東急東横線に揺られながらの通学。
僕には、チートもハーレムも無い。
それが、それこそが現実的生活だ。
ネット小説で異世界転生転移して無双する展開は、絶え間なき同調圧力や暴力的言辞にくたびれた人々の、閉塞感溢れるこの社会からの脱出を深層心理的に渇望している証左なのではないだろうか?
そういった作品や愛読者ばかり批判し、それらの事象の要因や背景を考えないなんて不公平な考え方ではなかろうか?
僕の名は黒瓜勉(くろうりつとむ)。
趣味で悪魔を研究している者だ。
悪魔君とも呼ばれている紳士だ。
血色の悪さと暗めの眼鏡系男子ということに定評がある。
現実は非情で、人生ってもんは学生時代にある程度決まってしまうような気がする。
故に、僕の後ろにきれいな女の人が密着しているなんてタチの悪い幻想に過ぎない。
そんなことある訳無い。
これは余の妄想なのだ。
毎日続けられる妄念だ。
何回も行われる邪念だ。
まるで実体がある如く。
柔らかな弾力が僕の背中でうねる。
思わず、体に電気が走る走る俺達。
うひょーっ! と叫びたいほどだ。
いや、これは単なる僕の妄想欲望。
そうあって欲しいと思う気持ちの表出。
気のせいだ。
気のせいだ。
全部僕の妄想なのだ。
首筋を噛まれた気がする。
耳たぶも噛まれたようだ。
なんて現実味のある妄想。
はあはあと聞こえる気もするが、そんなの僕の自己都合的な欲望に過ぎない。
甘い吐息が耳をくすくるなんて、本当にお姉さんが抱きついているみたいだ。
なんだか気持ちよくなってきてふわふわして、まるでエナジーを吸い取られている気もしたが、それもまた僕の妄想なのだろうな。
今日は一段と激しい。
脳幹が痺れるくらい。
これが本当のことだったらいいのに。
うっ…………ふう。
達成感と到達感と脱力感がまぜこぜ。
多大な虚脱感とアドレナリンの放出。
掻き混ぜられる魂の揺めきに酔った。
心地よい疲労のままに汽車は走った。
次は日吉駅か。
妄想を乗り越えて、現実へ向かう時が来た。
背後の彼女は一瞬僕をぎゅっと抱きしめ、そっと離れたように思える。
なんて素晴らしい妄想なのだろう。
これからもずっと続くと嬉しいな。
駅舎の改札口を抜けると、まるでエルフのような美人が見える。
そこは豊穣の森を切り取ったような風景。
隣にはパッとしないおっさん。
彼女の下男なのかもしれない。
今朝も彼女を見ることが出来たので、縁起がいい。
あまりに空腹感が酷いので、駅舎にある『カフェ・メルキア』にて簡単な朝食を摂ることにした。
普段はこんなことなんて無いのに。
店内はアメリカのドラマに出てきそうな内装になっていて、水色の制服を着たミニスカウエイトレスが名物だ。
アメリカンチェリーパイが旨いらしいが、まだ食べたことはない。
ここはちょっと変わった店で、座ると珈琲に出来立てドーナッツ二個が自動的にやって来る。
朝はこの献立のみ。
そういう店らしい。
金はその場でウエイトレスに支払う。
ここの珈琲の味は苦いのだが、お代わり出来るのがいい。
四〇〇円也。
聖エルミン高校に着く。
無人の教室に鞄を置いて、学内食堂そばの自動販売機へと向かった。
甘ったるいマックスコーヒーを飲む、目付きの悪い学生が右手をひょいと上げる。
僕もそれに応じ、右手を上げた。
彼とは時折会う関係だ。
名前も性格も知らない。
そういうぬるさがいい。
瓶飲料の自販機前に立ち、ミルクコーヒーにしようかミルクセーキにしようかそれとも幻の金の林檎にしようかなどと悩む。
今朝はミルクセーキって感じか。
八〇円を硬貨投入口に入れ、ボタンをぐいっと押した。
使い古された感じの硝子瓶に入った飲料水が出てくる。
自動販売機附属の栓抜きで王冠をがこっと外し、ゴクリゴクリッと一気に飲んでいった。
粉末を水に溶かしたような飲み物的要素はあるが、このわざとらしい感じは嫌いで無い。
以前、反谷(はんや)教頭が懐かしそうに飲んでいたのを見たけど、かなり昔からあるんだろうか?
