東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~ 作:ようひ
「ん……」
ふと、目を覚ます。
辺りはすっかりと暗くなっていて、部屋は灯篭によって仄かに明るい。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
身体に掛けられた毛布は、阿求が掛けてくれたのだろう。
「……」
ナギは目の前の布団で熟睡している。
時間的にはまだ深夜だろうか、変な時間に起きてしまった。
もう一度目を閉じてみる。
眠る。
眠らない。
眠ります。
眠る。
眠るとき。
眠れば。
眠れ!
しかし、眠れない。
(ちょいと外の空気でも吸うか)
毛布を畳み、部屋を出て渡り廊下を歩く。
外は三日月の光に照らされ、淡い色に染められている。
桜の木もまるで白い花びらを咲かせているようだった。
(アン・ドゥー・トロワッ)
音を立てず、抜き足、差し足、忍び足、のスリーステップで玄関に到達する。スリーステップだが進んだのは一歩だけである。
慎重に扉を開け、屋敷の外に出る。
そのまま門へと向かい、吸う予定だった煙草に火を付けようとする。
(……ん?)
ライターを取り出そうとしたが、肝心のライターが見つからない。
いつもは左ポケットに入れているハズなのだが、何処かに落としたか?
思考を巡っている時、妙な音が聞こえた。
――ヒュ、…ヒュ、ヒュン。
(風を切る音?)
それは屋敷の裏側から聞こえてきた。
煙草を箱に戻し、屋敷の裏側に回ってみる。
塀に囲まれたその空間、そこには人影が揺らめいでいた。
上半身をはだけさせ、呼気は荒々しくも安定している、その人影は、息を整え、拳を握る。
あの稗田家の老人がいた。
老人『――シュ!シュウ!!』
恐ろしく速い、鋭い正拳突き。足を踏み込んで薙ぎ脚。懐に潜り込んで肘鉄上段突き――。
そのひとつひとつの動作は洗礼されており、まるで武術の達人だ。
日頃は老いぼれた爺だが、戦闘のプロと言った所か。
老人『――そこにいるのは分かってるぞ』
動きを止めた老人は、一角を睨みつける。
黙っていても無駄だろう、観念し俺は両手を上げながら光に出る。
「……すげぇな、アンタ。いつもこうしているのか」
老人『愚問に答える筋合いはない』
いつまでも強情な爺さんである。
しかし目の前で実力を見せつけられるとこうも足が動かないモンなんだな。
色々と考え、俺の中に出てきた邪な考えをぶつけてみることにする。
「……なぁ、アンタ」
老人『…………』
「愚問でわりぃんだけどさ」
老人と対峙する。
藍色の、鋭い眼光がオレに向けられる。それだけで顔の肌が切れそうだった。
「……オレと、手合わせしてくれないか?」
老人の身体が微かに動いた。
予想もしない事を言われたためか。
しばらくして、老人は顔の前で静かに拳を握った。
老人「……それは、お前を殺していい。そういうことか」
「出来れば、そうだな、生け捕りにするレヴェルで」
老人「……」
返答はない。
老人は無言で、右手左手を構え、腰を落とした。
瞬時に迸る、殺気。
先ほどの視線よりも遥かに鋭く、寒いような、嫌な感じが肌に食い込んでくる。
武術の達人は対峙するだけで相手の力量が図れるという。
(こういうことか……ジジイがデカく見える)
オレも同じようにファイティングポーズと取る。
素人の恰好だが、それでも老人は構えを解いたりしない。嘲笑したりもしない。
ただ真剣に、目の前の人間を敵だとみなしていた。
老人『――いくぞ』
そう老人が呟いた時、既に老人は消えていた。
オレの頭の中で警鐘が鳴り響く。
下が危険だ――と。
「ぐッ――あ!?」
バックステップしようと重心を下げる、その行動は遅かった。
老人の放った正拳が腹に突き刺さった。
まるで腹に巨大な杭が突き刺さったかのような一撃だ。貫通するんじゃないかって思うほどの強烈な一撃。
(あっぶねぇ…患部は避けられたが…)
阿求に処置された腹部を撫で、痛みを堪える。
後ろに下がって体勢を立て直す。
老人は一気に距離を詰め、次の行動に移っていた。
「――くっそォォォ!!」
オレはやけくそにアッパーカットを繰り出す。
目の前にいる老人は、それを見て、一歩大きく踏み込んだ。
――当たる!
老人『――ヒュ!』
ブン、と風を薙ぐ音。
直撃した、と確信したはずの拳は空を切った。
紙一重で身体を捻じって回避した老人、オレ側に15Fの反確。
老人『フッ!!』
オレの右肩と腰が掴まれた、かと思うと。
脚に少しの衝撃、蹴られたのだと察する、そして世界が反転した。
「がッ!!」
地面に叩きつけられる。背中全体に衝撃が走り、草の香りが鼻をくすぐる。
老人は掴んでいた手を放すと、オレの上に仁王立ちをしていた。
老人『これが実力の差だ。身の程を知れ』
「……まだ、終わってねぇぞ」
老人『減らず口を。少しでも動けばその頭を砕く』
「……」
能力も魔法も不十分なオレに、活路は無い。
勝つ方法があるとすれば、老人以上に体術を会得するか、能力で止めるしかない。
オレが無抵抗でいると、老人は退いた。
自分の身体なのに、石化したように動かない。血の一滴も流れていない。なのに、動かない。
老人『早く稗田家から出ていけ。阿求様は忙しいのだ』
「……その割には嬉しそうにオレ達を介抱してくれるんだけどな」
老人『表向きは、だ。裏では膨大な業務が待っておる。故に、邪魔するな』
「アンタのエゴって奴ね」
老人『……減らず口を、次は殺す』
再び殺気を感じた。
これ以上余計な事を言えば本当に殺されてしまうような気がした。
身体を起こし、顔の汗を拭う。
ひんやりとした夜の風が気持ちいい。
老人は既に別の鍛錬に取り組んでいた。
「……いつか、超えて見せるさ」
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