ナナシがアキラの夢を見るとき、判断に必要な情報はすべて頭の中にある状態で始まる。
今日のアキラは悪魔討伐隊に入隊したばかりの新人だった。
入隊理由は忽然と姿を消した姉を探すため。遊びに来ていたから、すぐ隣の部屋で寝ていたはずなのに気づけなかった。音沙汰ない警察からの連絡。疲弊する祖父母。あることないこと聞いてくる友人、近所の人。心配してくれる人。どうしても諦めきれず、個人的にいろいろと調べて回っていたら、深入りするなと突然現れた悪魔に殺されかけた。頬に消えない痕が残った。悪魔から必死で逃げ回っていたアキラを助けてくれたのは、病室で目を覚ましたアキラをみて安心してくれたのは、タダノヒトナリだった。開口一番、アキラを待っていたのは謝罪だった。
黙っていたことがある、と言われた。そして、シュバルツバースの真実をアキラは知ることになる。悪魔が跋扈する異空間でタダノは選択を迫られた。天使勢力に組みして、文明を放棄して神を盲信する人間になるか。堕天使勢力に組みして、力を盲信する人間になるか。どちらにもならず、人間でありつづけるか。タダノの親友たちはそれぞれ天使、堕天使側につき、シュバルツバースから脱出して世界をそれぞれの思想で染め上げる使者となる道を選んだ。タダノは人間としてシュバルツバースに脱出する道を選んだ。アキラの両親は天使側についた。真実をしる人間がいては困る。どちらの陣営からも狙われ、生きるために戦った。両陣営のリーダーになっていた親友たちに手をかけたそうだ。リーダーを失った彼らの混乱に乗じてシュバルツバースを脱出し、国連に報告、シュバルツバースは人間の持つあらゆる手段によって消滅した。よって、アキラの両親の生死は不明、もし生きていたとしても天使側の人間ということで非合法な形で抹殺されることが許されている。かつてのタダノの親友は、天使と合体して人間をやめ、賛美歌によって人を洗脳する蓄音機と化した。感化された人間も蓄音機となり、ゆるやかに人は人ではなくなる。タダノは手を下したが、それは半人半魔だからできたこと。死んだ人間を復活させることなど彼らにはたやすい。タダノがチカに二度と教会に近づくなと言ったのは、賛美歌に反応したから。賛美歌が聞こえる人間は天使たちが好む魂のあり方をしている。チカは天使たちに誘拐された。そう言われたのだ。
アキラはタダノの推薦で悪魔討伐隊に入隊することになる。年齢や性別を問わず、才能がある人間ならば誰でも声をかけていたのだ。天使側についた人間が真っ先に標的にするのは同じ環境で育つ可能性の高い家族である。タダノが躊躇しなければ、アキラもチカも悪魔討伐隊に入っていただろう。チカが誘拐され、アキラが殺される基準は不明だが、入隊条件である悪魔召還プログラムの起動に成功した。しかも中学生ながら頭角を表すのが早かった彼の片鱗を見たのかもしれない。
国連との仲介役で世界を飛び回るタダノは一緒にいられない。よってアキラにはタダノのかつての同僚であり、自衛隊から加盟したある男が指導役兼目付役としてつけられた。アキラがツギさんと呼ぶことになる男、今の人外ハンター商会創設者の一人、その人である。
ナナシはアキラと呼ばれる。さっさと起きろと怒られる。ナナシはそれを当然のように受け止め、あくびをしながら起きた。
「どうしたんです、ツギさん。今日は非番でしょ?」
「緊急だ」
「緊急?なんだ、いつものことですね。キヨハルさんがまたどこかに行きました?それともケンジさんが奇襲に?」
「昨日の今日だ、さすがにアイツラもおとなしくしてるだろう。今日は違う、繭を見に行くぞ、アキラ」
「え、繭?どうして?」
