1話 落日
評議会庁舎 最高幹部執務室
「続けてくれ」
「前から行動は確認されていますが、どうも内部分裂があったようで活発化して来ました、前任の教祖の行方が知れないそうです」
ジョシュアはプリントを捲りながら報告を続けた。
「内情は大多数が人間、次いで魔物や妖精です。この中にはあらゆる機関のスパイも紛れ込んでいるようで煩雑です。
しかし高い地位を竜族が占めていて実態は新興宗教団体の皮を被った恐らく現竜王家に反感を持つ者の集まり、という可能性も」
情報提供及び推察・ロレッタ。出来るだけ大きな山場の情報は統一しようという計らいだ。恐らく今頃、ギンジやベオウルフにも同様の報告がされているだろう。
「グリモア教団……か。ジョシュア、お前の考えを聞かせてほしい」
「えーと、そうですねぇ……。昔、別の仕事に就いてた時にチラッと名前を聞きました。その時は特にデカイ組織でも無かったらしいんですが……何で今になって? とは思ってます」
ギルガメッシュは頷く。
「そうだな。それ程巨大な組織でも無かったのは私も知っている。しかし上層部に竜族の手が入っているのは初耳だな」
「神界関係ですかね。それともほんとうに内部のゴタゴタなのかなぁ?」
「……もしくは
「へ?」
「いや、何でもない」
言い淀んだ上司に無垢な目を向けて口を割らせる作戦を即座に展開したが何の効果もなかった。妙な引っ掛かりを感じるが、藪蛇沙汰は辞めておこうと自分を納得させた。
「引き続き調査を頼む。脅威になる可能性が高いからな」
「了解です」
「特に所属している竜族の動向は見逃すな。絶対的な規律を外れた奴は何を仕出かすかわからん」
「ガッテンです」
「……そう。何を仕出かすか」
上司の苦々しげな顔に何となく心当たりのあるジョシュア。
「ベオウルフ様ですか」
「私も大分偏見に満ちた意見だか、二つ名からして信用ならん」
「屠竜者、屠竜卿……ヤバいですね」
貴方もだいぶヤバい二つ名持ってますよね、という発言をギリギリで飲み下した。
「こんな事を聞くのはアレだが、お前の友人は死んでないか?」
「死んでません!」
「香典は幾ら出せば良いだろうか……」
「死んでませんってば! ハッタリと逃げ足ならロレッタ以上の奴を見た事無いです。本気でヤバくなったら逃げるから大丈夫ですよ」
「なら良かった。……お前も私を取り巻く状況が悪化したら遠慮無く逃げるように」
「……はい」
数分前の会話を思い出しながら酷く長いエスカレーターを下っている。全方位を空やニュースを写すホログラムで囲まれた巨大な中央ロビーは今日も人々で騒がしい。
ギルガメッシュはいつか自分を取り巻く環境が悪化する事を理解している。それは能動的要因なのか受動的要因なのかはジョシュアにはわからない。
_____あの人も半分神様なんだよな。
半人半神の身の上はさぞ辛かったろう。そしてそれは今も此れからも続くのだろう。何ひとつ欠ける事など無く生きて来たジョシュアに想像出来ない。そしてその人々に関わったジョシュアもいずれは戻れなくなる日が来る。
程なくしてロビーに降り立ったジョシュアが見たのは不機嫌そうな悪友だった。
「ロレッタ。どうしたー?」
声をかけて近寄ると尖った雰囲気を少し和らげた。入り口から歩いて来たと見える。何処からかの帰りだろうか。
「よう」
「めっちゃ不機嫌だけどどうした?」
「世界って闇深いなってな」
「何を今更。……話聞こか?」
「……時間いいか?」
✳︎✳︎✳︎
評議会 第27生物進化研究所
遡ること数時間前。ロレッタはベオウルフに連れられて評議会の研究所に来ていた。
「この前伝えた計画なんだが、君にも実際に見てもらいたいと思ってね」
そう言って差し出されたタブレットに表示された煩雑な文章とグラフ。一際目を引く二重螺旋の資料を見た時、ロレッタの積み上げた経験と知識は嫌が応にも理解した。
「擬似的な神格ですか」
「正解。博識だね」
機嫌の良くなる上司に反比例してロレッタは資料から目を離さないまま、全身の血の気が引くのを感じた。
いつだったか。一度だけ、たった一度だけ目にした二重螺旋構造。
「君も知ってるだろ? 魔女王が妖精王に宣戦布告した事は」
「存じております」
「だいぶ面倒なんだ、神界にはね。だから……手を加えようと思う」
指し示したのは6台の水槽と、薄水色の安定剤飽和水溶液の中に浮かぶ筆型ドライバ。
「直接斬りこめば向こうも気づく。なら、周りを描いて影響させればいい」
未来の操作。歴史における最悪の一手。それが出来ると言うのなら、まさしく、神の御技。
「……なるほど」
平気なフリをしてそう答えるのが精一杯だった。それでも隠し切れない引きつった表情を見てベオウルフは笑みを濃くした。
✳︎✳︎✳︎
話を聞き終わったジョシュアは絶句した。
評議会庁舎の展望台の、更にその隅に忘れられたように設置されたベンチに並んで座り、事の顛末を聞いた。
「……どうすりゃ良いと思う」
ジョシュアへの問いかけでは無く、自分自身への問いかけだった。
「擬似神格の適合率なんて1桁行くかどうからしい。最悪、行き着く先は決まってる」
「……暴走?」
「そうだ。……考えが纏まらないんだよ」
憎いくらいに晴天の青空を見上げながら話し続けるロレッタ。
「あのな、次種族化した奴ら作るって話は初期から聞かされてたんだ。……どの種族とかは……今日、教えられた」
訥々と、淡々と。その声には抑揚は無く、正気も無い。
「私はな、ヒーローでも無いし見ず知らずの妖精や魔物が次種族になって悲惨な末路を辿ろうが知ったこっちゃねぇんだよ。……でもな? 問題はそこじゃない」
訥々と、淡々と。
「お前みたいな狂気的な直感はない。けど、此処まで情報が揃ってて良く無い事が起こるってわかってる。……良くねぇ事が起きるってわかってて、何もしないってアリなのかなってな」
沈黙。痛々しいくらいに声の無い時間が流れた。吹く風だけが気楽に流れている悲しいくらいに何も無い時間が過ぎた。
「胸糞悪い話しちまって悪いな、少し落ち着いた。……話は変わるが。てゆーかこっちが本題だが」
ジョシュアの方を改めて向き直り唐突に服の裾を捲って腹を見せた。
「こいつを見てくれ……どう思う?」
「ぎゃああああああ!! ここ! 外! いやいつもの逞しい腹筋だけど! 外!! 人いないけど! 外!!」
「フッ……お前を凌駕する良い筋肉だろう?」
「張り合わないで! 恥じらって!」
良く鍛えられ美しく隆起する腹筋。その上にはこれまでの戦いで出来た古傷が勇ましく縦断していた。
「取り敢えずコレを見ろ」
脇腹を指差す。抉れたような傷の周りに引き攣れたような傷跡があった。
