OVERLORD~王の帰還~   作:海野入鹿

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王都動乱 序章
魔女と蝙蝠


 王都での根回しを一先ず終えたエリアス・ブラント・デイル・レエブンは、馬車で久方ぶりになる自分の領地に向かっていた。その領地、エ・レエブルの空は、どんよりと曇り、今にもぽつぽつと降り出しそうであった。まるで、この後起こる案件を予言しているかの様に。

 

 

 

 案の定と言うか、雨は降り出し、その勢いは増していった。ザーザーと耳触りの良くないノイズが外界を支配し、唯一聞き取れるのは一定のリズムを刻む、蹄鉄(ていてつ)の音のみ。

 

 そんな世界で一人、馬車の車内で男、レエブン候は苦々しげな表情を作る。王都からの帰り道、レエブン候の表情は何時もこうだ。思い返す程に嫌になる。誰も彼もが保身に走り、そうでは無い僅かな者達は、お花畑の住人だ。どんな事があっても、王国が存続すると、繁栄すると思い込んでいる。

 

「愚か者達が。何故に解らんのだ。王国など、帝国がするクシャミ一つで吹き飛ぶと言う事が」

 

 蝙蝠と呼ばれ、内と外のバランスを保ってきたレエブン候には、自分の口が語った言葉が、嫌と言うほど理解出来る。だが、バランスを保つ以外どうする事も出来ない事も理解している。王国の、全貴族の首をすげ替える事など出来はしない、と。

 

 結論の出ない問題を、何度も繰り返す中、馬車の前方からノックする様な乾いた音が鳴った。自身の屋敷に着いた、と御者が告げる何時もの合図だ。

 

 それを切掛けに、レエブン候は思考を切り替える。政治の綱渡りは此処まで、と。これから先は、子煩悩な只の父親に戻る。そう、何時もの様に。

 

 だが、運命の悪戯か、神の気まぐれか、この日そうは行かなかった。

 

 馬車を降り使用人が持つ傘で雨を避け、急ぐ気持ちを隠す様にゆっくりとした歩調で屋敷の扉へと歩いて行く。その道筋で、最近見慣れた物が視線の端に映った。王国の様式とは違う、流麗な細工の施された馬車。スレイン法国の特使の物だ。

 

 どう言う思惑なのか、法国は自分にコンタクトを取って来ていた。だが、何度会談しても、真意は見えない。ただ、法皇の使いだ、と言うに留まっている。今日も同じような言葉が繰り返されるのであろう。レエブン候は、内心ウンザリする思いだった。

 

 扉を開け、屋敷内に足を踏み入れ、最初に目に入った物は、妻の姿だった。普段なら、使用人に出迎えられ、妻と子の下へと向かうのだが、妙な事もある物だ。そんな呑気な事が頭をよぎったのだが、すぐにそれが違うと言う事を知る。

 

 何と言うか、空気が違うのだ。此処は自分の屋敷だ。だが、そこに漂う空気が違っていた。緊張感、と言えば良いのか、そんな空気が取り巻いていた。妻や使用人の表情を、それと無く探ってみても、間違いはなさそうだ。皆、一葉に表情が強張っている。

 

「どうしたのだ?」

 

 何気ない言葉を掛けてみる。だが、答えは返っては来ない。口は開いているのだ、言葉を選びかねている、と見て良いだろう。沈黙が重しとなり、屋敷を押しつぶそうとする。

 

「あ、あなた……」

 

 その時、意を決した様にレエブン候の妻が口を開く。

 

「どうした?」

 

 相槌を打つ様に、レエブン候は言葉を返す。その言葉を受け、迷いを振り切る様に(かぶり)を振り

 

「……気を付けて」

 

 それだけを告げる。レエブン候も理解した。今宵、この屋敷に来ている人物は、そう言う人物なのだと。対応を間違えれば、全てを無くす様な人物なのだと。レエブン候は、安心させるように一度頷くと、使用人に部屋へと案内する様指示を出した。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 客の居る部屋の前で、レエブン候は一度深呼吸をし、気持ちを落ち着けてから、二度ノックをする。乾いた音に続き、「どうぞ」と言う男の声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。あの、イーサと言う男の声だ。

 

 レエブン候はドアノブを握ると、ゆっくりとドアを開け放つ。部屋の中には、三人の男女が居た。一人は特使として、何度も会談を持っているイーサ・ブロン・ササ。もう一人は、ローブをすっぽりと被っていた。だが、身体の線から見て、女性だろう。そして、一人だけソファーに座っている女。

 

 あの、特使として働いていたイーサが、後に立つと言う事は、法国でも相当の地位に就く者なのだろう。もしかすると、神官長クラスの人物かもしれないとレエブン候は考察する。

 

