異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたので隠居したい 作:ジト民逆脚屋
聞き覚えのある名前だった。
「今より我の知る限りで約二年程前、あの女の一味はこの国の中枢に姿を見せ始めた」
クラウスは一度、フェリドは二度、同じ名前を持つ女と遭遇している。
そして、その少ない接触で、あの女が異常だと理解している。
「初めはただの女中として、宮中に入り込み、何時しか宦官や兵士達を、魅了する様になっていたそうだ」
「その程度なら、自分らで何とかしたらどうだ? 第一、国家の要人を討つなんざ、外部に頼む奴は信用出来ん」
フェリドがそう言い切ると、ファン・ロンの隣に立つレアンに、僅かに動きがあった。
身構えたフェリドとクラウスだったが、レアンの行動は攻撃ではなく、一つの封書を手渡す事だった。
「我らに対する信用云々に関しては、それを読んでからにしてくれないか? ああ、《刻印師》や《カースメーカー》による防備は無いよ」
「へ、そいつはご丁寧なこって」
「それで、何が書いてある?」
フェリドが受け取った封書を開き、中から薄く上質な折り畳まれた紙を取り出す。
華美な装飾が施されたそれは、間違いなく上の立場にある人間に宛てられる品だ。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。もしもの場合は機嫌を損ねて、ふて寝しているベアトリーチェを暴れさせる手で逃げよう。
そう段取りを組み、フェリドは折り畳まれた紙を開く。
そして、その中身を確認し、ファン・ロンを睨んだ。
「……おい、何を考えてやがる」
「それは我ではなく、あの佞臣と愚臣共に言ってくれ。いや、寧ろ今から行くか。思い出したら腹が立ってきた」
立ち上がろうとするファン・ロンを、レアンが両手のひらを立てて制し、再び席に着かせる。
「姫様、落ち着かれよ」
「ふむり、しかし、あの者共を……。いや、少々興奮していた様だな」
茶を啜り、息を吐いて、ファン・ロンは睨み付けるフェリドに視線を返す。
「それに書いてある事は、紛れもなく事実だ。そなた達も知っているだろう?」
隠すなら、もっと上手く隠すべきだったと、軽い調子でまた茶を啜るファン・ロンから、視線を封書へ戻す。
想定外、否、想定の範囲内にはあった事だ。
だがしかし、まさかであった。
可能性は十分に有り、国も常にそれに備えている。
そうだ。今回の件も、発覚した時点で想定していた。
「……バカなのか、こいつらは」
クラウスの呟きに、フェリドは紫煙と共に、深い溜め息を吐き出した。
いや、まったくのその通りなのだ。
レミエーレ、ファーゼル両国共に、嘗ての小競り合いと、歴史から互いに対する牽制を怠らず、尚且つ、魔属や魔獣対策の為の武力を、常に蓄え研鑽している。
大国である二国以外にも、それはどの小国でも変わらない。戦は無くとも、潜在的な脅威や危険は常に蠢き、突如として牙を剥いてくる。
己の身を守る為、己の身の安全を確保し続ける為、武力というものは維持し、研鑽を止められない。
だからこそ、それを外へ向けて扱う事は、どの国も最終手段なのだ。
「……勝算が、あるんだろうよ」
「左様だな。我が国には、そなた達二国に勝てる勝算がある。というのか、彼奴らの言い分だ」
「勝算?」
クラウスは疑問する。
カミナギ皇国の武力に関しては、まだ謎な部分が多いが、自分達を襲ったファン・ロンの手勢から察するに、訓練はそれなりには十分だが、圧倒的に経験が足りない。というのが、クラウスの予想だ。
そうでなくとも、レミエーレ王国は永く魔属領との争いを続け、ファーゼル王国とも領土争いを行った歴史のある武力大国。
