異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたので隠居したい 作:ジト民逆脚屋
曇天はとうに通り過ぎ、雷雨と呼んで変わらない空を背に、竜胆は暗く静かな廟へと足を踏み入れた。
何も無ければいい。否、何事も無く、変化が無ければいい。
そう願い、竜胆とリナシア、ダレンの三人は、静謐な石造りの中を進む。
「しかし、リンドウ卿。疑う訳ではありませぬが、まさか本当にそうだと?」
「私も、そうじゃない事を祈って、ここに居るのさ」
柄でもなく、居もしない神とやらに、竜胆は内心で祈っている。
竜胆の中では、十中八九で予想が当たっている。
しかし竜胆は、その中にある砂粒よりも、遥かに小さく僅かな可能性を信じた。
否、信じていたかった。
竜胆は知っている。
人は誰しも、抗い難い絶望に直面した時、己の中にある信じていたい希望にすがると。
今の己がそうだ。十中八九、九割九分九厘、竜胆の絶望は的中している。
だが、その中で一割にも満たない希望に、確かにすがっている。
だから、覚悟を決める為か。竜胆は、ゆっくりと今まで口にしなかった、目を逸らしていた事実を口にした。
「まず、私らは一つの事から目を背けていた」
「リンドウ様、一体何を?」
「まあ、聞け。色々と調べて、異質なレミエーレの歴代召喚勇者の中でも、特に私達は異質の極みだった」
あまりに強過ぎる、全ての能力が突出した勇者。
戦うという技能に特化した、異質の剣士。
弓聖の名を欲しいままにした弓兵。
そして、鬼札となりえた拳を持つ喧嘩屋。
この四人を筆頭に、竜胆以外の全員が、歴代の召喚勇者よりも、格上の能力と装備を与えられていた。
しかし、その代償なのか。ある一つの事もあった。
「全員、私以外の全員が強過ぎる。纏まりは無かったがな。まあ、それはいいんだ。問題は、数の少なさだ」
「数でありますか」
ダレンは竜胆の言葉を思案する。
数という話なら、竜胆達は割りと大人数で召喚された。しかし、歴代の記録から見るに、その人数も特別多かったという訳ではない。
過去には、竜胆達の倍近い人数が、召喚されたという記述も残されている。
なら、この数の少なさとは、何を指すのか。
「歴代召喚勇者に於ける特徴として、規格外の力と装備が与えられ、その人数が複数であった場合は、それぞれに振り分けられる。だが、私はそうじゃなかった」
竜胆が指を五本立てて、二人に見せる。
「……野本、海野、筧、清藤、日向」
五人目、日向で立てていた五本の指は、全て握られ、零を意味する握り拳に変わった。
痩せ細った、皮と骨ばかりの拳を下ろし、竜胆は二人に言う。
「最後の日向が死んで、この五人全員が居なくなった。……さあ、この五人の共通点は何だ?」
「共通点、ですか……」
竜胆と同じ召喚勇者であり、学友であった事は違う。
だとするなら、リナシアには難問となる。
リナシアが直接知る召喚勇者は、竜胆やシーナを中心とした数人でしかなく、竜胆が挙げた五人に関しては、ほぼ面識は無い。一応、武家の娘として兄であるグレイから、名と簡単な容姿を聞いていただけだ。
「リンドウ卿、まさかとは思いますが……」
「さっといこう。五人の共通点は、全員が回復職、医療や薬学に関わる所謂《ヒーラー》だったって事だ。しかも、私と同じ様に、戦闘能力が皆無に等しい奴が殆どだ」
「しかし、少し考え過ぎなのではないですか? 亡くなった方の事を、あまり言いたくはありませんが、因果関係があるとは、私には思えません」
「私もさ、リナシア。私もただ偶然と事故が重なっただけで、疑っちゃあいなかった。調べ直す前まではな」
言うと同時に、先行していたダレンが石造りの扉を開く。今立つ廊下の冷えた空気よりも、更に冷え凍った痛みすら覚える空気が、三人に覆い被さる。