「そなたがレエブン候かや?」

 

 妙な口調で女が言葉を掛けて来た。

 

「ああ、そうだ。私がこの地、エ・レエブルの領主、エリアス・ブラント・デイル・レエブンだ」

 

 レエブン候の言葉に、女は一度頷くと

 

「左様か。お初にお目にかかる、レエブン候。妾はリリー・マルレーン。法皇リリー・マルレーンじゃ」

 

 レエブン候は息が詰まり、声が出ない。地位の高い人物であろうと推測していたが、大物中の大物が直々に乗り込んで来ようとは。

 

 相対してみて解る。此の者は、常識の範囲で収まる物では無い。レエブン候は王国でも名だたる貴族だ。王国王家の者や、諸国の王侯貴族などとも面識はある。だが、目の前の者は誰とも違う。

 

 何気ない仕草が、言葉には出来ない圧力を生んでいる。見ているだけで喉が渇き、身体が凍り付いた様に動かせない。何度も唾を飲み込み、ヒリ付く喉を湿らせ、レエブン候は何とか言葉を絞り出す。

 

「そ、それで陛下は、私に何用で?」

 

 これが現状精一杯の強がりだった。だが、リリー・マルレーンは、そんな事などお構い無しに言葉を紡ぐ。それも、物騒極まりない言葉を。

 

「ふむ。レエブン候、うぬの人となりは、このイサブロウから聞いておる」

 

 そう言ってリリー・マルレーンは、後ろに控えるイサブロウに視線を向ける。そして、腰を浮かせると、再びレエブン候と向き合い

 

「うぬ、王になる気は無いかや?」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、そう言うのだった。

 

「お、王ですと?」

 

「そうじゃ。王様じゃ。どうじゃ? なってみんか?」

 

 リリー・マルレーンの言葉に、レエブン候は戸惑いを覚えながら言葉を返す。再び出会う事の無い可能性の中で、何とかこの法皇の情報を引き出したいと言う思惑を込めながら。

 

「し、しかし、陛下。王になると言われますが、一体どの国での事ですかな?」

 

「はぁ? うぬは鈍いのぅ。それとも、ワザとかや? うぬが王になる場所など一つしかあるまい。ここじゃよ。リ・エスティーゼ王国じゃよ」

 

 レエブン候は再び言葉を失う。何を言っているんだ、と。

 

「お、お戯れを、陛下。この国には、すでに王族が居ります」

 

「その王族が問題じゃろうに。まぁ、問題は王族に留まりはせんがな。しかし、そうなると、少々物騒な手を使わねばならんか。のう、イサブロウや」

 

「王国を焦土に変えますかな? 陛下」

 

 恐らくはワザとなのだろうが、イサブロウの短絡的で効果的な王国殲滅作戦の言を聞き、リリー・マルレーンは眉をひそめる。どうやら、御気に召さない様である。

 

「イサブロウよ、それは短絡的と言う物よ」

 

 リリー・マルレーンの発言に、レエブン候は胸を撫で下ろす。この法皇と言う人物は、決して戦を好む者では無い、と。

 

 だが、その希望は簡単に打ち砕かれる。その、法皇自身の言葉によって。

 

「うぬらは、妾一人を働かせるつもりかや? 王国など、うぬら聖典で焦土と化せばよかろうに」

 

 リリー・マルレーンの不満は、戦をする事では無かった。自分一人が、事を起こす事が不満だったのである。それと同時に、リリー・マルレーン一人で王国を無かった物に出来ると暗に語っていた。

 

 しかし、レエブン候の驚きは、それに留まらなかった。リリー・マルレーンは、法服の袖口から一枚のコインを取り出し、テーブルへと置いた。

 

「それに、武力を使わずとも、これで事足りる、と妾は思うのじゃがなぁ」

 

 そう言ってリリー・マルレーンは、意地の悪い笑みを浮かべる。

 

 レエブン候は、置かれたコインに視線を向ける。それは、良く見知った物だった。王国の発行する銀貨。それが、リリー・マルレーンが提示した物の正体。

 

 だが、それが何を意味する物なのかまでは、レエブン候には推測出来なかった。

 

 リリー・マルレーンは、意地の悪い笑みを湛えたまま、ローブ姿の者へと手を伸ばす。その行動が何を意味する物かを瞬時に理解し、ローブの者は懐の中に持っていた物をリリー・マルレーンへと手渡した。妙に甘ったるい声と共に。

 

 レエブン候は、テーブルに置かれた物を凝視する。それは、天秤量り。

 

 レエブン候が注目する中、リリー・マルレーンは先ほどの王国銀貨を片方の天秤に乗せる。天秤は瞬時に反応し、カタンと言う軽い音と共に、片側を傾かせる。

 

 その様子を見つめながら、リリー・マルレーンは袖口から、もう一枚銀貨を取り出し、もう片側に乗せる。その結果、天秤はゆっくりと傾きを変えて行く。それが示す意味、とは?