「ケロイド……?」
「何を隠そうベオウルフとの実戦で出来た傷だ」
「脇腹抉られたって言ってたもんね」
「そんなジョシュア君に質問だ。あの人のオリジナルなんだと思う?」
唐突な質問にジョシュアは頭をひねった。大抵、特に好みなどがない限り属性持ちはオリジナルのイメージカラーに寄せる傾向がある。それは属性持ち故の潜在的選民思考の表れであったり、帰属意識から来る安心感を得るためであったりと様々だ。
もしくは髪や目の色でも判断できる場合がある。潜在的な属性に遺伝子が影響されることが科学的にも証明されている。
「んー? あの人なんか全体的に想像できないな……髪と目は緑だし……風? でも光も捨て難い」
「私も同じ意見だ。なんかファッションも髪の色もコンセプトバラバラで嫌がらせかってレベルでわからねぇ」
「ロレッタもしかしてベオウルフさんの事嫌い?」
「大っ嫌い」
服の裾を直しながら苦い顔を見せるロレッタに思わず笑ってしまう。それでも秘書を勤め上げているあたりに、偏屈だが律儀な性格が見え隠れする。
「さらに質問。あの人、竜族?」
「俺は竜っぽいなぁって思うよ。旅をしてた時に何度か会った事あるけど、雰囲気が似てる。でも……」
「似てるだけで断言出来ない、か」
「そうそう」
生物の持つ原始的な危機察知能力にも似たジョシュアの直感。今のところ百発百中なのだが複数の種族が混じると精度が落ちる。
「しゃーない保留だ」
「保留でいいの?」
「種族がわかった事で特定種族に対する特攻兵器持ってるわけじゃねーから。そもそも私らの目的はそうじゃない」
「そだね」
情報収集と動向調査こそが2人の使命。今回に関してはチトセは闇に関わり過ぎた存在であり、彼女が踏み込む事は即ち内部の混乱を招くことになる。これは未だ戻る気配の無いナトリも同様。まだ、まだその段階じゃない。
「それから……今夜あたり踏み込む」
「墓は立てとく」
「骨拾ってくれよ」
「え? やだ」
✳︎✳︎✳︎
チトセ探偵事務所 倉庫
貪欲な知識への渇望。チトセは自壊願望にも近いその気力を見込んで片田舎で燻っていたロレッタに手を差し伸べた。結果として堕ちる未来がある事も伝えられた上で、彼女は未知なる禁忌へと手を伸ばし続ける未来を選んだ。
黒ゴムで髪を括る。愛銃が右のホルスターに収まっている事を確認し、ドライバがジャケットの内ポケットに位置する事をもう一度触れて確認。グローブを嵌めて軽く握り動作に支障がない事を確認する。一通りの確認が終わって姿見に自分を写した。
何の変哲も無い服装に身を包んだ自分を確認する。
探偵事務所から音も無く抜け出し、路地裏を伝って走り出す。
露呈した時の恐怖はあるが、触れる情報への好奇心が容易くそれを凌駕する。
____いつかは危機察知能力も効かなくなっていつの間にか死ぬんだろうな。
地下の配線の間を通り抜ける。四方を圧迫され薄暗く両側面には蜷局を巻く蛇のようにように配管が先へと続いている。何処かで水音がする。地下水道が近いのだ。
ここから更に地下に潜って煩雑な扉をピッキングしつつ潜り抜けると評議会の地下ボイラー室に至る。
行き詰まる地下通路と比べて格段に空気が澄んでいる。心なしか体も軽い。
ここからはレーダーの展開範囲に踏み込むと即座に個人情報が監視モニターに開示される。開示されるので、レーダー適用範囲をひたすら避け、必要ならハッキングもして深部を目指す。シンプルな案だが途轍もない注意力を要する。
____やるっきゃねぇな。
決意新たに、頭上の通気口に飛びついた。
✳︎✳︎✳︎
夢だ。これは夢だ。
懐かしい後ろ姿が見える。金色で少し伸びた前髪から覗く痛いくらいに真っ直ぐな目。その手には天秤が刻印された手紙を持っていた。
「待ってるのは破滅のみやで? あんたはん、それでも進みはるん?」
問いに彼は答えた。
「ああ。それこそが、俺が至るべき場所なんだ」
✳︎
チトセはゆっくりと目を開いた。いつも通りの窓辺のソファーで照明を全て落としうたた寝をしていたようだ。夜半過ぎ、開いた窓から吹き込む夜風は冷たい。外のネオンサインで部屋は似合わない色彩に彩られていた。
「体冷やすとロクな夢見ぃへんなぁ」
億劫そうに手を伸ばして窓を閉める。風の音が途絶えて奇妙な沈黙が事務所に降りた。
ナトリが収集した液浸標本の黄色の薔薇が備え付けの棚から此方を見下ろす。うたた寝前に磨いたそれは彼の目の色にそっくりだった。
これでも探偵として広範囲の伝てを持つチトセは評議会入りする前のアーサーと出会い、忠告した。
忠告する事が、自分の役目だと思ったからだ。結果としてどの様な運命に転がろうとチトセの知ったことでは無いが。
ただ、悲しいなと思う。
彼がもう少し、ほんの少しだけでも自分を労わっていたら違う結果も出ただろう。
それでも彼は世界の平和という人の身に余る願いを叶える為、あの結果に行き着いた。
「現世は難儀やなぁ……こんがらがった子は、幸せを願いはる事も出来んかえ」
そんな独り言。チトセは感じていた。いつか、自分の「神殺し」としての刃を彼に振り下ろす時が来るのかもしれないと。彼の幸せも何かも見殺しにして。
それは少し悲しい事だな、とぼんやりと感じていた。
✳︎✳︎✳︎
「詰んだ」
天井裏の配線の隙間で頭を抱えるロレッタ。このままではいつまで経っても目当てに辿り着く事は無さそうに思えてきたのだ。天井裏を移動しつつ、覗く部屋は皆、目ぼしいものは無い。空振りに終わりそうだと落胆した。
立って歩けて両腕を広げられるほど巨大な通気口を移動する。
しばらく歩いて、背後にモーター音が近づいて来ることに気づいた。勢いよく振り返り暗い空間に目を凝らす。今通り過ぎてきた十字に交差してる地点から聞こえて来る。
モーター音が大きくなる。ロレッタは右腕を指揮者の様にゆっくりと掲げる。
モーター音が大きくなる。そして右の通路からフィアトロンが覗いた時、勢いよく手を振り下ろした。
風の刃がフィアトロンの頭部を砕く。破壊音が通気口一杯に広がる。認識モニターを的確に破壊された3台のフィアトロンは一時停止をしたが直後人感センサーに切り替えたようで、顔に当たる部分をグルリとロレッタに向けた。
『第十八階層ニテ侵入者発見、コレヨリ、排除体制ニ移行シマス』
ロレッタは血相を変えて箒型ドライバを起動し脱兎のごとくその場から飛び去った。狭い空間を飛行するのは難儀な上、後ろからはフィアトロンによる火炎放射が迫る。手足を擦りながら紙一重で避けていく。ロレッタのオリジナルは風。いくら自立式のドライバの攻撃とはいえ当たれば確実に致命傷となる。
