異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたので隠居したい 作:ジト民逆脚屋
曇天、そう言うにはあまりに暗い空の下、一人の女が硬い足音を石畳に響かせながら、ある屋敷へと向かっていた。
健康とはお世辞にも言い難い、痩せ細った女。白のスーツで覆った、枯れ枝の様な体は、吹く風に今にも巻き上げられてしまいそうだ。
その女の名前を竜胆という。何時もは連れて歩いている紅顔の美少年も、今は居ない。かといって、馬車に乗る訳でも、密かに護衛がついている訳でもない。
用心深く疑り深い彼女にしては、非常に珍しい無防備な状態だった。
しかし、仮にも国の重要人物でもある彼女が、一人で何処へ向かうのか。そこは屋敷だ。広大な庭に、豪奢な造りの屋敷。
竜胆が一人無防備に歩いている場所は、あのオーフィリア家の私有地であった。
だが、ここは貴族の家。見栄と体面を気にする貴族が、客人を一人歩かせる様な真似をするだろうか。
「……リンドウ様」
「よう、リナシア。……悪いな」
広大なて家を、俯き気味に歩く竜胆が、名を呼ばれ顔を上げる。豊かな金の髪を、淡く波立たせ、華やかだが落ち着いたドレスを纏ったリナシアが、兄とよく似た美貌に呆れの色を浮かばせていた。
「まったくです。使用人はおろか、騎士まで人払いとは、リンドウ様相手だから通じるだけですよ」
「……まあ、これから話す内容が内容だ。先に言っとく。私はお前の事好きだし、嫌われたくはない。だけど、これからの話は絶縁されてもおかしくない」
「厄介な話、という事ですね」
「ああ、それも結果次第じゃ、この世界の根底がひっくり返りかねないな」
また厄介な話を。リナシアは軽く目頭を押さえ、一つ息を吐いてから、竜胆を見た。
──疲れてますね──
護衛も使用人も、あのジョナサンすらも己から引き離し、今の竜胆は正真正銘一人だ。いや、もしかするとまだ誰か、何処かに潜ませているかもしれないが、今はあまり関係無い。
今は、竜胆が持ってきた厄介な話だ。
「そうだな。屋敷、入れてくれるか? 流石に外じゃ話し辛い」
「……何時もの貴女なら、否応なしに話を始めて、自分のペースに巻き込むのに」
「お前に頼みもあるからな。下手に出るぜ、私は」
──ああ、そうさ。これからの事を考えたら──
下手に出るくらい、何て事は無い。
竜胆はふと、空を見上げた。今にも降りだしそうな暗い空が、今の自分の心境を表している様で、意味も無く苛立ちが起きる。
まったくと、何が絶縁されてもおかしくないだ。今から話す内容は、その場で斬り捨てられてもおかしくない。
そんな内容だというのに、はっきり言わない自分が、堪らなく滑稽に思える。
「さて、リンドウ様。本日は如何様なお話で?」
「またいきなりだな」
「しかし、そうでもなければ、何かはぐらかされそうで」
屋敷の扉を潜り、広いホールに二人が向かい合う。十数秒の間、互いに視線を交わし合い、やがて竜胆が降参だと、両手を上げる。
この手の勝負で、竜胆はリナシアに勝った試しが無かった。
「絶縁してもらっても、斬ってもいいから、落ち着いて聞いてくれよ」
髪を掻き上げた竜胆が、ゆっくりと口にした言葉に、リナシアは一気に怒気を膨らませ、竜胆に掴み掛かる。
だが、その手には力は籠らず、竜胆の枯れ枝の様な体すら揺らせなかった。
やがてリナシアの膨れ上がった怒気は萎み、ゆっくりと竜胆の胸に顔を押し付けた。
くぐもった声が竜胆に問い掛ける。
「……リンドウ様、やはり、なのですか?」
「それはまだ分かんねえ。だけどな、私もそうではあるなと、願ってる」
この自分が、一体誰に願うというのか。自嘲しながら見上げた窓の外は、変わらず暗い空のままだった。
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目が開いたら、そこはもう見慣れた天井だった。少しだけ年季の入った天井、シーナが顔を横に向けると、青い装甲と、それと同じ色の砲剣があった。
傷も汚れも無いそれだが、今は何故だかとても草臥れて見えた。
