異世界隠居 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたので隠居したい 作:ジト民逆脚屋
しかし、流石は商業の発展した国だと、サヤマは素直にそう思う。
「本当に荷が絶えない」
サヤマが宿の屋上にある、物干し台兼用のテラスから眺める港には、隙間を許さないとばかりに商船が停泊し、大量の荷を降ろしては、また大量の荷を、人足達に積み込ませている。
あの場だけで、一体どれ程の財が動いているのか。商いに関わった事の無いサヤマには、到底想像もつかない。
「まだ心配?」
「……ハルファ」
差し込んできた影を見上げると、いつもの仏頂面のハルファが居た。
「当たり前に心配だね」
「それはどういう心配?」
「師匠があの皇女様を死なせないか」
ファン・ロンが、この国でも指折りの実力者であるという事は、遊びでもベアトリーチェの一撃をいなした事から、サヤマもよく理解している。
だが、それでも足りない。
「最低でも、師匠の攻撃をいなして、即座に首を狙えるくらいじゃないと……」
「サヤマ、基準がおかしくなってる」
「師匠の基準だよ、これ」
「……どう思う?」
「ハルファは話の変え方が下手だね。答えはまだ判断出来ない、だよ」
「同じく、まだ判断材料が足りない」
「なんだろうね? 構図そのものは見えてるけど、全体がぼやけてる。そんな感じかなぁ」
よく晴れた空を見上げて、サヤマはまた溜め息を吐いた。
見上げた空は、地上の薄汚さを嘲笑うかの様に、何処までも晴れて澄み渡っていた。
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ガキン、と重々しく硬い音が部屋に響く。
そして続くのは、軽く中身の抜けた物が落ちる音。
シーナが最近の日課である砲剣から空になった薬莢を取り出しては、また次を装填するこの行動。クラウス達には謎でしかない。
だが、麻野と浜名は何か知っている様で、その音がする度、何か思い詰めた顔をしている。
今もそうだ。
「……椎名」
「大丈夫、奥の手」
「本当に奥の手だからな? ……頼むぞ」
シーナが奥の手と準備しているもの。
それは嘗て、魔属との大規模戦闘にて一度だけ使用された。
それ以降それを行使するにはグレイを始め、神野、和泉、竜胆、麻野と浜名。そしてレミエーレ騎士団各団長の認可が必要になった。
あの時、〝あれ〟が使用されたたった一度の戦闘は、シーナのそれだけで戦場が壊滅した。
だから、誰もが恐れたのだ。たった一撃で全てを灰塵に帰す術を持った女を、その女に信用されていない自分達を恐れた。
「シーナ」
「なに? クラウス」
「何時か、海に行かないか? 今の様な、武器も鎧も持たずに、着の身着のままの普段着で」
「海? 海なら今も行ける」
「違う違う、こんな血生臭さも鉄臭さも何も無い日に、二人でだ」
「二人……」
ぼんやりと、シーナはクラウスを真っ直ぐに見詰める。
このぼんやりとしたあまり感情の読めない視線を、レミエーレの貴族達は恐れたのだろうか。
クラウスからしてみれば、これは恐れるものではなく、愛で護るべきものでしかない。
「何をする訳もなく、ただ砂浜を歩いたり、波打ち際ではしゃいだり、出店で安い酒と肴で管を巻いたりしよう」
「いいね、それ」
麻野も浜名も何も言わない。二人共、シーナにはそれが必要だと解っているから。
最愛の人を最悪の形で喪い、最愛の人の似姿と最悪な形で再会したシーナの心は、もう限界に来ている。
今、こうして居られるのはあの偽物と、その黒幕に対する静かな憎しみが、シーナを繋ぎ止めているに過ぎない。
だから、そんな何時朽ち果てるか分からない憎しみの糸より、クラウスとの約束がシーナを繋ぎ止める糸になればいい。
そんな、一縷の希望にすがるしかなかった。
「では、私もご一緒しましょう」
「リラ」
「私はご主人様の従者ですので、最後の最期までお供致します」
凛としたリラがそう言うと、クラウスは当然だと笑みを溢す。
クラウスの望みはシーナと結ばれる事より、シーナが穏やかに笑顔で日々を過ごせる事だ。
その日々の為には、今この場に居る誰かが欠けてはならない。
──さて、どう出るべきか
出方によっては、皇国と王国の戦争になりかねない。
こちらの大義名分は佞臣を討ち、国の平穏を取り戻す。しかし、あまりにも情報が少なく、得ている情報も一方的なものでしかない。