____いきなり排除かよ! もっと間を空けねぇのか!?
増えていく擦過傷に顔を顰め、心の中で悪態を突きながら行き先も解らずただひたすらに飛ぶ。ふと、一つの考えが閃いた。
_____それほど重要な区域に入り込んだ?
次の瞬間、声が響いた。
「こっちにおいで」
前方下部に見える金網からだ。何処かの部屋か、罠の可能性も? しかし迷ってる暇はない。飛行機能を解除し、滑り込みながら金網を蹴り飛ばしてそのまま落下した。
紙束の中に落ち、視界の色合いが一気に変わり、混乱する中誰かが庇うようにロレッタを覆った。
「はい耐衝撃体制〜。耳塞いで口開けてー」
即座に言われた通りにすると一拍置いて至近距離で花火が爆発したような腹に響く衝撃が来た。
「ん。オッケー」
低い体温が離れる。恐る恐る顔を上げると学生服と軍服の間のような服を身にまとった背丈の低い少年だった。笑みを絶やさず、満月のような黄色い目がクリクリと動く。右手に宿したフィアトロンを撃退した水は次の瞬間霧散した。
「キミすごいねー! ガチャガチャに改造したフィアトロンの追撃全部避けれてたね! えらいえらい!」
そう言って無邪気にロレッタの頭を撫でる。
「でもねーアレ自爆機能付けてたからね、あと3秒くらいでドカンだったからね、呼んだんだ。流石に屠竜者君の部下死なせたら怒られるもんね」
彼の言葉も思考の端で聞き流し、何故だか妙な既視感に襲われていた。
お世辞にも整頓されてると言えない実験室のような一室。散らばる書類に湯気を立てるフラスコ。ホルマリン漬けの何かが至る所に置いてある。薬品の匂いが薄っすらと部屋全体に広がっているようだった。
______生物化学の権威で、六聖人の1人、死刑執行人学園の卒業生……確かオリジナルは水……
「……ヨハン様?」
「ん? あ、初対面だっけ? 正解正解。よくわかったねーご褒美にアメあげるよ!」
「飴ってそんなジュワジュワいいませんよね。なんかパッケージ突き破って黒煙出てません? 謹んでお断りします」
「ちぇー、データ取れると思ったのに〜」
残念そうに瘴気を纏う飴とメモ用紙を何処かに放るヨハン。紙一重で命の危機を回避し先ほどまでの追走劇の終焉以上に安心する。服を引きずりながら道中薬品を手に取り、作業台に置いた。
「あの、助けてくださり有難うございます。ここはヨハン様の研究所……なのでしょうか?」
「お礼なんていいよ。そそ、1番よく使ってるトコ。……あ! そうだ!」
急に大声を出してその小柄な体から想像できないような速度で未だ起き上がらずにいるロレッタに迫った。ぬらりとした目玉に至近距離で見下ろされ、思わず後ずさる。
「ドライバ見せてよ! 飛行能力付きって珍しいし、なんなら戦闘サンプルも取りたい!」
「……い、いいですけど」
×××
常界 名もなき森
「これで治療は終わりな。だが何かしら異常があったら隠さず言えよ」
「はい。ありがとう、ナトリ先生」
常界の森にあるログハウスで、1人の男が少女を診察し終えたところだった。よれた白衣を身に纏った桔梗色の目と髪の男性だ。
何を隠そうチトセの長年の相棒にして悪友、探偵事務所の主治医ナトリである。包帯を手にして少女の頭部の傷を隠す様に巻き始めた。
「毎度言うが礼はいらねーからな?」
「本当にいいの?」
「くどい。別の場所から分捕ってるからいいんだよ……それになフィンセント、最初に言ったろ? お前みたいな奴ら診るのが仕事なんだよ」
フィンセントと呼ばれた妖精の少女は目を伏せた。
「お前らみたいな奴ら」。天界において特出した才能を持ち、その才能ゆえに天界を加護する存在への介入が予測される者達の強制排除。
都合の良い犠牲。詳細は後に語るが、身内に行き先を偽ってでもこの犠牲者達を治療をする密約を今は亡きとある王と交わしている。
特にフィンセントは最近の犠牲だ。過去に翼を捥がれた妖精達もいるが、フィンセントは特に酷い。
_____執行者がドジを踏んだとしか思えねぇな。
予測されるのは、処罰執行の失敗。想像するだけでも恐ろしい。
「……すまねぇな。結局、翼の片方は……」
「いいの、大丈夫。……もう、空を飛ぶ事なんて無いから」
左背面を摩る手は少し震えていた。
「……愚痴ぐらいなら聞くぞ。何回でも言うが異常があったらすぐ、だからな? …………おっと?」
呼び鈴が鳴った。ナトリとフィンセントは同時に玄関の方を振り向く。
「誰だろう」
「勝手に片付けてるから行ってこいよ」
「うん」
フィンセントは玄関へ向かって行った。ナトリは治療道具の片付けをしながら密かに聞き耳を立てる。玄関が開く音と、話し声が微かに聞こえて来た。
_____男1人……評議会? 土地の調査か? 聖なる扉が現れてからやってるとか聞くもんな……いや、その場合は複数人か?
暫くしてフィンセントは封筒を片手に戻って来た。
「土地の調査か?」
「あ……うん。異常はないかって。紅茶、淹れるね」
不自然に話題を逸らしてフィンセントは台所に入った。封筒を近くのキャビネットに置いて。
ナトリは素早い動作で身を乗り出しそれに指を触れ、口の中で何かを呟く。言語とも祝詞とも区別のつかない発音。知識ある者がその光景を見れば極東に伝わる妖術、鬼術の類だとわかる。本来、煩雑な下準備を必要とするこの類の術を触れる事と僅か数節の詠唱のみでナトリはやってのけた。
その手紙の内容を一頻り透視して、目を見開いて窓辺に走り、窓ガラスに片手を突き出した。
「_____、____、______ッ」
風景音にカテゴライズされるような言語を紡ぎ、掌にナトリのオリジナルである暗闇の力を注ぐ。窓ガラスが奇妙に揺らぎ、その力がナトリの瞳と共鳴し次の瞬間力の波が放射状に森に解き放たれた。
風を追い抜かし、木々を超え、小川を超え、営みを紡ぐ生物すら乗り越える。今やナトリの視界は森を駆け抜けていた。多方面に放出された人間の視界の限界を超えた技を行使しているというのに彼は眉ひとつ動かさない。
そして見つけた強烈な気配。追い縋ろうとした直後、衝撃と共に視界が元に戻った。
「……は?」
額に汗をかきながらも元来の冷静さが起こった出来事を理解した。
______弾かれた、だと?
防衛機構では無く、近づく妖術の範囲に気づき、気迫のみで弾いた。少なくともその様な荒技が出来る人間はチトセくらいしか思い浮かばない。だが、人間以外なら……
「ナトリ先生?」
振り向くとフィンセントはマグカップを両手に持ち、不思議そうな顔でナトリを見ていた。
「すまねぇ、急用を思い出した!」
纏めていた荷物を取りその場から駆け出す。唖然とするフィンセントを置き去りにナトリはログハウスを飛び出した。
森の中を走りながらナトリは考えを纏めていた。弾かれた索敵術、強烈な違和感、狂気の沙汰としか言いようの無い手紙の内容。
あいつならこの件に関わっている。
____俺の知らねぇ場面でトンデもねぇ事件に首突っ込みやがったな。
呪詛返しなぞそう簡単に出来る訳でもない。そもそも同じ様な物は人にしか出来ない。
ならばなぜ、人と竜の間の子のような気配がした?
✳︎✳︎✳︎
評議会 第3訓練場
「やっほー!」
「……」
「どうしたの? 」
「管理棟仕事しやがれって思ってました」
訓練場の事務所から書類を輸送する途中、これまた生きている事自体が楽しくて仕方がなさそうな半人半竜と出会った。足の鉤爪で天井を器用に掴み蝙蝠のようにぶら下がってロレッタに手を振っていた。
「識別名ジョーイ」
「なーに?」
「戻った方がよろしいのでは?」
「ダイジョーブ、いっつもだから!」
「管理棟仕事しやがれ……」
少なくとも機密事項に当たる生命体の行動を半ば黙認している。仕方がない。いつか痛いしっぺ返しを食らうのは管理人と自分の上司だ。そう思って進み続ける。ジョーイも天井から降りてきてロレッタについてきた。
「ねーねー君って最高幹部の秘書なんでしょ?」
「はい」
「竜殺しの?」
「その通りですが」
「やっぱり怖い?」
「特には何も」
「えーほんとー?」
口の減らない竜だ。いや、思考状態が世間一般の普通と違う。首元に見えるコードは生体チップ、腰にいくつか装着している蛍光色の液体が満ちた瓶は抑制剤だろう。薬品特有の鼻をつく匂いが漂ってくる。
「ちょっと待ってこっちこっち」
「え、あの、ちょっ!?」
ジョーイはロレッタの腕を掴んで脇道に逸れた。抵抗したら爪で引き裂かれると感じ従ったが、器用にもそれは服さえ切らなかった。
「はい、資料倉庫でしょ? こっちからの方が近いから」
指差す先に資料倉庫のスライドドアが見えた。
「近いのもあるけど、職員と出くわしそうだったから、でしょう?」
「正解!」
じゃあねー、と手を振って何処かへ去っていく。その後ろ姿に軽く手を振り返してスライドドアのロックを外した。
_____珍しく危機感を感じない男だったな。
数少ないその枠にあの愉快そうな竜が当て嵌まるかと思うと不思議だが、彼のような存在の寿命はそう長くはない。並び立つ日は永遠に来ないだろう。
数ある棚の中に書類を納め、端末に目を落とす。だいぶ時間に余裕があるので資料を閲覧しようと手を伸ばした。
✳︎✳︎✳︎
評議会庁舎
「君どこから来たの?」
リノリウムの通路でジョシュアはその手に抱いたものを撫でていた。何処からともなく現れた熊のような犬のような生き物だ。毛並みは良く、首輪にタグをつけているが名前らしきものは一切書かれていない。飼い主探しが難航しそうだと歩いていたが、ちょうどパタパタと足音と呼び声が聞こえてきた。
