異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたので隠居したい 作:ジト民逆脚屋
その言葉が、嘘や冗談の、一時の気の間違いの類いなら、どれだけよかっただろう。だが、現実は何時だってこうだ。
こちらに囁く甘さは無くて、こちらを苛む辛苦しかない。
解っていた。
解りたくなかった。
理解していた。
理解したくなかった。
「シーナ、その髪飾りがどうかしたのかい?」
そんな事、見た瞬間から理解していた。
あなたはあの人じゃない。
あの人の声は、あなたみたいに甘くなかった。
あの人の匂いは、あなたみたいに鼻につかなかった。
あの人の温もりは、あなたみたいに生温くなかった。
「それ、以上近付く、な……」
「シーナ?」
何時もは軽い砲剣が、いやに重く感じる。
あの人があなたじゃない事、偽物だという事、そんな当たり前の事を理解している筈なのに
「……そうか。辛い事があったんだね」
「あ、う……」
なのに、あなたの声があの人の声にしか聴こえない。
「君は、何か辛い事があると、何時もそうやって、自分の中に押し込めて隠してしまう」
「っ……!」
「埋めて隠して、風化してしまうまで、誰にも見せない」
「いや……、来ないで……」
あなたはあの人じゃない。
あなたは偽物、そんな当たり前の事。
頭で、心で解っている。
それなのに
「強さも弱さも、君は誰にも見せない。リンドウとは違う。最初から見せないんじゃなく、見えない様に隠してる」
「やめて……」
嫌だ。
聞きたくない。
知りたくない。
耳を塞いでも
息を止めても
あなたの声が
あなたの匂いが
違うあなたを、本当のあの人だと教えてくる。
「でも、君は隠すのが下手だから、そうやって誰からも距離を取る」
「あ……」
取られた手から伝わる力と温もりが、記憶の中のあの人を、霞の奥へと連れ去っていく。
嗚呼、嫌だ。違う。違う。違う。
「ち、がう……!」
繋がれた手を振りほどき、シーナは彼から飛び退く様に離れ、砲剣を構える。
斬りかかろうにも、彼がグレイなら剣技で勝てる訳が無い。至近で砲撃をしても、正面からでは問題無く対処される。
だから、シーナは砲剣の砲口を頭上へ向け、消費と扱いの難しさから、今は扱う事すら無くなった砲弾を放った。
「お前は、違う!」
頭上に放たれた砲弾は、真っ直ぐに空へと向かい、辺りの木々よりも高くに飛び、そこで弾けた。
鉄と火が弾ける音と光、そして弾けた砲弾を中心に撒き散らされるのは、シーナの拒絶を意味する鉄の矢の雨だった。
いつかの昔に、竜胆から聞いた元の世界にある砲弾。一発分を生成するだけで、シーナの魔力の半分以上を使うその砲弾は、〝殺意の雨〟と魔属領で恐れられた。
シーナの切り札の一枚であり、嘗ての彼からも危険過ぎると、使用を制限されたその砲弾を、シーナは自分以外の全てを拒絶し、殺すつもりで放った。
だが、
「どう、して……?」
シーナの拒絶の、殺意の雨が周囲を覆い隠す様に降り頻り、木々に地面に岩に突き刺さり、貫いていく。
獣の断末魔すら聞こえる殺意の中、彼、グレイ・オーフィリアは変わらぬ笑みを浮かべて、その場に立っていた。
「……教えた筈だよ。この世界の人々が持つ魔力は、感情と精神に左右される。特に、君の砲弾形成の
グレイが、足下に刺さっていた矢を拾い上げる。矢羽の辺りまで埋まったその矢は、鉄の硬さと鋭さ、冷たさをはっきりと主張している筈だった。
「これが、今の君だ」
グズリと、乾いた泥の塊を砕く様な、または精緻な粘土細工でも潰すかの様に、命を奪う堅牢で鋭利な矢は、グレイの握力に崩れ去った。
よく見れば、辺りに降り頻りった矢のほぼ全てが、木々や岩を破壊出来てはいるが、それと同時に矢自体も潰れ崩れていた。
「魔力の圧縮も、整形も甘く、無駄なロスだらけだ。聖剣の加護が無くても、少し防御するだけで簡単に防げる」
まるで、今の君だ。と、声が聞こえた瞬間、シーナは砲剣を構え直した。理由は、特に無い。ただ、何年も死線を潜り抜けてきた勘だった。
抱き抱える様にして構え、それが伝わってきた時、何もかもが夢なら良かったと、そう思った。
「うん。やはり硬いね、その剣は」
「ぐ……」
「お仕置きだよ、シーナ」
腰を落とし、どうにか堪えた一撃。だが、それも続かない。元より《砲剣士》としての、
特殊な武器と技を扱えるだけの、ただの弱い女。それがこの世界最強クラスの存在に勝てるのか。
答えは否だ。勝敗以前に、戦いにすらならない。
「まずは、その邪魔な剣を破壊しよう。その剣が無ければ、君は戦えない」
