楽園の子   作:青葉らいの

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01『インヴィディア烈王国 フレースヴェルグ』

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「姉ちゃん、姉ちゃーん! ロイとマルコが喧嘩してる! 今度はやばい! しゅらば!!」

 

 入口から点在する大きな丸テーブルと小さな木の丸椅子を縫うように褐色の子供が飛び込んできた。

 この子はソーラという。戦争孤児のグーラ人でちょくちょくこの保健室にやってくる彼は、いつもロイとマルコのけんかの仲裁役に私を呼び出す困った子だった。

 私は村の中の食堂みたいな場所の奥で整理していた救急箱に包帯を詰めなおして蓋を閉めると、改めて10歳くらいの男の子に向き直る。もう、三日に一度くらいの頻度で呼び出されるから慌てることもなくなっちゃったよ。

 

「放っておいていいよ。どっちかが泣き出したら勝手にもう片方も泣きだすから。そうしたらここに連れておいで。ヴァンダムさんのお説教の前に手当てしてあげる」

「わ、わかった! へへー、やっぱり姉ちゃんは優しいんだな!」

「ちなみに、先に治療するのは後のヴァンダムさんのお説教で高確率で落ちるげんこつの痛みを、より味わわせるためだからね」

「やっぱり違った! 姉ちゃんの鬼!」

 

 別に怒られるわけでもないのにソーラは歯を「いーっ」とむき出しにしてまた来た道を戻っていった。

 なんでこの喧嘩に関して無関係なはずのソーラに鬼と言われなくちゃいけないんだろう。

 取り残された私は空いている席から三つ分の椅子を確保して対面できる位置に置いておく。そうして、準備を整えてから、再び背もたれのない木製の丸椅子に腰を落とした。膝の上に置いたオリジナリティあふれる中身の救急箱を撫でて、ため息を一つ。

 

 拝啓、養護施設の皆様。

 お元気でしょうか。

 私、芹沢朝陽は今、異世界に来て頑張っています。

 

 

 

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 もしも死に方を選べるとしたら、私は誰かを助けて死にたい。

 

 そう考えるようになったきっかけは、やはり自分の過去のせいだと思う。

 両親は新生児だった私を児童養護施設に預けて蒸発。形見のように銀色の認識票(ドッグタグ)だけ残して。

 クリスマスや誕生日にカードやプレゼントを贈ってくれるなんてことは15年間の一度もなかった。私にとって親は私を生んだ存在。ただそれだけ。それはもはや赤の他人だ。生きているのか、死んでいるのかさえどちらでもいい。

 あんな人達のようにならないように、と誰かから言い含められた幼少のころの私は、その言葉に多少は思ったところがあったみたいで、誰に指示されるでもなく自然と人を助ける行動をし始めたらしい。

 けがをした人がいれば、救急箱を持って行って積極的に絆創膏を張ってあげた。

 苦しんでる人がいればすぐに大人を呼んででいた。

 急病人に対して迅速に通報をしたと、一度だけ市から表彰を受けたことだってある。

 自分より年が下な子の方が多い児童養護施設では、けんかや暴力沙汰、病気なんて日常茶飯事で誰かを介抱したり手当てする技術はどんどん上がっていった。そして、そのうち一般的な知識では賄えない病気やケガや衛生管理を家庭の医学などの本を図書館で借りて読み漁って治療や医術を覚えて。いつしか養護施設の中で救護班のような立場を確立していた。

 そして私は今、中学三年生。

 その三学期最後の登校日の帰り道。

 校門の脇に植えられた桜のつぼみはまだ固く閉じて、春が遠いことを告げている。

 裏門から反対方向にある校庭からは金属の小気味のいい音が冬の薄雲の中に吸い込まれていった。

 建物を隔てた向こう側なのでホームランなのかファウルなのか分からないけれど、その後に黄色い歓声が聞こえてきた。きっと打ったのは野球部のエースの早瀬君ではないだろうか。

 薄水色のマフラーに顔を半分を埋め、胸の下くらいの高さしかない両開きの引き戸を人一人通れる程度開ける。

 この門を次に潜るときは、この学校の卒業式の日だ。そしてその二週間後には施設を出て、奨学金を貰いながら進学先の高校の寮に入る。そこで三年間、看護学校に受験するための勉強をする。

 

 ――はずだった。

 

 顔を上げた途端、私の視界は真っ白に塗り替えられた。

 光は痛覚さえも刺激する。という話は本当だったらしく瞼を閉じてもまだ強い光を感じ、涙がジワリとあふれ出る。いつの間にか足元の固い感触さえ消えて、次に襲い掛かったのは重力だった。

 痛すぎるほどのまぶしさはとっくに消え去っていた。とはいえ、目を開けた瞬間に空中に放り出されていたら誰だってパニックになるに違いない。パニックになった時の行動は大体二パターンある。騒ぐか、黙るかだ。

 私はそのうちの黙るタイプだったみたいで、喉が干上がるという感覚を生まれて初めて体感した。

 その間にも私の体は落ちる。落ちていく。

 ごうごうと耳元を通り過ぎる風。分厚い空気の層を破っていっているようなものなので口を開けても空気なんてもちろん吸えないし、逆に必死に息を止めて体を丸めた。パっと見たところ下は靄がかかっているが海、らしい。こんな状況でなければ感動するくらい綺麗な光景なのに、今はそれがとても怖い。

 あとどれくらいで水面に着くかなんて考えたくもなかったので、私は一度下を確認した後はずっと目を強く瞑っていた。それが長かったか短かったかなんて分からない。それでも30秒もしないうちに。叩きつけられるような衝撃を感じて私は水面にたどり着いたことを理解した。……誤算だったのは、そこにクジラサイズの何かがいて、それがまさに口を開けて私のいる海水(?)もろとも吸い込もうとしていたことだった。