「どこいったのー? あら、やっと見つけたわ!」
「お、ご主人様来たぞ君」
通路の先から現れたのは片手にリードを持った深水色の髪の少女だった。傍目から見ても仕立ての良い服を身に纏い、所作も洗練されていて育ちの良さが伺えた。
「ありがとう、目を離したらこれを引きちぎっちゃって……ギルガメッシュさんの所の方でしょう? 今度お礼をさせていただきますわ」
「いやいや、礼になんて要らないですよ……えっと、あの……」
「ごめんなさい、自己紹介が先よね。私はシャルラ。聖人会議長様の使徒を勤めていますわ」
「俺はジョシュアです。ひとつ質問があるんすけど……あの、そのリードを引きちぎった?」
確かに千切られた跡がある。かなり硬質な素材が編み込まれた代物にも見える。大人が綱引きをしても切れないだろう。
_____この小柄な生き物が?
「そうですわ。あら、それ以上撫でちゃうと」
「へっ?……あっちい!?」
突如、生き物が熱を放ちながら発光し、ジョシュアの腕からすり抜けその光は形を変えながら巨大化していく。光が飛び散ったその場に、全く別の生物がいた。
体毛に埋もれた複数の緑色の目、鋭い牙。現れたのは人の丈の2倍はありそうな異形の狼だった。
「怖がらせてごめんなさいね? 気を許してしまうとつい戻っちゃうの」
申し訳なさそうに言うシャルラ。しかし相手は各地のトンデモ生物を見、そして触れ合ってきた冒険家である。
「か」
「か?」
「かっこいい!! 召喚獣!? 召喚獣なの!? 体格可変とかレア過ぎるすげぇ! 久しぶりに見た!! 毛並みサラッサラッ!」
「……! そうでしょうそうでしょう!身嗜みには気を使ってますわ、共に戦う仲間ですもの!」
一瞬にして意気投合。両人に褒められ異形の狼も満足気だ。
「触っても平気?」
「全然平気ですわ」
恐る恐る顎を撫でる。気に入ったのか、喉を鳴らして目を細め、緩く尻尾を振っている。
評議会に入ってよかった。本気でそう思ったひと時であった。
ちなみに同時刻、悪友は頭を抱えている。
×××
評議会庁舎
夕方。ロレッタは訓練施設から帰還し、六聖人に配布する資料を届けて回っていた。無聖人ニコラスは外出中のため使徒に預け、光聖人ジャンヌと闇聖人シオンと風聖人イージスは本人に手渡せた。ヨハンは執務室に見えなかったので地下研究室(ほぼ自室)に押しかけて渡した。
なんの奇縁かアクセス許可が下りていたのは気にしないでいる。
____過去最高レベルでよくわからねぇ男と知り合っちまった……。
押しかけた際に持っていたフラスコから立ち上る煙が何やら意思を持って動いていたような気がするが気にしてはいけない。絶対に気にしてはいけない。
さて最後の炎聖人ダンテの執務室前に来た。ジャンヌによると「聖人1の頭でっかち」だとか。
_____こちとら負け知らずの詐欺演技常習犯だ、頭でっかちだろうが何だろうが出てこい!
「失礼しま……」
「あ、ダンテお客さん」
「したー」
一度ドアを閉め、呼吸を整え次の瞬間思い切り破る勢いでズバン!と開け放った。
「うあえええええええええええ!!!???」
「お、良い反応〜」
「だからとっとと退去しろといったんだが」
仕事を卒なくこなすダンテの横、机の端に腰をかけている男は見間違えでなければ常界ポップスターのフォルテ。ロレッタの反応を見ながら和かにヒラヒラと手を振った。その様な態度を取りかつ聖人の執務室にいるという事は関係者か、或いは。
「…………し、使徒だったんですか」
「使徒だったんです。あ、今度の資料? 受け取っとくよ」
唖然としたままのロレッタから資料を受け取り中身を見聞するフォルテ。間近で見てもやっぱり本人だ。そして顔が良い。とても顔が良い。
「あ、それとファンの皆にはナイショね?俺と約束……して?」
声を潜めて片目を瞑ってみせる。ロレッタは全力で頷くしか出来なかった。
✳︎
「顔のいい男は最高だな」
知性のへったくれも無い感想を小声で言いながら確かな満足感を持って歩を進めるロレッタ。
「失礼します。……ベオウルフ様?」
返事も気配もないのでそのまま執務室に踏み込めば、案の定、主人は留守だった。
「どこ行ったんだあの男は……」
机の上には書類が幾つか積まれている。整理しようと手を伸ばした時、一番下の引き出しが僅かに空いているのに気づいた。好奇心につられて引き開けると、書類を覆い尽くす様に無数の使用済み注射器とパッケージが入っていた。奥の方には未開封で液体が充填されている物も。
乱雑に、そしてかなりの数だ。ここ数日で使用したとは思えない。使用済みの物は目分量で20は軽くある様に見えた。パッケージと使用済み注射器を拾い上げ、懐に収める。次の瞬間扉が開かれた。
「ああ、君か」
「お帰りなさいませベオウルフ様。六聖人への資料、全て配り終えました」
扉が開く一瞬前に姿勢を正し足で引き出しを閉め書類整理のフリをしたロレッタはあっさりとそう言ってみせた。その動作に不自然さは一切無く、さも忠実な秘書であるよういけしゃあしゃあと帰還した主人に一礼した。
「ニコラス様はご不在でしたので使徒ドロッセル様にお預けしました」
「それ以外は全員配り終えたか。あの水聖人にも?」
「少々の荒技を使わせてもらいまして本人に渡せました。ついでに縛り上げて使徒ワトソン様に納品……引き渡してきました」
「今納品って言った?」
「気のせいでしょう。妖怪の類じゃないんですかね。良い祓い屋がいるのでご入用ならご紹介します」
並大抵の人間が行使すれば精神が発狂しかねない様な呪術の類を湯水の如く使えるナトリなら陰陽師の真似事くらい出来るだろう。医者というより寧ろそっちが本職の様にも思える。
そんなロレッタの心境を知らないでベオウルフは微笑んだ。
「外部委員会への資料の添削分は?」
「外交課と擦り合わせをして修正済み、明日にでも届けられます」
「天界と魔界の状況は?」
「緊張状態が続いています。どちらも敵対種族の入国を禁止しているようで界境地帯は厳重な監視が引かれています」
「無才と水才の捜索状況は?」
「かなりの数の調査員を出している様ですがこれと言ってまだ。どうやら水才の方はグリモア教団の方で間違い無いようです」
「自立竜型ドライバの調整の進捗は」
「最終工程完了、起動実験終了。いつでも使える様です。報告書がこちらになります」
「……素晴らしい把握能力だね」
「出来ることしか出来ません」
機嫌が良さそうに頷くベオウルフは報告書と入れ違いに1枚の書類を手渡した。場所と日付と時間が書かれたメモとも取れる書類であったが、1番端に生物進化研究所の刻印が禍々しく押されていた。
「例の件だが、明後日になった」
「全員の返答は……了承ですか」
「ああ、その件で君にも立ち会ってほしいと思ってね。知る事は好きだろう?」
「はい」
「当日は第27生物進化研究所に直接集合してくれ」
「了解しました」
本日分の業務終了を言い渡され、再びベオウルフに一礼してロレッタは部屋を出た。廊下を颯爽と歩きながらタッチパネル式通信端末を取り出す。
To:ジョシュア
明後日死ぬ気で開けとけ
たったそれだけの文章を打ち込み送信した。
✳︎✳︎✳︎
ロレッタにとってある意味運命のような時が現在進行形で行われている。
眼下に見下ろす無菌室には6台のベットとそこに横たわり夥しい本数のチューブに繋がれた6人の男女。床には古典的な魔術式が刻印され、アンバランスな空気を漂わせた。