ナナシは背筋が寒くなる。
この世界のアキラは、東のミカド国で王様になる運命のアキラではないようだ。世界はゆるやかに終わりに向かっていて、人は少しでも長く生き延びるために懸命に戦っている。あまりにも絶望的な世界だとナナシは悟る。
フリンによく似た青年がアキラの記憶にいない。ケンジは堕天使の、キヨハルは天使の啓示を受けて、悪魔討伐隊が分裂するところまでは同じだが、アキラやツギたちは止めることができなかった。天使は殲滅され繭は落ち、チカは繭の中で腐り落ちて死んだ。その反撃に天使勢力に堕ちた某国の核兵器が落ち、シェルターにいた人間以外は全滅。東京は放射能に汚染され、人間はいよいよ地下でしか生きられなくなる。ケンジは悪魔と合体することで難を逃れ、地上で活動しているが、レジスタンスであるアキラたちと食料を奪い合っている。キヨハルは信仰していた天使たちからの答えが核兵器という事実に耐えきれず精神が崩壊し、周囲の苛烈な攻撃に耐えられずおかしくなってしまった。放射能の影響か、地上で悪魔があふれすぎたせいなのか、日に日に悪魔が強くなっている。
アキラが地上で活動できるのは、ケンジと同じ悪魔と合体する道を選んだからだ。地下でしか生きられない人間目当てに襲い来る悪魔人間に対抗するには、手段を選んでいられなかった。人から離れるのであれば、せめてあり方だけは人でありたいと願ったアキラだが、一見すれば悪魔人間となんら変わらない。合体した日からアキラは悪魔討伐隊の仲間以外と交流するのをやめた。悪魔討伐隊で一番小さかった子供である。その人となりは保護下の人間は誰もが知っている。気にしなくても、とかつての記者は笑うが、アキラは首を振った。半分悪魔になったアキラには、目の奥にあるおびえが感知できてしまう。それがつらかった。
「最近、やたらコープスが出るって話は前しただろう。発生源を探ったら、例の繭だと判明した」
「ほんとですか」
「ああ、間違いない。諜報班が特定した情報だ、信憑性は折り紙付きだ」
ナナシは沈黙する。ツギさんは心境をおもんばかって深入りしない。
コープスは複数のゾンビが融合した塊だ。複数の頭が存在するものの、それぞれの意識は自分と他人の区別が付かなくなっており、ひとつの意識になっている。個人のつぶやきが常に響きわたり、そのつぶやきに対する感情がまるで自分のことのように同調してしまう。個人でありながら一つの意識になってしまっている苦悩がいつもうめきとなって漏れ出る。解放してやるには物理的に跡形もなく消失させるのが一番だ。呪殺攻撃の射程にさえ入らなければ、それほど驚異ではない。ゾンビである以上、弱点が多岐にわたる。
近頃、コープスの目撃例が多発していた。特定の悪魔の大量発生は異変の兆候だ。異臭騒ぎがするたびにコープスの徘徊が目立ち、その範囲が拡大してるとなれば早急にたたく必要がある。
冷たい手で心臓を握られた心地がする。ナナシはガントレットを起動させ、魔法攻撃が得意な悪魔を編成する。シュバルツバース調査隊から受け継がれた悪魔召還プログラムは改良が重ねられ、民間人でも使いやすい形になった。悪魔討伐隊が組織される直前にネットにばらまかれた事件でスマホにもインストールできるようになったが、放射能に汚染され、ケンジ陣営にジャミングされる環境ではこちらの方が安定する。
久しぶりだ。
繭の中で腐り落ちた人たちを回収し、埋葬したあの日以来ナナシはあの場所に足を踏み入れることになる。
