それぞれのおしごと! ~りゅうおうのおしごと! 連作短編集~   作:あすな朗

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ばんだいのおしごと! 後編

 

 ぱちり、ぱちり。小気味のいい駒音が、道場に響きわたります。

 テンポの良いそのリズムはやさしい音楽みたいで、その音を聞いているうちに、緊張もだんだんほぐれてきました。

 

 辛香さんとの対局で私が選択した戦法は、「銀多伝(ぎんたでん)」。

 二枚落ちの戦い方としては最も有名で、攻守にバランスの取れた陣形です。将棋の普及指導員を目指すのであれば、絶対に知っておかないといけない戦い方でもあります。そして、一番大事なことは……

 

 飛車が真ん中にいること。

 

 角道も開いているので、私の大好きな「ゴキゲン中飛車」という戦法にちょっと似ています。飛車を真ん中に移動させるだけで、何だか自分の家に帰ってきたときのような、ほっとした気分になって、この飛車で真正面から相手と立ち向かっていこう、という勇気が湧いてきます。

 

 もちろん辛香さんも「銀多伝」の定跡をよく知っていて、要所要所に金銀を配置。簡単に攻めさせてはくれません。でも、向こうが守りを固める間に、こちらは銀将二枚を高く組み上げ、飛車を振って、陣形の整備は完了です。

 あとは、攻めるだけ。

「ふぅー…………」

 私は、大きく深呼吸して気持ちを落ち着けます。そしてーー

「ん!」

 歩を突き出して、開戦。

 そこからは必然と思われる手が続きます。指し手を進めていくと、定跡で勉強した通り、こっちが有利な局面になってきました。

 飛車道も角道もよく通っているし、金銀三枚で玉も固く守られています。相手の駒は守りに集中せざるを得ないので、すぐに攻め込まれることはありません。どんどん敵陣を攻め立てていくことができます。

(よし、いける!)

 私がそう思ったとき。

 

「なあ、飛鳥ちゃん」

 

「……?」

 

「こんな手、見たことある?」

 

「……えっ!?」

 

 辛香さんが指したその手は……私が考えもつかなかった一手でした。

「っ……」

 盤面をじっと見つめて、必死に辛香さんのねらいを探ります。

 ひと目見たかぎり、私が悪くなる変化ではないはず。でも、なんだか嫌な予感がしました。

 集中して、深く読みを入れます。最近少しだけ見えるようになってきた頭の中の将棋盤で駒を動かしながら、いくつもの変化を繰り返し繰り返しシミュレーションして……

 ……

 …………

 ………………

 このまま攻めて大丈夫、だよね……?

 いくら考えても、攻め込んで悪くなるはずがないという結論になるのです。辛香さんは、むしろ自分から不利になるような手を指しているみたい。このまま攻め込んでいって、大丈夫なはず……

 

 でも……

 

 奨励会三段の、昔お父さんといっしょに腕を競っていたような人が、そんな手を指すだろうか?

 辛香さんの手には、私が読み切れていないような罠が隠されているんじゃないだろうか?

 

 そんな考えが頭をよぎります。

 すぐに攻め込まないほうがいいんだろうか……飛車を別の場所に移動させて……いや、自分の陣形を整えながら様子を見たほうが安全なのかも……

 

 だんだん不安になってきて、あまり深く読んでもいない「安全そうな」手を選んでしまいそうになった、そのとき。

 

『バカ野郎!!』

 

「えっ!?」

 私は思わず声をあげてしまいました。

 突然、どこからかお父さんの声が聞こえてきたような気がしたからです。でも、道場の中を見回してもお父さんの姿はありません。

 

『そんな弱気な手を指してどうするんだ! 勝機があると思ったら、思い切って踏み込め!!』

 

……ああ、そうか。

 今私は、お父さんに「銀多伝」の指し方を教わっていたときのことを、急に思い出してしまったんだ。あのときお父さんに絶対に指すなと注意されたような手を、選びそうになっていたから……

 

 

『いいか、飛鳥。銀多伝で戦うときの方針は、振り飛車と同じだ。自分の陣形が整ったら、左側の桂・金・角を思い切って(さば)く。駒をどんどんぶつけて、相手の守備駒と交換していけ。それだけで自然によくなる』

 

『ほ、ほんとう……?』

 

『ああ。「銀多伝」の陣形はがっちりしているから、相手に多少駒を渡したところでびくともしない。中央が突破できればこっちのもんだ。あとは着実に相手の玉を追っていけばいい』

 

『そ、そっか。振り飛車の「(さば)き」の感覚で攻めていけばいいんだね』

 

『そうだ。ただ、ひとつだけ注意しないといけないことがある』

 

『……?』

 

『それはな……「弱気になること」だ』

 

『弱気に……なること……』

 

『そうだ。「銀多伝」は、二枚落ちの下手(したて)の戦法。ということは、相手の力はこっちよりもはるかに上だ』

 

『……』

 