こんな時、ジョナサンが居たら抱き寄せて、暖を取れたかもしれない。と、関係の無い事を思い浮かべ、何時もと変わらぬ調子で怪しく笑んだ。
この笑みが、怒りなのか憎しみなのか。それとも、余裕だと誰かに見せ付けるものなのか。竜胆にも、それは分からない。
「ほぼ全員、自殺した日向以外が、割りと最初期に死んでいる。それも念入りに調べ直さないと解らない程度には、用意周到に狙い打ちでな」
さて、竜胆が言葉を一度置く。
眼前には堅牢かつ荘厳な、今までの扉よりも威厳に溢れる石扉だ。
「私達四十四名、その中で純粋に医療や、薬学に特化していたのは、たったの五人。そして、その中の四人は早々に死に、一人は自殺だ。……もう半分どころか、数えるのに両手足で足りる様になった私達で、この五人が早々に死んだのは、本当に偶然だけで済ませていいのか?」
「その答えが、この先にあるという事ですか」
「……実はな、私はここに無ければいい。ここじゃない何処かであればいい。私はそう思ってる」
「……引き返しますかな? 今なら、まだ間に合えるかと」
「いや、ダレンさん。間に合う間に合わないは、とうの昔に通り過ぎていた。多分、一番最初、海野と筧が戦死した時が、最初で最後の分水嶺だった」
扉の前に立つダレンが、両の目を一度閉じて、そして扉にその太い手指を当てた。
異様に冷たく、ダレンの豪腕を以てして、開くかどうかという重量を感じさせる扉の先に、全ての答えがある。
「お兄様……」
磨かれた石材同士が擦れる音を響かせ、ダレンの渾身の力で開かれていく。
臓腑を凍らせる様な冷たさが、三人の肺に満たされていく。
「儂も、オーフィリア家に長く仕えております故に、何度かここに入る事もありましたが、まさかこの様にして入るのは、初めてですな」
「何度もあっては困ります」
リナシアの言葉に、ダレンが己の禿頭を叩く。
竜胆はただ無言で、その視界の中央に位置する物を見詰めていた。
「頼むよ神様。本当に居るってんなら、私の祈りを聞いて、願いを叶えないでくれ」
今にも泣き出しそうな顔と声で、竜胆は物言わず鎮座する箱に手を掛けた。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「何処へ、行こう……」
一人なのは、昔に慣れて、だけど今は寂しくて、何処かへ行こうにも、何処へ行けばいいのか、それもまるで分からなくて、だけど誰かと居る訳にはいかない。
「だから、一人で」
何処かへ行かなくちゃ
雨が激しさを増し、彼方に遠雷も聞こえてくる。
シーナは不確かな足取りで、何処へ向かうのか判らぬまま、歩みを進めていく。
それほど重さを感じた事の無い砲剣が、あまりに重く感じて、気づけばその切っ先は、泥濘に不規則にうねった筋を引いていた。
シーナは何故か、その泥濘の筋が今までの自分の様に思えた。もし、この筋を真っ直ぐに引けていたなら、また何か違っていたのだろうか。
ファーゼルに逃げる事も無くて、一人で寒さと寂しさに震える事め無くて、もしかしたら、グレイともう一人、三人で笑えていたかもしれない。
「でも、無理だよ……」
そうはならなかった。真っ直ぐ引けなかったから、そうはならなかったんだ。
背の砲剣が軋んだ様な気がした。
もうこれも、ここに捨ててしまおうか。
そう思い、肩のベルトに手を掛けるが、どうやら捨てる力も無い様だ。
ただ、十字架の様にこれを背負い、一人朽ち果てるまで歩みを進めて、自分が朽ちたら、この鉄の塊も果てて消える。
「何も残さず消えて無くなる。それが私らしくていいよね」
「またそんな寂しい事言うんだね、君は」
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「リンドウ卿……」
「どうしたよ、ダレンさん。私の顔に何か着いてるか?」
「リンドウ様、どうかお気を確かに」
