東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~ 作:ようひ
慧音「これが、私の本当の姿だ」
碧に染まった慧音は、人でありながら、人ならざる容姿に成り代わっていた。
角の生えた二本の鋭角。
月光に濡れる鋭い歯牙。
碧の髪、手の爪、そして、慧音を取り巻く妖気。
それは、彼女が人の形をした[妖怪]であることを物語っていた。
「……妖怪、だったのか…?」
こくりと揺れる、足元の暗黒。
その肯定が、オレと慧音との記憶を引きずり出していく。
――寺子屋で出会った彼女。
――オレの生活を安寧し、救いの手を差し伸べてくれた彼女。
――子どもの幸せを考えて、毎日一生懸命に寺子屋で働く彼女。
――妖怪、人間を食い物にしている、人間の敵。
――今まで出会ってきた慧音は、全て、妖怪で。
慧音「……そんな顔、しないでくれよ」
「……!」
悲しそうな慧音の声にハッと現実に戻る。
腕を組んだまま真っ直ぐにオレを見る。妖怪の彼女は、今にも竹林に溶けて消えてしまいそうだ。
「……すまん」
彼女の視線にオレは謝ってしまう。
――自分の秘密を思い立って打ち明けた慧音に対して、オレはどうだ?
彼女と視線を交えていないオレは、なんだ。
交えるどころか、逃げてしまっている。
今、自分がどんな表情をしているのか、想像したくなかった。
手の震えを必死に隠す。目の前の妖怪。それは慧音だ。妖怪は人の命を奪う危険な存在。全てがそうであるとは言い切れない。でも、でも――。
複雑な感情がとぐろを巻く。
オレは自分の想いとは相反して、無意識に口を開いていた。
「……なぁ」
声が震えていることはオレが一番知っている。
それでも、言葉を生み出さなければならない。
沈黙が、彼女の何もかもを否定してしまう。オレがやることは、怯えることではなく、思考することでもなく、目の前の妖怪と向き合うこと。
「慧音」
慧音「…………」
真っ赤に燃えるルビィの双眸は依然としてオレを捉えている。
正面から見据える慧音。
彼女は今日の今日まで一体どんな気持ちで生きてきたのだろう?
自分が妖怪である、と隠しながら、妖怪を拒む人里に身を置いて――。
ズキリ、と心臓に痛みが走る。比喩ではない、本当の痛みが。
「勇気をもって話してくれて、ありがとう」
慧音「……」
「私は妖怪です、だなんて。そうそう外の人間に言えることじゃあない」
痛みが少しずつ鋭くなって、増していく。
この痛みは心の痛みだ。
心臓は心ではない。心は脳にある。それでも、オレは左胸が痛んだ。
――同じではないのか。人間も、妖怪も。
人間のオレも、妖怪の慧音も、みな、心を持っている。
心の痛みは、ヒトとして生きる存在が持つ、存在証明。
「はっきり言うよ。オレは妖怪が怖い」
妖怪は人間を襲い、喰らう。
それは妖怪の性であり、避けられない理である。
しかし、それは人間も同じだ。人間も家畜を喰らい、食物を食べる。
もし人間が妖怪を喰らう理だったならば?
立場が全く逆だったら?
「だけど、オレは外の人間で、妖怪のことなんてほとんど分かってない」
ただ、それだけのことだ。
被害者は人間じゃない。心を持った妖怪だって同じ、被害者だ。
人間と妖怪という関係が、何かによって強引に作られてしまったが故に。
痛みは次第に強くなっていく。
オレの心の痛み、だが慧音も同じ痛みを受けている。
――でなければ、彼女はこんな顔をしないだろうに。
慧音「……ミナト…?」
慧音の声も同じように震えていた。
オレは、着ていたジャケットを脱ぎ、その場に放り投げる。
訝しげに視線を添わせる彼女に構わず、春の寒空を肌で感じる。
「ほら」
白いシャツの腕をまくり、拳を固めて、前へと突き出す。
ちょうど慧音の口元へと伸びるように。
自分の腕は肉付きが良く、かといって細くもない、健康体だ。
「……食べてくれよ」
細められた紅い目が、大きく開かれる。
慧音はオレの白く染まった腕を見る。そして、視線が交叉する。
今度は逃げない。真っ直ぐに彼女を見つめる。
困惑は、やがて強い光に変わった。
――ひとりの妖怪の心を救うためなら。
「……慧音の為なら、腕の一本や二本、軽いもんさ」
妖怪の表情から、困惑が消えた。
意志が固まったように、オレの元へと強く踏み寄り――
その鋭利な八重歯を、人間の腕に突き刺した。
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