それぞれのおしごと! ~りゅうおうのおしごと! 連作短編集~   作:あすな朗

11 / 11
りゅうおうのやくそく! 後編

 

「やっと会えたね、やいち」

 

 東京・将棋会館の「銀沙の間」で、俺は雷と対面していた。

 対局開始時刻の一時間以上前から、雷は将棋盤の前に座って俺を待っていたという。

 俺が部屋に入ると、雷は眼を大きく見開いて俺を凝視し続け……着座した瞬間、囁くように言った。

 

 やっと会えたね、と。

 

「やいち……会えて嬉しいよ……すっごくすっごく嬉しいよ…………やいち…………やいち、やいち、やいち、やいち、やいち…………」

 

 囁きかけてくる雷を無視して、駒箱を手に取る。

 

 いや……

 

 無視しようとしても、無視しきれなかった。

 雷の声色はどろどろに溶けたチョコレートみたいに甘ったるくて、一つ一つの言葉が脳髄にじわじわと浸透してくる。

 

「ねえ、やいち……こっち向いてよぉ」

 

 至近距離でそう呼びかけられて、不覚にも、少しだけ顔を上げてしまった。

 その瞬間。

 

「あはぁ♪ やっと目が合った♡」

 

 そう呟いた雷の瞳は不気味な光を放っていて。

 つり上がった口の端は、ひくひくと小刻みに痙攣していた。

 

「ねえ、やいち……。今度はさあ、前みたいなこと、ないよね? 逃げ出したりしないよね? ちゃんと最後まで将棋指してくれるんだよね?? ねえ???」

 

 背筋がざわついて、思わず目を背けそうになる。今すぐ部屋を飛び出して、少しでも遠くに逃れたいという衝動に、身をまかせたくなってしまう。

 

 でも--

 

 逃げ出すわけにはいかなかった。

 

 雷は、新人戦優勝者として、俺の目の前に座っている。

 並みいるプロ棋士を葬り去って、トーナメントの頂点に登りつめた今期最強の若手棋士。文句のつけようがない、正当な挑戦者だ。

 そして俺は、竜王として雷と対峙している。

 目の前の挑戦者が誰であろうと、真っ向からぶつかっていくこと。相手がどんなに強くても、全力で戦って、勝ちに行くこと。

 それが竜王の仕事だ。

 

 だから、絶対に…………背を向けるわけにはいかない!!

 

「ああ、逃げない」

 

 雷の視線を受け止めて、きっぱりと言い切る。

 

「もう絶対に、お前からは逃げない。何度挑戦されようが、受けて立つ。勝負を挑まれたら、いつでも戦ってやる。将棋盤の上で、お前と戦って……そして、倒す!」

 

 俺がそう告げるとーー

 

 

 

 

 

「やっと、約束してくれたね」

 

 

 

 

 雷の顔に、ゆっくりと、笑みが広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 それは、いつもの妖怪じみた笑いじゃなくて……純粋な喜びに満ちあふれた、人間くさい笑顔だった。

 

 この笑顔は……

 

 何年も前に、見たことがある。

 

 将棋会館で、はじめて雷と出会ったとき。はじめて二人で将棋盤を挟んだとき。雷はたしか、こんなふうに笑っていた……

 

「こっち、絶対負けないから」

 

 あふれんばかりの笑顔で、雷はそう言った。

 

「二人だけの将棋、指そう? ね、やいち!」

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。