それぞれのおしごと! ~りゅうおうのおしごと! 連作短編集~ 作:あすな朗
ばんちょうのおしごと!
「
「ええっ!? か、会長、そんないきなり……」
「突然のプロポーズで申し訳ありません。しかし、私を支えてくれる女性はあなた以外にありえないと確信しています。会長秘書として、私のことを誰よりも深く知るあなた以外には……」
「会長ぉ……」
「男鹿さん、私のプロポーズを受けていただけますか?」
「………………はい、喜んで」
という夢を見た。
連盟に行くと、机の上に書類が山と積まれていた。ため息が出そうになるが、これくらいでへこたれていては会長の秘書はつとまらない。手早く書類に目を通し、優先順位をつけ、重要案件のみをピックアップしてバインダーに挟むと、理事室に向かう。
部屋の扉をノックすると、聞き慣れた声が中から聞こえてくる。
「どうぞ」
扉を開けると、椅子に座った会長の姿が目に飛び込んできた。
A級棋士にして十七世名人ーー
私の上司でもあり、私がひそかに想いを寄せている人でもある。
穏やかに微笑んでいる会長が、閉じた瞼の向こうから私を見つめる。
「おはようございます、男鹿さん」
「はい、男鹿です」
どうしようもなく胸が高鳴るのを感じながら、返事をした。
「今日も一日、よろしくお願いいたします」
会長は目が見えない。
だから書類はすべて秘書の私がチェックして、内容をお伝えする。対局のときも、私が付き添う。イベントや式典のときにも、常に会長のかたわらに控えてサポートする。ようするに四六時中会長のそばにいる。
ついたあだ名が「裏番長」。
ひどいあだ名だ。私が会長秘書の職権を濫用しているとでも言いたいのだろうか。まったくもって心外だ。もちろん私はそんなことはしない。会長に色目を使った女流棋士の引退を、ほんの少し早めただけ。それくらいしかしていない。
とにかく「裏番長」というあだ名はひどい。承服しがたい。「会長の愛人」とかだったら大歓迎なのに……
今日は、アマチュアの方の免状に署名をするお仕事だった。もちろん、署名するのは会長。私はその補助だ。
理事室の机の上に積み上げられた数百枚の免状の束。
会長は、一枚一枚心を込めてご自分の名前を書いていく。
私は、会長が書く場所を間違えないようそばにいて見守る。もっとも、会長が書き損じることはほとんどない。細くて綺麗な字を丁寧に書き続けている。
「ふう……」
三十分ほど経ったとき、会長が小さく息をついて筆を止めた。さすがにお疲れのご様子だ。
「会長、少し肩をおもみしましょう」
「あ、ああ……ありがとうございます」
「会長、腕もマッサージしましょう」
「あ、ああ……ありがとうございます」
「腰から背すじにかけても、マッサージしますね」
「いや、そんなところまでしてもらうのはーー」
「筆を持っているとこのあたりが一番疲れるのだそうです」
「……そうですか。それではお願いします」
「はい、お任せください」
「……………………男鹿さん?」
「はい、何でしょう」
「じゅるり、という涎を啜るような音が聞こえた気がするのですが……」
「気のせいです。次にふくらはぎをマッサージします」
「男鹿さん? そこは別に疲れてはいませんが?」
「長時間座っていると、ふくらはぎの血流が悪くなるんです。それをほぐします」
「男鹿さん、本当に大丈夫で……………………いや、たしかに、気持ちいいですが………………あの、もう結構ですよ。ところで男鹿さん、さっきからじゅるりじゅるりという音が聞こえるのですが……」
「幻聴です。次は耳の筋肉をほぐします」
「男鹿さん? 耳には筋肉がほとんどないと思うのですが?」
「そうですか。でも念のため」
「男鹿さん、もう結構ですから。仕事に戻りましょう」
「その前に耳をーー」
「結構です」
「……」
今日も私は、秘書としての職務を完璧にこなした。
仕事が終わったので、会長を連盟の玄関までお送りする。
もちろん、手をぎゅっと繋いでご案内差し上げる。
「男鹿さん」
「はい、男鹿です」
愛しの会長が私の名前を呼んでくれたので、誠実にお返事をする。
「来月の順位戦の日程をもう一度教えてもらえますか?」
「かしこまりました」
この先一か月の会長のご予定はすべて頭のなかに入っているけれど、万が一の間違いを避けるため、きちんとスケジュール帳で確認する。
「十三日の金曜日です」
「そうですか、わかりました」
会長はそう言って口を閉じかけたが、ふっと笑みを浮かべて、「縁起が悪い日ですね」とつけ足した。
「会長も、縁起をかつがれるのですか」
「いえ、気にはしていませんよ。十三日と金曜日が重なるのは逆に珍しいと思って、ちょっと言ってみたんです」
「ちなみにその日は大安です」
「それはよかった」
会長はそう言って、くすくすと笑った。
その笑顔を見つめていると、「ああ、この人の秘書になってよかった」と心の底から思う。
親子ほど年が離れているこの人と結婚することは難しい、ということは知っている。それどころか、恋人として付き合うことさえできず、そもそも恋愛対象として見てもらえていないということにも、薄々気づいていた。どんなにスキンシップをとったとしても、会長との距離が縮まるわけではない。
それでも……会長のそばにいられるだけで、わたしは満足だ。
「会長」
「何ですか?」
「男鹿は今、とても幸せな気分です」
わたしがそう告げると、会長は不思議そうに首をかしげた。