施術が行われ始めてから早3時間ほど経っている。
研究員と話していたベオウルフがロレッタに声をかけた。
「擬似的な神格が出来始めたようだ。ほぼ成功だよ」
「そうですか」
「下の部屋に行くことも可能だ。俺は暫くドライバの方で調整があるんだが……君はどうする?」
「ご入用なら、お申し付けください」
「ああ解った。好きにしてて良いよ」
制御室を出て行くベオウルフ。ロレッタは近くの研究員に声をかけ、入室許可をもらった。除菌室の扉をくぐり、除菌シャワーと紫外線を浴びて施術室に踏み込む。
人間が立てる音のしない白い部屋。機械音だけが響き渡る。ベットに近づき、チューブを引っかけないようにゆっくり歩いた。
薬品投与により自発呼吸もできない程の昏睡状態の妖精と魔物を何の感慨もなく見下ろしていた。彼らの呼吸を繋ぎ止める酸素マスクの音が等間隔にシュー、シュー、と響いている。
_____この場でチューブ全部叩き斬って、上の階の研究員全員ぶち殺したら歴史くらい変わってくれっかな。
そっとジャケットの背中に仕込んだアーミーナイフに手を伸ばした。触れる柄はプラスチック製なのに酷く冷たく硬質に感じる。
馬鹿げた妄想はロレッタの頑張り次第で出来てしまうかもしれない、非現実的だが現実になる要素をふんだんに含んだ物だ。だがそんな物騒な事を仕出かす訳でもなく、彼女はナイフから手を離した。
ロレッタは正義の味方ではない。
だからと言って悪でもない。
何方の素質もありながら、何方にも成れそうに無い、只の多才なだけの少女だ。
世界を救うなんて大それたことも出来るはずがない。出来ることしか出来ない。
だからせめて、退路を断とうと思ったのだ。
この妖精と魔物たちの未来を見捨てる事で。
英雄の真似事をするには、頭の悪い彼女はそれしか思いつかなかった。
いや、思いつかない様にした。
「すまねぇな、聖暦の画伯」
外の誰にも聞こえない様な呟き。色の無い無菌室の高い天井を見上げて、ロレッタは深い溜息を吐いた。
×
施術が完了したのは真夜中になってからだ。とりあえずの解散で上司とはそこで別れた。
駐車場の愛車に乗り込んだ直後、助手席側のドアが開き白衣姿のジョシュアが颯爽と乗り込んで来る。
「どう? 完璧だったでしょ?」
「無菌室への入室許可くれたのお前だろ」
「正解!」
片手に持っている鬘を振り回しながら満面の笑みのジョシュア。ロレッタがエンジンをかけるのと同時に白衣を脱ぎ捨て変装に使っていたもの全てを後部座席に放り込んだ。
駐車場を一巡して、車は林道に滑り出た。
落葉樹の列に見下ろされながら下ると不意に視界が開け高速道路に合流した。ETCを通り抜けて車は中心街へ向かう。深夜という事もあってか、走行する車は極端に少なかった。
「ねぇねぇ何なのアレ。あんなに気持ち悪いほどの作り物感始めてだよ」
「あれが神様なんだよ」
「神様ってあんなに気持ち悪いものなの?」
「さぁな」
そう言いながら片手でバインダーを手渡した。経年劣化で側面は崩れている。
「訓練場の倉庫で埃被っててな。……神格の複製実験の論文だ」
ファイルの中には所々磨耗した論文が2冊、綴じられていた。
type 000 Code:gryps
type 264 Code:greif
「神とのセカンドを作ろうとした種族人口複合実験の論文だ。草案にして失敗作のグリュプスと、最終実験にして成功体のグライフ」
「グリュプス!? あの人プロトタイプなの!?」
「あの駅使ってんなら良く知ってるよな」
「本人がセカンドって言ってたけど……1番始めのだった何て知らなかった」
竜王に保護された一族、通称ノアの一族によって運営される世界を繋ぐ夢幻駅。それらとは同一にして他なる駅がある。
無限駅コーカサス。複合獣の彼はそこの管理者で、ジョシュアと深い関わりがある。
「始まりは10年前、ある神が常界の山中で惨殺死体となって発見された。神格は回収され……始まりの次種族研究に繋がる」
語り始めるロレッタ。暗闇に沈んだ車内に走行音と彼女の声だけが低く響く。
「神格の植え付けの実験さ。草案グリュプスの失敗を皮切りに200を優に超える失敗の果て、第264回神格複合実験でようやくグライフが生まれた」
ハンドルを握ってただ真っ直ぐに前を見つめるロレッタ。
「そのグライフとやらも植え付けられた神格が謎の暴走を起こして1年ほど昏睡状態だったらしい。死の淵から生還した彼は神格が定着した完全体として次種族研究の成功の象徴になったってさ」
「……神格を神様の死体から剥ぎ取った?」
「やりそうな事だ。……もうひとつ、勝手な推測だけどな」
そう前置きして。
「チトさんが関わってる気がする」
「神殺し、だから?」
「ああ。私らがチトさんにスカウトされたのはほんの2年前くらいだろ? それ以前に何をしてたかはサッパリだ」
「謎多いよね。……でも神殺しなんて物騒な字名が付くくらいには……殺る事殺ったんだろうね」
前方の夜天が不自然に明るい。この先に中心街がある事を示す文明の光だ。
「あと30分で中心街だ。どうする? 私は庁舎に戻るが」
「あ、事務所で降ろして! チトさんに報告しとく」
「頼む。そうだよな、いざとなったら……それこそ神殺しが必要になるよな」
ロレッタのその皮肉に僅かな後悔と憐憫が含まれている事を感じ取りジョシュアは黙った。
だいぶ前に今回の件を打ち明けた時もそうだった。強欲で人を人とも思わず世界が滅ぶ事さえやむを得ないなら受け入れる彼女は、その実、律儀でほんの少しだけ弱虫で、月並みな言葉だが優しい少女だ。
ジョシュアは見ていた。無菌室で彼女が溜息を吐きながら、悲しそうな顔をしていたのを。
_____ツライなら、逃げれば良かったのに。
そんな思いは胸に秘め、まだ遠くに見える中心街の極彩色を見つめた。沈黙に耐えかねたのかロレッタがラジオを入れる。音量大きめのジャズが気怠く流れた。
✳︎✳︎✳︎
タッチパネルにスペアキーを認証させてスライドドアを開く。眼前に広がる光景は最早お馴染みかもしれない。
「勝手に失礼するぞ」
「あ、ロレッタだ。上手くいった?」
「成功だ」
聖人相手に噯気もせず話しかけるロレッタを、振り返りもせずフラスコから別のフラスコに毒々しい色合いの液体を注ぐヨハン。彼女はその後ろにそっと忍び寄り咳払いをした。片手には妙に写実的なミジンコの絵が描かれた紙袋が。
「ヨハンさん。これを」
「ん? あー! ミジンコ食品研究会のやつじゃん。限定クッキーだーよく買えたね?貰っていいの?」
「どうぞ。魔界で密かなブームの羊羹もお付けします」
「わーい、ワトソン君と一緒に食べるねー。で、何して欲しいの?」
受け取りながら意地悪そうに笑うヨハン。ロレッタは見様によっては好戦的な無表情のまま、ジャケットの内側から使用済み注射器と血のついたナイフを取り出しヨハンに渡した。それぞれ袋に収められている。
「このナイフに付着した血のオリジナルと種族が知りたい。注射器の方は成分を。出所はこっちで調べる」
「オッケーオッケーそのくらい任せてよ。貰った分は仕事しなきゃねー」
片手に紙袋、片手に注射器とナイフをぶら下げてニッと笑った。
✳︎✳︎✳︎
チトセ探偵事務所
午前中に仕事の打ち合わせを終え、1人細々と書類を作成するチトセ。助手が2人もいないと流石に味気ない景色になる上、細々した連絡作業も1人でやらねばならない為、地味に忙しい。
背にした開いた窓から緩やかな風と人々の喧騒が流れる。1人で、静かな午前。
