それぞれのおしごと! ~りゅうおうのおしごと! 連作短編集~   作:あすな朗

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りゅうおうのやくそく! 中編

 テーブルの上で、スマホが振動している。誰かから電話がかかってきたようだ。

 画面を見ると「男鹿(おが)さん」の文字。

 きっと連盟からの連絡だろう。振動が収まる気配がないところを見ると、どうも急ぎの用件っぽい。

 

 でも、スマホの持ち主は将棋の研究に没頭していて、それにまったく気づいていない様子だ。

 見慣れた光景に、思わず苦笑してしまう。

 彼は、将棋のことを深く考えているときは周りの物音が一切聞こえなくなってしまう。私もプロ棋士のはしくれだから同じような経験はあるけれど、彼の集中力はちょっと別格。だって彼は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 私は振動を続けるスマホを手にとって、パソコン画面を覗き込んでいる彼のもとに駆け寄ると、肩を何度も強くたたいた。

 

八一(やいち)、電話!」

 

 私が耳元でそう言うと、ようやく彼も顔を上げ、ぼうっとした表情で私を見つめた。目の焦点がいまいち定まってない。きっと、さっきまで没入してた将棋の世界から、まだ抜け出せていないんだろう。

 

「え、何……?」

 

 「電話」と私は繰り返す。さらにスマホの画面に表示された名前を、彼に見せた。

「連盟から。ずっと鳴ってるし、緊急かも」

 

 私の顔とスマホ画面を交互に見て、やっと彼の思考は現実の世界に戻ってきたみたいだ。「ああ」とつぶやいて、私からスマホを受け取る。そして、鳴動を続けるスマホ画面をタップする前に、私の髪の毛をそっと撫でながら、微笑みかけてくれた。

 

「ありがとう、銀子ちゃん」

 

「……うん」

 

 そっけなく答えたつもりだったけど。私の口元は、ちょっとだけゆるんでいたかもしれない。

 

 八一と一緒に暮らし始めてからずいぶん時間が経つけど、いまだに八一が私の髪や肌に触れるたびに、体中がむずむずするような幸せな感覚に包まれて、思わずふにゃっとした顔になってしまう。しかも八一はそんな私を見るのが楽しいのか、ことあるごとに私とスキンシップをとりたがるから困りものだ。

 ま、まあ私もスキンシップ自体が嫌なわけじゃないから、強く拒絶することはないんだけど……

 こんなことだから桂香さんにいつも「バカップル」って言われちゃうのかな?と思いながら、男鹿さんと通話している八一の顔をぼんやりと眺めていると――彼の表情がみるみるうちに曇っていくことに気が付いた。

 

「どうしたの?」

 

 とひそひそ声でたずねると、八一は慌てて笑顔を取り繕って、「大丈夫!何でもないから!」と口パクで答えた。

 ……あやしい。

 これは、嘘をついているときの表情だ。順位戦を明後日に控えている私に余計な亜心配をさせまいとしているんだろう。何を話していたのか、晩ご飯を食べ終わった後にでも聞き出さなくちゃと思って、八一に背を向けた次の瞬間。

 電話の向こうから、不穏な単語が聞こえてきた。

 

女流帝位(じょりゅうていい)は……」

 

 女流帝位。

 その四文字が私の脳内にはっきりと浮かび上がると同時に、全身が粟立つような感覚に襲われて、私はその場に立ち止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「吐け」

 通話が終わった瞬間、私は両手で八一の首を締め上げた。

「前の女の話でしょ? 何でもないわけないじゃない。全部説明しろ」

 

 女流帝位、祭神雷(さいのかみいか)。八一と同学年の女流棋士だ。以前、八一とは東京でしょっちゅう会っていたらしい。それどころか、八一に告白をして、ふられた後もしばらくストーカーまがいの行為をしていたと聞いている。

 八一は「何もなかった」って言い張ってるけど、簡単にその言葉を信じるわけにはいかない。ちょっとでもあの女の影を感じたら、徹底的にチェックしておかないと。こんなふうに。

 

「ちょ……銀子ちゃん! 苦し……」

「電話の内容を説明しなさい。今すぐに」

「説明する! 説明するから! 指……離して、くれないと……い、息が……ッ!!」

 

 ほどほどのところで開放すると、八一はしばらく呼吸を整えた後、真面目な顔でつぶやいた。

 

「雷が、新人戦で優勝したらしい」

「えっ」思わず驚きの声が漏れる。「決勝の相手って、たしか……」

創多(そうた)だよ。雷が創多に勝って、五十代目の新人戦優勝者になったそうだ」

 

