それぞれのおしごと! ~りゅうおうのおしごと! 連作短編集~   作:あすな朗

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第二章
にちじょうのできごと! 前編


 

 朝起きると、ベーコンが焼ける香ばしい匂いがただよってきた。

 

 ぱちぱちとはぜる油の音が、耳に心地良い。

 

 布団から起き上がって(ふすま)を開けると、キッチンで料理にいそしむ同居人の姿があった。

 

「ジンジーン、起きた? おはよー! 朝ごはん、もうすぐできるからね~☆」

 

「珍しいね。珠代(たまよ)クンが自分から料理をするなんて」

 

「だってー、昨日ジンジンが『明日の朝はベーコンエッグにしよう』って言ってたでしょ? だから、早起きしてつくってあげたら、ジンジン喜ぶかな~って」

 

「ありがとう。とっても嬉しいよ」

 

「えへへ~♪」

 

 僕が頭を撫でてあげると、彼女はふにゃっと顔をほころばせる。

 

 フリルのついたエプロンを着てにこにこ笑っているこの人は、鹿路庭珠代(ろくろばたまよ)女流二段。

 隣の部屋に住んでいる彼女は、僕の部屋の合鍵も持っていて、二つの部屋を自由に出入りできる。

 ちなみに、僕も珠代クンの部屋の合鍵を預かっている。

 というか、彼女の部屋はもともと僕の研究用の部屋だった。その証拠に、今でも彼女の部屋の表札は、「山刀伐(なたぎり)」のまま--つまり、僕の名字のままだ。

 

 「仕事が軌道に乗るまでは」という条件で、研究用に借りている隣の部屋を、単身上京してきた珠代クンの住まいとして貸し与えたのが五年前。

 それ以来ずっと、人気女流棋士になった今でも、彼女は隣の部屋に住み続けている。それどころか、最近は僕の部屋に入りびたりになっていて、夜になっても自分の部屋に帰らず、僕の部屋に泊まるようになった。

 

『ジンジンの部屋ってめちゃんこ広いから、私がいても全然邪魔にならないでしょ?』

 

 というのが彼女の言い分。

 

 たしかに邪魔にはならないが、彼女が炊事洗濯を積極的に手伝ってくれるということもない。休日はだいたい、昼過ぎまでソファの上でごろごろしている。猫みたいだ。

 

 今日は珍しく朝ご飯をつくってくれているけど、これはあくまで例外。三度の食事はほとんど僕がつくっている。

 

 というのも理由があって--

 

「どしたの、ジンジン? もうすぐできるから、リビングで待ってて?」

 

「……」

 

 味は悪くないんだけど、珠代クンの料理の仕方はかなり雑だ。

 今だって、キッチンを見渡せばその雑さ加減は一目瞭然。

 冷蔵庫から出した調味料はそのへんに置きっぱなしだし、なぜか油がやたら飛び散ってるし、シンクにはベーコンを包装していたビニールのパックが、べちゃっと放置されている。

 

 そして彼女は片付けをしない。

 つまり、この混沌とした台所を元通りに復旧するのは、ぜんぶ僕の仕事だ。

 結局、彼女に炊事を任せると、後で僕の仕事が増えるわけで。

 それなら自分で全部やった方が早いし、ストレスも少ない。

 

 と、いうわけで。

 僕は今、思いっきり不機嫌な顔をしてもいいところなんだけど……

 

「ほらほら、ジンジンはあっちで座って待っててってば。あ、パンも焼いてあげるから、安心して?」

 

「ありがとう! フフッ、楽しみだなあ」

 

「えへへ~☆ ジンジンに頭なでられちゃった」

 

「いつもなでてあげてるだろう?」

 

「そうだっけ? じゃあお返しに……えいっ!」

 

「おいおい、脇腹をくすぐるのはやめてくれないかい?」

 

「んふふ~♡」

 

 珠代クンがとても可愛いので、これでよしとする。

 

 甘やかすのはよくないことだとわかってはいるんだけど……ね? こういうふうに上手に甘えられるとついこっちも甘くなってしまう。

 はたから見てどうなんだろうと思ったりもするけれど。当人同士が楽しければそれでいいはずだ。きっと。

 

「それじゃあ、今日頑張ってくれたご褒美に、夜はとっておきのワインをごちそうしちゃおうかな」

 

「わーい♪ ワインに合う料理もつくってくれるんだよね?」

 

「もちろん☆ 何かリクエストはあるかな?」

 

「鯛のカルパッチョと、シーザーサラダ。あ、サラダには手作りのクルトン入れてほしい。あとライスコロッケ!」

 

「……言いたい放題だね……」

 

「だめ?」

 

 上目遣いでおねだりポーズをとる彼女。

 かわいい。

 ……大事なことなのでもう一度。上目遣いでおねだりポーズをとる彼女は、かわいい。

 

 将棋界の荒波にもまれた彼女はいつの間にか、こういうふうに女の武器を活かす(すべ)を身につけてしまったようだ。

 

 でも、この先、こういう処世術がずっと通用するとは限らない。

 いつもは彼女に甘い僕だけど、ここはさすがに厳しく接しておかないと。そう思った僕は、考えられる限りで最も峻烈(しゅんれつ)な塩対応をしてみせる。

 

「ダメじゃないよ! 僕が全部つくってあげるからね☆」

 

「やったー♪ ジンジンありがとう!!」 

 

 ……

 ボクってダメだなあ……

 

 でも、珠代クンの嬉しそうな顔を見ていると、それでもいいかという気分になってしまう。彼女も、ずいぶん辛い思いをしながら将棋を続けているんだ。せめてボクといっしょにいるときくらいは、ずっと笑顔でいてほしい。

 そう思うのは、悪いことじゃないだろう?

 

 

 

 その後、二人でおしゃべりしながら朝食をたべた。彼女がつくってくれたベーコンエッグはすこし焦げ目がきつかったけど、中々おいしかった。

 

 

 

 食後にコーヒーを一服して、後片付けをしようとしていたとき。

 携帯電話が鳴った。

 電話をかけてきたのは、将棋連盟会長秘書・男鹿ささり女流初段。要件はごく簡単なものだったので、会話はものの二、三分で終わった。電話を切って、後片付けを始めようとしたんだけれど……

 

「……あれ?」

 

 テーブルの上は、きれいさっぱり片付いていた。

 それだけじゃない。

 食器はすでにぜんぶ洗ってあるし、ぐちゃぐちゃだったシンクも綺麗になっているし、置きっぱなしだった調味料も元に戻してあるみたいだ。

 

「ジンジンが電話してるうちに、私がやっといたよ。後片付け。だって、いつも片付け全部やってもらってるから、たまには私が最後までやろうかなーって……」

 

 はにかんだ笑顔が無性に愛しくて。僕は彼女の頭をぽんぽんとなでた。

 

 夕食の材料の買い出しは、二人で一緒に行くことにしよう。

 

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