異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたので隠居したい 作:ジト民逆脚屋
ダレンは見た。それは有り得ぬ事だった。
「何故……?!」
「なんで?!」
伏兵、それはどの戦場でも有り得る戦術であり、不意を打ち、油断した軍の背面や横腹を食い破る。少数で強襲し、多量を打ち破る。
シーナ達が最も得意とし、最も多くの敵を屠った戦術だ。
だが、ダレンの疑問はそこではない。不意討ち、伏兵、今までそれをやられた事が無い訳がない。敵の罠に嵌まり、退却が困難になり死を覚悟した事も、一度や二度ではない。
ダレンの疑問は現状ではない。疑問は現状に現れた敵だ。
「
極稀に発生する
長年に渡り、レミエーレ軍に手痛い打撃を与え続けた強敵。数年前、ダレン達がシーナ達と共に討ち果たした。
その敵が手勢を率いて、今自分達の背を突き、再びその猛威を振るっている。
「いかん!」
隊の後方は比較的練度の低い兵士と、支援組が集まっている。これ以上被害が拡大すれば、シーナ隊は進む事も退く事も困難になり、じり貧になり磨り潰される。
過去には、シーナの砲撃を以て、犬面人王の強靭な肉体を破った。だが今、砲撃を行えば、味方にも被害が出る。
そして、この奇襲が敵にバレる。そうなれば隊どころか、現在出陣している主力も壊滅しかねない。だが、放置も出来ない。
ダレンの判断は、一瞬だった。
「隊を別ける! マース、隊を編成し犬面人王に当たれ!」
「了解! 隊長、奥方様を頼みます!」
「マース、死なないで!」
「御当主と奥方様の御子を見るまでは死ねませんな……!」
幅広の片手剣を巧みに操り、マースが犬面人数匹の頭を斬り飛ばしていく。
ダレンに次ぐ古株のマースは、犬面人王との戦闘経験もある。打倒するなら厳しいものがあるが、時間稼ぎであれば、シーナ達が戻るまで十分に可能だ。
マースはバックラーと片手剣を振るい、声を張り上げ隊員達を鼓舞し、犬面人王の軍勢を止め続けた。
そして、何体目かの犬面人を斬り捨て、犬面人王の全身を視界に捉えた時だった。言い知れない悪寒が、マースの背筋を這い回った。
それが何を示し、何を意味するのか。マースはその悪寒の向く先、犬面人王を再度確認する。
犬面人の名の通りに、犬と人が混じり造形に失敗した顔と体。若干左右非対称で、左上腕と肩が肥大化しているのも、自分達が嘗て討った犬面人王の特徴だ。
だが、感情がいまいち読めない目が、眼球が転がり出そうな程に見開かれ、異様なまでに血走っている。最早、眼球が血で赤く染まっている。
だがそれも違う。これは脅威で悪寒ではない。なら、何がこの身を恐気させる。錆び付き刃の欠けた蛮刀を受け流し、マースはシーナ達が向かった方角へと、目を向けた。
一瞬、マースの中で何かが繋がった。根拠など欠片も無く、それに至った経緯も突飛だが、マースは近くに居た騎士に叫んだ。
「今すぐ御当主に奥方様の危機を伝えろ! 走れ……!」
「は、はっ……!」
あまり見覚えの無い、若い騎士が慌てて走り出す。続いて、護衛か数人も飛び出していく。その誰もが、マースの見覚えの無い騎士だったが、現状はその様な事を気にしている暇は無かった。
そして、全てが終わった後、相討ちとなった犬面人王から受けた傷が元で、死の淵をさ迷っていたマースが、最期に聞いたものは、彼を絶望の底に果てさせるには、十分過ぎるものだった。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
斬る、突く、叩く、潰す。次々に湧いてくる敵を、砲剣の強度任せに屠る。ダレンも戦槌を振り回し、敵を打ち倒していく。
しかし、何かがおかしい。
「ダレン、今どうなってるの?」
「申し訳ない奥方様。儂も、こやつらは初めてですな」
敵は人の姿をしていた。
だが、それは結局は人間に似ているだけで、完全に人間と同じではない。
「姿は人間、の様ですがこれは……」
ダレンや他の騎士達が、倒れた敵の鎧兜を剥ぎ取る。死体漁りの様で、誰もがいい顔はしていないが、この敵に対しては必要な事だった。
そしてそれは、最悪の未来を想像させるものだった。
「
「こっちは獣人か? いやでも……」
人間、亜人、しかしおかしい。蜥蜴人はその名の通りに、蜥蜴、爬虫類の特徴を色濃くその身に残す種族だ。二足歩行の堅牢な鱗と、一部に甲殻を持つ爬虫類。嫌な言い方をすれば、そういった種族なのだが、この鎧の中身は違った。
「どうなってる。こっちは頭が