 (くぬぎ)創多--小学生でプロ入りしたバケモノ棋士だ。三段リーグで一度だけ対戦したことがあるけれど、その異次元の強さは私もよく知ってる。プロ入りしてからも格上の棋士相手に連勝を重ね、今ではタイトル戦にも出場するようになった、本物の将棋星人。そんなやつを相手にして、雷は勝った……

 

「新人戦始まって以来、女流棋士が優勝したのは初めての快挙だ。明日の新聞はその話題がトップニュースになると思うよ。特例で雷にプロ編入試験を受けさせるかどうか、連盟でも緊急に会合を開いて検討してるらしい」

 

「それは……すごいニュースね。でも、なんで男鹿さんから八一に連絡があったの?」

 

 私がそう尋ねると、八一は一言、「記念対局だよ」と答えた。

 

「記念対局?」おうむ返しをしてから、あ、と気が付いた。「そうか。新人戦の優勝者は、記念対局の相手に、タイトル保持者を指名できるから……」

 

「そうなんだ。新人戦の優勝者には、タイトル保持者と記念対局できる権利が与えられることになってるだろ? その記念対局の相手として、雷が俺を指名したらしいんだ」

 

 そんな仕組みがある、ということはちらっと聞いたことがある。

 「記念対局」という非公式戦。そこで、タイトル保持者が伸び盛りの若手に胸を貸すっていう……もっとも、タイトル保持者の八一自身が、まだまだ若手の棋士なんだけど。

 

「じゃあ、今の電話は、それを八一に伝えるための……」

「うん。あと、俺がそれを受け入れるかどうかの確認」

「確認って……断ることもできるの?」

「普通は優勝者の希望通りになるらしいんだけど、雷とは前にいろいろあっただろ? だから男鹿さんも気をつかって、OKかどうか俺に確認を…」

「そうね。さぞかしいろいろあったんでしょ? 昔、東京でずーっと私に隠れてデートしてたんだもんね? そんな相手と対局なんて、気まずくってしょうがないもんね?」

「そこじゃない! ってか、デートじゃないから! VSしてただけだから!!」

「ふーん」

「信用してよぉ、銀子ちゃん……」

 

 涙目になっている八一を冷たい表情で眺める私。まあ、これは冗談半分。

 ここからは真面目な話だ。

 

「で、対局するつもり?」

「うん、対局するよ」少し間をおいてから、でもきっぱりと八一は答えた。「逃げ隠れはできないからね。タイトル保持者として」

「そう……」

「雷は最近ますます、その……正気を失っているようにも見える、って男鹿さんは言ってた。でも、どんな常識外れな棋士が相手だろうと、勝負を避けることはできないと思う。だから、雷とはきちんと決着をつけてくる」

 

 たしかにアイツは正気じゃない。

 でも、精神をすり減らしながら勝負の世界に生きるプロ棋士にとっては、「正気を保つ」という当たり前のことが、時に難しかったりもする。

 私だって、三段リーグをたたかっているとき、心のバランスを失ってしまったことがある。

 それを救ってくれたのが、八一だ。

 あのとき八一が私を助けてくれなかったら、私の心取返しのつかないほど壊れてしまっていたことだろう。

 そう考えると、アイツも……もしかしたら、どこかで道を踏み外してしまっただけなのかもしれない。将棋の強い人の背中を追い求め続けていたはずだったのに、その思いが高まりすぎてしまって、心を病んでしまった。そんなふうに想像してみると、アイツにも同情の余地はある。

 まあ、だからといって八一に粘着したことを許す気は一切ないし、次に対局の機会があれば絶対ボコボコにするけど。

 

「対局は、どこでやるの?」

「たぶん、関東」

「そっか……」

「全力で戦って、勝つよ」

「……」

 

 私の不安が顔に出てしまったんだろう。近寄ってきた八一は、私を正面からそっと抱きすくめ、耳元でささやいた。

 

「対局が終わったら、わき目もふらずにすぐ帰ってくるから。ね?」

「……約束、だよ?」

「大丈夫だから、安心して。銀子ちゃん」

「ねえ、八一」

「ん?」

「耳、貸して」 

「ん、何々? 俺のことが好きだよって耳元でささやいてくれるの?」

 

 なんて能天気なことを言いながら、だらしない顔をさらしている八一の耳に唇を寄せて、一言。

 

「あいつに思わせぶりな態度をとったら、本気でぶち殺す」

 

「………………肝に銘じます」

 

 そう答える八一の顔面は、一瞬で蒼白になっていた。

 うん、これで満足。上下関係は、これくらいしっかりと叩き込んでおかないと。

 

 まあ、さすがにそれだけだと可哀そうかなと思ったから……真っ青になった八一の頬に軽く触れるだけのキスをした後、私は笑顔で命令した。

 

「晩ご飯の支度。手伝って」

 

 

 

 

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