「ひっ……!」
辛うじて視認出来た太刀筋に、砲剣を重ねて妨げる。一打で伝わり、二打で理解した。
堅牢かつ頑強を体現した砲剣が、たった二打で聞いた事の無い軋みをあげる。醜亜巨人や鬼人の一撃にも、悲鳴一つあげなかった刀身に、僅かな罅が走り出す。
嗚呼、彼は偽物でも本物で、自分を殺そうとしているのだ。
どうしてだろう。
なんでだろう。
どうしてこうなったのだろう。
軋み割れ始めた砲剣の破片を浴びて、砲剣を抱えたまま泥濘の上を転がり、泥と血に塗れながらシーナは考えた。
否、考えずとも解る。
「ぎゃうっ!」
「うん、やはり硬い。剣も鎧も。君が弱いからかな」
山科椎名のせいで、こうなったのだ。
「……い」
「ん?」
「ごめん、なさい……」
山科椎名が居なければ、こうならなかった。
「……ごめんなさい」
「ふむ」
山科椎名が、誰かを好きになったから、こうなった。
「剣も、鎧も捨てて、誰にも知られない所に、消えるから、幸せに、なりたいなんて、もう思わないから、……どうか、許して……」
掠れ、今にも消え入りそうな声で、シーナは許しを乞う。過ちを犯し、それを償う方法を、シーナはそれしか知らない。
地に伏して、額を擦り付けて乞う。怒鳴られても、殴られても、蹴られても、子供の頃から、竜胆達に出会うまでそうしてきた。
「シーナ」
びくりと、シーナの体が揺れる。
「許すも許さないも、言っただろう? これはお仕置きだって」
剣を持たない方の手を伸ばし、シーナの顔を上げさせる。涙と鼻水に汚れ、泥に塗れた顔を、指で強く擦る様にして、汚れを拭う。
その度に、怯えた様に体を震わせるのが、本当に申し訳なく思える。
あらかたの汚れを拭い、微笑むと、きょとんとした表情を見せた。
「さ、戻ろうシーナ。レミエーレへ」
「でも、私は……」
「反逆者、かい?」
また体を震わせ、表情が恐怖に染まる。
まったく、そこまで恐れる事ではないだろうに。
「僕が生きていて、誰がそれを信じる?」
「それ、は……」
そう、シーナに掛けられた容疑はグレイ・オーフィリア殺害と、オーフィリア家率いる第一軍壊滅の責だ。
だがそれは、己が生きている事で覆る。
「大方、僕の事が邪魔な軍拡派閥が、君ごとリンドウ達を片付けようとして、失敗したんだろう。代償は払わせないとね」
これから、やる事は山積みだ。第一軍の建て直しに、愚か者の排除。竜胆が駆けずり回って、どうにか支えていた財政と軍務の見直し。魔属領戦線も、暫くは縮小しなくてはならないだろう。
神野や和泉にも負担の掛け通しだ。だが、もうその必要は無い。
「君は僕のシーナだ。さあ、戻ろう」
「あ……」
顔を上げ、彼に手を伸ばす。機敏さの欠片も無い、非常に緩慢な動きだった。
幼子が差し出された希望にすがる様に、彼の手へ触れようとし、しかしその手は届かなかった。
「え……?」
シーナの指先が触れたのは、彼の指先ではなく、彼が持つ物。黒い革の首輪だった。
「グレ、イ?」
「君の黒髪に合う様な色合いを見付けるのは、少しだけ苦労したけど、うん、似合うね」
呆然とするシーナに手渡された首輪は、装飾品としてのチョーカーと呼ばれる物ではなく、家畜や愛玩動物の首に掛ける、正真正銘の首輪だった。
「さ、シーナ。それを着ければ、君は僕の物で、君を傷つけようとする輩は、全て僕が斬り捨てよう」
嘗てと変わらぬ甘い笑顔。しかしその笑顔から感じるのは、甘く優しい喜びではなく、果てしなく醜悪なおぞましさだけだ。
嗚呼、そうか。この人はあの人ではない。だけど、この人はあの人なのだ。そして、この人を死なせて、壊したのは己だ。
「どうしたんだいシーナ? 君は僕の物だろう?」
それでも構わない。この人を壊したのは己だ。だから、この人が望むのなら、物扱いでも構わない。
手渡された首輪を、ゆっくりと確かめる様にして、シーナが己の細い首に、それを巻き付けようとしたのと、突如飛来した錫杖が、その首輪を弾き落とすのは同時だった。
「椎名に何させてんだ? あぁ?」
よく聞いた声、そしてこの声の主が強い怒りを滲ませる時、必ず放たれるものがある。
流石のグレイでも、それは受けたくない。
回避をしようと、グレイが身を捩ろうとするが、体が動かない。見れば、自分の影に苦無が数本、縫い止める様に突き立っていた。
「この、ドグサレが……!」
罵倒と共に、グレイの顔面に、鬼人すら沈めた歴戦の膝蹴りが叩き込まれた。
異世界不動明王麻野降臨
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