目付きの悪い学生は、いつの間にかいなくなっている。
そういうのがいい。
面倒がないからな。
空になった硝子瓶を瓶置き場に突っ込み、てくてく歩いて教室に戻った。
途中、長谷山沙織さんを見掛ける。
彼女はとっても大人っぽい美人だ。
うちの学校にも馴れてきた頃かな?
一年生の女子たちに囲まれていた。
『ロサ・キネンシス』とか『お姉様』とかと呼ばれているらしい。
嗚呼、マリア様! ってとこかな。
何人もの男を手玉に取っているとか中年男と付き合っているとか前の学校で放送室を占拠したとかあれこれ噂を聞くけど、反谷教頭が気さくに話しかけている関係からか、表立って批判したり陰口を叩く奴はいない。
教頭はあれで意外と熱血漢だし、特に問題を起こさなければ大丈夫だと思う。
なにかあった時に、僕は彼女の手助けになれるだろうか?
……いや、そんな考えはおこがましいな。
魂の叫びのままに動こう。
教室はまだ生徒がまばらで、閑散としている。
ぼんやり、今期の奈良アニメーションの新作に思いを馳せた。
『荷物持ちのおっさんは勇者たちに見捨てられ、辺境の村にてスローライフを開始しました』って、題名なげーよ。
通称、『にもすろ』だっけ?
奈良アニは『はこみん!』、『瀬戸の柑娘』、『白い匣(はこ)』、『異世界オカン系定食屋』といった人気作を次々に作り出している。
冴えないおっさんを輝かせる手法に長けていて、おっさんスキーな女子からの評価も高い。
一点突破型の高密度砲撃により、特定の視聴者のハートをズッキュンバッキュンするのだ。
そういや、『宇宙英雄譚TNT』で登場人物の絵柄がどうのとか騒ぎになって、旧来の愛好家たちが激おこらしい。
あれは無いよなあ、と思わないでもない部分があるけれども、時代の潮流が変革を促すのは致し方無いことだろう。
変わらないままではいられないのか?
変わらないことを是としてはいけないのか?
変わらないことは悪なのか?
僕にはわからんな。
江野本先生の怪しい授業が終わり、ようやく昼休み。
今日は弁当が無い。
弁当代は懐に有る。
学内食堂へ行こう。
一人ぼっちの僕には、一緒に行く友などいないがな。
うはは。
お腹がペコちゃんだ。
ペコペコリンちゃん。
なんとかせねばなるまいて。
学内食堂は賑わいを見せている。
今日は焼鳥丼定食か。
よし、それで決まり。
丼飯の上には辛めのそぼろと煎り玉子が載せられ、更にその上に鶏の照り焼き。
更に更に小さな肉団子が一個付いている。
グッド・シャーロットだ、ウォルマート。
やったね、父ちゃん。明日はホームラン!
それに自家製らしき漬け物と豚汁が付く。
あと、牛乳とミルメークが付く。
これで五〇〇円とは素晴らしい。
わしわしむしゃむしゃと食べた。
旨し!
だが、足りぬ!
なんでやねん!
ついでに素うどん一五〇円も追加で食す。
今日は何故か妙にお腹が減っているんだ。
おつゆまでしっかりきっちり飲み干した。
飲み放題のどくだみ茶を薬缶から注いで、ぷはあとやる。
余は満足……少し足らんな。
購買の前を通りかかると、パンがまだ売られている。
いつもはとっくに売り切れているのに。
好機到来!
見敵必殺!
ペヤングパンと潰し餡パンを購入する。
二点で二七〇円。
お試しくださいと、お姉さんから八十善哉(やそぜんざい)という缶飲料を貰った。
販路拡大のためのお試し期間だという。
ラッキー!
……うん、餡と餡とがかぶってしまった。
善哉って、お汁粉のことなのか。
まあ、旨いんだけど。
自然の風味が心を突き抜けてゆくんだけど。
放課後にティータイムを行う筈もなく、とぼとぼひっそりと帰宅部的下校に移行する。
僕も来年は受験生。
大学に進学して一人ぼっちを堪能し、社会人になったとて一人ぼっちを満喫するのか。
モラトリアムめいた真綿で首を締められるような人生。
行く先はある程度見えている。
まあ、悪くはないとも言える。
駅舎に到着した僕がぼんやりこしかたゆくすえを考えていると、目の前にスーツ姿のきれいなお姉さんが現れた。
エンカウント!
な、なんやろか?
もしかして、美人局(つつもたせ)やろか?
心臓がドキドキバクバクする。
髪は長くてサラサラの感じだ。
きらきら光る瞳に大きなおっぱい。
でけえ!
