異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたので隠居したい 作:ジト民逆脚屋
地味男
麻野
ぽちゃ女
森を行く道を、一台の馬車が進む。一目見て上質だと解る造りの馬車は、二頭の黒毛の馬に牽かれて、長閑な雰囲気の林道を進んでいく。
御者台には一人の男、黒尽くめの衣装に紅い襟巻きで口元を隠した男が、背後の荷台から聞こえてきた音に、溜め息を一つ吐き出す。
「麻野、ただ寝るなら替わってくれ」
道士風の衣装を着たふくよかな女が、錫杖を片手に荷台で転げていた。
寝惚けた眼と、口元に涎の跡がある事から、男が言う様に本当に眠っていた様だ。
「あえ? 町着いた?」
「………あまり眠っていると、……豚になるぞ」
「誰が豚だ? おぉ? 浜名ぁ」
錫杖で肩を叩き、浜名に凄む。彼の言う通り、麻野は同年代の女と比べても、幾らかふくよかな体型をしていた。余裕のある道士服を含めて見ても、彼女はふくよかだと解る。
「ははは、起きたなら、地図でも読んでくれ」
「ったく、言っていい冗談って知ってる?」
麻野は荷台に備え付けられた寝台に腰掛け、荷物から取り出した地図を広げ見る。
「今はアレフトの手前でしょ?」
「ああ、山科の目撃情報は、アレフトが最新らしいからな」
「竜胆の奴の情報網は、一体どうなってんのか……」
〝魔女〟と呼ばれる友人の、妖しい笑い声を幻聴する。国が漸く手に入れた情報を、彼奴はさも当たり前に、更なる詳細を与えて入手している。
性癖と性欲の
「馬車も何も、竜胆が手配してくれたしね」
「あいつには足を向けて寝れないな」
「お? 蒸し返す? 蒸し返しちゃう?」
背後で鐶が鳴った。麻野が後衛の魔法職とは言え、浜名の耐久力はそれ程高くない。長い錫杖の先端、遠心力を加えた金属の一撃を、頭に食らうのは勘弁願いたい。
「落ち着け。……雨が来そうだな。近くに村はあるか?」
「話を逸らすな。近くに小さい村があるよ」
「なら、今日はそこに泊まろう」
「宿あるかなぁ」
「無ければ、この馬車に寝泊まりするだけだ」
浜名が言うと、麻野は荷台に倒れ込む。
上等な寝台付の馬車は、竜胆が他物資と一揃えで準備した物だ。それに竜胆が微弱ながら呪言を、倒れる麻野が《陣術師》として陣を刻んでいる。
通常、陣と呼ばれる結界を用いる《陣術師》は、地面に刻み、地脈を流れる魔力を操作して、攻撃や防御、支援を行う。
だが、麻野は
ーー車輪が地面に触れてるからセーフーー
と、レミエーレ王国の《陣術師》達が、スゴく味わい深い顔した理論を用いて、《敵祓いの陣》を馬車に刻んでいる。
「あ~、リフィーアちゃんのご飯食べたい。というか、米が食いたい……!」
馬車の床板に、何やら細々とした陣を描きつつ、麻野が魂の叫びを、天幕目掛けて吐き出した。
この叫びに、浜名は苦笑しつつも内心で同意する。この世界に来てから、物心ついた時から食べていた米を、一度も口にしていないのだ。
麻野程ではないにしろ、浜名も数年振りに米を食べたいとは思っている。
「あの鶏ガラ女め、分けてくれたっていいじゃんよー」
「なにやら、交渉に使うと言っていたからな。それに、あの竜胆が量を用意出来なかったと、言ってたんだ。あの俵六俵が、どれだけ貴重品か分かるだろ?」
「そーうだけどさー……」
麻野が唇を尖らせ、抗議の声を挙げる。彼女も実際は理解している。あの竜胆が、六俵の米を入手するのが限界だと言う意味を。
麻野達では、米粒一粒、奇跡が起きれば茶碗一杯分を手に入れられるか、といった所だ。彼女が入手した六俵分の米、その重さが何を意味するのか。
「レミエーレ首都の東にある未開の大森林、そこが米の栽培に適した土地らしい」
「米を政治家達に教えて、開拓事業を始める気?」
「開拓村が出来れば、そこに経済が生まれる。そうなれば、あいつの独壇場だ」
人が集まれば、物が集まる。物が集まれば、雇用が起きて金が動く。そして、雇用と金を動かす為の経済が生まれる。
竜胆の基本は、働かせ稼がせ、使わせる。資本主義社会、金が回らねば社会が死ぬ。金とは血だ。巡らねば、腐って死ぬだけ。だから、竜胆は必要以上に貯金をせず、筆頭に立って金を使う。
「町で管巻いてる冒険者達にも、これで仕事が回るだろうな」
「半分チンピラになってるのも居たからね」
「まあな」
王都周辺の冒険者には、戦役の関係もあり、騎士団がその主な仕事の種である、魔物や魔属との戦闘を行う為、安い護衛か報酬に見合わない傭兵業位しか、仕事が回ってこない。
その結果、力や能力がある冒険者が王都を離れたり、残った冒険者も半ばチンピラか、そういった連中の護衛になってしまい、治安の悪化が始まっていた。
国も黙って見ていた訳ではないが、国が行う対策だけで、どうにか出来る事態は過ぎていた。
だから、竜胆は開拓民の力を借りる事にしたのだ。
「あ、浜名。宿ある」
「そこにするか」
宿の外見から、あまり素行は良くなさそうだが、他よりは幾らかマシそうだと、浜名はある宿の前に馬車を止める。
「部屋に空きはあるか?」
「…………風呂有り飯有りなら銀貨五枚、風呂有り飯無しなら銀貨三枚、両方無しの素泊まりなら銅貨三枚だ」
禿頭の、宿の店主というより盗賊が似合いそうな男が、眇で浜名を見て、ぶっきらぼうに代金を説明する。
浜名はその視線に、観察されている様な感覚を覚える。
「銀貨五枚だ」
「奥の部屋なら、ベッドは二つある。馬車は店の裏に置いておけ。飼い葉と水は料金に入れてある」
店主が言うと、獣人の奴隷の一人が、馬の手綱を引いて馬車を店の裏に、もう一人が二人の案内役を勤めた。
麻野も浜名も、奴隷は知っている。だが、見ていてあまり気分の良いものではない。
例え、首輪以外に奴隷らしさが無いとしても、人間が首輪を付けているというのは、存外に心にくる。
「では、また明日の朝、朝食を持って参ります」
「ああ、宜しく」
あまり気分の良いものではないが、この世界では当たり前の事で、二人共に既に慣れてしまっていた。
「……んじゃ、風呂入るけど、覗くなよ?」
「ははは、麻野。ナイスジョークだ」
「おーし、一発いっとくか」
鐶の音が、広くない部屋に響いた。