「ここの様です陛下。いえ、ボス」
ぎこち無く、迷う様にヴァイエストはそう口を開いた。その姿を見ているビクトーリアからは、盛大な溜息が洩れる。
「ボスと呼ぶのに、抵抗があるのかや?」
おどける様な言葉に、ヴァイエストは表情を硬くすると
「はい。陛下にはお似合いでは無い様に思います」
ハッキリとした意志表示に、ビクトーリアは満足げに表情を緩め
「ふむ。ならば何と呼ぶ?」
「街中での呼び名あらば、お嬢様がよろしいかと」
「おじょうさまかぁ……。まあ、良いわ。じゃったら、妾は複合商家のお嬢様で、うぬは、その御側付きと言う事で」
「はい。お嬢様」
改めて、互いの立ち位置の設定を済まし、二人は一軒の屋敷へと踏み入る。
その屋敷は、貴族の邸宅程では無いが、それなりの大きさを誇っており、この場に停泊している者は、ある程度以上の身分の者だと言う事が簡単に見て取れた。その雰囲気に、たじろぐ事もせず、ビクトーリアは玄関のドアをノックする。だが、反応は無かった。
留守か? とも思ったが、屋敷からは確かに数人の気配が感じられる。だからこそ、ビクトーリアは遠慮無く、二度、三度とノックを繰り返す。
コンコンと響く音は、屋敷のエントランスに響き渡る。丁度、二階へと向かう為に、その場所を通りかかった金髪、ドレス姿の女性の眉が、ピクンと不快げに跳ね上がった。
今現在、屋敷の中では厄介事が進行中だった。なのに、新たなる厄災が、ドアをノックしているのである。少なくとも、この女性はそう感じていた。苛立ちを隠す事も無く、美しい美術品の様な相貌の眉間に、深く皺を刻みドアのノブに手を掛ける。
「何かしら?」
ドアを開け、女性が発した最初の言葉がコレだった。
不遜に、何も映さない様なドロリとした瞳で、来客に対応する。
その、何も興味が無い様な視線に晒され、ヴァイエストは息を飲むが、その後ろに佇む者は勝手が違う。女性の振る舞いに、すこぶる楽しそうな笑みを浮かべると、女性に向け挑発する様に口を開く。
「ほーう。客に向かって随分な言い草じゃのう。この程度の演技も出来んとは、人選を間違えたかのう。任命責任を問わねばならぬか? のう、ソリュシャン」
その声を聞き、女性、ソリュシャン・イプシロンの瞳は驚きと共に、大きく見開かれた
「ビ、ビクトーリア様!」
ソリュシャンはすぐに片膝を付き、臣下の礼を取る。ソリュシャンがビクトーリアに忠誠を誓っているかと言われれば、否である。この行動は、彼女の主人であるアインズ・ウール・ゴウンの面子を保つ為の演技であり、自身の内から湧きあがる恐怖からの行動であった。
目の前に居るのは、恐怖の具現者であり、自分達とは比べる事も出来ない程の化け物なのだから。
失態だった。ソリュシャンは胸の内で自身の行動を反省する。
どうも、最近の自分は変だ。上手く感情が制御出来ない。全てはあの女のせいだ。上司の拾って来たあの下等生物の。身体の奥底から湧きあがる苛立ちと恐怖に、ソリュシャンの感情はグラグラと揺れる。それが僅かにでも表に出ていたのか、ビクトーリアが疑問の言葉を投げかけた。
「しかしのぉ。ソリュシャン。何があった? うぬがそこまで取り乱すなど……余程の事じゃろうて」
「ビクトーリア様?」
悟られた事に驚き、ソリュシャンは顔を上げた。見上げたビクトーリアは、何か難しい顔をしていた。
「あ、あの、ビクトーリア様は、どうしてお解りに?」
ソリュシャンの問いに、ビクトーリアは一度頷くと
「うん? いや、なに、うぬらのパーソナルを考えれば、一目瞭然じゃろ」
「パーソナル? ですか?」
キョトンとした表情で、ソリュシャンはオウム返しに問いかける。普段はゆとりある様な表情でいる彼女の、レアな顔見を見て満足したのか、ビクトーリアは二度ほど頷き口を開く。