ファン・ロンが王位簒奪を考えている可能性もある以上、クラウスの意見は今すぐ皇国から離れるべきだ。
だが、皇国の狙いが大陸統一を目的とした戦争だと解った今、どう動くべきか。
──早馬を出しても間に合わん。それに、下手にこちらから動けば皇国に大義名分を与える事になる
それに、ニシナの動きも気になる。
聞けば、シーナ達と同じレミエーレの召喚勇者らしいが、あの女はいまいち正体が知れない。
それもそうだ。シーナ達から聞いた性格と、対峙した時の異質な気配。そして、この国で暗躍している見えない姿。
レアンは首を落とした筈なのに、次の日に生き返っていたと言う。
何から何まで謎しかない。まるで、人ではない何かと戦っている気分だ。
「クラウス?」
「お、ああ、どうした? シーナ」
「大丈夫?」
「ああ、なんとかするさ」
「私、頑張るよ」
「そうだな。もしもの時は頼んだ」
そう言って、クラウスはシーナに柔らかく微笑んだ。
そして、クラウスは後に後悔する。
この時、シーナを戦いから遠ざける事が出来ていれば、あんな事にはならなかったと。
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ベアトリーチェは不機嫌の極みに立っていた。
せっかく、国の金で旅行に来たというのに、訳の分からぬ企みに巻き込まれ、奇跡的に巡り会えた強者との戦いも、思わぬ乱入で中断された。
だから、日課の形稽古に勤しんでいるのだが、どうにも身に入らない。
「はあ……、見るならちゃんと見ればいいさね」
「……やはり、気付かれるか」
そう言って物陰から姿を現したのは、不機嫌の原因でもあるファン・ロンだった。
「お姫様にしてはよくやる方だろうけど、アタシからすれば全然さね」
「まったく、貴公らには叶わぬな」
「で、何の用さ。アタシは機嫌が悪い」
「いや、特にこれと言った用件は無い。ただ、一つ聞きたくてな」
「なんさ」
「レアンの風火輪の刃が、貴公には届かなかったと聞いた。そのからくりを知りたくてな」
さて、どうするか。
ベアトリーチェにしてみれば、この業を知られた所で困るものは無い。だが、相手は不機嫌の原因のファン・ロン。
教える義理は無いと、突き返す事は容易だ。しかし、ファン・ロンは皇族。後でネフェリタに文句を言われるのは面倒だ。
だから、ベアトリーチェは素直に答えた。
「
「気血を? それにしては貴公の内に巡るのは、些か度が過ぎていないか。まるで、暴風すらも生ぬるい嵐の様ではないか」
「……へえ、あんた判るのか。サヤマはいくら教えても気血を読めなかったのに」
「我が皇族に伝わる業は、気血の巡りに重きを見る。故に気血の流れを見なければ、会得には至らぬ」
ベアトリーチェは内心で感心した。
魔力とは違う、気血という概念。それはベアトリーチェと亡き師だけが理解する力だと思っていたが、こんな所で流れを同じくする者に出会えるとは、夢にも思っていなかった。
試したい。強さを追い求めてきたベアトリーチェの中に、ふつふつと得難い感情が沸き上がる。
「……試し打ちは勘弁して頂きたい。貴公の拳は未熟な我が受けるには過ぎたものだ」
「なら、あのレアンとかいうのを出しな。あいつとの戦いは終わっちゃいない」
「それは出来ない。だが、代わりと言ってはなんだが、一つ情報を渡そう」
「なんさね」
沸き上がる感情は萎えず、今も燃え盛る。
あのレアンという男は試し打ちとは言え、ベアトリーチェの最大火力の業を受けた。
その代わりとなる情報、ベアトリーチェは沸き上がる感情を押さえ付けながら、ファン・ロンの言葉を待つ。
「この国最強の武人、ラウ・ロン。先日も言ったが、彼奴なら貴公の拳を受けきれるだろう。何せ彼奴は、これまでで一度たりとも傷を身に受けた事が無い」
「はっ!」
ファン・ロンが聞いたのは哄笑だった。
まるで、喜びを知らぬ子供が初めて喜びを得たかの様な大笑。
寒気すら覚える哄笑の後、ベアトリーチェから感じる圧は、先程表現した嵐などそよ風でしかない得体の知れないものであった。
「貴公……」
「いいね、実にいい話さね。あんたの話にちゃんと乗ってやる」
判断を誤ったかましれない。
人智から外れたベアトリーチェの様子に、ファン・ロンは焦りを得た。
しかし、あのラウ・ロンに勝つにはベアトリーチェ以外は不可能だとも理解している。
全ては国の未来の為、ファン・ロンは己が判断を信じる事にした。