突如として異音が混ざる。一歩一歩に怨念をまとわせ地を踏みしめるような盛大な滑走音。ホラー映画の演出のような音がドアの前まで来ると蹴破られ、勢いを殺さぬままチトセに蹴りかかった。
「________、____!!!」
詠唱と早業の印を結び人とは思えないほどの力でチトセを蹴破らんとする。反射でチトセは机を踏み台にして取り上げた鞘に収まった刀で受け止める。両人に踏み荒らされた書類が雪のように舞った。
「荒々しいご帰還やなぁナトリ。なんや? 魔界で女にフラれたん?」
受け止められても脚力を緩めないナトリ。明らかに激昂しているのが見て取れる。
「てんめぇ妙な事に足突っ込んだだろ? ぶっちゃけ世界巻き込むような案件だろ? オラ吐けオラァ! ネタは上がってんだぞ!」
「あんたさん酒飲みなはった? ノリがドラマの尋問下手くそな新米刑事やで?」
「うるせー! 100パーてめーの所為だコラァ!」
一歩も譲らぬ攻防。2人に限界は無くとも2人に踏み台にされている机に限界が来ようとしている。ミシミシと不穏な音を立てているのに気づいたチトセ。舌打ちしてナトリの足を思い切り払った。
「________」
音に近い詠唱の後、閃くような回し蹴りをナトリの腹に喰らわせた。空気を打ち付けたような音と共に彼の体は一直線に飛ばされドアを通り過ぎて廊下に叩きつけられた。華麗に机に着地したチトセは刀を何処かに投げ捨て、ちゃんと床に降り立って散らばった書類を拾い始めた
「あんたさんなぁ。ウチがアカン事に首突っ込むんは何時もの事やろ? ほんまにどうしたん?」
何事も無かったようにムクリと起き上がったナトリは頭の埃を払いながら呟いた。
「……観光ついでにヤバめな奴の所行ってな。そいつに届いた評議会からの手紙、好奇心で透視したら……ロレッタの名前が連名であった」
「へぇ?」
「あ、これチトセ関わってるって思って帰って来た」
「結論早すぎへん?」
「どうなんだよ」
「アタリやで」
チトセは明瞭に最高幹部ギンジに請われ協力関係を結んでいることを説明した。原稿用紙二枚に収まりそうな簡潔な説明にナトリは膝をつく。
「あー……お前って奴は」
「着いて来はるやろ?」
「そりゃ着いてくさ。半世紀かけたってお前みたいな奴はいねぇ。……俺達は良いさ」
チトセを見上げナトリは問いかけた。
「ジョシュアとロレッタを……これ以上の深みに嵌めるか? 確かに此処に入る前に覚悟は聞いたし大分えげつない仕事にも引っ張った。だけどよ……相手は世界だぜ?」
「ナトリ」
一言。静かに発した。
「子供を信じるのが、大人の役目や」
返答に詰まったナトリを見下ろし、チトセは柔らかく微笑んだ。
✳︎✳︎✳︎
美しく醜く狂った光景だ。瞳が左右違う色彩に彩られた魔物と妖精達。円卓の場にして講堂にベオウルフの朗々とした低い声がよく響き渡る。語るは来たる聖戦への歪曲の賛美。
投げられた質問には淀みなく明瞭に答えていく彼の姿にロレッタはチトセを重ねていた。
「でもさぁ、未来なんてどう描けば良いの? 僕ら絵描きは常に過去しか描けないんだし」
「未来を生み出すために前を向く必要は無いんだよ。未来は、過去の積み重ねでしか無いのだから……そう、過去が未来を造るんだ」
水の魔物にそう答え。
「世界評議会とは何を目的としているのかね?」
「今も昔も世界の常化だよ」
「それでこの有り様か」
「だから貴方に声をかけたんだ」
闇の妖精にそう答え。
「女王達は、知っているですか」
「知っている、いないの問題じゃ無い。全てを知った上でどう動くかだ」
無の魔物にそう答えた。
返答を終え、画伯からの質問が無くなった後、ベオウルフはロレッタを振り返った。
「君から何か意見があるかな?」
発言した方が良いと瞬時に理解し、すでに有事の際はハッタリかまして良しと事務所一同から許可を得ているので遠慮なく発言する。
「確定情報では無いのですが、ひとつ」
全ての視線がこちらに向いたのを確認し、続ける。
「ここ最近、神殺しと見られる女性が目撃されています。主に廃棄区画に残る世界評議会傘下の研究所跡地で相次いで目撃情報が。何よりそれは特殊な術で神格を見抜くとか。……気づいたら首が飛んでいる、などあり得ますのでご注意を」
以上の事を淡々と言い切った。もちろん全て嘘である。一部(首が飛ぶ等)真実も交えているが全くの嘘である。
「なるほど、此方の動向に気づいたのかな?」
「昔の伝手故に信憑性が低いです。何より滅多に表に出てくる事のないモノ。そういうのが存在している、と認識するだけで良いと思います」
全くの嘘である。頻繁に表に出て来ているのである。
「何より、全てを描き変えられるなら、神殺しなど眼中にないでしょう?」
その問いはベオウルフでは無く、聖暦の画伯達へ。挑戦的にも挑発的にも聞こえる極めて平坦な問い。それはある者にとっては鼓舞で、ある者にとっては忠告で、ある者にとっては確認でしか無かった。
画伯達の纏う気配が明らかに変わる。その言葉こそ、自らが神である証明。神殺しなど障害になろうか。
聖なる未来は、我々の手に。
____それでいい。無謀に、無節操に、自分らの万能を信じな。
画伯達の意識をたった一言で変えたロレッタに満足そうに笑み、ベオウルフは全ての始まりを宣言した。
「役者は揃った。彼らが存分に暴れられる舞台を、描き出そう」
×××
しばらくその場に止まった後、会話の区切りのいいところでさも今来たとばかりに角を曲がって姿を現した。
「レディさん次の打ち合わせの資料……あ、すみません出直します」
ジョシュアはそう声を掛け、状況を確認して引き返そうとするフリをする。
「受け取ろう。気にするな、同僚だ」
礼儀正しく受け取ったレディに一礼、そして彼女と話していた女性にも一礼する。眼鏡を掛けた短髪の妙齢の女性だ。
その場を去ったジョシュアはボイスレコーダーをオフにした。
✳︎
ロレッタはボイスレコーダーに繋いだイヤホンを耳から外し、ジョシュアに押し返した。お互い殆どの業務を終えた夜9時。滅多に人の来ない自販機コーナーのイートインで待ち合わせをした。
「……ヤバイな」
「だいぶヤバイよね」
内容は先ほどの常界代表レディと聖王代理ミレンの会話だ。ここ数日、円卓の騎士が何やら行動をしていると聞き頻繁に本部職員と関わるジョシュアは常時ボイスレコーダーのスイッチを入れ仕事をしていた。
そして遂に「鞘」奪還に向けて円卓の騎士が行動する事が判明したのだ。そしてそれが、渦中のグリモア教団が所有していることも同時に判明。円卓の騎士はほぼ独断で動いているにも関わらず、上層部は放任のままだ。
____もはや円卓の騎士には期待をしていない? いや……違う。彼らは元を正せばアーサーに使える私設部隊、評議会の戦力としてはカウントされていないから放任されている……? いやアレだけの一大勢力放任とかはバカか
「円卓の騎士の立ち位置がわからんが……鞘か……」
「鞘ってあれ? 運命/夜に留まるのアレ? 作中屈指のチートアイテムのアレ? 円卓確定聖遺物?」
「概ねあってる。円卓どころかアーサー確定のアレだ」
ノベルゲームを引き合いに出すジョシュア。ロレッタは頷く。
「こちらは聖剣カリブルヌスより文献が少ないからあんまり信憑性が無いが……無いんだけどなぁ……」
「ゲーム的に言えばこう、不老とか?」
「いや、そんな直接的じゃねぇよ。ただ単に傷の治りが死ぬほど速くなるだけ。格好良く言うなら万物を再生……みたいな?」