「そうじゃ。うぬらは、基本的に創造主が望んだ性格を基本としておる。ユリならば凛とした態度。ルプスレギナならば忠犬。ナーベラルならばクールと言った様にな」
「は、はい」
ビクトーリアの言葉に、納得がいったのか、ソリュシャンは素直に返事を返す。
「それは、今のうぬらの根幹であり、揺らぐ事を許さぬ物じゃ。その根幹が揺らいだのが、今のうぬじゃ。じゃから解った。……それで、何を悩んでおる。アインズに報告する前に、妾に話してみよ」
そう言うビクトーリアに、ソリュシャンは少し黙り思い悩むが、ポツリポツリと語り出した。
先日、上司であるセバスが
ナザリックに報告すべきと言うソリュシャンに、それほどの事では無いと言うセバス。
ましてや、貴重なスクロールを用いて、その
その結果、
この顛末を、独自の判断でナザリックに報告するか否や、セバスに謀反の意、有りと。
ソリュシャンの話を聞いて、ビクトーリアは「ふふん」と鼻で笑う。これは良い兆候であると。NPC達が、自身の思いと考えで、悩み、葛藤する。いずれ、個として確立してくれればと願うのだった。
それはさておき、ビクトーリアは断りも無く屋敷に足を踏み入れると、ソリュシャンに手招きをする。それに応え、ソリュシャンはビクトーリアの隣に立つ。
「良いか、ソリュシャン。今から妾達は姉妹じゃ。帝国の商家の、長女と次女。分かったかや?」
「了解致しました、ビクトーリア様」
「違う。お姉様じゃ。それと……硬い言葉も禁止じゃ」
「はい。分かりましたわ、お姉様」
「うむ。では、参ろうか」
そう言ってヴァイエストを御供に二人は、厄介事の渦中へと歩を進めるのであった
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「欲を掻くのは問題では?」
客人、いや、災いを運びし者達の言葉に、セバスがそう反論した瞬間、客室のドアが開き、声が響く。
「いや、欲は人の原動力となる。そう馬鹿にする物では無いと思うが?」
背後から聞こえた女性の声に、セバスは瞬時に姿勢を正す。向かいに座り、声の主を視界に納める事が出来た来客二人は、声を失い只見つめるのみ。その中で、先ほど声を発した女性とは違う女性の声が響いた。
「セバス、控えなさい。お姉様が事に当たる、との事です」
微妙にヒステリックな声。この屋敷の女主人、ソリュシャンの物だ。
その声に促され、跳ねる様にセバスは立ち上がり、胸の前に右手を置き、ソリュシャンの言うお姉様を向かい入れる。新たに登場した女は、客人に挨拶もせず、セバスの座っていたソファーにどっかりと腰を降ろすと、不機嫌な声で自分の名を告げる。
「妾はビクトーリア。この者の姉であり、
ビクトーリアの射抜く様な瞳に圧倒され、客人二人は認めるしか選択肢は無かった
「で、では、私は王都の治安管理を受け持っておる、巡回使のスタッファン・ヘーウィッシュである」
肥え太った男が名乗りを上げる。隣に居る、陰気な男は名乗る素振りを見せない。恐らく、話の流れの中で名乗るのだろうとビクトーリアは推察し、声を荒げる事は無かった。
不愉快ではあったが。
「で、何用じゃ。妾達は暇では無いのじゃ。うぬらに対応しておるこの時間も、金は出て行っておるからの」
皮肉を交えながら、最初の一手をビクトーリアは打った。言葉を聞いた瞬間、スタッファンのこめかみがピクリと引き攣った。軽い挑発でコレである。
「いやいや、暇では無いのはこちらの事。だが、犯罪を取り締まるのが、私の仕事なのでね」
「ほう、犯罪、とな?」
ビクトーリアの瞳が、すうっと細く閉じられる。
「ええ。彼、彼はサキュロントと申しまして、どうも後の御仁が、金と引き替えに、彼の店から従業員を拉致したと言うのだよ。これはあれだ、人身売買、と言ってもいいのではないのかな?」
「ふむ。物は言い様じゃのう。妾には、単純なヘッドハンティングに聞こえるのじゃが?」
