東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~ 作:ようひ
「来たぜ、慧音」
寺子屋を訪れる。
ちょうどお昼休みのようで、子どもたちは中庭に降りて遊んでいた。
慧音は、教員室の真ん中の机の上で何かを書いていた。
慧音「おかえり。家は見つかったか?」
「あぁ、話し合わずに無事でもなく契約した」
慧音「話し合わず、無事でもなく、か…大変だっただろう?」
「筋金入りのヤバい女だったぜ」
慧音の反対側に腰を下ろす。
机の上には巻物のようなもの、教科書、プリント類が置かれている。
「授業の準備か?」
慧音「そうだ、今は子どもの学習状況を整理しながら今後の授業方針を立てている」
お昼休みくらい休んでもいいのに、彼女は次の授業のための準備をしている。
本当に大変そうだ。
「…それを、全教科か?」
慧音「あぁ、もちろん。全教科全生徒だとも」
話ながらもその手を止めず、慧音の持つ筆は動く。
さらさら、と魔法の箒のように、紙の上で舞う筆。
(…にしても、達筆だ)
慧音の字は、女性が書くとは思えない、激しい字だ。
習字の達人さえも唸らせるであろう、達筆。
黒板の字やプリント類はまだ読めるように書かれていたため、自分だけの文字、という物だろう。
慧音「もう少し待ってくれ、キリの良い所で終わらせるから」
「構わんよ、お茶入れてもいいか?」
慧音「助かる、お湯は沸いてるよ」
「がってぃん」
慧音が仕事をしている間、オレは石油ストーブに置かれた薬缶を持ち、流し台に向かう。
お茶の葉を選び、急須に入れる。
その中にお湯を流し込み、薬缶に水を入れて石油ストーブの上に戻す。
少ししてから、二つの湯呑みに交互で注ぐ。
ふわりと香る夏の匂いに、鮮やかな緑色。
「ここでいいか?」
慧音「あぁ、ありがとう。赤せんせー」
「…それは止めてくれよ、慧音せんせー」
筆を動かしながらいたずらっ子のように笑う慧音。
なんてことのない仕草なのに、どうしてそんなにも色っぽいんだ?
そんなことを思いつつ、辺りを見渡す。
流し台、本棚、机、石油ストーブ、掛け軸――と、部屋に無駄な物が一切ない。
慧音の家と同じようだ。
本棚にはもちろん教科書やらノートと思える紙の束がきちんと整頓されている。
(ここでほぼ毎日仕事しているんだよな)
目の前にいる、先生。
寺子屋の生徒のため、休日関係なく、一生懸命働く女性。
事あるごとにオレの事を気に掛けてくれる、優しい人。
オレは、この人を助けるために、ここで働くことを決意した。
(…頑張るか)
慧音の顔を見ていると、そう思えてくる。
慧音「どうした?私の顔に何かついてるか?」
「いや、なんでもない」
慧音「…本当か?」
「もちのろんのすけだ」
慧音の操る筆。
その動きを眺めながら、オレは緑茶を啜る。
中庭で子どもたちの騒ぐ声が聞こえる。
とても幸せそうな顔がオレの脳裏に浮かんだ。
§
慧音「ミナトには主に算術を教えてもらいたい」
書き物を終えた慧音が、少し冷めた緑茶を啜って言う。
机の物は既に片づけられていて、二つの湯呑みが置かれている。
「算術か…確か引き算だっけ?」
慧音「あぁ、先日確認したから、今度からは掛け算に入ってくれ」
「初めての掛け算ってことね」
慧音「それと、子どもによって飲み込みの差があるから気を付けてくれ」
「あいおん」
頭の中で子ども達の様子を思い出しながら話を聞く。
「そういやテストやだーとか言ってた子がいたな」
慧音「あぁ、勉強嫌いな[ポチ]か。あいつはやる時はやる男なのだがな」
(でた、その名前)
[からあげ]といい、寺子屋の生徒といい、幻想郷は子どもの名前がかなり印象的である。
多分子どもを「クッキー」とか「スウィーティ」と呼ぶのと同じ原理なのだろう。
「絵の上手い子と寝てる子もいたな」
慧音「[ミント]と[ベン]だな。ミントは天然だが絵の才能は天才的で、ベンは本が大好きだ。ちょっと不器用だがな」
「よく見てるんだな」
慧音「もちろん、ちゃんと子どもを見るのが先生の務めだからな」
ふふん、と自慢げに鼻を鳴らす慧音。
慧音「とにかく、教室の全体を見つつ、ひとりひとりの子どもにも目を配ってもらいたい」
「森を見て木を見ろ、だな」
森を見て木を見ず、という言葉がある。全体を見ながら個々を見ることが出来ない様子。
木を見て森を見ず、という言葉もある。個々を見ながら全体を見ることが出来ない様子。
意外にも、森を見て木を見る、というのは難しい。
教師はそんな大変なことを当たり前のように求められるのだ。
慧音「まぁ君なら何とかなるだろう」
「簡単に言ってくれるぜ、慧音先生」
慧音「なんだ、もう弱気か?」
「まさか!高ければ高い壁の方が、登ったとき気持ちがいいもんな」
慧音「うん、頼もしい限りだ」
次の授業の会議が終わった所で、壁時計がひとつ、鐘を鳴らした。
慧音「さて、午後からの授業の準備をするか」
「よっし、気合い入れていくか」
オレと慧音は教室に向かった。
§