異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたので隠居したい 作:ジト民逆脚屋
よいものは、何をどうしようがよく。悪いものは、何をどうしようが悪い。
ベアトリーチェの師が、何時だったか言っていた言葉だが、的を射ているなと、最近にして思う様になった。
『怒涛の四十人抜きぃっ……! 誰もこの女の快進撃を止められないのかあ!!』
紫煙を吐き出せば、歓声と罵声の二つが喚き立てる。
さて、どうしたものか。
思えば、あの騒がしさに釣られなければ、この落胆も無かったのだろう。
「師匠、前!」
「あん?」
『ああっーと! これはいけません! 〝岩斬〟ジョゼフの不意討ちぃっ!』
止める気も無いのに、いけませんも何も無いだろう。
ベアトリーチェは、己の首を狙った大剣を、身を反らして避け、そのまま逆立ちをする要領で、相手の頭を横から蹴り抜いた。
殺意も何も無い曲芸の様な蹴り、しかしその蹴りの主は、ベアトリーチェだ。殺意の有無関係無しに、打撃の全てが致死性を孕み、相対する者全てを破壊する。
──まあ、所詮はお遊びか──
逆立ちのまま、視界を上に向ければ、大男が頭に手を当てて、左右に振っている。
そして、視界を騒がしい審判の方へと向けると、まだ普及しきっていない街灯に、よく似た柱がある。
ただ、街灯とは違う点があった。
『ベアトリーチェのアクロバティックな蹴りにより、ジョゼフのHPの半分が消し飛んだぁぁっ!』
あれだ。灯りの代わりに、左右に伸びる不可思議な筒。
最初は緑、半分で橙、残り三分の一程度で赤に変わる。
攻撃の命中によって、柱へ向かって光が段々と消えていき、最終的に光を消した方の勝利。これが闘技者戦劇のルールだ。
サヤマが
「これ、格ゲーだ」
と言っていたから、これは恐らくというより確実に、召喚勇者か転生勇者が関わった代物だろう。
片手で逆立ちをしたまま、ジョゼフとかいう輩の大剣を、右足だけで捌きながら、ベアトリーチェはさてと考える。
勝敗のルールが決まっている事。これに関しては、別に何か言うつもりは無い。だが、これはいただけないと、ベアトリーチェは溜め息と共に、ジョゼフの顎を大剣ごと蹴り抜く。
鋼の大剣が砕け、ジョゼフ、顎が外れ、意識が彼方へと飛び去る。
背後、サヤマとハルファが安堵の息を吐いていたが、ベアトリーチェの勝敗より、ジョゼフが生存した事に対する安堵だろう。
この闘技者戦劇、ステージ上に居る限りは、基本的に全ての攻撃は非殺傷となり、致命傷となる傷は、事前登録の際に提供した魔力と、あの柱が汲み上げる地脈からの魔力が、肩代わりしている様だ。
つまり、このステージに立っている間は、命の安全が保証された、緩みきった殺し合いを繰り広げる事になる。
──いただけない、いただけない話さね──
運ばれていくジョゼフもそうだったが、この国は平和過ぎ、しかしこの見世物があるせいで、冒険者紛いの連中が食うにそれほど困ってはいない。
悪くない事だ。冒険者や傭兵は食うに困れば、すぐに野盗か何かになる。それが起きてない事は良い事だ。
だが、その反面、ボンクラ揃いだ。
本当の、血で血を洗う戦場を知らない。
魔獣や魔属、人同士の本気の殺し合いを知らない。
恐らく、今まででかい口を利いてきた連中も、まともに人を斬った事のある奴は少ないだろう。
あ、さっきのジョゼ何とかは、数人は斬っている。あれはそういう太刀筋だった。
だがそれだけ、命懸けの鉄火場の経験は、サヤマとハルファにも劣るだろう。
「……帰るか」
食べ歩き、という気分でもなくなった。適当に酒と肴を買って、宿で呑むか。
そう考え、ベアトリーチェが喧しく喚く審判に背を向けると、サヤマとハルファが如何にもな、覆面達に囲まれていた。
何かの演出かとも思ったが、持っている得物やその雰囲気から、確実にそうではないと判る。
何より、はっきりとサヤマとハルファ、そしてベアトリーチェに狙いを定めた位置取り。
観衆は既に、違和感を感じて距離を取っている。
「あー、一応は聞いといてやるさ。……生きるか? それとも死ぬか?」