「それ普通に凄くね?」
円卓の騎士がそれを求めているとして。やはり、徹頭徹尾に聖王奪還を目指していると見える。目標がブレない勢力は良い。監視と推測が楽だ。
しかし常識を超えた治癒効果のある鞘を求めるという事は、聖王に重篤なダメージがあると想定していいのだろうか。
「……ジョシュア、お前はこの件から身を引け」
「へ?」
「もっと違う所で出しゃばって貰う。今回は先生が特攻すると思うからな」
「帰って来てるよね。あ、まさか教団にお知り合いが……?」
「長い付き合いの患者が居るんだと」
「塵も残らないね……南無三」
ナトリの戦い振りを思い出してジョシュアは本気7割の合掌する。暫く他愛の無い会話を交わした後、ロレッタは立ち上がった。
「出来れば神殺しについて調べてくれないか? 暫くは手を回せそうに無い。……あの人は謎が多すぎる」
「ん。オッケィ任せて」
✳︎
ロレッタに両親はいない。保護者はいれど、実の親はとっくに死んでいる。
人と比べてそれなりに寂しい季節を送ったが、別に人付き合いが無かった訳ではない。
とりわけ付き合いが長かったのはミドリとエレナ。
仲のいい2人を見ているのが楽しかった。
中学の頃、保護者の勧めでチトセに初めて出会った。
当時、裏で麻薬密売に手を染めていた会社を内部混乱、解体、代表取締役の銃殺まで成し遂げてしまった彼女の心意気を良しとし、チトセにスカウトされた。
スカウトされてからは地元を離れて中心街の中学校に通った為、2人がどうなったかは知らない。
ミドリが泣きじゃくりながら電話をかけて来たのは夏祭りの頃だった。
エレナが、行方不明になった。
報せを聞いたロレッタは急遽地元に舞い戻ったが、既にミドリはエレナを探して飛び出した後だった。共通の友人に聞けば、エレナが行方不明になる直前にミドリと喧嘩したらしい。
元より神を祀る山がある地区であった為、エレナの一件は「神隠し」「連れていかれたんだ」と囁かれ、現在に至る。昔からやたら行方不明事件が多い。
エレナもその1人となっただけなのだった。
落胆して中心街へ帰還したロレッタに届けられたのはミドリの手紙。エレナを探しに行く旨が書かれており、直ぐに連絡を取ろうとしたがアドレスは着信拒否された後だった。
間の悪さを本気で呪った。
最後にミドリから連絡があったのは聖なる扉が開かれたと報道された後だった。
忘れもしないアドレスからただ一文「エレナが見つかった」といつも通りの一方的な文面で終わった。
その直後、ミドリが指名手配犯の1人になった。
一方的な所は3人の共通項であり今に限った事じゃない。ロレッタ自身も身に覚えがあり過ぎる位に一方的だった。
それが許されたのはただ単純に付き合いが長かったからという事。便りが無いことが元気な報せなど軽口を叩き会っていたあの頃が懐かしい。
かといって2人の行方が気になっても妥協するほどロレッタは諦めが良く無い。
「……よし」
広大な資料室を覗き誰もいない事を確かめ入室した。1番奥の検索機に向き合うと電源を入れ、アクセスカードを画面に翳す。セキュリティクリアランスは十分に足りている。キーボードに手を触れた。
あの日の2人に何があったのか、断片だけでも知りたかった。
✳︎✳︎✳︎
クロードは気配を感じて後ろを振り返る。通り過ぎた通路の真ん中に片耳を包帯で覆ったフィンセントが居た。
神をこの身に宿してからどうも気配に敏感になった。
特に殺気など、普通ならば訓練を重ねなければ気づかないような気配の流れを強く感じるようになった。対するフィンセントからはその様な暗い感情はなく、ただ単に話し相手を探して居たような身振りだった。
「どうしたのかしら」
「……資料室に行こうと思って。ねぇ、序でに1つ聞いて良い? ベオウルフさんの秘書、どう思う?」
そんな事を尋ねた。並んで歩きながらクロードは考える。静かな浅縹色の目をした人間の少女。口数少ないが、所作や仕事の速さから確かな実力者と感じられる。
何より秘書試験でベオウルフと一級品の戦いを演じたのは評議会の語り草だ。
「そうねぇ……強そうな女の子、かしらね。でももっと深い場所では違うんでしょうね」
「違う?」
「静かな人だけども勝ち続けてきたプライドみたいな物を感じる……なんて言えば良いのかしら?」
実際の所、関わりが少ないためクロードは断言できない。
「ねぇ、どうしてそんな事を聞いたのかした? ロレッタさんと何かあった?」
「違う。……さっきロレッタさんと誰かが話してるのを聞いてね。……神殺しって言葉が出て来た」
その言葉に思わず歩みを止めかけたが、何でもない様に歩き出した。フィンセント自身もその言葉に恐怖を持っているわけでもなく、淡々とした態度だった。
「怖い?」
「そんな訳ない。でもそれほど神殺しに拘るのかなって」
「拘り……そうね。あの人、そういう話集めるのが仕事なんじゃない? そうでなきゃベオウルフさんの秘書なんて務まらないわ」
「それもそうね……考え過ぎてた」
そうこうしている間に資料室に着いた。入れ違いに退出して来たレオナルドと出くわした。
「あら、貴方も来ていたの」
「……用があったからな」
無愛想にそう言って2人の横をすり抜けて何処かへと去っていく。
「珍しいわね。大抵の事なら自分の手持ちで済みそうなのに」
「それほど重要な事調べてたんじゃ無いの?」
2人はそんなことを言いながら資料室に入っていった。
✳︎✳︎✳︎
夜も浅い時間。ナトリは1人、中心街から遠くの埠頭を彷徨い歩いていた。山積みになったコンテナと整列するクレーンに見下ろされ、強い海風に身体を押された。
そんな彼に懐かしい人物が現れた。
「ナトリ先生ー!」
「フェリス! お前デカくなっ……本当にデカくなったな!? 」
思い切り抱きついてきたフェリスの頭をめちゃくちゃに撫でる。見ないうちに随分と背が伸び、大人びてきた。
「よぉ、ナトリ先生」
「ローガンか。今日は古馴染みによく会うなぁ」
ローガンはサングラスを外し一礼する。ナトリも抱きつかれたまま一礼した。
フェリスに頼み込み、ローガンと2人きりになる。埠頭近くの公園へ走っていく少女の後ろ姿が見えなくなる頃、お互い並んでベンチに腰掛け、ナトリは口を開いた。
「あれから何年だ? 」
「7年くらい、だったかな」
「そりゃフェリスがデカくなる訳だ。俺も年取ったな」
7年前、3人は空港爆破テロの現場で出会った。ローガンは傭兵として、ナトリは救急救命士として、フェリスは……被害者として。まだ新米でトリアージタグを右往左往しながら毟り取っていたナトリの元にフェリスを抱えたローガンが駆け寄り手当を頼んだのが最初だ。
時は経ちナトリは闇医者に、フェリスとローガンは円卓の騎士として活動し、今はテロ現場で会ったりしながら細々と交流が続いている。
「息災か? ヤズミ店長がこの辺にいるって言ってな」
「最近はこっち方面で仕事してんだ。ヤズミの店の近くのウィークリー借りてんの」
「結構近くじゃねーの。今度酒持っていくか? 一杯やろうぜ」
「いいなぁそれ。ビールとソーセージは最高だ」
遠く対岸の工場を見ながら惰性に任せて駄弁る。ふと、会話が途切れる。お互いに話すネタが尽きたのだ。
「近々、デカイ仕事があんだよ」
「上司絡みか」
「おう」
報道もされている上、チトセから詳細を聞いているナトリは局面が動くのを感じた。だからこの正直で優しい男が迷わぬように一言だけお節介を。