「キミ、いつもあたしに生体マグネタイトをくれる子だよね。」
「へ?」
なにを言っているのかな、この人は。
「キミのエナジーって、なんだか癖になる味なんだよ。」
「は、はあ。」
彼女は僕の切望が生み出した、妄想の具現化した姿なのだろうか?
「あたしと契約しようよ。」
「契約?」
わかった!
壷とか判子とか英会話用テキストとかを、とんでもなく高い金で買わせるんだ!
僕は詳しいんだ。
……でも違和感はある。
「あの、僕は学生ですから大金なんて持っていません。」
「アハハ、あたしが養ってあげるから問題ナッシング。」
もしかして、ちょっとあぶない人?
逃げようとした僕の肩を掴んで素早く抱きつき、耳元で彼女は囁いた。
「ゼーッタイ、キミを逃がさないからね。イイコト、いっぱいシてあげるからさ。今後ともヨロシクね。ウフフ。」
そして、妖しく笑うお姉さんは僕の一部をぎゅっと握り締めた。
おうふ。
「センパイはケッコンしちゃうって言うし、なんだかツマンナクなっちゃったからさ。キミと一緒にいるのもイイカナってね。ふふふ。」
通りすがりの同じ学校の生徒たちが目を真ん丸くしていたので、明日は噂されまくることだろう。
僕がリア充になれないことは確定している筈なのだけど。
一緒に帰って、友達に噂されると恥ずかしいし……あれ、僕に友達はいたっけ?
思わず目から汗が吹き出そうになるのをこらえた。
いつの間にか札を握っているのに気付く。
絵柄を見ると、駿河問いされた男の絵だ。
なんぞこれ?
「あっ、焼きまんじゅうをアソコで売ってるよ! ねっ、食べよ!」
「えっ、あの、あーれー。」
『上州名物焼きまんじゅう』との暖簾(のれん)を掲げた屋台が百貨店前にある。
「おじさん、今焼いているのをゼンブちょうだい。」
「おっ、お姉さん、気っぷがいいねえ。もう少し待ちな。こいつぁ、サービスだ。」
「ありがと。嬉しいわ。」
「おう、兄ちゃん、血色が悪いな。もっと食わねえと、彼女さんにハッスル出来ねえぜ。」
「やだもう、おじさんたら。」
「いけねえいけねえ、ついつい軽口がでちまう。ほら食いねえ食いねえ。」
なにかの催しとでも思われたのだろうか?
お姉さんと屋台のおじさんとの軽妙な掛け合いは次々客を呼び、群馬県民の愛する郷土料理はばんばん売れてゆくのだった。
餡なしのまんじゅうを串に四個刺し、それに甘味の濃厚な味噌ダレをかけたもの。
それが焼きまんじゅう。
餡入りのものもあるらしい。
ここのは一本一五〇円とお手頃価格だ。
では早速、パクリンコとな。
おおっ!
なっからうんめえ!
もちもちしていて、タレとまんじゅうの調和が素晴らしい!
はぐはぐと食べる。
それを見て次々に買って食べる人たち。
ここはいつの間にか群馬になっていた。
群馬はおいしいな。
お姉さんからアーン攻撃を仕掛けられ、僕は困惑しながらもぱくぱく食べた。
何人か聖エルミンの学生に、僕らの姿を見られた気がする。
……まっ、いっか。
……いやいやいかんぞなもし。
この状況を悪化させまいと駅直結型百貨店内の喫茶室に立ち寄ったが、彼女はパンケーキを頼んだ挙げ句、更なるアーン攻撃を仕掛けてきた。
止めて!
僕の生命点はもう零よ!
嗚呼、明日からどうなるんだ!
こんなの、予定になかったぞ!
古事記にも記されていないのに!
オーマイブッダ!
結局、おいしく食べたのだった。
彼女は焼きまんじゅうプリンとか焼きまんじゅうゼリーとか焼きまんじゅう風ドロップスとか焼きまんじゅうジェラートとか焼きまんじゅうドーナツとか焼きまんじゅうパンや焼きまんじゅう味コーンスナックや焼きまんじゅう味せんべいや焼きまんじゅう風マフィンや焼まんじゅうらすくなどを、百貨店の特設売場で買っていた。
旨いのかな?
何故か脳裏に幻視するは、鼻の長いおっさんがニヤリと笑った姿。
夢見んぞ。
妙な声が聞こえてくる。
「我は汝……汝は我…………。」