「酷いな。リナシアまで、私は正気さ。ただちょっと、はらわた煮えくり返って、何もかもめちゃくちゃにしたくなってるだけだ」
蓋の開いた箱の中には、何も無く、そこには何かがあったであろう痕跡しか残っていなかった。
「本当に私達がバカみたいじゃないか……」
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「君は少し目を離すと、そうやって暗い所へ行くよね」
「なん、で……」
「僕が君の傍に居る事が、そんなにおかしい?」
そんな訳が無い。
だって、あの日に覚えている。
貴方の優しい笑みと声、落ち着く温もりと匂い。
そして、二度と戻らない命。
あの日に、全て無くなった事を覚えている。
あの日に、貴方の全てを無くしてしまった事を覚えている。
「グレイ……!?」
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「なあ、私は祈ってたんだ。私は願ってたんだ。こうはあるなと祈って、こうあって欲しいと願ってた。だけど、開いた箱には希望なんて、欠片も残されてなくて、あったのはそこにある無限の絶望だ」
力の笑いが廟に落ちては跳ね返り、竜胆の元へと返ってくる。
それが煩わしくて、耳を塞ぎたくなったが、そんな甘えは赦されない。
嗚呼、そうだ。この痩せぎすの体を灼くのは何だ?
答えは一つしかない。
憤怒だ。
「リナシア、ダレンさん。この世界は本当にくそったれだ。私達をテメーらの勝手で呼びつけて、勝手に力を与えて戦わせて、死んだら終わり。そして、私の仲間も傷付けて、挙げ句の果てにはこれだ……!」
「リンドウ様……」
「二人が居てくれてよかった。もし、私一人だったら、今頃碌でもない事をしてただろうよ」
箱に立て掛けた蓋を殴りつけるが、この痩せた拳で傷付けられる筈も無く、痛みと痺れだけが返ってくる。
「嗚呼、本当にくそったれだ。何だよ、何なんだよ、私達が何したってんだ? 私達はただ、明日の授業ダリーなとか、今日学校終わったらどうするとか、進路決めたとか、そんな話してただけの学生だったんだ。銃も剣も出番は無くて、ましてや魔法なんざ、空想の産物でしかなかった世界で、暢気に生きていただけの、ただのガキだったんだよ……!」
それが何だよ。
「これが現実かよ……!?」
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「本当にグレイなの?」
「僕以外に僕が居るなら、僕は偽物だね」
「本物なの……?」
ゆっくりと手を伸ばせば、そこには確かに彼の温もりがあった。
本物だった。
あの日に無くしてしまった彼の全てが、今目の前にあった。
「どうかな?」
「生き、てる……」
「当たり前だよ。生きてなかったら、僕はここには居ない」
「でも、どうして?」
あの日、確かに砕け散る貴方の顔を見た。
あの日、確かに撒き散らされる貴方を浴びた。
あの日、確かに二度と戻らない貴方を嗅いだ。
あれは現実でしかなかった。
「……もう言っても大丈夫だから言うけど、レミエーレに反乱分子が潜んでいるという、情報が前々からあってね。リンドウの伝手で、特級の腕前の《人形師》に、僕そっくりの人形を造らせたんだ」
「それが、あの日の貴方?」
「そうだよ。いや、まさかあそこまで精巧に造られるとはね。自分で分かっていても、死んだと思ったよ」
そう、あれは現実だ。
現実だった。
だから、今目の前に立つ彼は、
「……グレイ、この髪飾りの意味分かる?」
あの最後の作戦、ダレン達から贈られたオーフィリア家所縁の縁起物。これにその効果は無いと分かっていても、これは捨てられず、ダレンが気を利かせて逃げ出す時に持たせてくれた。
だからどうかお願い。
「髪飾り? 何だっけそれ?」
その言葉だけは、聞きたくなかった。