東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~ 作:ようひ
「――ッ!!」
一気に目が覚めた。
額からはじっとりと嫌な汗が噴き出していた。
息が荒い、全力疾走した後のような疲労感に襲われる。
(また、この夢か…)
時々見る、悪夢に近い夢。
起きた時にはぼんやりとしていて、すぐに忘れてしまうのが夢だが、この悪夢だけは起きた後もはっきりと覚えている。
悪夢っていうのは、記憶に残りやすい。
いや、オレの場合は、記憶に残った物が悪夢として出て来る。
今回もその例に倣った悪夢であった。
(……クソ)
なるべく早く忘れようと、息を整える。
すると、額に冷たいモノが押し当てられた。
見ると、それは慧音の手だった。
慧音「…熱はないみたいだな」
「…慧音、せん、せー?」
細い、白い、慧音の手。
近づいてくる、慧音の顔。
少し開かれた寝間着の胸元から、白い山が見え隠れしている。
(朝からありがたやありがたや…)
慧音「凄いうなされようだったぞ。起こすのも躊躇うぐらいに」
「…あぁ、たまに寝言がひどくてな」
慧音「そうか。よかった、急患だったらと思って心配だったんだ」
そうごまかすと、慧音の手が離れていく。
悪夢の内容は、今の眼福ですっかり忘れていた。
慧音はどうやら早くに起床していたらしく、台所からご飯の香りがしてきた。
「朝、早いんだな」
慧音「一人暮らしでも、朝ごはんは忘れないようにしているよ」
(一人暮らし、ね…)
慧音の美貌なら男のひとりやふたり簡単だろうに。
オレの脳内に浮かぶ、寺子屋で仕事をする慧音。
それが、男を作らない理由なのだとオレは思う。
慧音「その様子じゃ、キミは朝起きれないタイプだろう?」
「あぁ、朝は鳥がうるさいから苦手だ」
慧音「確かに、彼らは何故朝に鳴くのだろうな」
「恐らく奴らも朝が苦手なんだろう、だから悲痛の鳴き声を上げている」
慧音「まるでキミと一緒だな」
「なにおう」
オレと話しつつテキパキと台所内を移動しながら、朝ごはんを作る慧音。
その姿は、まるで母親のように見えた。
母親。
大変。
睡眠薬。
失踪。
そんな言葉たちが、ノイズのように頭の中を埋め尽くそうとする。
オレは頭を一つ叩いて、現実から逃げないように、立ち上がる。
「…なんか、手伝うよ」
慧音「え?」
「慧音を見てたら、何か手伝いたくなったんだ」
目を見開いていた慧音はゆっくりと辺りを見渡す。
慧音「…それなら、食器の準備をお願いしようかな」
「イエスマム」
頭の中で鳴り響く過去の雑音が次第に遠くなっていく。
(……やっぱり朝は苦手だな)
こうして、ふとしたことで過去を思い出してしまうのだから。
§
(ンッン~、やっぱり慧音のご飯は美味いな!)
慧音の格別な朝ご飯を食し、食後のお茶までいただいた。
慧音も人にご飯を作るのは楽しいらしく、新鮮だと話した。
女性の心理(恐らく母性)に基づく感情なのだろう、つくづく良い女性だと思う。
オレは食器を水の張った桶に入れると、慧音が言う。
慧音「それで、本当に寺子屋を手伝ってくれるんだな?」
「当たり前だ、男に二言はない」
オレの言葉に、慧音は口の端を上げ、頼もしいよと言った。
慧音は既にいつもの青いワンピースに着替えていた。帽子も被っている。
オレも慧音に付いて寺子屋に行こうとする。
慧音「あ、そうだ」
「どうした?」
慧音「寺子屋で働くということは里の住人になるのだろう?」
「まぁ、そうなるな」
慧音「そうしたら、家が必要だ」
「家?」
このまま慧音のお家でぬくぬく過ごすのだと考えていたが、よくよく思えばこんな男が居住むとなると、慧音の方にも厄介ごとが起こりそうだ。
彼女は聖職者なのだから、顔面に泥を塗ってはいけない。
……と思っていたがどうやらそういうことではなく、里の住人として管理してもらうために住民票的な物を作る必要があるそうだ。人間を保護するためだという。
「なるほど、役所的な場所に行けばいいんだな?」
慧音「あぁ、広場から東に進んだ所にある。一緒に行こう」
「いつも助かるよ」
二人で家を出る。
外はなんてことのない、いつも通りの天気だ。
太陽が東に傾き、雲の無い水色の空が広がっている。
オレは今、慧音という美人と歩いている。
こんな僥倖が果たして許されるのだろうか?
『お、慧音さんだ!』
「おはようございます、今日も早いですね」
『あぁ、里のためにいっぱい働かんとな』
『そうだ慧音先生、今度またウチの野菜食べてくださいな』
「もちろん。楽しみにしています」
慧音はやはり人々から注目を浴びる。先生という職業柄、地域住民との結びつきがある。そのひとつひとつの声と会話するのだから、まるで有名人とファンの構図だ。
(これ、外の世界でも見たことがある!)
そんなことを思っているが、オレの内心は、
(オイオイ、慧音は昨日オレと寝たんだぞ?そんな気軽に話しかけんなよな?)
と言った風だ。
周囲の人々もそんなオレに妬いているのか、
『あ、野宿の人だ!』
『朝から見ちまった……今日はおとなしく寝てるか』
『昨日は何処にもいなかったが、もしかしてどっかの家に忍び込んでたのか!?』
『うわ~ばっちい』
「…………」
オイオイなんだ?この扱いの差は?
確かに慧音とオレなんて雲泥の差、月とスッポン、ダイアモンドと路傍の石だ。
それでも、噂が独り歩きしている、オーバーキルだ、いじめの構図だ、酷い話だ。
だがまぁオレにとってはどうでもいい話なので無視。
慧音「なんだか歩きづらいな…って、どうした?」
「…少し、ダイアモンドを羨ましく思っただけさ」
慧音「? ダイアモンドって、金剛石のことか。私も昔見たことがあるぞ」
「…慧音ってさ、やっぱり良い人だよな」
健気な返答に心を癒されつつ、里の人々に挨拶を済ませつつ、広場に付く。
朝の広場は荷物を担いだ人達で溢れかえっている。
人混みを掻き分けて進んでいくと、[役所]の建物が見えた。
「ありがとう慧音、終わったら寺子屋に行くよ」
慧音「あぁ、健闘を祈っているよ」
「健闘?」
慧音は苦笑いを浮かべながら、人ごみに消えて行った。
§