『自分よりも実力が上の相手が、予想外の受けをしてきたり、攻め合いに出てきたりしたとき……それに気圧されて、これまで進めていた方針を転換してしまいがちになる。自分の読みを信用しきれずに、上手くいきかけていた攻めを中断してしまう。苦労して切り開いてきた「道」を、自分からあきらめてしまうわけだ。そうすると、たいていの場合、形勢は一気に悪くなる』

 

『……』

 

『なんとなく相手を信用するんじゃなくて、自力で読み抜いてたどりついた結論を信じろ。仮にその結論が間違っていて勝負に負けたとしても、その負けは絶対にその次に繋がる敗戦になる。……わかるか?』

 

『……うん、わかるよ、お父さん』

 

『自分らしい将棋さえできれば……自分の頭の中で思い描いた「道」を将棋盤の上に実現できさえすれば、それが財産になるんだ。これから何年、何十年とかけて、財産を少しずつためていくつもりで、将棋を指すといい』

 

『うん……!』

 

『ど真ん中で直球勝負を挑むってのが、お前の「道」なんだからな。それを大切にしろよ』

 

 

 ……うん。そうだったよね。

 自分を信じて、自分の「道」を大切にして、将棋を指すんだったよね。

「ふぅぅーっ…………」

 もう一度、大きく深呼吸。そして――

 

「うんっ!」

 

 思い切って、桂馬を前線に繰り出します。

 その手を見たギャラリーのお客さんたちが、「おおっ」とどよめきました。

 私が選んだのは、駒を大胆にさばいて辛香さんの陣地にぐいぐい迫っていく、一番攻撃的な一手。後戻りのできない一手です。

 でも、迷いや不安は感じません。

 私の頭の中の将棋盤が、この攻めが最善だという結論を出したから。

 中飛車で、堂々と真ん中から攻め込んでいく。それが、私の「道」だから。

 そして――

『勝機があると思ったら、思い切って踏み込め!』

 お父さんが、そう言って励ましてくれているから。

 

「……へえ……」

 

 私の積極的な手に驚いたのか、辛香さんは少し考えこみます。そして、ぐっと自分の陣形を引き締める、落ち着いた手を放ってきました。

 指されてみると、たしかに嫌な一手です。でも……

「ん!!」

 私はさらに駒を前に進めて、攻撃の火ぶたを切りました。

 そこからは、お互いの駒がどんどんぶつかっていって――

 

 

 

「負けました」

「ぁっ……ありがとうございました」

 

 辛香さんが頭を下げたので、私も礼を返します。周りのお客さんたちが、「さすが飛鳥ちゃん!」「良い将棋だったよ!!」と言いながら、拍手をしてくれました。

「いやあー、やっぱり強いなあ。道場の皆さんが言うだけのことはありますわ。ひっかけてみようと思ったけど、まっすぐ攻めてこられてしまって。こりゃ勝てません。お見事です」

「ど、どうもありがとうございます」

「それに、周りで見てる皆さん方が、みんな飛鳥ちゃんの応援してるからなあ。それが飛鳥ちゃんの力になったかもわからんね。皆さんが応援している飛鳥ちゃんと一人ぼっちの僕、や」

 辛香さんはおどけた口調でそう言って、周りのお客さんたちの笑いを誘います。するとお客さんの一人が、まじめな顔でこう答えました。

 

「いやいや、俺は辛香さんのこといつも応援してるよ」

 

「え……ほんまですか?」

 

 他のお客さんたちも、うんうんと頷いています。

 

「今日は飛鳥ちゃんを応援したけど、普段は辛香さんのことを応援してる。なんたって、辛香さんはサラリーマンとして仕事をしながらアマチュアの大会で優勝して、奨励会に入り直したんだから。俺らアマチュアにとっては、尊敬の的なんだ」

 

「いやいや、尊敬なんてしないでください」

 辛香さんは苦笑いして手を振りました。

「奨励会の三段リーグに入ったはいいけど、そこから中々抜け出せんのです。二十歳そこそこの若者にまじってオッサンが一人ぼっちで将棋指して、醜態さらし続けとるんですわ」

 

 辛香さんはそう言って、自分を嘲るように笑います。

 するとお客さんは――

 

「そんなことありませんよ!」

 

 声を荒げて、その言葉を否定しました。

 

「辛香さんが若い棋士相手に堂々とたたかっている姿を見るだけで、津々浦々にいる将棋好きのオッサンたちは励まされるんです」

 お客さんたち全員が、「そうだ、そうだ」と賛同の声をあげます。

「一人ぼっちなんていうことはないですよ。マスコミが取り上げなくなっても、我々はみんな辛香さんのこと応援してますから」

「俺、辛香さんがアマチュアの大会で優勝した時の棋譜、今でもよく見ます」

「あ、俺もときどき見るわ」

巨匠(マエストロ)も『あいつらしい将棋だ』ってほめてましたよね、その棋譜?」

「そうそう。巨匠(マエストロ)、けっこう辛香さんのこと応援してるんですよ。悪口もよく言ってますけどね」

「そうだ、うちの会社には将棋部があるんですけど、もしよろしければ今度指導に来ていただけませんか? みんな辛香さんのファンだから、ものすごい喜ぶと思うんです」

「アホ、辛香さんはお忙しいんだからそんなの無理に決まってるだろ。少しは遠慮しろよ。あ、私の職場にも将棋の同好会があるんでぜひ指導にいらしてください」

「お前言うてることムチャクチャやぞ!」

 お客さんは口々に辛香さんに話しかけます。

 

