ハイスクール・フリート Gフォース   作:首都防衛戦闘機

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プロローグ

 

今から100年前の第一次世界大戦前から遡る。1920年第一次大戦に勝利した日本、アメリカ・イギリスは、これ以上戦争を起こさせないように、ヴェルサイユ条約でアメリカが国際連盟を成立させた。それから各国は、戦後処理にあったたがアメリカで起きた。世界恐慌により、各国の経済が破綻した。そんな中、海軍軍縮条約により、日本は、アメリカ・イギリスより減らされ、3隻ぐらいしか保有を許されなかった。そのため、日本は、アメリカとイギリスの関係が悪くなった。一方のドイツでは、第1次大戦の敗北により、多額の賠償金を稼がれ、経済が破綻し、失業者が増える状態になっていた。そんな中、国民の中にドイツを立て直す指導者が生まれた。その指導者こそ、ナチス党のアドルフ・ヒトラーである。ヒトラーは、ドイツのワイマール憲法を廃止し、ドイツの総統へっと上り詰めた。ここにナチス第三帝国が誕生。再軍備を開始し、その裏で、ユダヤ人を迫害。ソ連でもレーニンからスターリンが指導者になり、軍備増強を図っていた。第一次大戦からわずか20年、ヨーロッパに再び戦火が上がろうとしていた。1931年日本は、満州事変を起こし、満州国を建国した。しかし国際連盟は、満州国を承認せず、遂に日本は、連盟を脱退、独自に軍備拡大をすすめった。日本海軍は、戦艦を中心とした戦いかったから、航空機を中心とした戦い方を考え始めていた。その中には、後に日本国防軍の生みの親である。小沢治三郎の姿があった。1937年日中戦争が勃発、日本が優勢に立つが戦闘は、泥沼化した。1939年ナチスドイツがポーランドに電撃進撃した、第2次世界大戦が勃発した。そんな中、連合艦隊司令長官として、山本五十六が就任した。山本は、小沢と共に空母を中心とした艦隊を編成した。日本政府は、ドイツ・イタリアと同盟を結ぼうとしていた。しかし、米内光政らが反対していた。危機感した。アメリカ、イギリスは、経済封鎖を開始。日本への物資輸入が絶たれる中、事件が起きた。山本五十六が何者かに襲われる事件が起きる。それを機に、クーデターを起こし、近衛内閣は、退陣を余儀なくされた。さらに、陸軍と海軍の強硬派も一掃された。これにより、第2時米内内閣が発足し、中国との停戦協定を結び日中戦争は、終結した。更にアメリカとの再交渉を始めるが、結局、失敗に終わる。その間に、空母の増産や航空隊の育成を開始、建造中だった。大和、武蔵は建造中止には、ならなかったが、左右の副砲が破棄され、高角砲と機銃の増設、さらに機動部隊直奄の戦艦にするため、速力を30ノットに改良することになった。また、日本初の装甲空母大鳳、白鳳の建造を開始。1940年5月、ヨーロッパでの戦争は、災厄の状況に成っていた。イギリス、フランスがドイツに敗北し、フランスが陥落、イギリスは、40万の派遣軍を本国に撤退させた。そして、世界初の前代未聞航空戦、バトル・オブリテンで、ドイツは、初めって敗北し、イギリス上陸を中止し、海軍による通商破壊戦(水上艦やUボートでの補給戦を遮断すること)を開始しイギリスへの補給路を遮断する作戦を開始。ヒトラーは、次に共産党を打倒するためバルバロッサ作戦を開始、ソ連へ侵攻を開始する。更に砂漠の狐と言われたロンメル機甲師団をアフリカへと侵攻させた。ヨーロッパで、戦火が拡大する中、アジアでも戦火が上がろうとしていた。