「あ……」
手を伸ばしても届かない。幸せが、欲しかった。顔も覚えていない親に、要らないと捨てられて、行き着いた孤児院で何故か竜胆に気に入られて、麻野と浜名達に出会って、嫌な事も楽しい事もたくさんあって、〝山科椎名〟は漸く人並みになれたと、そう思っていた。
「……う、あ……」
だけど、それもいきなり崩れ去って、やはり〝山科椎名〟は幸せにはなれない。一人、また一人と知った顔が居なくなっていって、次は自分だと、そう決め込んで塞ぎ混んでいたある日に、シーナは彼と出会った。
「……グレイ……」
最初の出会いは、あまり良いとは言えなかった。自分達をこの世界に連れ去った連中、その意識がまだ強く、特にシーナは周囲と一定の距離を置いていた。
怖かった。突然、世界がまるで違うものになって、自分達も空想の物語の登場人物の様な、不思議な力と道具を得て、生き残る為になりふり構わず戦い、何もかもが変わっていって、自分が今どうなっているのか。
分からなくなっていって、〝山科椎名〟が〝山科椎名〟でなくなっていく。そんな錯覚が、堪らなく怖かった。
「ごめん、ごめんなさい」
だけど、彼と出会ってから、それらがゆっくりと変わっていった。
何故か、周りに人が集まってきて、辛い事の方が多いけれども、それを楽しい事が上書きする様になっていって、自分も彼に惹かれて、彼の目を見詰める様になり、彼の傍に居る様になって、そして結ばれた。
そしてなくした。
あの日に、レミエーレ王国と魔属領の境にある要塞が、予想外の急襲により陥落したと伝えられ、動ける戦力を投入し、魔属の侵攻を防がなくてはならなくなった。
麻野と浜名は既に別の作戦に参加していて、他の召喚勇者も、先行している神野や和泉以外は、ほぼ全員が似た様な状況だった。
「シーナ、これが終わったら、改めて式を挙げよう」
「グレイ、あまり縁起の良くない事を言わないで」
「死亡フラグ、だっけ? 君達の世界には面白い風習があるんだね」
だから、自分の部隊とグレイが率いる師団が後詰めとして、和泉達が開けた穴に一気に攻め混み、早急に戦いを終わらせる。
その為に、要塞とこちら側を繋ぐ狭い渓谷に、シーナが広範囲の砲弾の雨を降らせ、敵を混乱させ分断する。
顔も名前も知らない、誰かが立案した作戦書が、しかし正式な指令として、シーナだけに回ってきた。
この時、一連の出来事に少しでも疑念を抱いていれば、誰も死なず、今もグレイの傍に居られたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
渓谷に続く盆地、見晴らしもよく遮蔽物の無い場所で、出来れば避けたかったが、作戦開始に間に合わせる為には、どうしてもここを通るしかなかった。
「しかし、妙な作戦ですな。奥方様」
「うん、変な作戦。あと、奥方様はまだ早いよ」
「しかし、後日はそうなられるのでしょう?」
「うん」
それはいいと、オーフィリア家に長年仕える騎士達が、軽い前祝いとして、オーフィリア家所縁の縁起ものの髪飾りをくれた。なんでも、未婚の女性に対し魔除けの意味があるらしい。
「婚姻後も、その子に魔除けの効果があるって話でさ」
グレイの父の代から、オーフィリア家に仕える重騎士が、長年愛用している戦槌を肩に担ぎ、シーナに太い笑みを返す。
「なら、式の時の付き添いは、ダレンに頼もうかな」
「儂にですかい?」
「うん、ダレンなら大丈夫」
「はっは、これはなんたる名誉。このダレン・ローアン、その日の為にこの禿げ頭に磨きをかけねば」
重騎士ダレンが兜を外し、天辺まで禿げ上がった頭を叩きながら、おどけて言う。周囲からも茶化す様に、羨む声があった。
その声に嬉しさを覚えつつ、シーナは背の砲剣を抜いた。それと同時に、周囲の声も止む。
そろそろ作戦予定地手前の盆地となる。
「《陣術師》は準備、《バリスタ》《レンジャー》もいつでも撃てる様にしとけ」
ダレンの指示に、周囲に動きが出始める。シーナも、広範囲炸裂弾を精製し、砲剣に装填する。
部隊は盆地の中程に至り、作戦開始といった時、隊の後方から怒号が響いた。