周囲は腐敗臭に満ちていた。足の踏み場もないほどのコープスたちであふれている。どの悪魔も繭を目指して列をなし、どんどん取り込んで巨大な水たまりがうごいているような錯覚さえ覚える。蠢く不気味なうめき声に耐えきれず、アキラは焼く。シュバルツバーツ調査隊から引き継いだ過酷な環境でも生きられる装備で武装したツギさん、同行した悪魔討伐隊の面々が悪魔を呼ぶなり、異世界魔法を使うなりして焼いていく。蒸発していくコープスたち。しかし、繭を包囲するように中心に向かって進み続けるコープスたちはあまりにも多く、数が足りない。
アキラはコープスたちの声が聞き取れるが、繭に近づくにつれてそれより大きな音が耳を犯す。それは鼓動だった。心臓のように脈打つ繭の鼓動だった。あるいは動揺を隠しきれないアキラの心臓の音だったのかもしれない。
「どうした、アキラ。真っ青だぞ」
「ツギさん、やばいです、これ」
「なにか聞こえたか」
「生まれる、んじゃ、これ」
「生まれ、なんだって?」
「繭が、どくんどくんて、いって・・・・・」
「おい、あき」
音が聞こえなくなった。
あれだけうるさかったコープスたちの声も、ツギさんの声も、仲間の声もなにひとつ聞こえない。ただ響きわたるのは、産声。断末魔にも似た甲高い女の叫び声。アキラはその声を知っている。
いつも悪夢にみたから知っている。
どうして助けてくれなかったの。
どうして殺したの。
アキラ、アタシのこと嫌いだった?
そういって腐り落ちていく姉の亡骸を抱いて、崩れ落ちて号泣する夢ばかり見るからイヤでも覚えている。もう25年も経っているのにはっきりとわかるのは、それだけ大好きなお姉ちゃんの声だったからだ。
アキラは泥に引きずり込まれた。ゆるやかに溶けていく四肢を見て、繭の近くにいたコープスも、ツギさんも、仲間たちも溶けていったのだと悟る。アキラもそうなる運命だと悟る。懸命に抵抗するが、すべては闇の中に溶けていく。知らせなきゃいけない。この泥が地下にまで入り込んだら危険だ。悪魔も人間も悪魔人間もすべて溶けてしまう。キヨハルやケンジに知らせなくては、その意識だけが最期の思考だった。
『アキラ?』
降臨した繭の女が探し求める存在は、もうこの世にはない。
そしてナナシは目を覚ます。心配そうな顔がのぞいていた。
「おはよう、ナナシ」
「・・・・・はよ」
「ずいぶんとうなされてたけど大丈夫?」
「大丈夫じゃねーけど慣れた」
「あはは、なにそれ。そうは見えなかったけど」
飲む?と茶色い液体で満たされたカップを渡される。一発で目が覚めるわよ、と進められる。食欲をそそる香りにつられて口を付けたが、あまりの苦さとえぐみに体が拒否反応を示してせき込む。あーあー大丈夫?とはじめからその反応が来るとわかっていたようで、楽しそうな笑みが浮かんでいた。
砂糖と牛乳の代用先はつっこまないのが暗黙の了解だ。正体を知って喉を通らなくなることは餓死を意味する。もう一度差し出されたカフェラテのレプリカと焼き目のついた紫色のパンを差し出される。間には悪魔の肉が挟まっている。ずいぶんと奮発したようで、ケットシーは取り分が減ったとしょぼくれている。詰め込めるだけ詰め込んだナナシは、身支度を整える。
「今日はどうすんだ?」
「んー、そうね。とりあえず、状態異常と呪殺に強くて、炎の魔法が使える悪魔を調達するわ。降ろさないと」
「は?アンタ、悪魔召還プログラム使えないんだろ?どうやって?まさかオレの仲魔よこせってか?」
「まさか、さすがにそんなことしないわよ。はじめから召還されてる悪魔はその限りではないみたいだし、そもそも悪魔召還プログラムを使ってなきゃいいわけでしょ?ちょっとしたツテがあるのよ。ナナシにも教えてあげるわ。言ったでしょう?生きて帰れたら紹介してやるって」