1941年11月26日、小沢冶三郎の機動部隊(空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴を含む6隻)が択捉島単冠湾に集結、そのまま東に向かう。その目的地は、アメリカ太平洋艦隊根拠地ハワイ真珠湾である。1941年12月8日、日本は、アメリカ、イギリスに宣戦を布告した。太平洋戦争の勃発である。同日、小沢機動部隊がハワイを空襲、戦艦8隻を含む太平洋艦隊が壊滅した。しかし肝心の敵空母撃滅に失敗した。勢いに情事って南方方面を制圧、これにより、日本は、太平洋の半分を占領した。1942年4月18日アメリカの空母ホーネットから発進した。B25、16機が日本本土を空襲したが日本軍の逆襲に合い、全滅した。(機動部隊の方は、無事に離脱した。)5月には、小沢機動部隊から外された、空母翔鶴、瑞鶴がアメリカの空母レキシントン、ヨークタウンと交戦、史上初めっての空母による海戦、珊瑚海海戦が勃発した。この海戦で、日本側は、軽空母祥鳳が沈没、空母翔鶴が中破した、一方のアメリカ側も空母レキシントンが沈没、ヨークタウンが中破し、引き分けに終わる。6月、アメリカ空母撃滅を目的とする作戦、ミッドウェー作戦が開始され、小沢機動部隊空母4隻が出撃。更に就役した。大和も小沢機動部隊に編入させた。アメリカも暗号解読でこれを察知し、空母エンタープライズ、ホーネット更に中破した、ヨークタウンを急遽修理し、この作戦に参加した。(一方の翔鶴は、修理が間に合わないため不参加である。)6月5日小沢機動部隊の第一次攻撃隊がミッドウェーを空襲、しかし効果が不十分なため、第2時攻撃用ありと小沢の下に伝わったが、敵機動部隊の出現が予想されるため、第2次攻撃隊は、雷装のまま待機された。(理由は、巡洋艦利根のカタパルトが故障したためと予めの作戦道理)午前6時ついに両機動部隊の偵察機がお互いを発見。交戦を開始した。最初の戦闘で日本側は、空母加賀が中破、、空母蒼龍が大破、一方のアメリカ側は、空母ヨークタウン大破、空母ホーネットが中破した。2度目の戦闘で旗艦の空母赤城が小破し、しかし、空母エンタープライズを大破に追い詰め、更に空母ヨークタウンを撃沈した。この戦いは、日本の圧勝で終わるがミッドウェー攻略は中止せざる終えなくなった。ミッドウェー海戦後、小沢機動部隊は、内地で修理と航空隊の再編成をすることになった。そのため、代わりとして、新たに編成された。大西龍二郎の機動部隊(装甲空母大鳳、白鳳、軽空母準鷹、龍驤)が当面の作戦を担当することになった。1942年8月日本軍は、アメリカ軍を罠に追い込むため、ソロモン諸島ガダルカナル島に飛行場を建設する。これを察知した。アメリカ軍は、ガダルカナル島に上陸し、飛行場を占領する。しかし、飛行場は、単なる餌で、アメリカ軍の海兵隊は、罠にはまってしまった。待ち構えていた。陸軍特殊部隊のゲリラ戦に苦しめられた。更に三川軍一の第8艦隊の夜戦で輸送艦隊が全滅した。そのため、日本軍に反撃するための橋頭堡確保が逆に孤立してしまう有様であった。何とか打開させるため、アメリカ軍は、機動部隊及び増援部隊をガダルカナルに送るが待ち伏せしていた。大西機動部隊と交戦、第2次ソロモン海戦が勃発した。日本側は、軽空母龍驤が大破、アメリカ側は、空母サラトガー大破、エンタープライズが中破、ワスプが潜水艦の攻撃で沈没した。9月には、小沢機動部隊の空母翔鶴、瑞鶴と大西機動部隊の準鷹で編成された部隊と交戦、南太平洋海戦が勃発し、日本側は、空母翔鶴大破、アメリカ側は、空母ホーネット、が沈没、空母エンタープライズが大破し、またもアメリカ側の敗北で終了した。