「こっちもだ! 人間なのに蜥蜴人の鱗に爪まで生えてやがる!」
混血か。誰かが口にしたが、それでもこれは違うと断言出来た。
明らかに、違うもの同士を繋げている。そう、継ぎ目がある。体と体、腕と肩、皮膚と筋肉、違うものと違うものを、貼り合わせ繋ぎ合わせた痕が、はっきりとあった。
数人の、若い騎士達が木陰でえずいている。凄惨な死体を見る事に、最早慣れてしまったシーナやダレン達は、吐き気はこみ上げてきたが、すぐに立て直し、行軍の再開を発する。
「…………少し、休息をいれては?」
「ダメ、この森の中じゃ、囲まれたら逃げ切れない」
軽装だが、兜で顔がよく見えない騎士が、休息を提案してきた。確かに隊員には疲れが見えるが、今休憩すれば作戦に間に合わない。それ以前に全滅する可能性が高い。
奇襲、強襲は速度勝負。中途半端な停止や減速は死を招く。
「…………しかし」
「行くぞ。今こうしている間にも、作戦は進んでいる」
他の騎士が促すと、軽装の騎士は黙って従った。その様子自体に、何ら違和感は無い。提案を却下され、渋々従う。そこに、違和感や奇妙を覚えるものは何も無い。
しかし、ダレンは何か奇妙を感じていた。
──はて、こんな騎士は居たか? ──
現状、シーナの隊はオーフィリア家に籍を置く者だけで構成されている。故に、最古参であるダレンは、そのほぼ全員を覚えている。そのダレンが見覚えが無いという事は、オーフィリア家籍の騎士ではないという事になる。
しかし、最近は年齢に加え、後継の事もあり、第一線からはだんだんと距離を置き始めていた。それに今は部隊を別けている。緊急の作戦であり、オーフィリア家以外の、王国騎士団に在籍する騎士も、少くない人数が参戦していた。
だからか、ダレンは奇妙を感じはしたが、それ以上に何かを考えはしなかった。
そして、その直後に後悔する事となる。
あの時、思考を止めなければ、もしかしたら、あの悲劇は起きなかったかもしれない、と。
「は?」
悲劇の開幕は、まだ若い、ダレンやマース、グレイ達が将来を期待していた騎士の気の抜けた声と、彼の首が落ちる音だった。
ついさっきまで、生きていた人間の頭が落ちる。兜の金具と肉と骨、そして切り口である首と、口や鼻から溢れ出た血が、落ち葉と枯れ枝が敷き詰められた腐葉土にぶつかり、粘性のある水音と赤を辺りに染め上げる。
誰も反応が出来なかった。否、反応が出来る出来ない以前の問題だった。
居なかった。そう、そこには誰も居なかった。だから、誰も反応出来なかった。だが、若い騎士の首を落とした敵は、そこに当然と居た。
頭は血や膿に汚れた襤褸切れで覆われ、体も似たような布を被っている。饐えた様な異臭のする体には傷と縫い痕が、呼吸は異様に荒く、何か呪文の様な言葉が、湿った音で発される。異常に長い右手にはまだ血の滴る鎌刃の刃、短く太い左手は首から提げた気味の悪いペンダントを弄っていた。
その異形に、最速で反応したのはシーナだった。
「ああっ……!」
重量武器でもある砲剣を、異形に振り下ろす。左右は木々に塞がれ、避けてもダレン達の追撃。受けたとしても、あの細い鎌刃では砲剣を受ける事は出来ない。
しかし、
「ぎゃうっ!」
シーナは腹部の衝撃で弾き飛ばされる。蹴り、異形の異形の足。蹄を持ち、馬の後ろ足と人の特徴を併せ持つそれは、希少中の希少種族である
「なんだあれは?!」
シーナへの追撃を、戦槌で防ぐダレンが見たものは、それだけではない。鎌刃を振り回す異様に長い右手も、斬りかかった騎士を殴り殺した、不釣り合いに太い左手も、よくよく見れば、傷に隠れて刺青がある。滅多に見る事の無い巨人種のものだ。
襤褸切れで隠れた胴体と頭も、恐らくは違うもの。
「新種の魔属か?」
面は食らったが、対処が不可能な相手ではなさそうだ。現に、隊の騎士達により刀傷に塗れている。
今のうちと、ダレンはシーナを助け起こす。
「奥方様、お体は」
「……大丈夫、あれは?」
「今、隊の者達が……」
瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「伏せろ!!」
異形が右手で左手を掴んだ。そう思った一瞬、まるで居合いの様に左手を引き抜き、振り抜いた。
湿った繊維質のものを、無理矢理引き千切る嫌な音と、硬質な音が混じり、頭上を薙いだ衝撃に視界が一瞬ブレる。
「奥方様、御無事で?」
「うん、でも……」
視界に映る森は薙ぎ倒され、斬り倒された木々に騎士達が潰され、中には上半身が消えたまま、立ち尽くす騎士だったものもある。