「ま、こんな悪徳医者が言っても説得力無いと思うがよ。今は道を進みな、それが、いつか願ったイマに続くから」
雪原のような閉鎖した静音が降りる。
「何があっても振り返るなよ」
フェリスに宜しくな、と言ってナトリはその場を立ち去った。ローガンは白衣が夜景に溶けるまで、その背を見送った。
✳︎✳︎✳︎
エレナが行方不明になった後のミドリの足取りがわかった。
評議会のデータベースにある限りでは、吹く風の名に恥じず色々な場所を巡っていたらしい。
しかしその足取りはある時不自然に途絶えている。記録が更新されなくなったのは最高幹部ギンジ達が扉に到達した時期。
_____恐らく、何処かに匿われてるのか。
次にエレナ。彼女はいつの間にやら最高幹部オズ一派の一員となり、ドロシーと名を改めて行動していた。
こちらも、ミドリと同じ時期に更新がされなくなっている。最終的に確認されたのはミドリと同じ場所。恐らく再開出来たのだと信じたい。
____昔っから突飛な事しかしねぇな本当にコイツは……。
ミドリも大概だがエレナの方も予測が付かない。まぁ生きてるだろう。恐らくは。何の因果かお互いに最高幹部の部下となっていようとは。
本当にわからないものだ。と溜息を吐いた時、ふと後ろを振り向いた。
「……誰かいます?」
返事はない。ただ空調の音がするだけだ。何かの気配を感じたのだが、気の所為か。
「とうとうボケたか……」
第6感の衰えに落胆しながらパソコンの電源を落とし、資料室から立ち去った。
人間の気配が完全に消え、空調の緩い音がしばらく響いた後、書架の陰からキャスケット帽を目深に被った男が現れた。
レオナルドは先程までロレッタが使用していた機器を立ち上げ、履歴を引き出した。一般利用のアクセス権限では閲覧出来ない情報故に、履歴の大半は空欄になっていた。
USBメモリを差し込み、何も刻印されていないカードをディスプレイに翳す。
『マスターキー認証』
一拍置いた後、空欄が埋まる。キーボードを慣れた手つきで操作し、履歴と内容をコピーした。電源を落としUSBメモリとマスターキーを懐に納めて退出しようとした時、クロードとフィンセントに出くわした。
「あら、貴方も来ていたの?」
「……用があったからな」
2人の脇をすり抜け通路を進んで行った。
✳︎✳︎✳︎
中心街北区 アパート
銃型ドライバの手入れをしていたジョシュアは顔を上げた。時刻は日付が変わって少し経つ頃。端末に着信が入った。油に塗れた布巾を置き、確認するとロレッタからだった。
この時間に悪友からのメールとなると無意識に覚悟してしまう。意を決して薄目でメールを開いた。
『緊急
グリモア教団本部座標X--------
先生
伝えて
円卓作戦展開
急いで』
「マジか!」
怪文書に等しいメールを件の円卓の聖鞘奪還作戦が始まったと解読し、焦る。ナトリの知人がいるなら作戦展開中にでも乗り込まねば間に合わない。
急いでメールフォームを開きナトリに向けて今の内容を転送した。数秒後に『了解』と一言だけタイトルもなく返信された。
「ミッション完了……あいつ今何やってんだ?」
その作戦展開が知れるのなら、会議室にでも張り込んでたのだろうか。執念の塊のような彼女ならそれくらいやりそうだが。
真実が気になるので『今どこ?』と送信した。少し経った後、彼女からの返信があった。
『現場に急行中』
「……マジ?」
✳︎✳︎✳︎
評議会 第3訓練場
時間は少し遡る。
ベオウルフの後を歩きながらロレッタは内心冷や汗をかいていた。リノリウムの通路に反響する2人分の足音が不気味を煽る。
何より通路の片面には、等間隔で鉄格子の扉が並んでいる。そこから覗く人ならざる気配。彼らは特務竜と呼ばれている。
「……ところで、君の友人が行方不明だね」
唐突にそう切り出され現実に引き戻された。表情は伺えない。寧ろ伺いたくない。
「君の同郷のミドリ、だったかな?去年の夏から姿を消して……最後に確認されたのは3ヶ月前。以来、連絡は取れていない」
____指名手配犯と関わっているからテメーが被験体になるんだよ! とかありえそうで怖いな……。
場所が場所だ。ここは生物進化研究所と連携している。前後不覚になって気付いた時には被験体その1という事態が候補から下げられない。
「……それが、どうしたのでしょう?」
「彼女は黄昏の審判後、竜界に匿われたようでね」
音も立てず背中のホルスターに手を回す。戦犯の関係者という事で処断されるか? いざとなったら……いざとなったら? 急所間近を切り裂いても倒れなかった男が銃弾ごときで倒れる?
そもそも、如何して今、その話を持ち出した?
「まぁ少しこの話は置いておくとしよう」
ひとつの鉄格子の前で歩みを止める。暗がりには緑色を基調にしたジャケットを纏った半人半竜が床に座り込み、爛々と輝く瞳でこちらを見ていた。
個体識別名ジョーイ。特務竜1の変わり者だ。
「君が審判の時、コードネーム・ランスロットと交戦した竜だね」
ジョーイは黙っていた。ロレッタもただ黙っていた。猛烈に嫌な予感がするが、最早どうしようもない事に気付いたのだ。
「第6廃棄区画。ああ、君らが良く屋外演習で使う場所だ。そこから南へ行った絶海の孤島に……ある宗教団体の施設がある」
グリモア教団。思い当たるのはそれしかない。
「彼は、其処に向かっている」
ベオウルフは鈍色の端末を静かに取り出すと鉄格子に翳した。電子音が1つ響き、ロックが外れた。
「あそこに行けば、もう1度彼に出会うことが出来るよ」
それは悪魔の囁き。己の楽のみを追う事を本能とする彼が、聞き逃す筈が無かった。爆発的な狂気にも似た快楽の気配が空間を叩き、次の瞬間檻の奥からジョーイは飛び出し、2人の前を通り過ぎて風を巻き起こしながら出口へと走って行った。
「は……!?」
追いかけようとしたロレッタをベオウルフは手で制する。遠くで、警報音が響きシャッターが降りる音が連続する。
「少し話を逸らそう」
緊張を煽る音に包まれながらもベオウルフは平然と言った。何処かで、金属製のものが破壊される音がした。
「今、かの教団には竜王家の縁者が囚われていてね。彼女はその救出の為に統合世界に戻ってきている」
低い声が脳髄に響く。
「話を戻すよ。君には不慮の事故で脱走した特務竜の追跡を命じる。君の機動力で終える所まで追って、追跡困難になったら状況を終了してくれ」
ベオウルフはロレッタの背を押した。2、3歩前によろけたロレッタが振り返ると、彼は口角を上げて静かに笑った。
「あとは、存分に」
ロレッタは、ひとつ頷いて外を目指す為に走り出した。彼女ほど速くないが、前へ、前へ。彼女に……ミドリに出会う為。会って、文句のひとつでも言ってやる為に。
×
遠い騒音の中、その通路でただ1人になった竜でもあり人でもある男は微笑みを濃くした。
否、ただ1人では無い。1匹の竜と1人の少女が去っていった方向とは真逆。ベオウルフの背後の暗がりからレオナルドが現れた。手には無刻印のマスターキーが握られている。
「ご苦労、レオナルド」
「……行かせて良かったんですか?」
「構わないさ。ああ見えても1企業を内部崩壊させた実績があるからね。少しの下準備の間、いない方が良い」
マスターキーを受け取りながらそう宣う。視線は少女が走り去った先のまま。
「まずは1匹、そして1人」
喧騒の中の静寂とも言うべき矛盾した空気の中、男は佇む。
全ては屠竜者の描く未来へ。