「…………」
答えの解りきった問の答えは無言で、覆面達は包囲を狭めた。
サヤマも既に槍を構え、ハルファも
解りきった答え。態々、親切に逃げる機会を与えたベアトリーチェは、その無言の答えに、覆面の一人を血反吐の海に沈める事を返答とした。
「……は?」
誰も反応不可な、神速と呼ぶに相応しい拳は、易々と鍛え上げた覆面の筋肉を貫き、臓腑を破り裂き、赤黒い血溜まりを作る。
「呆けんな。これが、お前らの出した答えさ」
貫手がハルファの背後の覆面の腹を貫き、裏拳がもう一人の胸骨を破砕する。
三人、まだ息はあるが長くはないだろう。
さて、残りは五人。二人、逃げたサヤマとハルファを追ったが、あの足ではサヤマには追い付けない。
「さて、逃げなかったという事は、アタシに情報吐き出すって意思表示でよかったね」
手刀で、突きだされた剣を断ち斬り、そのまま膝を蹴り折り、顎を跳ねる。これで残り四人。
三人は死なせるが、五人は生きていれば、情報源としては上等だろう。
しかし、この動き。訓練は受けているのだろうが、些か中途半端な印象を受ける。
対象を複数で囲み、人質が取れるなら人質を取り、事を優位に運ぶ。誘拐、襲撃の基本の一つがこれだ。
あとは何より迅速に事を運ぶ。これが絶対なのだが、包囲まではよく、そこからがまごついていた。
今も、一人一人ではなく、全員で掛かるか、遠間から網か何かを放れば、ベアトリーチェはともかく、二人は確保出来ていた。
「ふん?」
残り一人、三人目は少しやり過ぎたが、まあ死にはしない。もしかしたら、右肩は二度と上がらないかもしれないが。
動きも装備も良、しかし経験が悪。取り敢えず、両肘へし折って、気絶でもさせるかと、ベアトリーチェが一歩間合いを詰めた瞬間、毛が逆立つ様な寒気が、背筋を駆け抜けた。
「レ、アン隊長……」
「任務御苦労、負傷者を回収し、君も下がれ」
連れてきた黒覆面達に指示を出す男。黒、頭から足先まで、全てが黒。ただ違うのは、顔を隠す面頬と頭巾の奥にある蒼い眼。
見て解る、聞いて理解する。この男は強い。
──……二人が逃げたのは正解だったさね──
底が見えない。この感覚は何時以来か、師との最期の相対か、否、それよりも最近、そうだ。
本物のグレイ・オーフィリアとの一戦だ。
「〝魔拳〟ベアトリーチェ・アズロント殿とお見受けする」
「人違い、のつもりは無いんだろ?」
「無論」
滑らかな動き、澱みや撓みが無く、しかし張り詰め過ぎてもいない。
両の手には、鉄の輪があった。外輪を研ぎ、内輪には十字の持ち手、その中心には指が二本程入る輪のある武器。確か、師が戯れに使っていた風火輪、というのにそっくりだ。
だが、解る。師は戯れ、しかしこのレアンという男は、この刃を研ぎ澄ませてきた。
ベアトリーチェは手甲を正し、両手の指先を視線に合わせて上げ、そのまま掌を正面に向けて、前に出す。
空手の前羽の構えだが、ベアトリーチェは正式な名前を知らない。師からは、守りの構えだとしか教わっていない。だが、それで十分。
それだけを理解出来れば、後は必要無い。
「我が主は、貴殿らを望んでいる」
「にしては、お粗末な連中さ」
「我の不徳だ」
「そうかい」
遠く、建物に隠れて窺う視線はある。しかし、その様なものは関係無い。
ゆっくりと、ゆっくりと、両者は間合いを詰める。人の音が止み、風も止んだ。
聞こえるのは、二人が間合いを詰める足音と、二人の呼吸だけ。
焼けつく様な緊迫の中、先に動いたのはレアンだった。
左の風火輪を投擲、それと同時にレアンもベアトリーチェの間合いに入る。
「なら、その不徳とやらを抱いて死にな」
掌が円を描いて、投擲された風火輪を弾き、振り抜かれたもう片方の、風火輪の軌道を書き換える。
その回し受けによって、体が流れてしまったレアンの脇腹に、ベアトリーチェの両手の貫手が突き刺さった。
「……そうは、上手くいかないか」
「当然だ」
貫手で貫かれたレアンが、霞の様に崩れ消え去る。
《シノビ》の実像分身、正直ここまで生身の感触を再現した分身は、ベアトリーチェも初めてだった。
