異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたので隠居したい 作:ジト民逆脚屋
目を開ければ、やはりそこは見慣れた天井があった。外がやけに賑やかに感じる。
部屋の鎧戸を開けると、外は今にも降り出しそうな曇天だった。しかし、町は復興に向けて、力強い賑わいを見せていた。
ソフィアは、枕元に置いた眼帯を手に取り、鏡を見る。
裂傷と火傷痕に覆われた右半分、何年も経った今も疼きの止まない傷。それを眼帯で覆い隠し、着替えを済ませ、銃の整備を始める。
この愛銃は、祖母の形見であり、唯一ソフィアだけが扱える。
手入れし、動作を確認し終えたそれに弾倉を込め、ソフィアは構えた。
──足音は一人、少し重い──
ソフィアの住処は、モンドやよく仕事をするフレッドとニコラス、他数人にしか教えていない。
モンドの足音はもう少し軽く、自分が来たと報せる為に、二から三回程わざと強めに柱や壁をノックする。
フレッドも大剣を得物にするからか、足音に若干癖があり、分かりやすい。
なら、この足音は他数人か、その誰でもない鉛玉を馳走する誰かか。
それとも、
「おーい、ソフィア。俺だ、ニコラスだ」
返事はしない。声くらいなら、道具や薬で変えられる。ソフィアは黙したまま、銃口を扉へと向ける。
「あ? 合言葉か。あ~と、なんだったか……。確か、え、エ、〝エリエーニ〟」
「……〝カプィート〟」
「開けるぞー」
銃口は突き付けたまま、ニコラスが扉を開くのを待つ。扉の隙間からドアノブを掴む、《セスタス》特有の太く頑健な腕と、巌の様な拳が見える。
「ソフィア、準備はって! 待て待て俺だ!」
「ニコラス、珍しいわね」
「まあな、何時もは家が近いフレッドかモンドだからな」
言うと、ニコラスは欠伸をする。
《金鹿の蹄》を始め、現在ファーゼルの主要ギルドは、国と共に先日の事件の収拾に追われている。
ソフィア達も、昨日までそうだった。
「折角の休みに、やる事が見舞いねえ」
「あら、文句があるの?」
「いんや、文句はねえよ。ただな……」
そこで言葉を切って、ニコラスはポケットから革のケースを取り出し、蓋を開けて軽く揺する。飛び出た細巻き数本の内の一本を、口に咥えて火を点けた。
紫煙にソフィアが距離を取る。目で非難はするが、言葉にはしない。滅多に煙草を呑まないニコラスが、こうして煙草に火を点けた時は、何か言い辛い事がある時だ。
そしてニコラスは一度、大きく紫煙を吐き出してから、ソフィアに言う。
「あまり、入れ込みすぎんなよ」
「……分かってるわ」
「ならいいがよ。ああいう奴は、大体にとんでもないもん抱え込んでるか、それらしくても実はそうじゃないか、だ」
「解ってるわ」
解っている、理解している。助けようとしても、結局それは他人の問題であり、深く突っ込み過ぎても戻れなくなるだけだ。
そして、シーナの抱えるそれが、自分一人の手に負えるものではないと、ソフィアは何となくだが気付いていた。
「でも、ただ見捨てるのは、嫌なのよ」
「なら、決めとけ。どこで手を切るか」
窓の外へと吐き出された紫煙が、ゆらゆらと揺れて掻き消える。
ニコラスは、半ばまで燃え尽きた煙草を握り潰し、吸い殻を尻ポケットへ押し込む。ニコラスにも、思うところはある。誤解と成り行きから、共闘する事になったが、それでも同じ仕事をして、数日だが共に過ごしたのだ。手伝える事があるなら、そうしてやりたい。
ニコラスがそう考えていると、ふとあるものが目に止まった。
「……ソフィア、お前何か飼ってたか?」
「飼う? 近所の野良猫の面倒以外は見てないわ」
「なら、その鷹はなんだ?」
ニコラスが指差す先に振り向くと、彼の言う通りに一羽の鷹が、窓の縁に留まっていた。
「私に覚えは無いわ。けど、羽の艶が良いし、多分何処かの《ハウンド》のでしょう」
「しかしよ、その《ハウンド》の鷹なら、何でここに来たんだ? 連中の指示が無きゃ動かんだろ」
「なら、その指示はこの手紙かしら」
ソフィアが、脚に括り着けた手紙に手を伸ばすと、鷹は抵抗せず、手紙を差し出す様に大人しくし、手紙が脚から離れると、一鳴きし飛び立った。
さて、一体何処の誰の差し金か。ソフィアは首を傾げながら、手紙を広げ中身を読むと同時に、外へと一目散に駆け出した。
「ソフィア!?」
「ニコラス急いで!」
「一体どうしたってんだ!」
ニコラスの問いに答えず、ソフィアは一息に階段を駆け降り、通りに繋がれていた馬に跨がった。