ガダルカナル島を占領していた海兵隊もゲリラ戦と食糧不足で餓死寸前だった。やむ終えず、撤退した。それから、しばらくは、小競り合いの戦闘しかなく、アメリカは、再編成をし、日本は、戦線を縮小、司令部をトラックからパラオに移し、更にマリアナ諸島を要塞化し、米軍の反撃にそなえった。一方、ヨーロッパでは、ドイツがスターリングラードで敗北し、アフリカ戦線でも敗北した。更に、連合軍の反撃は早く、ドイツ同盟国、イタリアが降伏、ドイツ本土は、アメリカのB17、イギリスのランカスター爆撃機による夜昼空襲で、都市は、壊滅状態にされる。1943年インド独立を支援するため、大西機動部隊をインド洋に派遣、イギリス軍と戦闘、イギリス軍施設に大打撃を与えるも、軽空母龍驤が沈没した。この戦闘により、インドに独立の気運が高まったため、欧州戦線で独伊相手に手一杯なウィンストン・チャーチル英首相は日本軍打倒をアメリカに要請。フランクリン・ルーズベルト米大統領は、戦力がまだ整っていない太平洋艦隊をマリアナ諸島に出撃させる。1943年12月12日日本、アメリカ最後の戦い、マリアナ沖海戦が勃発。戦闘は、双方とも多大な損害を出しながらも引き分けに終わり、更に要塞化したマリアナ諸島の防空体制を破ることもできず、撤退。1943年12月20日数々の失敗によりフランクリン・ルーズベルト米大統領は、辞任し、変わって、トールマンが米大統領に就任した。1944年1月1日、日本とアメリカは、ハワイ、オアフ島の戦艦大和で停戦条約に締結した。これにより、日本は、連合国の一員として、ドイツに宣戦布告、1944年6月日本を含む連合軍がノルマンディーに上陸。日本は、イギリスと共に北に進み、フランスを開放。1945年8月アドルフ・ヒトラー総統は、ベルリンの地下壕で自決し、ドイツは、降伏し、ここに6年に及んだ。第2次世界大戦は、終わりを告げた。第2次世界大戦は、アメリカ、イギリス、ソ連、日本率いる連合軍が勝利した。しかし、戦場になった。イタリア、フランス、ベルギー、オランダーは、焼け野原や廃墟の有様、更に敗北したドイツは、国土を西と東に分断されることになった。日本は、アメリカとの停戦協定により、中国大陸など島々から撤退。すると、それに連携するように、植民地から独立する国が相次いでいた。これに日本以外の国が鎮圧に向かうが失敗に終わり、やむ終えず独立を認めた。各国が独立する中、ヨーロッパでは、更なる実態に陥っていた。アメリカを中心とした資本主義諸国、いわゆる北大西洋条約機構(NATO)とソ連を中心とした共産主義諸国、いわゆるワルシャワ条約機構(OBU)が対立し、ベルリンに壁を作り、西と東の交流を遮断した。これが70年間続く東西冷戦である。各国が冷戦の中、日本は、経済回復と軍備回復に着手していた。しかし、1954年アメリカが水爆実験をしたため、深刻な環境汚染が起こり、更に空想と思われていた伝説の怪獣ゴジラを誕生させてしまったのだ。ゴジラは、相次いで商船などを襲い、遂に日本の首都、東京に上陸した。政府は、再軍備したばかりの軍を出動させた。これが人類最初のゴジラとの戦いである。日本軍は、東京を戦場にして、勇敢に戦ったもののゴジラの前に通常兵器は、歯が立たず、敗北した。しかし、そのゴジラも芹沢博士が開発した。特殊兵器により海底深くに葬ることに成功した。それから、30年後の1985年再びゴジラが現れ、ソ連原潜や静岡の井浜原発を急襲、危機感を覚えたアメリカとソ連は、ゴジラに対して戦術核兵器の使用を強く要請する。