それぞれのおしごと! ~りゅうおうのおしごと! 連作短編集~   作:あすな朗

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ぎょくしょうのおしごと! 後編

 

 生石は阪神線に乗って、神戸市内の病院に向かった。

 月光の入院先は非公表だったが、どうしても見舞いに行きたいからと秘書の男鹿ささり女流初段に頼み込んで、教えてもらったのだ。

 月光の病室は、四階にある日当たりの良い個人部屋だった。

 部屋に入ると--

 

「お静かに。会長は今さっきお眠りになったところです」

 

 男鹿が、門番のように立ちふさがった。

 

「なあ。男鹿さん」

 

「男鹿ですが」

 

「さっき電話したときには、大したことないって言ってたけど……実際のところはどうなんだ? 会長の具合は」

 

「先ほどお電話でお話しした通りです。症状は高熱と倦怠感。原因は過労。一週間程度の静養を要する、というのが医師の診断です」

 

「ならいいんだが……」

 

 不安げな表情の生石。

 男鹿はムッとして、

「男鹿が嘘をついているとでも?」

 と言う。

 

「いや、そういうわけじゃないんだが」

 生石は頭を掻きながら、自分の懸念を口にした。

「月光さんが会長を辞めるって言い出した、なんてことが新聞記事に書いてあったからな。だいぶ悪いんじゃないかと心配になったんだ」

 

「その記事のことなら、男鹿も承知しています」

 そう言いながら、男鹿は眉間にきゅっとしわをよせた。

「玉将は、あの記事の内容が本当だと思うのですか?」

 

「何だって?」

 

「玉将はあまり連盟の内部事情には関心をお持ちでないかもしれませんが……連盟の中で、会長を目の敵にしている人もいるんです。そういう人たちは、ことあるごとに会長の足をひっぱったり、記者のコネを使って、会長が不利になるような記事を書かせたり……」

 

「それじゃ、今回のも?」

 

「そうだと思います。記事を読むと、『関係者の証言によれば、月光は辞任を示唆しているようだ』というあいまいな書き方になっています。会長に反対する一味が、思わせぶりなことを記者に伝えたんでしょう。少なくとも男鹿は、会長が辞任の意向を示されたことはないと記憶しております」

 

「……そういうことかい」

 生石は顔をしかめた。

「ひでえ話だが…………まあ、会長の病状はそんなに悪くないってことだな。安心したよ」

 

「……玉将」

 

「ん?」

 

「一週間前の順位戦、覚えていらっしゃいますか?」

 

「ああ、もちろん」

 

「あのとき…………会長はすでに高熱を出しておられました。男鹿は対局中止を申し出たのですが、会長は『この対局に合わせて準備を整えている玉将に申し訳が立たないないから』と言って、頑なに男鹿の申し出を拒否されました」

 

「…………」

 

「男鹿から申し上げたいことは以上です」

 

 言い終えて、男鹿は病室の中に生石を招き入れた。

 部屋の中に入ると、ベッドの上に仰向けになって寝ている月光の姿が目に入った。月光はかすかな寝息を立てていて、それにあわせて胸がゆっくりと上下する。顔色はあまり良くなかったが、苦しそうな表情は浮かんでいなかった。

 

「解熱剤を投与してもらってから、だいぶ楽になったと言っていました」

 

「そうか……」

 

「どうぞお座りください」

 

「ああ、すまん」

 

 すすめられるまま、椅子に腰をおろす。

 男鹿は、壁に立てかけてあったもう一脚の椅子を広げて、ベッドの反対側に座った。その顔が少しやつれているような気がして、生石は思わず声をかけた。

 

「男鹿さん」

 

「男鹿ですが」

 

「あんた、会長が倒れてから、ずいぶん無理してるんじゃないか」

 

「そんなことはありません」

 

 男鹿は言下に否定した。

 

「でもずいぶん疲れてるように見えるぞ。連盟の仕事と会長の看病、両方やってるんだろ? あんまり無理しすぎると今度はあんたが倒れちまうんじゃないか」

 

「お気遣いありがとうございます。でも、今回のことは男鹿の責任でもありますから……」

 そう言って、男鹿は悔しそうにうつむく。

「男鹿が秘書としてもっとしっかりしていれば……スケジュール調整をもっと工夫していれば……会長の負担はもう少し減ったのではないかと思うのです」

 

「それは考えすぎだろ。男鹿さんが責任を感じる必要なんか」

 

