それぞれのおしごと! ~りゅうおうのおしごと! 連作短編集~ 作:あすな朗
「やあ、飛鳥ちゃん。元気かい?」
番台のお仕事をしていた私に、お客さんが話しかけてきました。
「あ、はい。げ、元気です」
「うんうん、若い子は元気がいちばん。元気があれば何でもできる」
お客さんはそう言って大声で笑っています。とっても楽しそうなので、私もつられて笑います。
「はい、入湯料。先に二階にあがらせてもらうよ。飛鳥ちゃんも、休憩時間は将棋指しに来な」
「あ、あの、ありがとうございます」
階段を昇っていくお客さんに向かって、私は丁寧にお辞儀をしました。
ここは、京橋駅から歩いてすぐの銭湯、『ゴキゲンの湯』。
銭湯といってもただのお風呂屋さんじゃありません。なんと二階には将棋の道場があるんです。入湯料さえ払ってもらえれば、いくらでも将棋が指し放題。お風呂にはいれて将棋も指せちゃう、素敵な場所なんです。
この銭湯の店主は、プロ棋士の生石充玉将。私のお父さんです。お父さんは、ときどき道場に顔を出して、お客さんと対局しています。対局が終わると、熱い言葉でお客さんを激励したり、アドバイスをしたりします。もちろん、レッスン料はとりません。本当は、タイトル保持者が指導対局するのはダメみたいですが、お父さんはそんなこと全然気にしていないみたいです。
「将棋好きが二人そろえば対局が始まるのは当たり前だろ? それを止めることなんて、誰にもできないさ」
って言ってました。かっこいいです。
店主のお父さんがとても優しくてかっこいいので、「ゴキゲンの湯」は毎日たくさんのお客さんでにぎわっています。
棋士の先生方も、よくこのお店に来るようになりました。
たとえば、九頭竜八一竜王。
それから、空銀子先生。
八一くんは私と同い年。空先生は私よりも二つ年下です。
二人はお父さんと研究会をしています。ちらっと研究会の様子をのぞいてみたことがありますが、みんな難しい顔をして、将棋盤を囲んで色々と話し込んでいました。うらやましいような、おっかないような…………
でも、二人とも帰るときには晴れやかな顔で帰っていきます。そんな二人の表情を見ていると、こっちも清々しい気分になるから不思議です。
とくに空先生は、お店を出るときすごく浮き浮きしているみたいに見えます。何でだろう…………?
ま、まさか…………研究会のあと、二人で桜ノ宮に行ったりするんじゃないよね!?
前に、八一くんと空先生がホテルで一泊した、って聞いたけど……
でも八一くんは、「あの日はホテルで将棋の話をしただけで俺は姉弟子に指一本触れてないし一緒に一泊しただけでほんとうに何もないから!」って後で言ってたし……
大丈夫…………だよね…………?
とにかく、「ゴキゲンの湯」に来る人たちは将棋が大好きな人ばっかり。それに、みんなとってもいい人たちです。八一くんはこんな私にも気をつかって話しかけてくれるし、空先生はいつも無口だけど、優しい目をしています。お客さんもいい人ばっかりです。だから、このお店で番台の仕事をするのが、私は大好きです。
休み時間になりました。
アルバイトの人と交替して、二階にあがります。
二階の道場には、今日も人の好さそうなおじさんたちが集まっていました。みんな、とても楽しそうに将棋を指しています。いつもと変わらない日常です。
でも……
その中に、たった一人。
楽しそうな顔をしていない人がいました。
その人は笑顔を浮かべていました。でも、目が笑っていないのです。鷹のように鋭い目で、他の人の対局をじっと見つめています。常連さんではありません。
いったいだれだろう?