特にソ連は原潜撃沈の報復を主張し、アメリカもソ連に同調していたものの、時の内閣総理大臣の三田村清輝はそれをかたくなに拒み続ける。首相の尽力で米ソによる対ゴジラ戦術核攻撃の危機は回避されるが、日増しにゴジラ東京上陸の可能性が強まる中、政府も新兵器のスーパーXをはじめとする対ゴジラ兵器や、林田博士の提案したゴジラ誘導作戦の準備にかかる。そして、遂にゴジラが東京に向かって侵攻。国防軍の水上部隊や航空部隊が迎撃するも侵攻を阻止できず、ついに上陸、陸上部隊及びスーパーXによる攻撃でゴジラを昏倒させることに成功する。しかし、災厄の事態が発生していた。ソ連の衛星から核弾頭がゴジラ目掛けて誤射してしまったのだ。ソ連から自国ミサイルでは撃墜不可能との連絡を受けた日本政府は、急遽アメリカに核ミサイルの迎撃を要請する。アメリカ軍が発射した迎撃ミサイルがソ連の核ミサイルを捕捉し、撃墜に成功する。新宿都心での核爆発という最悪のシナリオは回避されたが、成層圏での核弾頭撃墜により発生した高高度核爆発が電磁パルスを引き起こし、東京は大規模な停電やスーパーXなどの兵器が使用不能に陥る。ようやく停電の混乱から復旧しようかと思われたそのとき、高濃度の電磁雲により発生した落雷のショックでゴジラが覚醒してしまう。電磁パルスから回復したスーパーXが再び応戦するが、カドミウム弾を失い通常兵器でしか攻撃の手段がないスーパーXにもはやゴジラを止める術はなく激闘の末、遂に撃破される。新宿辺りは、廃墟と化し、もはやゴジラを止めることは、不可能に思えた時、同じくして三原山で超音波発生装置が起動。ゴジラは東京を後にして三原山へと向かい、人工的に噴火させられた火口へ咆哮を上げながら落ちていた。それから、10年、ゴジラとの戦いであらゆる技術が向上する。それに加えて対ゴジラ警戒や新兵器の開発(抗核エネルギーバクテリアやスーパーX2など)に着手した。1995年三原山が噴火し、遂にゴジラが復活し再び東京に向かう。日本は、国防軍水上部隊及び新兵器のスーパーX2で迎撃、ゴジラの東京上陸を阻止に成功するがゴジラも護衛艦やスーパーX2を撃退し、続いて小田原へ上陸し、芦ノ湖でビオランテと対決する。ビオランテのさまざまな攻撃に苦しむゴジラだったが、熱線によってビオランテを倒し、駿河湾へ消える。しかし、ゴジラは、エネルギー補給のため、若狭湾の原発群へ向かう。これを察知した国防軍総司令官の黒木准将は、短経路の名古屋を通るとして伊勢湾に戦力を集結させるが、予想に反してゴジラは紀伊水道に現れる。裏をかかれた国防軍はスーパーX2のみを大阪市に、残りの戦力を若狭湾へ向かわせてゴジラを迎え撃つ作戦へ変更する。刻一刻とゴジラの上陸が迫る中、権藤大佐以下が抗核エネルギーバクテリア (ANEB)をゴジラに撃ち込む準備へと入った。そしてゴジラはついに大阪市に上陸する。スーパーX2と権藤大佐という大きな代償を払いながらも、ANEBの撃ち込みは成功するが、14時間近くを経過してもその効果は現れず、ゴジラは若狭湾を目指す。「ゴジラの体温が低いためにANEBの活性化が抑えられているのではないか」という仮説を受けて、黒木准将は若狭にサンダーコントロールシステムを設置し、人為的な落雷によってゴジラの体温を上げる作戦を立案する。作戦のさなかでようやくANEBは効力を発揮し始めるが、ゴジラの進行は止まらない。高浜原発に緊急態勢が発令され緊張が高まる中、ゴジラの前に成長し更なる進化を遂げたビオランテが出現した。