東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~ 作:ようひ
オレは今、何をしている?
地面に寝っ転がって、朦朧とした意識下で、このクソ危険な状況をただただ俯瞰している。
オレは今、何ができる?
全身に走る激痛に、神経が断裂しているようだ。小指一本たりとも動かすことができない。
オレは今、何を見ている?
微かな暗黒をぶちまけた世界で、妖怪が人を襲っている――。
「……がふッ…」
口から液体が溢れ出る。熱を帯びた液は、水たまりを作った。
カッターで手を切った時、転んで足を擦った時、鼻を打って鼻血が出た時。
それらとは比べものにならない、大量の血液に。
身体が強張った。
同時に沸き起こる、恐怖、畏怖、。
(あぁ)
――何が、チカラだ。
――スペルカードは発動しなかった。
――妖怪を止められず、子どもさえも救えない。
(あぁ)
――何が、チカラだ。
ぬめりとした感覚が、五感を大いに狂わせていく。
オレの背中は、見えざる手によって暗がりへと引き寄せられていく。
「あ、ァ」
オレは何を見ている?
妖怪が、昏倒しているショタへと向かって、手を伸ばしていた。
助けなければならない。
オレの伸ばした手は、それらに届かない。第一、動こうともしない。
不発のスペルカードも、衝撃で遠方に転がっている。
――考えろ。
――考えろ。
――考えろ。
――考えろ。
――考えろ。
――無理だ。
――無駄だ。
血の気がだんだんと引いてゆく。
風呂に入った時みたいに温かく、ぼんやりとしていて、心地が良かった。
「あァ、あああ」
動け、オレの身体よ。
瓦礫に引き裂かれた痛み、関係ない。
肋骨辺りのジャリジャリとした不快感、関係ない。
守れ、オレの身体で。
ブラックアウトしてゆく視界の歪み、関係ない。
動け、動け、オレの身体よ。
吐気、憎悪、恐怖、無念、関係ない。
動け、動け、動け――。
「あああァァァ!!!」
腕を伸ばす。
ショタに届け、届いてくれ。
頼む、頼む、来い、来い。
妖怪の下品な鳴き声と共に、その拳が振り下ろされた。
「――――うアッ!!?」
ドスリ、と何かがオレに衝突した。
予期せぬ衝撃でグラリと意識が吹き飛びそうになる。
風圧が頬を撫でた。妖怪の拳が、地面に吸い込まれていた。今頃、ショタは潰されているだろう。
「はは」
抱き寄せた腕の中には、目を閉じた子どもがいた。
無防備にも、安らかな呼吸音が聞こえる。その無垢な顔に、オレは笑った。同時に口から血液が零れる。ショタの顔にかかることは無かった。
(よかった)
しかし、絶望は終わることがない。故に、希望を失ったことを絶望と呼ぶのだ。
或いは、蟻がどんなところでもがいても冷酷な人間に勝ることはない。
今の状況は、まさにそれだ。
オレに巨大な影が差しかかった。
意識にディレイが掛かったように、情報が遅れてやってくる。
[妖怪ガ]
[オレノ]
[首ヲ]
[掴ンダ]
鼓膜に直接、骨が軋む音がした。
今さら声を上げることはしない。
絶望に染まった心は、簡単にも諦観を導き出してしまう。
人間が持つ一種の防衛反応。ナマケモノと同じ原理かもしれない。
オレは眼前の醜悪な顔面をした妖怪が舌を舐めずりまわしているのが見えた。
しかしそこで、オレが死ぬところを見る意味はないな、と目を閉じた。
完全な暗黒がやってきた。
まぶたの裏は見慣れた暗黒で、こんな状況でも安心した。
ふと、寺子屋の先生の姿が浮かんだ。
オレを見て悲しそうな顔をしている。
昨日まで笑顔でいた彼女の顔。
ぎゅ、と心臓が締め付けられる。
言いたくはなかったけど、今、ここで言わなければならない。
――悪い、慧音。オレはここで終わりみたいだ。
十分時間は稼いだ。
妖怪はオレを殺すが、その間に人里を守る英雄が来るに違いない。
知能の無い妖怪を狩る、知能のある存在が、何とかしてくれる。
オレの役目は、ここまでだ。
――何が、チカラだよ。
首を掴む手に力がこもる。
いよいよ、断頭の時間がやってきたようだ。
汚い吐息を顔に感じた。どうやら口をあんぐりと開けているらしい。
頭から食べても美味くはないと思う。魚の頭も動物の頭も、美味くはない。
そういう通な妖怪もいるのだろう。妙な所で人間に似ている。
(まぁ、考えても仕方ないか)
オレは笑った。
全ての物を放り捨てるように。
?『随分と楽しそうね』
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