「いいえ」

 やや食い気味に、男鹿が口を開く。

「男鹿はずっと会長にあこがれて将棋を続けてきました。引退するときも、会長のお側で仕事ができるのでむしろ嬉しかったくらいです。だから、会長のお役に立てていない自分が、とても歯がゆいのです」

 男鹿は膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。

「会長のお仕事と対局をサポートすることが、男鹿にできることの全てなのです。でも……男鹿の力では、肝心な将棋のことについて会長を助けることができない。私の実力は女流一級……いいえ、実戦から遠ざかっている今は、それよりもっと下です。練習将棋の相手としても役不足なのです。できることといえば、棋譜並べを手伝うことくらい。こんなに強く会長のことを想っているのに、将棋に関してはほとんど役に立っていないのです。だから、せめて事務的なサポートだけでも完璧にこなして、会長のご負担を少なくしようとしていたつもりだったのに……」

 

「男鹿さん、そんなに自分を責めないでください。私は対局中、いつも男鹿さんに感謝しているんですよ」

 

「そんな、男鹿は感謝されるほどのことはできていま…………えっ?」

 

 男鹿が驚いて顔をあげると、ベッドの上には穏やかに微笑んでいる月光の姿があった。

 

「か、会長!? いつからお目覚めになっていたんですか?」

 

「男鹿さんの声で目が覚めました。そんなことよりも」

 

 と言いながら、月光は体を起こそうとする。男鹿が慌ててその背中を支えた。

 

「自分を責めないでください、男鹿さん。私が対局できるのは、あなたの存在があってこそです」

 

「か、会長……そんな、そんなこと……」

 

「いいえ、そうなのですよ。あなたがいつもそばで手助けをしてくれているから、私は安心して対局に臨めます。それに、何よりも……あなたが、私のことをいつも心の底から応援してくれているから。だから私は最後まであきらめずに指し続けることができるのです」

 

「会長……」

 

「将棋盤の前に座った瞬間から、棋士は孤独な存在になります。誰かに相談するわけにもいかず、完全に自分一人の力で戦わないといけない。ただ……何度考えても自分が不利になる変化しか見えないようなとき。必勝だと思っていた将棋を、逆転されそうになってしまったとき。泥沼のような将棋で、最善手が見つからないようなとき。……そんなときには、これまで自分がお世話になった人たちの顔が思い浮かぶのです。家族、師匠、お世話になった先輩方、ファンのみなさん……そして、私にとってかけがえのない、大切な人。そんな人たちが一様に、私を励ましてくれます。ここ数年の間、苦しい局面で、私はあなたに何度励まされたことか……数え切れないくらいです」

 

「……会長ぉ……」

 

「だから、そんなに自分を責めないでください。そして、これからも私のことを支えてください。……いいですね?」

 

「はいっ……!!」

 

 手に手を取りあう二人を目の当りにして呆気にとられていた生石だったが、軽く咳払いをして、尋ねる。

 

「あー、会長。見舞いに来たんですが……お邪魔ですか?」

 

「おや、玉将。いたのですか?」

 

「……さっきからずっといたんですがね」

 

「それは大変失礼しました。私はご覧の通り順調に回復していますから、ご心配には及びませんよ。身の回りの世話は彼女がしてくれますし、玉将は明日もお仕事がおありでしょうから、気を遣わずにいつでもお帰り頂いて結構です。ご足労おかけして申し訳ありませんでしたね」

 

--要するに、「男鹿さんと二人きりになりたいからお前はさっさと帰れ」ということだな。

 言外に漂うメッセージを察知した生石は、「じゃ、これで失礼します」と言って腰を上げた。ちらりと見た男鹿の横顔は、真っ赤に染まっているうえ、ぐにゃぐにゃにゆるみきっている。「裏番長」もかたなしだな、と思いながら病室を出ようとした、その時。

 

「ああ、そういえば」

 月光が突然声を発した。

「来期の順位戦では、この間の借りを返させていただきますから。首を洗って待っていてくださいね」

 

 月光のその言葉は、ナイフのような鋭さで生石の耳に突き刺さった。

 

「……嬉しい脅し文句ですね」

 

 生石はそう言って返事をした。

 実際、生石は身震いするほど嬉しかったのだ。

 月光が自分に対抗意識を燃やしている。

 そして、誰かに対抗意識を燃やしているということは、月光がまだ勝負師として衰えていない証拠でもあった。

 