「いやいや、怪我をした従業員を連れ去ったのですぞ。ヘッドハンティングでは通りますまい」
「ほう。それならば、単なる慈善では無いか」
「さすれば、何故金を?」
喰い下がるスタッファンに向け、ビクトーリアはニヤリと意地の悪い笑みを向けると
「見舞金、じゃな」
馬鹿にするように軽口を叩く。スタッファンは「ぐぬぬ」と呻きながらも、何とか気持ちを落ち着け、話を続ける。
「彼等としては、この度の営業妨害に対し、幾らかの賠償金と損害補償金を受け取りたい、との事で」
足早に話を終わらせようとするスタッファンに対し、ビクトーリアは待てと言葉を投げかける
「まあまあ、話を急ぐでない。事実確認が先じゃ。まず第一に、その従業員とやらをヘッドハンティングしたのが、ウチの
「ほほう、その事ですか。彼が無理やり金を押し付けた、従業員の証言からですな」
スタッファンの言葉に、ビクトーリアは一度頷くと
「ならば、直接証言を聞きたい。彼の者を此処へ」
そう言うのだが、スタッファンは首を横に振った。
「いえいえ。買収などで口裏を合されては、事件の真相究明に支障が出ますので」
やんわりとたが、引き合わせる気は無い様だ。
「成程。彼の者は、すでにネズミの餌か。哀れよのう」
物騒な言葉を口にするビクトーリアに、スタッファンの目が泳ぐ。どうやら、真実の様だ。その行動を、楽しそうに見つめながら、ビクトーリアは言葉を続ける。
「まあ、いない者はしょうがないのぅ。それで、我が家が雇い入れたと言う従業員なのじゃがぁ……」
「人身売買の間違いでは?」
ビクトーリアの言に、沈黙を守っていたサキュロントが訂正をいれた。
「ふむ。あくまでも、そう言い切る訳じゃな?」
「当然の事」
言葉短くサキュロントは呟く。そうであるならば、とビクトーリアの脳は次の追い込み罠の用意に掛る。
「そうであるならば、仕方が無いのう」
溜息を吐きながら、ビクトーリアは諦めたかの様な言葉を口にした。
勝った。サキュロントとスタッファンは目くばせし、自分達の勝利を確信する。だが、ビクトーリアの口から出た言葉は、思いもよらない物だった。
「では、清算と行こうかのう」
「「なに?」」
驚きの言葉を口にする二人に対し、ビクトーリアは「ふふん」と口角を釣り上げる。
「当然であろう。妾としては、今回の事、大事にはしたくは無い。うぬらはどうじゃ?」
「そ、それは……」
「ま、まあ、私としても、サキュロント殿の頼みで来た訳ですし……」
言い淀むサキュロントに、微妙な言い回しの言葉で告げるスタッファン。だが、二人ともビクトーリアの真意は解らない。
「では、此度の件、人身売買や奴隷売買では無く、うぬの所の従業員を、我が家の
「そ、それは、まあ」
曖昧な言葉に踊らされるように、スタッファンが答える。
「それによって生じた損害を、当家に請求するのならば、当然当家も諸費用を請求する。それが手打ちと言う物じゃろう?」
「は、はあ」
「それでは。そちらは、どれほどの金額を当家に請求するのじゃ?」
いやらしい笑みを湛えながら、ビクトーリアは本題を口にする。やっとの事でその言葉を聞けたと、サキュロントが金額を提示し始める。
「まずは、彼女が稼ぐはずだった金額。そうですねぇ、金貨百枚、と言った所ですか」
「ほう」
「それに加え迷惑料として、金貨三百枚。合計……」
そこまで言った所で、スタッファンが言葉を遮る。
「おいおい、サキュロント君。忘れて貰っては困る」
この言葉で、サキュロントは言葉の意味を理解し、こう続ける。
「そうでしたな。スタッファンさん、どうぞ」
それを受け、スタッファンは満面の笑みを湛え、自身の取り分の話を開始する。
「本件を、穏便に片付け様としますと……提出された書類をどうにかしないといけないのですよ」
「ほう」
「それに対して、少々支払が発生しまして、ねぇ」
「ふん。前置きは良い。幾らじゃ?」