そして、ファーゼル王国は農産国ながらに、その武力と渡り合ってきた国だ。正直な話、カミナギ皇国に勝算があるとは思えない。
「じゃあ、聞くがよ。大陸最大の二国を相手取って、勝てる見込みってのは何だ?」
「一つはこの国最強の武人ラウ・ロン、そしてもう一つは、〝竜神の玉体〟だろう。……まったく、莫迦な連中だ。頭の中は相当おめでたく出来上がってるらしい」
「一応は国の重鎮だろうに、また随分な言い方だな」
クラウスの言葉に、ファン・ロンは口を横にした顔で、茶を飲み干した。
そして、実に嫌そうな顔で、茶菓子の饅頭を弄りだした。
「重鎮、まあ、重鎮だ。亡き父の頃からの臣下だ。そうなのだ、あれが重鎮なのだよなぁ……」
先程までの、凛とした麗人めいた態度はどこへいったのか。ファン・ロンはテーブルに突っ伏した姿勢で、弄り倒していた饅頭を齧り始めた。
「大体、何をどうしたら、ラウ・ロンと〝竜神の玉体〟で、この国があの二国に勝てると考えられるのだ? ラウ・ロンは確かに、個人最高戦力だが、あくまで個人の最高戦力に過ぎず、〝竜神の玉体〟に至っては制御出来るか否かすら……」
「それ以上は聞く気はねえぞ」
「……どうせ、喋るから変わりは無いぞ?」
「一応言っただけだ。んで、本当にレミエーレ、ファーゼルと戦争する気なんだな?」
「我にその気は無いが、あの愚者共はそうだな」
ファン・ロンがテーブルに突っ伏したまま、深い溜め息を吐き出す。
気持ちは分からないでもない。彼女からしてみれば、次代の国の指導者が決まるというタイミングで、何処の馬の骨とも知れぬ女の口車に、国の重鎮達が騙され、国を滅ぼす手助けをしているのだ。
混乱を考えず、早急に事態を収めるなら、首謀者である仁科、ラウ・ロン、カウリ・ロンの三人を、捕縛するなり処刑するなりすればいい。
しかし、そうしていないという事は、何か理由がある。
「ラウ・ロンはこの国最強の戦力、言わばファーゼル王国でのベアトリーチェ・アズロント、レミエーレ王国のグレイ・オーフィリア。カウリ・ロンはこの国の政の中枢一人、しかも二人共に我と同じく皇族だ」
「なら、ニシナとかいう女はどうなんだ? 大元というより、火付け役はそいつだろう?」
「ニシナに関してだが……」
と、そこまで言うとファン・ロンは、腕を組み頭を悩ませた。
何かあるのかと、フェリドとクラウスがレアンに視線を向けるが、覆面の彼の表情も同じ様に、言葉を選びあぐねている様子だ。
「……一体、あれが何なのかは我らの理解の範疇外だが、我らはニシナ・アケミを数度暗殺している」
「はあ? 暗殺したなら、生きている訳が……」
「我も初めはそう考えた。しかし、暗殺してもその翌日には、けろりとした顔で後宮に姿を見せるのだ」
ファン・ロンの言葉に、二人は有り得ないと思ったと同時に、あの日見たニシナなら有り得るかもしれない。そうも思う。
実際に、ニシナのそういった面を見た訳ではない。だが、あの日のあの女には、不死身でも可笑しくない。そう思える何かがあった。
「そしてもう一つ、あの女の影響力が増している理由がある」
「頭が痛くなってきたな」
「まあ、そう言ってくれるな。我もだ」
溜め息を一つ吐き、ファン・ロンはまた一つ羊皮紙の書類を取り出し、テーブルに置く。
「これに関しても、事実でしかない。クラウス・ヴェルディ、《金鹿の蹄》を率いるそなたなら、この数字の異様さに気付けるだろう?」
「……なんだこりゃ?」
クラウスが目で追った数字は、恐らくだが何らかの機関の出納帳の類いだろう。
だが、その数字の推移が何かおかしい。
記載に関しては、何も問題は無く、むしろ見易く素晴らしい。だが、数字が微増を続けている。
