東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~ 作:ようひ
慧音「――よし、授業終わりだ」
慧音のベルの音が鳴る。
『『『ありがとうございましたー!』』』
続いて子ども達の声。
ノートと筆を片付けて、弁当を食べ始める。
「やべ、飯必要か?」
慧音「そうだ。用意していないか?」
「あぁ」
学校は小中まで給食が付いて来る。
まだ外の感覚が抜け切れてないようだ。
慧音「じゃあ、食べに行くか?」
「慧音は用意しているんだろ?」
慧音「普段昼はあまり食べられないから、少なめに用意しているんだ。それは間食にするよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
慧音が子ども達に外食してくることを伝える。
はーい、と子ども達。
そのまま廊下へ出ようとしたとき、
慧音「あぁ、チサト、ちょっと」
慧音がチサトを呼ぶ。
教室で座っていた彼女は、ゆっくりとゆらゆらとこちらに向かってきた。
慧音「足は大丈夫そうだな」
チサト「……」
彼女の手には、筆とノートが握られている。
それを、慧音に渡した。
「いつも渡すのか?」
慧音「あぁ、彼女の道具はここで預かってるんだ」
「そうなのか」
慧音「今日はお父さん、家にいるって聞いたから、送っていくよ」
無言で頷くチサト。
寺子屋は午後にも授業がある。
何故、このタイミングで帰るのだろうか。
オレの疑問を感じ取った慧音は、
慧音「…後でな」
とだけ言った。
オレと慧音、チサトは靴を履いて外に出た。
昼下がりの人里、道には昼休憩であろう人々が行き交っている。
慧音「チサト、歩けるか?」
慧音はチサトの様子を見て言う。
まだ痛みがあるのか、かばいながら歩くチサト。
慧音「手、繋ぐか?」
差し出された慧音の手。
チサトは、首を横に振って慧音から距離を取った。
そして、オレの方へ回る。
(……?)
慧音「…分かった、ゆっくり行こうか」
その距離の取り方が疑問に思った。
オレたちは言葉を交わさずに、人ごみに紛れる。
『野宿の人だー』
『こら、指をさすんじゃありません!』
いや、紛れてはいないか。
相変わらず、人々のオレに対する距離の起き方は露骨だ。
慧音「…なんだか今日は歩きやすいな?」
「…なんでだろうなぁ」
慧音「なぜそんな嬉しそうな顔をしているんだ?」
「さぁ、なんでだろうな」
歩きやすい人混みは好きだ。
ゆっくりと歩く今のオレ達には都合が良い。
§
歩いて行くと、少しして慧音とチサトが立ち止まった。
慧音「さ、着いたぞ」
チサト「…………」
目の前には暖簾の掛かった一軒家があった。
チサトはオレたちにぺこりとお辞儀をすると、その中へと入って行った。
「ここがチサトの家か」
なんてことの無い、オードソックスな一軒家。
暖簾には文字が書かれている。
(何かのお店っぽいな)
中は暗くて見えず、文字も掠れているため、店の内容は分からない。
「チサトの父親に挨拶しなくていいのか?」
慧音「あぁ。私たちはここまでだ…よし、あそこのお店に入ろう」
と言って慧音は反対側の店を指差す。
店に掛かっている赤い暖簾には、白い文字で【無頼】と書かれている。
「【無頼】か」
慧音「ここの定食屋が美味くてさ、つい通ってしまうんだ」
「ホホーウ」
【無頼】と書かれた暖簾をくぐると、こじんまりとした店内に畳が広がっていた。
カウンター10席、座敷テーブルが6組ほど。
店内は結構な年季が入っているようで、ところどころ汚れてはいるものの、老舗と呼ぶにふさわしい雰囲気だ。
座敷テーブルに通され、慧音を先に座布団へ座らせる。
続いてオレがその向かい側に着座する。
座ったと同時に、にこやかな店員から、水とメニューが渡された。
「慧音はいつも何頼んでるんだ?」
慧音「私は天ぷら定食かな。油は控えた方がいいらしいがどうしてもな」
お腹をさすりながら笑う慧音。
(…いっぱい食べる君がなんとやら)
オレは小食でやせ細った女性よりも、よく食べてよく寝てよく笑う女性の方が好きだ。
世の中の女性はもっと食べて幸せを噛みしめた方がいいのに、と思う。
小食もまたファッションなのだろう。
「じゃあオレは、生姜焼き定食で」