朱塗りの建物が並ぶ町並み、その内の一つの屋根に立つレアンに、ベアトリーチェは一足飛びで肉薄し、〝圧式〟を起動、レアンにその力を打ち込む。
しかし、打撃が当たり、固めた圧力がレアンの内臓を押し潰す寸前、レアンは自ら飛んで、町並みの背後にある公園の池へと吹っ飛んだ。
「あんた、本当にやるじゃないか……!」
それほど深くない池だった様で、膝上辺りまで水に浸かったレアンは池の中心で、風火輪を構えていた。それを見たベアトリーチェは心底嬉しそうに、次の術式を起動する。
起動するのは、最速の貫手。不可視不可避の貫徹力を射出する〝貫式〟、レアンの心臓を狙い射出すれば、容易く避け、水柱を背後に、こちらに対する警戒を緩めていない。
嗚呼、本当にいいな。
「んじゃ、ちょっと本気でいくさ」
商家の屋根で、ベアトリーチェが凶悪な笑みを浮かべた。
瞬間、レアンは油断していた。という訳ではない。
寧ろ、これ以上無く気を引き締め、ベアトリーチェの一挙手一投足を見逃すまいと、集中の極致にいた。
だが、ベアトリーチェはそのレアンの警戒を、嘲笑うかの様に、彼の目の前に現れた。
何故と、疑問するより早く体が、ベアトリーチェを迎撃する。しかし、刃物というものは、外へ相手へ振るうものであり、内へ自分へと振るう事は考えられていない。
掻い潜られ、弾かれ、捌かれ、距離を取ろうにも、何故かベアトリーチェから、一向に離れる事が出来ない。
「さて、まずは二撃。……死ぬなよ」
ベアトリーチェが、構えた。蹴りから入る連撃の構え、そのレアンの予想通りに、まず来たのは左の下段足刀蹴り。
目的としては牽制だろう。しかし、威力は牽制のそれではない。
一撃目は外した。だが、二撃目は受けざるを得なかった。魔力を流し、強固に固めた膝で受ける。
だがそれでも、衝撃は体を突き抜け、レアンの意識と肉体の感覚に、少なくない齟齬を発生させる。
無茶苦茶だ。言ってしまえば、ただの雑なローキックで、脳を揺らされた。
しかし、瞬時に立て直し、風火輪を手の中で回転させる。魔力循環による高速回転、薬指を軸に回転させた刃を、ベアトリーチェの首へと走らせる。
──取った……! ──
レアンはベアトリーチェの首を落とそうと、風火輪を振り抜いた。
筈だった。
「なっ!?」
「我が師に感謝さね。どうしようもないくそ爺だったがね!」
ベアトリーチェの首を断つ筈だった風火輪は、ベアトリーチェの首に触れる寸前で、粉々に砕け散っていた。
驚愕するレアンだが、止まる訳にはいかない。得物はまだ一つ残っていて、それを手繰る己も健在だ。
濃厚な死の気配を孕んだ、ベアトリーチェの左の正拳。あれを受ければ、死以外の結果は訪れないだろう。
だがそれでも、レアンは退く訳にはいかない。
──我が主の望み、叶えてこその臣──
ここで退けば、主の望みは叶わない。
主の望みを叶える為には、ベアトリーチェらの協力が不可欠だ。
「なればこそ……!」
レアンは、ベアトリーチェの左拳に向けて、風火輪を振るう。
ベアトリーチェは満面の笑みで、左の正拳を振り抜く。
「そこまでだ、馬鹿者」
両者の決着の激突の瞬間、割り込んできた姿があった。
鮮やかな黒髪を、風に揺らしたその人物は、片方の手でレアンの風火輪を奪い、もう片方の手でベアトリーチェの正拳を受けた。
胡服を纏った体が沈み、震脚を踏めば、池の水が干上がる程の水柱が起き立つ。
「……妙な手品を」
「君の拳を受けるには、この手品が必要なのさ」
池の底がひび割れ、ベアトリーチェの拳を受けた麗人の足元からは、蒸発した水分が湯気となっていた。
「我が臣下が失礼をした。我が名は〝ファン・ロン〟、この国の皇族だ」
獣眼を凛々しく、頭の横から鹿に似た角を持つ女は、そう名乗り、恭しくベアトリーチェに頭を下げた。
「〝魔拳〟ベアトリーチェ・アズロント殿。この国を、延いてはこの大陸を救う為に、何卒その武勇をお貸し戴きたい」
特大の水柱を目印に、見知った顔が集まってくるのを見て、そして頭を下げる二人に増えた後頭部を見て、少し湿った細巻き葉巻を、口の端に噛んだ。
次回
竜というもの