「おい、その馬は!」
「文句は《金鹿の蹄》に!」
途中、フレッドとモンドの驚く顔が目に入るが、そんな事を気にしている場合ではない。
──急げ、このままだとシーナは死ぬ──
短く、これだけが記された手紙。ただの心無い悪戯と済ますには、あまりに悪質でいて、そしてタイミングが合いすぎた。
──間に合って……! ──
そんな思いを胸に、ソフィアは馬を走らせた。
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何時からだっただろうか。彼女を一番最初に見付ける様になったのは。
初めて意識したのは確か、中学の宿泊合宿でのレクリエーションの時。皆が合宿所の談話室で賑わっている外で、ただぼんやりと夜空を眺めていた。
周囲に話を聞いてみると、話し掛ければ普通に会話するが、ある一定以上の距離に踏み込もうとすると、途端に距離を取られる。
誰が言ったか、人に慣れている様で、慣れていない野良猫。中々上手い喩えだと感心した。
器量が良くないといより、どうにも印象の薄くなる、平々凡々とした顔立ちに、それに似合わない年不相応な体付き。髪は今と変わらず、肩まで伸ばしたものを、後ろで一纏めにしただけ。
世話好きな面もある自分が、彼女を意識したのは、ある意味当たり前な事だった。
「はろー、いい夜かな」
初めての第一声がこれ、これから始まった。ここから段々と二人でつるむ様になり、次第に浜名に竜胆、神野や和泉達が加わり、普通に学生をして、たまにあり得ない騒ぎが起きて、竜胆がやらかしたりして、高校に上がり進級して、さあ進路をどうしようかと悩んでいた時期に、突然世界を変えられた。
正直な話をすると、呆れと怒りの中に、本当に少しだけ嬉しさの様なものがあった。これからの事も想像しないで、煩わしい勉強や日々から解放されたと、彼女が冷めた目で連中を見ていた横で、静かに浮かれていた。
そして始まったのは、地獄の日々。帰れない、帰る為には魔王を討ち果たせ。磨り減って居なくなって、それでも生き抜いて、竜胆がこちらに有利になる条件を飲ませ、自分達の立場が確立されて、それぞれに生きる道筋を見つけ始めた頃、漸く彼女が幸いの道筋を見付けられた。
良かった。これから自分達も、この世界で生きていく目標を見付けよう。そう思っていた。
そう、思っていた。
「返して! グレイを返してよ……!!」
最後の作戦、自分達が何故か前線ではなく、避難民の護衛に回され、しかしその肝心の避難民は殆ど居らず、急ぎ彼女の向かった先へと急ぎ、そこで見たのは頭の欠けた想い人の遺体を抱き抱え、慟哭していた彼女の姿だった。
「情けない話だよ。助ける、守るとか言ってさ、それがこの様。笑い話にもならない」
「……成る程」
リラとしては、予想は出来ていた話だったが、実際に話を聞くと、流石にクるものがあった。
「リラさんだっけ?」
「ええ、そうです」
「椎名は笑えてた?」
一瞬、言葉が出なかった。もしここで、リラが答えを誤れば、麻野はここでシーナを連れて逃げるだろう。そう確信させる圧があった。
「……意識して笑むという事は、あまりありませんでした。ただ……」
「ただ?」
「旅の途中、フェリド様達と合流してからは、僅かですが微笑みを見せる事が増えたかと」
「そっか、……良かった」
安堵した様に息を吐き出し、傍らにあった錫杖を、体ごと深く抱き抱える。両手は顔を覆い、隙間から微かに嗚咽が聞こえる。
リラもシーナの味方は多い方がいい。まだ、完全に信用するには早いが、麻野と浜名の二人は信用してもいいだろう。
そう考え、シーナの具合を診ようと、彼女が眠り続ける部屋の扉を開く。
「ご主人様?」
おかしい。何か違和感がある。家具も調度品も最低限の、寝る為だけの部屋。減る物は無い筈なのに、何かおかしい。
否、解っている。だから、リラは一気にシーナが眠るベッドに駆け寄り、シーツを剥ぎ取った。
「まさか!?」
ベッドには丸められた寝間着と枕、脇に置かれていた装備と砲剣は無く、窓が開いている。
誘拐ではない。ならば、装備が無くなっている筈がない。
「椎名……?」
唖然とする麻野を尻目に、リラは窓から飛び出し、気配を探る。シーナの足はそれほど速くはない。それに体調も優れない筈だ。遠くには行っていない。
「アサノ様は皆様に連絡を! 私はご主人様を探します!」
了承を待たずにリラは、雨の気配の濃くなった曇天の下に駆け出した。