そう考えながらその人のことをちらちらと見ていると……
目が合ってしまいました。
あわてて目をそらします。そのまままわれ右をして、一階に戻ろうとしたのですがーー
「おおい、飛鳥ちゃん!」
「……っ!」
さっき声をかけてくれたお客さんに、呼び止められてしまいました。
「どう、飛鳥ちゃんも一局」
「……ぁ、ぇ……」
「ん? 今はだめなの?」
「…………ぃ」
「そうか、残念だなあ。じゃあ、また後でぜひ」
「……す、ぃません」
私はぺこりと頭をさげて、道場を出ようとしました。
その時です。
鋭い目つきのあの人が、いつのまにかすぐそばに立っていました。そして、口元に笑みを浮かべて会釈をすると、こう言ったのです。
「初めまして。初対面で失礼やけど、君、生石先生の娘さんやろ? 先生の若いころによう似てはるわ」
「ぇっ、ぉ、お、お父さんの、お知り合い、ですか?」
急に挨拶されてびっくりしましたが、かろうじて声をしぼりだします。
「ああ、申し遅れました。僕、辛香将司いいます。生石先生は奨励会で同期でした」
その人が名乗ると、周りにいたお客さんたちがどよめきました。
「辛香将司って、編入試験を受けて三段リーグ入りした、あの辛香将司!?」
「どっかで見たことあるなあと思ってたんやが……そういうことかいな!」
辛香さんのまわりにたちまちお客さんが集まります。私は知らないけど、すごく有名な人みたいです。
「生石先生はいらっしゃいますか? お会いできたらと思って来たんやけど」
「そういや今日は見ないなあ」
お客さんの一人がそう答えました。
「飛鳥ちゃん、知ってる?」
「あ、今日は、午前中、普及活動のイベントに出席するって……。も、もうちょっと、待っていてもらえれば……帰ってくる、と思いますけど……」
「そうかあ。それじゃあ、ここで待たせてもらおうかな」
辛香さんがそう言うと、
「せっかく来てくれたんだし、待ってる間に俺らと対局してもらえませんか?」
と一人のお客さんが提案しました。
「三段の人と指せる機会なんてなかなか無いし、ぜひ勉強させてもらえれば、と……ダメですかね?」
「いいですよ、もちろん」
辛香さんはにこにこしてそれに応じました。
対戦相手として名乗りをあげたのは、三人の常連さんたち。
辛香さんは、三人同時に相手をして、常連さんの段級位にあわせて駒落ちのハンデもつけて戦います。「駒落ち」というのは、上級者がいくつかの駒を使わないで戦う、ハンデ戦のこと。このハンデがあれば、実力が離れた人同士でも互角の戦いになるので、アマチュアのお客さんたちでも辛香さんとの勝負を楽しめます。
対局が始まってから、三十分余り。勝負はあっけなくつきました。
「いやあ、みなさん強いなあ」
辛香さんは、三人に簡単に負かされてしまいました。
でも、辛香さんが弱いというわけではありません。むしろその逆です。お客さんたちに気持ちよく指してもらうことを優先して、お客さんの注文に応じながら自然に指していった結果として、負けたのです。プロ棋士の先生が指導対局をしているみたいでした。横で見ていた私には、それがよくわかります。
お客さんたちもそのことがわかっているみたいで、
「ご指導ありがとうございました」
と口々にお礼を言っています。
やっぱり奨励会の人はすごいなあと感心していた、そのとき。
「飛鳥ちゃん、辛香さんと対局してみない?」
「!?」
お客さんの一人が、突然そんなことを言い出しました。
「そうそう、飛鳥ちゃんも対戦しときな。いい機会だ」
「ほら、遠慮してないで!」
「え、ええぇ!?」
おろおろしているうちに、将棋盤の前に座らされてしまいました。
「へえ、玉将の娘さんと勝負できるんか。光栄やなあ」
辛香さんはそう言ってにこにこしています。
「飛鳥ちゃん、いう名前なんやね。段位は持っとるの?」
「………………」
「この子はね、今1級だけど、もう初段……いや、二段くらいの力はあると思うよ」
固まってしゃべれない私のかわりに、そばにいたお客さんが質問に答えてくれました。
「そうそう。なんせ玉将の指導を毎日受けてるんだもなあ。ここ一年でずいぶん伸びたよ」
「へええ……」
辛香さんは、目を細めて私の顔をじっとのぞきこみます。
その目が一瞬ぎらっと光ったような気がして、私はびくっとふるえてしまいました。でも、そんなふうに見えたのはほんとうに一瞬だけで。
「なら、二枚落ちでやってみよか」
そう言って飛車・角の大駒二枚を駒箱にしまいこんだ辛香さんは、優しそうな顔に戻っていました。
「………………」
「ん? どうしたん? やりたくない?」
「……い、いいえ!」
私はぶんぶん首を横に振りました。
将棋が強くなるための秘訣は、とにかく強い人と将棋を指すこと。だから、奨励会の人と対局できる機会を、逃すわけにはいきません。
「よろしくお願いしますっ!」
私が頭を下げると、辛香さんは――
「うん。よろしくお願いします」
にこにこ笑いながら、こう言ったのです。
「玉将と対局するつもりでやらせてもらうわ」
そのとき……
また辛香さんの目が、ぎらりと光ったような気がしました。