲撃に対し、コキュートスが猛烈に反対したため、アインズは全ての作戦をコキュートスに一任した。そしてコキュートスは、自身の強さを見せつけ、繁栄を対価とし支配下に入る事を要求したのだと言う。そしてリザードマンの村は、ほぼ無血開城の体を見せ、無事ナザリックに併合されのだ。
「成程。見事な采配じゃったな」
そう言うビクトーリアを見、アインズは僅かに笑みを浮かべ
「ビッチさんの入れ知恵でしょ。コキュートスから聞きましたよ」
モモンガの口調でからかう様に言葉を投げかける。
それに照れたのか、ビクトーリアは頬を掻き立ち上がる。
「さてと、妾は二日程自堕落に暮らすからの。決して邪魔をするではないぞ!」
そう宣言して館へと消えて行った。
「面白いヤツであろう?」
アインズはクルシュへと言葉を掛ける。
「はい。それに、とても照れ屋なんですね」
そう言って二人は笑うのだった。
ビクトーリアは照れ隠しからか、若干憤慨した様に自室のドアを開ける。
「まったく! あ奴らは揃いも揃って妾で遊びよって」
文句を口にしながら入室し、ドアと向き合い閉じようと腕を前へと伸ばす。その瞬間、後から誰かに抱きつかれた。
「誰!」
瞬時に攻撃に移ろうとした時、聞きなれた笑い声が聞こえた。
「くふぅぅ」
ビクトーリアの背筋に冷たい物が流れる。自分の記憶が確かならば、この声は性欲の権化。愛欲の通い妻。守護者統括 アルベドの物だ。
ゆっくりと後ろに視線を向けると、予想通りの者が居た。それも全裸で。
そしてその者は、ゆっくりと、ジリジリと自分をベッドの方角へと引きずって行く。ビクトーリアは床に這いつくばり、腕の力で脱出を試みる。
「照れなくても宜しいですわ。夫婦ですもの。くふぅぅ。さあ、ア・ナ・タ」
外へと伸ばされたビクトーリアの腕は、徐々に自室へと引き吊り込まれ………………ドアが閉じた。
その時、一階エントランスに飾られた花が一凛ポトリと落ちたのだった。
「あっ! そう言えば」
「どうしたクルシュ?」
「アルベド様がいらしている事を、お教えするのを忘れていました」
感想お待ちしております。