そう、一度の横這いも減少も無く、ただ微増を続けるだけの金の動きは有り得ない。
「我が軍の人と金の動きだ」
「ありえねえ。改竄したにしても、こんなもんが軍議を、ましてや国の財務が通す訳が無い」
金は使えば減る。人も辞めれば減る。
どうしようもない現実であり、軍というのは国が抱える機関の中でも、最も人と金を消費する機関だ。
減少、横這いの数字は有れど、ただ増えるだけなど有り得る筈が無い。
しかし、クラウスとフェリドの考えに、ファン・ロンはまた頭の痛くなる事実を出した。
「頭の痛みが増す事実だが、その微増分はニシナがもたらしている」
「ただの女一人が、動かせる数字じゃあない。……後ろに国でもあれば、話は別だがな」
「それも調べはついている。あの毒婦は、元はレミエーレの召喚勇者、あの国が絡んでいると、我は考えているが、理由と目的が分からぬ上、あの国に巣食う〝魔女〟か、これを許すかどうか……」
それに関しては、まず有り得ないと言えるだろう。
あのレミエーレの〝魔女〟、竜胆の動きの根幹は自分達の立場の確保と、国の保全だ。
それには、今の三国間のバランスが必要不可欠であり、それを崩す様な真似はまずしない筈だ。
だがしかし、そうなると最悪の事態が頭を過る。
「……リンドウが暗殺、もしくは失脚した?」
「だが、この数年はそんな話は聞いてない。むしろ、ネフェリタの奴がこっぴどくやられてた」
「だが、かの国は新王が即位してから、急激に魔属領に対して、侵攻を早めている」
もう何度目か、深い息が部屋に落ちる。
「……分からん話は、この際脇に置くぞ。まず、お前らは何をしたい? 俺達に何をさせたい?」
「我らは、国の安定を乱す愚者と、それを誘う毒婦を一掃し、安全に帝を即位させたい。つまり、武力の貸与を願いたい」
「恐らく、いや、確実に俺らの国は知らん顔だが?」
「それでもだ。彼奴らを放置すれば、必ずやこの国を、大陸を滅ぼす病巣となる」
フェリドとしては、この話を国に持ち帰り、適当にカミナギ皇国が内乱で弱ったところを、横から叩いて利益をかっさらうのが、一番国の利益になると考えている。
しかし、レミエーレ王国が関わっている可能性があり、あの狂気の女が関わっている以上、間違いなくシーナに矛先を向けてくる。
それに、このタイミングでの諜報を命じたネフェリタも、カミナギ皇国の内情に気付いていた筈だ。
「あー、どう見る?」
「恐らくだが、ここで話を持ち帰っても間に合わん」
「となると……」
クラウスの言う通りに、ここで話を持ち帰っても、事は始まった後だろう。
遅延も回避も出来ない。出来る事は衝突だけ、そして確実に、先に狙ってくるのはファーゼル王国だ。
そして、弱った二国をレミエーレ王国が平らげる。かなり雑なシナリオだが、大まかな流れはこうだろう。
この流れを防げるのは、今この場だけ。
フェリドはまた葉巻に火を点けると、盛大に紫煙を吐き出す。
「俺ら二人で決めれる事じゃない」
「……そうか。ならば、我らだけでやるさ」
「勘違いすんな。他の連中にも話をしろ。あー、そうだな。時間も時間で、よく食う連中だから、盗聴も毒の心配の無い店があるなら、そこでだ」
沈んでいたファン・ロンが顔を上げる。
「あ、後なニシナ・アケミ。この名前は出来ればぼかせ。その名前は俺らにとっても、かなりの爆弾だ」
頭を掻きながらフェリドが言えば、ファン・ロンは承知したと頷いた。
そして、レアンが部屋の外に居た部下に、指示を出すのを見送り、フェリドはまた紫煙を吐き出す。
──どうか、問題無く終わってくれ──
そんな叶わない願いを知ってか知らずか、フェリドの吐いた紫煙はゆらゆらと、気楽そうに部屋に踊った。
次回
竜神とは?