東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~ 作:ようひ
絵描き大会は日没まで行われた。
慧音の絵を描いた後には、仕返しをするようにオレの絵を描いた。
慧音も筆を取り、彼女はとても繊細で丁寧な絵を描いた。
内容は鉛筆など簡単な物から宇宙という抽象的な物まで。
それでも子どもたちの手は止まらない。
発想と想像がとても豊かで、見ていてとても面白い。
ノートの数十ページに渡りオレたちは絵を描き続けた。
カラスの鳴き声が聞こえたところで、この会はお開きになった。
「いやぁ、楽しかったな」
オレと慧音は、机と座布団の片づけを終え、教室を掃除する。
慧音「本当にな、子どもたちが机を描くときと言ったらもう」
お題が[机]だったときはみんなして机をじろじろと見ていたものだ。
慧音とオレがお題の時も顔をじーっと見ながら描いていた。
その集中力も素晴らしいものだった。
慧音「だが、いきなり私をお題にするな。恥ずかしいじゃないか」
「悪かったよ、オレもお題にされて恥ずかしかった」
慧音「あんなに顔を見て来るのは授業中でも無いからなぁ」
畳を拭きながら慧音は笑っていた。
思えば子どもと慧音とオレで遊んだのは初めてかもしれない。
その時の彼女はまた新鮮で、心の中がじんわりと温かくなったのはここだけの話だ。
慧音「あぁ、本当に楽しかった。少し前を思い出すよ」
「前?」
慧音「あぁ」
掃き掃除を終えた慧音は黒板に歩いて来る。
そして白のチョークを掴み、まだ拭いてない場所にチョークを当てた。
カツン、と鋭い音、少し砕ける。
慧音「昔、ミナトのように寺子屋で働いていた人間がいたんだ」
「へぇ、初めて聞いたぞ」
慧音「それはそうだろう、誰にも言ってないからな」
腕を上下させ、左右に揺らし、白い絵が描かれていく。
それはハートだったり星だったりと、絵というより記号だった。
慧音「その人は子どもが大好きでさ。子どもたちもその人の事が大好きだった。よく昼休みになると中庭で遊んだり、さっきみたいに絵を描いたりしてたんだ」
「…いい先生じゃないか」
慧音「私もそう思う。私は、彼のいた寺子屋が大好きだった」
黒板の記号は増えていく。
意味のある記号ではない、まるで慧音の思考を繋ぎとめるような、手悪戯のようなもの。
繊細な絵、丁寧な記号。
「…その先生は、今はここには居ないのか」
慧音「……全く、君は察しが良すぎる」
遠くで子どもの遊ぶ声が聞こえる。
近くで荷車を押す音が聞こえる。
空には鴉が羽ばたき、黒い羽根が舞い落ちる。
慧音の持つチョークも、破片を落としながら、短くなっていく。
慧音「その人は、突如消えてしまった。音もなく、便りもない。突然の失踪さ」
「失踪……」
慧音「そうだ。今は何処で何をしているか分からない。妖怪に喰われてしまったのか、それとも里の外で生きているかもしれない」
失踪。
その言葉が、オレの中心にある何かを締め付けた。
慧音「だから、私はその人がいたという[歴史]を消した。元々いない人としてその人の存在を書き換えたんだ」
――失踪。
その言葉に、オレは気付いた。
――慧音もオレも同じだ。
失踪する人間はいつも自分勝手だ。
残される者の思いが収束することは無い。
オレと親父。
慧音とその人。
慧音はどんな思いで、その人の存在を、歴史を、思い出を、消したのだろう。
慧音「すまない、泣いてしまった」
「……いいさ」
目じりに涙を浮かべながら、寺子屋の先生が笑う。
慧音「ミナトはこれから妖怪に立ち向かうつもりだろう?」
心臓が跳ねた。
先生という役職は、人の心が読めるらしい。
「……どうしてそう思った?」
慧音「なんで?……なんでだろうな、勘のような、本当に何となくなんだ」
何となくで分かってしまうとは。
慧音とは言葉を使わずとも通じ合う仲になったのかもしれない。
慧音「不思議だ、本当に不思議だよ」
チョークを置いた慧音は、オレのすぐそばまで来ていた。
鼻と鼻が触れてしまいそうな、相手の吐息さえも聞こえてしまうくらいの距離。
「……慧音」
慧音「あまり、無茶はしないでくれ。……お前には、いなくなって欲しくない」
声は湿っていた。
合間に混じる涙の零れる音、啜る息、吐息、ため息、啜る音、涙の音。
慧音「お前が怪我をした時、本当に心配した。命に別状は無いと聞いて、心の底から安心した。私の中で、お前は単なる人間なんかじゃないんだよ」
「……オレは、ただの、人間だ」
慧音「そんな事ない。お前には不思議な力がある。それは子ども達のような人間から、私のような妖怪さえも引き付けてしまうんだ」
窓から差し込んだ夕日が彼女の顔をオレンジに染める。
紅潮しているのか、それとも夕日がそうしているのか、分からない。
慧音「だから、ミナトにはいなくなって欲しくない」
「慧音」
慧音「私は、お前がいる寺子屋が大好きなんだ」
橙と黒の世界で、俺と慧音の二人は夕日に取り残される。
§
慧音「……恥ずかしい事を話してしまったな」
「そんな事無い。話してくれてありがとう」
慧音「や、やめよう。思い出すと、恥ずかしい…」
可愛い反応だ、もっと弄ってやりたい。
でもそうするとけーね先生の頭突き(格闘・威力120・タイプ一致)を喰らいそうなので、やめておく。
「慧音」
慧音「ん、なんだ?」
「オレも、お前がいる寺子屋が大好きだ」
「これからもよろしく」
慧音「……あ、ぁ」
夕日がオレたちに影を落とす。
慧音の顔は、落ちてゆく朱色の珠と同じ色をしていた。
オレもたぶん同じ色をしているのだろう。
慧音「……じゃ、またな」
「……ん、また」
慧音を見送り、オレも自分家への帰路につく。
この後に待っている過酷な道だとは知らずに。
「…しばらく禁煙でもすっかなぁ」
§