東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~   作:ようひ

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妖怪と人間

――がぷがぷ。

肉を噛む音が、腕を通じて耳に届いた。

 

――がぷがぷがぷ。

尖った八重歯が柔らかな肌に突き刺さる。

 

――がぷ。

オレの腕は噛まれている。

しかし、それは皮膚を突き破る力が込められていない。

痛みはなかった。

 

慧音「~~~~~ッ!!!」

 

腕に必死に噛み付く妖怪は、泣いていた。

泣きながら、オレの腕を喰おうとしていた。

嗚咽を上げながら、がぷりがぷりと。

涎と涙でオレの腕とシャツがぐちゃぐちゃだ。

まるで大雨に遭ってしまったかのように、びちゃびちゃだ。

 

「……まぁ、そんな人を食べる妖怪じゃないだろうと思ってたよ」

 

慧音「バカッ、バカだよお前はッ」

 

悲しみから怒りへと、今度は噛みながら罵倒してくる。

こんなシチュエーション、生まれて初めてだ。

 

慧音「私がどれだけ不安な思いでッ、お前と接したとッ…!!」

 

「あぁ、わかってるよ」

 

慧音「さらっと言うな!もう、うう~~……」

 

なお齧歯をやめない妖怪の彼女。

普段透き通る青で流れる糸のような長髪は、緑に煌めいている。

蒼も良いが、緑の彼女も中々にいい。

噛むたびに揺れる二本の角も彼女が人ならざる者の象徴である。

しかし、真っ直ぐに屈託なく生えるそれは、まるで彼女の真っ直ぐな性格も象徴しているようだった。

 

慧音「…………ミナ、ト」

 

ピタリと腕の感触止まる。

しゃくり声をあげながら慧音はオレの名を呼んだ。

雫を溜めた淡い紅色。綺麗な宝石が、オレを上目遣いで見据える。

 

慧音「お前は……妖怪をどう思う?」

 

潤んだその瞳は、何かに縋るような、不安定な色を帯びていた。

 

慧音「人間にとって、妖怪は恐怖であり、常に脅かされている……友好関係など築けるはずがない」

 

妖怪と人間。

慧音とオレ。

本来有り得るはずの無い、人と妖の関係。恐怖を与える者と、恐怖を拒む者。

 

「……さっきも言ったけど、確かに怖いよ」

 

慧音「……そうだろうな。外の世界に妖怪はいない。怖いのは当たり前だ」

 

――だけど、だけど……。

オレが聞いているのを確かめるように、慧音は言葉をつづけた。

オレの腕を掴む手に力がこもる。

 

慧音「全ての妖怪が人間を苦しめるんじゃないんだ」

 

思い浮かぶ――神社前の森。

オレを喰らおうと襲い掛かってくる妖怪たち。

あの妖怪たちは、人間を喰わなければ生きていけない妖怪だ。サバンナで百獣の王が草食動物を喰らう事と同じく、自然の理に従う妖怪も同じく。

しかし、目の前の上白沢慧音という妖怪。人里で自分が妖怪だと隠しながらも、里の為に、寺子屋を開いて子どもに知識を授ける。

人間を襲う妖怪と、人間を助ける妖怪。

どちらも妖怪。どちらも――妖怪だ。

 

慧音「……分かってほしい、妖怪は皆悪い奴じゃあない。確かに少し荒れた奴もいる。平気で人を殺す妖怪だっている。けれど、けれどだ……」

 

慧音の言いたい事がはっきりと伝わってくる。

空気を通して、肌を通して、吐息を通して、何もかもが流れ込んでくる。

妖怪でありながら、人間である、慧音の感情が。

二つの決して混じらぬ存在の間にいる、人妖の彼女の想いが。

 

慧音「ミナトは、そんな妖怪たちと、どう向き合う?」

 

幽かな風の息。さわさわと騒ぐ竹の葉。

答えは、既に己の中で決まっていた。

慧音が妖怪だと知る前から、人と妖の在り方を。

 

 

 

 

――いつか、この二つが、交わることの無い人間と妖怪が。

 

 

 

「オレは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな竹林は、慧音が好きそうな所だった。

眼を閉じて慧音は、弾けるようにして、今までで一番の笑顔を浮かべている。

その笑顔は人の時の彼女と変わりのない、それ以上の笑顔。

 

慧音「……答えてくれてありがとう、ミナト」

 

夜空はいつの間にか晴れていた。

顔を覗かせる満月は、オレたちを、迷いの竹林を煌びやかに照らす。

 

「まぁ、難しい話だとは思うが……オレは少なくとも、そう思うよ」

 

慧音「何とも、君らしい答えだよ」

 

慧音の屈託の無い笑顔に、オレは照れつつも微笑み返した。

 

 

§

 

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