「………………ほんまですか。嬉しいですわあ」

 

 私はびっくりしました。

 辛香さんの目に、うっすらと涙が浮かんでいたのです。さっきまであんなに鋭い目つきだったのに……

 辛香さんは、目頭を押さえながら、お客さんたちにお礼を言いました。

 

「いやあ、今日は皆さんからいろんなこと教わったわ。ほんまに感謝です。飛鳥ちゃんも、ほんとうにええ将棋を指すなあ。これからもがんばって勉強してや」

 

「あ、いえ、そんな、あの、あ、あ、ありがとうござぃ、ますっ」

 突然ほめられてびっくりしてしまったせいで、すごい勢いで舌を噛んでしまいました。恥ずかしい……

 

「充くんに稽古つけてもらおう思って来たけど、飛鳥ちゃんと将棋指せただけでもう満足や。今日はもう帰ろうかな。充くん、飛鳥ちゃんのことをすごい大切にしてるから、こういうふうにおしゃべりしてるだけでも『俺の娘に近づくな』いうてどやしつけられるかもしれんし――」

 

「辛香、お前何やってるんだ?」

 

 聞き慣れた声がしたので後ろを振り返ると、いつのまにかお父さんが道場の入り口に立っていました。

「あっ、充くん! お邪魔してます。今、娘さんと一局指したところで――」

「俺の娘に近づくなッ!」

 お父さんは、ずんずん道場の中に入ってくると、辛香さんの腕を乱暴に引っ張って将棋盤から引き離します。

「痛い、痛いよ充くん。暴力反対や」

「なんでお前がここにいるんだ」

「いつでも来いって言うてくれたやろ。昨日、留守電聞いたで」

「来るんだったら一報くらい入れたらどうなんだ? せっかく来ても俺がいなかったら無駄足だろう」

「ということは、僕が一報入れたら充くんはちゃんと待っていてくれるいうことやね?」

「ッ……」

 お父さんは「しまった」という顔をしました。それを見た辛香さんが、にこーっと満面の笑みを浮かべます。

「やっぱり充くんは優しいわあ。僕が三段リーグで苦戦してるのを知って、稽古つけてくれるなんて……充くん、おおきに! 感謝感激や!」

 

 周りのお客さんが、「いい話だ……」「さすが巨匠(マエストロ)!」と言って感動しています。お父さんは何か言いたそうに口を動かしていましたが、「ったく、調子のいい野郎だな、お前は……」と呟いただけで、それ以上辛香さんに文句をつけることはしませんでした。

 

 辛香さんはにこにこ笑っています。その目には、さっきみたいなぎらぎらした光はありませんでした。

 そんな辛香さんを見て、私は思います。

 お父さんと仲が良い人に、悪い人は一人もいません。八一くんも。空先生も。それから、お店のお客さんたち全員。みんなとってもいい人たちです。優しくて、ニコニコ笑っていて、将棋が大好きな人たちばっかり。そんな人たちが集まるのがこの『ゴキゲンの湯』。

 

 でも……ひょっとしたら逆なのかもしれません。

 悪い人がここに来たとしても、道場の人たちと会って、話して、将棋を指しているうちに、だんだんいい人に変わっていってしまうのかもしれません。

 だからきっと、この人も。

 

「ほんまに嬉しいわあ。なんだか涙が出てきそうや」

「女々しいやつだな。男だったら涙を流すなよ、みっともない」

「そんなこと言うて、充くん、三段リーグで昇段のチャンスを逃したとき廊下でオイオイ泣いてたやろ? 僕よう知ってるで」

「なっ……! おい飛鳥、こいつの言うことを信じるなよ。全部嘘だからな」

「対局時間を間違えて不戦敗になったときも、『不甲斐ない』言うて男泣きに泣いとったがな」

「てめえ、これ以上しゃべるな!」

「何や? 僕の言うことが全部嘘やったらそないムキになる必要ないやろ? ん? んん?」

「クッ……! …………よし、いいじゃねえか、やる気なんだな? かかってこい、十秒将棋で返り討ちにしてやる」

「カッカしてるなあ、そんなんで将棋指せるんか?」

「ぬかせ。手合い違いだってことを分からせてやるよ」

「受けて立とうやないの。指す手なくしてベソかいても知らんで」

 

 お父さんと子どもみたいに言い争っている辛香さんを見て、きっとこの人もいい人なんだろうなあ、と私は思ったのです。

 

 

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