 

「な、何をしたのです?」

 

 レエブン候は、絞り出すようにそれだけを口にする。リリー・マルレーンのした事は、おおむね推測はしている。王国を滅ぼす銀貨。こんな事を言われて、想像出来ない者は、統治者として失格以前の問題である。だが、リリー・マルレーンの口からは

 

「さあ、何じゃろうなぁ?」

 

 からかう様な言葉、のみである。

 

 答えてみろ。これはリリー・マルレーンからレエブン候への挑発である。これすら見抜けぬ者とは、手を組む価値は無いと言う。

 

「無断での、純度の切り下げ……」

 

「正解じゃ」

 

 レエブン候の答えに、リリー・マルレーンは小さく拍手を送る。

 

「法国は、王国の経済を握る御積りか?!」

 

「どうじゃろうなぁ? このままじゃと、そうなるかもな」

 

 レエブン候の叱責に、リリー・マルレーンは溜息を吐く様に答える。

 

「妾にとって、今の王国は害にしかならんゆえ」

 

「だから、王国を潰す、と?」

 

「いや。そうすれば、後の統治が面倒じゃ。出来れば、妾達に協力的な王国であってほしいのじゃがな」

 

「それで私に王になれ、と?」

 

「いやいや、そうは言ってはおらん。うぬが王にならんでも、相応しい者を王位に付け、うぬは宰相として諸外国と付き合う、と言う立場でも良い」

 

 レエブン候は口を噤み、リリー・マルレーンの言葉の意味を推考する。導き出される答えは、酷く簡単な物だ。統治は任せる。だが、逆らう事は許さない。酷く不平等な提案だ。

 

 だが、現在の王国を考えてみれば、行く末的には、帝国への吸収である。それを考えれば、王国としての体は保たれる。王国としての威厳も、自身の領地も。

 

 頷くか、跳ね退けるか。レエブン候の心の天秤は、ふらふらとどちらかとも無く傾きを繰り返す。それを理解したのか、リリー・マルレーンが不意に口を開いた。

 

「今、決めよとは言わん。この計画には、今少しの時間を要するのでな。妾はこれより王都に入り、うぬの主人達を見て来る。その結果しだいでは、計画の変更もあり得るのでな。しかし、この話を外部に漏らしたならば……」

 

 リリー・マルレーンがそこまで言った瞬間、背後に居たローブの者の姿がブレた。それと同時に、レエブン候の左脇から刺殺武器(スティレット)が生える。

 

「法国は、何時でも見ておるぞ。その事を努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ」

 

 そう言ってリリー・マルレーンは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるのだった。

 

 その瞬間、レエブン候には全てが解った。解ってしまったと言う方が正しいかもしれない。自分は、もう逃げられないのだと。逃げないと解っていて、リリー・マルレーンに勝負を挑まれたのだと。

 

 最後にリリー・マルレーンは、こう言っていた。

 

「強き者が傘を広げ、全てを守る世界。それが、妾の望む世界」

 

 この日レエブン候は、何十年ぶりに、安らかな睡眠を取る事が出来たのだった。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 ガタゴトと車軸を鳴らし、馬車はエ・レエブルの領地を走る。

 

「しかし陛下。銀貨の密造、一体何時の間に?」

 

 イサブロウが疑問の言葉を口にする。確かにそうなのだ。帝国でのヘッドハンティングは、失敗に終わっている。ダーク・ドワーフにしても、鍛冶場はまだ本格稼働していない。

 

 だからこそ問うのだ。何時の間に銀貨を密造したのか? と。その問いにリリー・マルレーンは、少女の様な笑みでこう返した。

 

「銀貨の密造? 妾はそんな事はしておらんぞ」

 

「で、ですが、先程の銀貨は重量が……」

 

 違っていた。

 

イサブロウはそう言いたかったらしい。だが、言葉は最後まで発せられる事は無かった。

 

「混ぜ物以外でも、重量は変えられるであろう」

 

 リリー・マルレーンはそう言って、銀貨の端を爪で擦る。

 

 その時イサブロウは知った。銀貨云々の話、現時点では全てハッタリであったと。恐らく銀貨に細工をしたのは、リリー・マルレーンの横でほくそ笑むローブ姿の者。クレマンティーヌの仕業であろう。

 

 この人物達は、たったの二人で王国と言う巨大な組織に、レエブン候と言う楔を打ち込んで見せたのだ。この行動に、イサブロウは呆れながらも、身が震える思いだった。

 

 一行を乗せ、馬車は進んで行く。王国の運命が決するまで、後僅か。

 




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