「会長、来期もよろしくお願いします」

 

 生石はそう言い残して、病室を後にした。

 

 

 

 帰る道すがら、生石は月光の言葉を反芻(はんすう)していた。

 将棋は一人で戦うものだが、その戦いの最中に自分を支えてくれるのは、応援してくれている人たちだ。月光はそう言った。

 自分はどうだったろうか。

 対局の最中に誰かのことを思い出すことは、全くと言っていいほどない。

 ただ……

 もし、深夜まで飲み歩くことを厳しく注意する妻が、いなかったら。

 酒の飲みすぎや煙草の吸いすぎを心配してくれる娘が、いなかったら。

 いや、それ以前に――

 子どものころ、近所の将棋教室で優しく将棋を教えてくれたおじさんたちがいなかったら。両親が、将棋教室に通わせてくれていなかったら。

 ……月光聖市という人が、棋士として現れていなかったなら。

 そもそも棋士になることすらできなかったかもしれない。

 そういったたくさんの人たちとのめぐりあわせがなかったら、自分はタイトル保持者にはなれなかっただろう。それは確実だった。

 

--将棋は孤独な遊戯なり。されど、将棋指しは孤独な人間にあらず、か……

 

 駅の雑踏の中を歩きながら、生石は自分の考え方が少しだけ変わってきていることに気づき始めていた。

 

 

 

 家に帰ると、辛香の携帯に電話をかけた。留守電だった。

 『ゴキゲンの湯』の場所と店が開いている時間、「いつでも来い」という言葉を留守電に吹き込み、受話器を置いた。

 謝罪の言葉は言わなかった。

 この間、辛香に告げたことは間違いではない。あれくらいでつぶれるような人間だったら、わざわざ定職を捨ててまで三段リーグに戻って来るはずがない。

 ただ、もし辛香が『ゴキゲンの湯』に来たら、いくらでも練習将棋の相手になってやろう。言葉ではなく、態度で示すのだ。

 

 俺はお前を応援しているぞ、と。

 

 

 

 

 

 三週間後。

 月光の復帰後初対局は、A級順位戦だった。

 相手は、於鬼頭(おきと)(よう)棋帝。順位戦で生石が何度も苦杯を喫している相手だ。プロ棋士の中でも屈指の実力者だがーー

 月光は、完勝した。

 「月光流」の鋭さを存分に感じさせる、超高速の寄せ。タイトル保持者である於鬼頭でさえ、そのスピードについていくことができなかった。翌週の『週刊将棋』には、「月光九段、華麗に復帰」という見出しが踊っていた。

 記事に添えられた写真には、穏やかな表情で感想戦を行う月光と、目を潤ませてそれを見つめている男鹿の姿が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「月光さんの会心譜やったね」

 

 スマートフォンの画面を見ながら棋譜並べをしていた辛香がそう言った。

「見ていて爽快だったな」

 

「充くんが苦手にしてる相手をやっつけてくれたんやもんねえ」

 

「アホ。そういう問題じゃねえよ」

 

 二人がいるのは『ゴキゲンの湯』の二階にある将棋道場だ。生石が電話を入れた翌日、辛香はさっそく人畜無害そうな笑顔を浮かべて『ゴキゲンの湯』に姿を現し、以来三日と空けずここに来て生石と盤を挟んでいる。

 この日も辛香は午前中から道場に上がりこみ、月光・於鬼頭戦の棋譜並べをしていた。

 

「それにしても、月光さんはいつ年を取るんやろ」

 ため息をつきながら、辛香がつぶやく。

「これでA級在籍連続三十四期か。途方もない記録やなあ」

 

「まだまだ伸びるさ、その記録は」

 

 生石はそう言いながら、煙草を挟んだままの指で駒をひょいひょいと動かした。それを見た辛香は、「うーん」と唸る。

 

「そうか、この手を警戒して月光さんは金を引いたんか……凄まじい読みの深さやなあ。ソフトも真っ青や」

 

 そう、月光はまだまだ年をとっていない。それどころか、ソフト研究をさかんにしている棋士たちとも互角以上に渡りあっていて、その強さは年々進化し続けているようにすら見えるのだ。

 自分だって、もう一回りも二回りも強くならないといけない。

 万全の状態の月光を、迎え撃てるように。

 生ける伝説を前に、悔いのない戦いをするために。

 

--来年の護摩行は、キツめにやらないといけねえな。

 

 生石はそう決意した。

 

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