「何なの? お前」
まるで背骨を引き延ばしたかの様な、異形の剣。あれが、この状況を作ったのだ。
作戦には、もう間に合わない。恐らく、自分達はここで終わる。
麻野と浜名はどう思うだろう。
竜胆は、何時も通りかな。
神野や和泉は、怒るかな。
朝比奈も、どうだろう。
仁村達は嗤うかもしれない。
「奥方様……!」
ダレンが庇う為に、覆い被さってくるが、あれの前に人一人程度では、盾代わりにもならないだろう。
迫る終わりに、シーナが最期に思い浮かべたのは
「グレイ……、ごめんね」
愛する人の名と、その優しい笑顔。シーナの、〝山科椎名〟の幸せを思い浮かべ、その一瞬を待った。
「……そういうのは、やめてほしいね」
その言葉と共に現れたのは、思い浮かべた笑顔を湛えたグレイだった。
手に持つ聖剣に曇りは無いが、異形が振り抜いた骨剣が、半ばで断たれていた。
「御当主」
「ダレン、普通なら君がついていながらとか、言うんだろうけど、これはダメだね」
「申し訳ありませぬ」
「いいよ。君に怒る事じゃない。……シーナ」
「グレイ」
動きを止めた異形に警戒しながら、グレイはシーナを抱き寄せた。
見詰めるその瞳には、確かな安堵と、ほんの僅かばかりの怒りがあった。
「シーナ、諦めないで」
「グレイ、ごめん……」
「いいよ。シーナが怖がりなのは知ってるから」
「え」
「アサノから聞いた」
「うぅ……」
恥ずかしがる様に、シーナがグレイの胸に埋める様にして、顔を隠す。胸甲が硬く冷たかったが、抱き寄せられる腕の力強さと、髪を櫛梳る手指が心地好く、今戦場に居るという事を忘れさせる。
だが、確かに今、自分達は戦場に居る。
その証拠に、聖剣を握るグレイの右手が、異形の骨剣を捌き続ける音がする。
長剣を振るっているとは、とても思えない澄んだ風切り音。抱き寄せたシーナに、飛沫の一つすら返り血を許さぬ足運び。
レミエーレ最強と謳われた男は、騎士団を壊滅させた異形を、ただ一人で討ち果たした。
「ふぅ、少し不思議な相手だったね」
「いや、不思議と申しますか、何と表現したものか……」
「でも、それ以外に言い様ないしなあ。……ん?」
言いながら聖剣を鞘に納めた後、一度周囲を確認する。
特にこれといって、何か変化があった訳ではない。だが、何か花というには、あまり濃すぎる匂いが、一瞬だけした様な気がした。
「グレイ?」
「……何でもないよ。さ、帰ろう。アサノとハマナも、大急ぎでこっちに向かってる」
「え、でも二人は」
「なんでも、避難が早くに終わったらしいよ。あと、作戦は気にしないで」
「どうして?」
「とりあえず、牽制に聖剣放ったら、散々に逃げ帰ってさ。少し向かってくる残党を倒してて、そこでシーナ達が危ないって聞いて急いで来たよ」
「作戦は成功したの?」
「魔属の撃退の意味だと、成功かな。今考えても仕方ないし、リンドウに任せよう」
暢気にそう言うと、見上げてくるシーナに微笑む。顔を赤くして、どこか猫の様な、拗ねた様に顔をまた埋める。
嗚呼、本当に可憐だ。華が無いなどと、何処の愚か者の妄言だろうか。これほどまでに可憐でいながら、素朴で愛しい人。この世界の何処を探しても、シーナ以外には存在しない。
神よ、この出会いに最大級の感謝を。
最大の友に出会い、最愛の人に巡り会えた。何があろうと、自分はこの手を離す事は無いだろう。
だから、
「シーナ、君を愛して……」
乾いた音が、遠くで破裂した。三人にはそう聞こえた。
そして、世界はゆっくりと動いていた。水の中と言ってもいい様な、重く鈍い動きの中、グレイの体から力が抜け落ち、言葉の代わりにシーナに降り注いだのは、鉄の臭いを放つ熱だった。
「グレイ……?」
倒れていく体、物言わぬ体、何が起きたのか、まるで理解が出来ず、倒れたグレイを助け起こせば、頭部が欠けていた。
「あ、うあ……」
手を伸ばしても、掴んでも、足掻いても、もがいても、この手に残るのは砕け割れたあの人から、溢れ出た血と肉の温かさと、自分に降り注いだ脳髄の滑りと、粉々になった骨の硬さ。
かき集めて、戻そうとしても、ボロボロと崩れて零れて、次第に泥と見分けもつかなくなり、血と肉と泥に塗れ、雨に濡れていく彼の体に、どうしたらいいのかも分からなくなり、遠くに聞こえるダレンの叫びも聞こえなくなった。
そして、悲しみと怒りのままに、シーナは叫んだ。
分かっている。理解している。どうして、こうなったのか、シーナは、〝山科椎名〟は理解している。
〝山科椎名〟が幸せになろうとしたから、誰もが不幸になったのだ。