店員を呼び、注文を取る。
先ほどの笑顔が素敵な男性店員が、慣れた手つきで注文のメモを取り、落ち着いた口調で復唱していく。
そこに慧音が追加で奈良漬けを注文し、にこやかに対応する店員。
最後に確認を取って、彼は厨房へと消えていった。
水の入ったグラスを慧音に渡す。
「…で、チサトはどうしてあの時間に帰ったんだ?」
慧音「あぁ」
受け取った彼女はグラスに口をつける。
慧音「彼女の家、父親しかいないんだ」
「父子家庭か…母親は?」
慧音「チサトが赤ん坊の頃に亡くなった」
「…そうだったのか」
オレの脳内にちらつく父親の失踪。
父親がいなくなって、家庭を背負わされた母親。
そして、耐え切れなくなった母親は――
(…今はチサトの話だ)
頭の中からそれらを消す。
「ということは、父親ひとりでチサトを育てているのか」
慧音「そうだ、彼はいつも仕事で忙しいんだが、今日は昼に帰っているから、チサトを家に送ってほしいと言われてな」
「いつもは午後も仕事が?」
慧音「大抵はそうだな」
「…チサトのご飯は?」
思い出されるのは、背中に負ぶったチサトの重み。
まるで中身が入っていないように、軽かった。
腕も細く、年頃の女の子にしては小さかった。
慧音「父親も帰ってくるのが不定期だから、昼ご飯が無い時もある。そういう時は私のご飯を食べさせてる」
「…父親の仕事は?」
慧音「実は、私も分からないんだ」
慧音は首を振った。
ただ分かっているのは、家庭が不安定である、ということ。
慧音「チサトは最近寺子屋に入ってきたんだ。こういった家庭事情を知ったのも、つい最近のことだ」
「それは難しいな」
実際の学校でも、家庭の事情で十分に学校に来れない子どもが多い。
経済的理由なら就学援助が降りるが、家庭が機能していないとなると、学校側が家庭の根本から対処することは難しい。
外の世界も幻想郷も、それは同じようだ。
慧音「だから、君がチサトを連れてきたときは、びっくりしたよ」
「道で足を痛めた女の子を放置できるか」
慧音「…キミは優しいんだな」
「人並みにな」
そういっていると、目の前に料理が運ばれてきた。
§
『お待たせしました』
天ぷら定食と生姜焼き定食が置かれる。
どちらも美味しそうに湯気を立てて光輝いている。
「…美味そうだな」
割りばしを慧音に渡し、オレ達は両手を合わせ、
「「いただきます」」
箸を割る。
オレは生姜のタレに絡めた豚肉を口に運ぶ。
(んん……美味い!)
口に入れた途端にツンと来る生姜の香りと、醤油の香りのダブルパンチが心地よく、染み込んだ豚肉がとても柔らかい。
たまらず白米に手が伸びる。
ご飯と一緒に食べたくなるようなおかずは決まって美味しい。
(止まらんッ!!)
食べるのに夢中でお茶碗を持っていると、ふと、慧音の視線に気付いた。
「……どうした?」
彼女もお茶碗を持っていて、さつまいも天ぷらをご飯の上に乗せている。
慧音「いや、キミは美味しそうにご飯を食べるんだなって」
「そうか?あまり意識してないんだが」
慧音「たぶん無意識なんだろう、こう、頬が緩くなるんだ」
オレの頬を指さしながら慧音は笑う。
食べている所を言われるのは恥ずかしいが、なんだか悪い気分ではない。
「…ご飯が美味いからだな」
照れ隠しに生姜焼きを頬張る。
すると、向こう側から箸が伸びてきたかと思うと、
慧音「いただき」
「ん、先生ともあろうお方が生姜焼きの誘惑に負けたか」
慧音「私だって生き物だ、欲望に忠実になるさ。…はむっ」
美味しそうに食べる慧音。
おいしいな、と口元を緩めている。
いっぱい食べる君がなんとやら。
「……じゃ、仕返しってことで」
食べかけのしいたけの天ぷらを強奪(スティール)する。
きつね色のしいたけからは噛むたびに耽美な汁が零れ、贅沢な旨味が口全体に広がった。
そんな事をしている内に、あっという間に皿は空になった。
「「ごちそうさまでした」」
膨れたお腹をさすりながら、幸せそうに口元を緩める慧音。
オレは食後の温かいお茶をすする。
「ここ、良いな。寺子屋から近いし、何より飯が美味い」
慧音「だろう?また行こう、今度は寺子屋の後で一杯な」
「お、楽しみだ」
お勘定を済ませ、オレ達は午後の授業のため、寺子屋へと戻る。
§