「ええ。金貨百枚、程」
そう言って下卑た笑いを顔面に張り付かせる。
「合計、金貨五百枚、か。………………良かろう。払おうではないか」
「「おお」」
歓喜に浸る二人だが、ビクトーリアの言葉はまだ終わってはいない。
「言い値を払ってやるのじゃ、こちらの頼みも聞いて貰えぬか? のう」
ビクトーリアの言葉は、やんわりとした物だったが、その表情は底冷えする様な冷やかさを持っていた。その空気を恐れる様に、スタッファン、サキュロントの二人は、首を縦に振る。
「素直に受けてくれてありがたい。なあぁに、簡単な事じゃ。件の従業員、死んだ事にしてくりゃれ」
「な、なんと?」
ボソリと呟くサキュロントに、ビクトーリアは急ぐなと言わんばかりに言葉を続ける。
「金貨五百と引き換えに、
「いやいや、それでは法が通りますまい」
スタッファンは譲る気は無いらしい。
この態度を見て、ビクトーリアの腹黒い頭脳は回答を導き出す。この二人以外に、まだ、第三者の影がある、と。その者への手柄として、件の従業員が必要なのだと。つまりは、何も与えず、全てを手中に、と言う結果が欲しいのだろう。
「たった一つ、小さな嘘を吐くだけで、金貨五百枚。悪い取引ではなかろう?」
ビクトーリアのこの言葉に、スタッファンが「ぐぬぬ」と唸る。彼の中で、葛藤しているのだろう。後少し、背を押せば……。
「あの者は、重傷であったのだろう? ならば、死んでいてもおかしくは無かろう? 違うか?」
ビクトーリアは、そこまで譲歩するのだが、スタッファンの態度は煮え切らないままだ。
その姿を見続けるのに疲れたのか、ビクトーリアは盛大に溜息を洩らすと、右の指をパチンと弾いた。その瞬間、サキュロント、スタッファンの背後の空間がグニャリと歪み、二人の喉元に冷たい物が触れた。
「な、なにを!」
サキュロントが、小さな声で驚きを示す。方やスタッファンはと言うと、口をパクパクと開閉させるに留まる。そして、驚きを顕にする者は他にもいた。セバスとソリュシャンである。
感覚系の
おもむろに立ち上がると、方手をテーブルに置き、二人へと詰め寄る。
「もお、良い。もお、良いのじゃ。二人とも、待たせたのう。戦争の始まりじゃ。うぬらが手を伸ばした子兎が、いかに高い代償を払う物か、その身で知るが良かろう。雌猫、ヤエモン。二人を連れて行け。イサブロウと共に背後を調べ上げ、妾の前に引き吊り出せ」
表情が消え、淡々と言葉を紡ぐビクトーリアに、クレマンティーヌとヤエモンは深々と腰を折り
「御心のままに」
そう言って二人を拘束し、屋敷を後にした。
部屋に残ったのは、ビクトーリア、セバス、ソリュシャン、ヴァイエストの四人。いや、セバスの拾って来たニンゲンを入れて五人となった。
ビクトーリアは、再びソファーに腰を降ろすと、セバス、ソリュシャンに話かける。
「あ奴らは、妾が対応する。良いな?」
「「畏まりました」」
ビクトーリアの言に、異形の二人は腰を折る。
「それと、セバスの連れて来たニンゲンなのじゃが…………ナザリックに連絡を入れ、一時的にでも保護を申請せよ」
このビクトーリアの判断に、意を唱える者が居た。ソリュシャンである。
「ビクトーリア様、
「黙れ、ソリュシャン。それを可とするか、否とするかの判断を下せるのは、アインズのみである。僕のうぬに、それをどうこう言う権利は無い。もし、うぬが言う様にアインズが考えるならば、許可はせん。それだけじゃ」
「か、畏まりました」
その言葉をもって、ビクトーリアは屋敷を後にした。屋敷を背に歩くビクトーリアに、ヴァイエストが問いかける。
「お嬢様。羅紗の件は宜しかったので?」
「………………」
この言葉で、ビクトーリアは急ぎ屋敷へと引き返すのであった。
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