東方礼夜鈔~nothing's written in the extract~ 作:ようひ
妖怪は困惑した。
捕食寸前で獲物がなくなっていた。
妖怪は叫んだ。
肘から先がすっかりとなくなっていた。
妖怪は睨んでいた。
獲物を獲られた、目の前に佇む紅白の巫女を。
?『人間の里でご飯を食べるなんて、頭の悪い妖怪のすることね』
鈴を転がしたような声、優しさと厳しさとどうでもよさを織り交ぜた声。
妖怪は悲鳴を止めた。
目の前の、ひらひらとした紅白に身を包み、神の力を持つお祓い棒を肩に担ぐ、その巫女の姿をしっかりと捉える。
博麗霊夢は肩に担いだオレとショタをそこに置き、ため息を零した。さも面倒ごとに出くわしたように。
霊夢「妖怪が出た時は素直に引くのが身のためよ。能力を持たないならなおさら」
しかし、その言葉は妖怪に言い放っているのではない。
誰に向けられているか、オレは理解した。
「霊、夢……」
霊夢「アンタはそこで寝てなさい。一瞬で片づけるから」
掠れた世界で、霊夢がお祓い棒を構える。
応戦しなければ、生物として霊夢を敵と認識した妖怪は、逼迫の咆哮を上げる。
鼓膜にヌメリと絡みついてしてくる咆哮に、しかし霊夢はひるまない。
逆に、それは”隙”を生じていた。
霊夢「はい、能無し」
一瞬で肉薄を果たした少女の回し蹴りが、いとも簡単に妖怪を吹き飛ばした。
石壁に激突する妖怪に、霊夢はとどまらず、札を投げつける。
空気に触れたそれは、一閃の紫苑となり、光が妖怪の身体を抉り取ってゆく。
『グピュルピュウルルルル!!!!!』
叫び声をあげながら妖怪は立ち上がろうとする。
しかし、立つことができなかった。
霊夢は、その両手で抱えた、あるべきハズの妖怪の脚を地面に放り捨てた。
霊夢「消えなさい」
身体を立たせられない妖怪の前で、霊夢は詠唱を行う。
目には見えない、冷気にも似た何かが渦巻き、明瞭な形で妖怪を包み込む。
数瞬後に、オレの網膜に溢れんばかりの光が溢れた。たまらず目を閉じてしまいそうになる。
その時、霊夢の顔が視界に映った。
それは、ひとつの優しさも感じさせない、絶対零度だった。
迫りくる恐怖を具現化したような絶望。
霊夢が詠唱を終え、妖怪を包む光が消えた時。
そこには先ほどまで存在していたハズのものが、跡形もなく消え去っていた。
§ § §
霊夢「さて、と……」
スカートについた砂埃を払い、霊夢がオレに歩み寄る。
絶対零度の冷酷な表情は何処へ行ったのか。今の彼女は困ったように嘆息していた。
霊夢「派手にやったわね、アンタ」
「……」
オレの左手は完全に動かなくなった。
妖怪の放った蹴りと衝撃を思い出して、患部がズキリと痛んだ。
霊夢「じっとしてなさい」
霊夢はオレの傍にしゃがむ。オレの左腕に手を添え、先ほどのように詠唱を開始した。
それは妖怪を消す力ではなく、別の力。
手を包み込む、ほのかに感じる温もり。身体に熱が戻り、世界にだんだん色が戻ってゆく。
ヌメリとした感触もなくなり、目を醒ました時のように頭が軽くなっていった。
「……霊、夢」
霊夢「ほんと、アンタって馬鹿よね」
「……」
霊夢「好奇心だか何だか知らないけど、生身の人間が妖怪に立ち向かうなんてありえない」
「…………」
霊夢「人々はそれを[勇気]と呼ぶだろうけど、私からしたらそれは[無謀]でしかない。無理無駄無謀よ」
博麗の巫女は、力がある。
オレを片腕で殺せるような妖怪を、赤子の手を捻るが如く、容易く葬ることが出来る。
力がある、妖怪を倒せる、そのチカラ。
「霊夢」
霊夢「なに?」
「オレも、チカラが欲しい」
チカラが欲しい。
大切な人を守れるチカラが。
妖怪から人間を守るチカラが。
人間が妖怪に虐げられることもなくなる、その絶対的なチカラを。
霊夢「その眼、何処かで見たことがあるんだけど……誰だったかしら」
霊夢はオレの身体を起こして、肩を貸してくれた。
結局こんな形で霊夢と再会するとは思わなかった。
また一つ借りが出来てしまった。恐らくこれからも借りが一つずつ増えていくことだろう。
霊夢「怪我が治ったら博麗神社に来なさい」
霊夢の顔は見えなかった。
オレは空を見上げる。
昼間はあんなに天気が良かったのに、今ではすっかり黒雲が空を埋め尽くしていた。
ぽつり、ぽつりとオレの頬に雫が零れた。
§