東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~ 作:ようひ
夜風は生暖かく、じっとりと肌に絡みついて来る。
まだ昼間の熱気は抜けておらず、夜の温かさが人里を包んでいた。
妹紅「……いい子じゃあないか、ナギって子」
お互いに煙草を掌の炎で着火し、白煙を吐く。
里の道は人の影すら見当たらない。
「まぁ、育ちはいいからな。まさかそれを言うためにオレを連れ出したのか?」
妹紅「それもあるが、また別の件さ」
「別の件?」
妹紅は煙草を挟んだ指をオレに向けた。
妹紅「昨日の夜、と言っても深夜だが、稗田家の爺さんと喧嘩してただろ?」
オレの脳裏にあの夜の光景がフラッシュバックする。
格闘家の片鱗を肌で味わった日だ――実際に肌そのもので体感したが――妹紅はそれを言っているのだろう。
「あの場にいたのか」
妹紅「あぁ、爺さんは私の存在にも気付いていたみたいだ」
[そこにいるのは分かってるぞ]というセリフは、オレだけでなく妹紅にも向けられていた訳か。
恐るべし稗田家の護衛。感知レベルが段違いである。
「で、それを見た妹紅さんはオレに何を?まさかバカにしようって訳でもないだろ」
妹紅「ま、簡単な話さ」
話している内に、里の喫煙所に辿り着いた。
妹紅は掌で短くなった煙草を握りつぶし、灰に還る。
妹紅「あの爺さんよりも強くならないか――ってな」
「それは即ち格闘術を伝授しようと?」
妹紅「物分かりが良くて助かる」
置いてあった灰皿にオレは煙草を押しつぶした。
目の前で妹紅は身体を伸ばしている。
妹紅「あの爺さんは格闘術の達人だ。さすがは長年稗田家を護っているだけある」
「あんなカタブツにはなりたくないがな」
妹紅「だから、ミナトにはそれなりの格闘術を教えようと思ってな」
というと、妹紅は両足を閉じ、両腕を開いた。
十字架を彷彿とさせる佇まいは、従来の戦闘態勢とは違う。
妹紅「まずは自由演舞だ。かかってこい」
「……オレに女を殴らせるのか?」
妹紅「あぁそうさ?」
(……殴れるものなら、ってか)
若干の苛立ちを覚えながらオレは両足を開き、拳を引いた。
「では失礼……ッ!」
一気に距離を詰め、妹紅の顔面めがけて拳を奮う。
あの爺さんを想定して、正味素早い正拳を繰り出した。
ヒュ、と風を切る音。
妹紅の顔は、オレの拳の数寸そばにあった。まさに紙一重。
妹紅「ふむ、まあいいんじゃないかな。少し重心が傾いているけど」
「……ふッ!」
妹紅「おっと」
今度は左手で妹紅の脇腹を狙う。
が、同じように彼女の身体は拳の隣にあった。
「アリ!アリアリ!!」
素早いジャブからの一気に間合いを詰めてボディーブロー。
それらも全て紙一重でかわされていく。
「アリアリアリアリアリアリアリアリアリ!!」
連撃を決めていく。
妹紅が身体をずらす場所めがけて拳を突きつけるが、どれも当たらない。
「嘘だろ――うぉ!」
妹紅「ま、そうなるよな」
直後、一気に肉薄した妹紅がオレの右足を払った。
いともたやすくバランスを崩し、その場に倒れ込んでしまう。
妹紅「まずミナトは”脚”から鍛えろ」
「脚?」
妹紅「格闘術での基本は下半身さ。下半身は全ての動作に置いて起点となり、足だけ見ればその人が次にどの動きをするのかわかる。だから、まずは強靭な脚を手に入れろ」
「なるほどパンチ!」
妹紅「いい反骨精神だ」
不意打ちもあっけなく嘲笑交じりにかわされる。
「……なるほどね」
その時、妹紅の脚が円を描くように90°回転し、彼女の身体も同じように回転している事に気付いた。
妹紅「見えただろ?これは脚だけでかわす武術の基本だ」
「……[扣歩]と[擺歩]ってやつか」
昔読んでいた少年格闘漫画にこんな技があった。
その漫画の主人公は扣歩と擺歩を取得するまで1か月ほど扣歩と擺歩を行っている。
これを会得するのが格闘術としての第一歩だ。そう妹紅は言いたいのだろう。
妹紅「とりあえず、身体でこれを覚えろ、以上だ」
「アパ!」
変な返事だな、と笑いながら妹紅はオレを殴り飛ばした。
いきなり扣歩と擺歩を会得するのは無理な話である。
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