ビオランテとゴジラの戦闘は卑劣さを増しやがて熱線を受けてビオランテは後頭部まで貫通されるダメージを負うものの、まもなくゴジラもANEBの効力で昏倒する。そして、ビオランテは失っていた人間の心を取り戻し、最後は自らの意思で黄金の粒子となって宇宙に消える。やがてゴジラも日本海へと消えた。1996年、留まることのないゴジラ被害に対応すべく、国際連合の三田村事務総長はG対策センター、を筑波に設置。さらに対ゴジラ部隊Gフォースを創設。同じ頃、房総半島沖でゴジラの骨を発見、G対策センターは、これを利用して、究極の対ゴジラ兵器の開発に乗り出た。しかし、開発中にゴジラの襲撃もありGフォースは、水上部隊(龍之介の西部方面艦隊や東部方面艦隊など)や航空部隊、陸上部隊に新兵器のスーパーXIIIなどで迎撃する3年後の1999年遂に対ゴジラ兵器攻撃型メカゴジラ「3式機龍」が完成した。同じ頃、ゴジラが浦賀水道に出現、Gフォースは、水上部隊を浦賀水道に航空部隊、陸上部隊を品川沖に集結させ防衛線を張る、しかしゴジラの猛攻の末、防衛線を突破され、品川区に上陸する。Gフォースは、完成したばかりの機龍をゴジラ迎撃に向かわせる。品川区で両者は激突。死闘の末、機龍は、最終兵器3式絶対零度砲(アブソリュート・ゼロ)と右腕を失いながら、胸に大きな傷を負わせ、ゴジラの撃退に成功する。死闘から1年後の2000年再び活動を開始したゴジラは、修復中の機龍に呼ばれる様に再び東京を目指す。それを察知したGフォースは、機龍の修復を急がせる(右腕は、修復完了、3式絶対零度砲(アブソリュート・ゼロ)は、修復不能のため4式3連装ハイパーメーサー砲に換装した。)更に残存する部隊(龍之介の西部方面艦隊や東部方面艦隊など)を浦賀と再開発途中の品川地区に集結させる。ゴジラとGフォースの最後の戦いが始まった。ゴジラは、防衛線を突破し再び品川区に上陸。ギリギリで修復が完了した機龍がこれを迎撃する。しかし戦闘の最中、ゴジラの熱線を受け右目の駆動系統が破損、一時戦闘不能になるもたまたま居合わせた機龍開発主任の矢野慶介主任の応急修理で戦闘に復帰する(しかし、矢野慶介主任が機龍内部に閉じ込められた。)ゴジラと再び戦闘、4式対獣掘削装置(スパイラル・クロウ)と4式3連装ハイパーメーサー砲の攻撃でゴジラを戦意喪失させ遂に止めという時に機龍のAIに異常が発生。突然勝手に動き出し、戦意が喪失したゴジラを抱えたまま飛行し始めたのだ。危機感を覚えた麻生司令官は、機龍を撃ち落とす様、命令するが機龍内部に閉じ込められた矢野主任が機龍がゴジラと共に日本海溝へ沈む気だと説明する。しかし、機龍内部に閉じ込められた矢野主任は、脱出不可能なため、彼の命は、絶望的に落ちいた。しかし、偶々追跡していた、しらさぎが機銃でメンテナンスブースの扉を爆破。爆破した。扉から脱出するも機体が上の方を向いていたため、脱出は、困難だった。しかし、突然機体が回転する。自我に目覚めたとはいえ開発主任であり生みの親である矢野主任のことを忘れては、いなかった。そして最後にメンテナンスブースのモニターに「SAYOUNARA KEISUKE」という最後のメッセージを送り、彼も「さようなら、今までありがとう機龍」と言いて、にぎていた手を放し機龍と別れるのだった。矢野主任と別れた機龍は、ゴジラとともに日本海溝深くに沈んでいた。最早もう二度と復活することもなくゴジラは、機龍と共に海底深くに姿を消した。

 

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