 この光景見たことある。とその時場違いにも私はそんなことを考えていた。

 ピノキオとゼペットじいさんがモンストロに飲み込まれるシーン。

 私が今見ている光景は、あの有名なシーンにそっくりだ。

 ふふっ、と笑い声がこぼれた直後、私の記憶はそこで途切れている。

 

 

 次に気が付いたのはベッドの上だった。

 布を何枚も重ねて作られたそこに寝かせられていた私は、起き上がってあたりを見回した。

 ずいぶんと異国情緒の溢れる装飾に目が回りそうになった。

 壁は恐らく私が今敷いている布団と同じ材質の分厚い布で、テントのような六角錘の作りだった。 

 モンゴルとかの遊牧民族の家のような感じだ。動物の毛皮や手織りの布のタペストリーと、おおよそ日本では一般的でないインテリアにますます混乱が進む。バカバカしいと思いながら本当に「ここは日本じゃないかもしれない」なんて思いもした。けれど実際、ここは日本じゃなかった。私の知っている地球でもなかった。

 

「あら、あんた。目が覚めたかい?」

 

 天幕のような家の出入り口と思われるところから褐色の肌の女の人が入ってきた。

 そこで私は最初の絶句をさせられた。

 人間の頭には到底生えてこない動物の耳が、その女の人には生えていた。衣装も、民族衣装っぽいワンピースに木の桶を抱えている以外は普通に人間のように見える。耳だけが、完全に空気を読まずにピコピコと動いている。

 

「………………っ!?!?」

「なんだい、人の顔じろじろ見てさ。グーラ人なんて珍しくもないだろう?」

「ぐ、グーラ……?」

「あれま、グーラ人も分からないのかい? それとも巨神獣(アルス)に飲み込まれたショックで記憶喪失にでもなったのかい?」

「あ、あるす?」

 

 そこでようやく自分の言葉がこの人にも通じていることが分かったが、それでも単語単語が分からなさ過ぎて、日本語は通じるのに言っている意味が分からないという状況に恐怖を覚えた。常識を疑われている。それでも、都合よく頭の中にその意味が浮かんできたりはしてくれなかった。

 そうこうしている間にも、猫のような動物の耳を生やした女の人は煎餅布団のような寝床に桶を置き、私の前髪を払って私の目を見ようとした。

 

「見たところスペルビア人みたいな容姿だね。名前は?」

「あ、朝陽です。芹沢、朝陽」

「セリ……? あんたスペルビアのお貴族様かなにかかい? アサヒとセリザワ、どっちが名前なのさ?」

「あっ、朝陽が名前です」

「そうかい。じゃあ、アサヒ。あたしはエドナさ」

「エドナ……さん」

 

 躊躇いつつ復唱すれば、エドナさんは私の肩を思いっきり叩いて「よっし、大丈夫だね!」と笑った。

 たぶん私の健康状態を見てくれたんだと今更ながらに分かったけど、今しがた私は肩をぶっ叩かれた衝撃で前かがみで悶えることになった。

 

「熱もないみたいだし、よかったよかった。あ、あんたはそこで寝てるんだよ。あたしはちょっと出るからね」

「え、あ……。はい……」

 

 タオルと水の入った木桶はそのためだったのか。

 寝床に置いた桶を抱えなおしてエドナさんは出ていった。再び取り残された私は落ち着かずにきょろきょろとあたりを見回していると、またすぐに出入り口の布がバサリと動く音がした。

 エドナさんが戻ってきたのかな? とそちらに顔を向けると、縦に並んだ小さないくつもの目と目が合った。

 

 

 

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「うぇっ……ぐずっ、ひっく……!」

「っ……! うぅ……!!」

 

 大きな目から流れる涙を手で拭ってしゃくりあげるのがマルコ。涙をいっぱい貯めて唇を噛みしめつつ涙を何とか堪えているのがロイ。そしてその横でおろおろと見守っているソーラ。いつもの問題児三人組だ。彼らはいたずらもするが喧嘩も絶えない年頃の子だ。けど大体、お互いに一発殴ってどちらかが泣き出しておしまいになる。ところが今回の彼らの喧嘩は一味違っていたらしく、あちこちに引っかき傷と痣の他に、ちょっと周りが引くくらいの鼻血が見て取れた。

 この悪ガキども、どうしてくれよう。と、三人がここに来るまでは思っていたけど、いつもと様子の違う二人を見てそんな考えも消えてしまった。慌てて駆け寄って椅子に座らせて、消毒と手当てをしていく。

 

「どうしてそんなに喧嘩しちゃったの?」

 

 養護施設でそうしていたように、私は尋ねる。ロイとマルコは口を開いたら泣いてしまいそうなので、ソーラを見て説明を求めた。

 

「……俺たち、コアクリスタルを拾ったんだ」

「コアクリスタルって、あれだよね? ヴァンダムさんやユウやズオがいつも連れてる……」

「うん、ブレイドが眠ってるやつ。俺はここが長いからさ、コアクリスタルに適性が無いのは知ってたんだけど。ロイとマルコはあんまり長くないだろ? だから、二人とも「俺がドライバーになるんだ!」って同調しちゃって……」

「えぇっ!!? 同調って、確か適性が無いと体のどこかから出血するんじゃ……!?」

 

 その時、ぐずっていたマルコが再び大声で泣き始めた。それに釣られるようにロイもすすり泣き初めて、空気は一気にドツボに陥った。引っかき傷と痣はともかくとして、この鼻血は喧嘩が原因じゃないというのは、なんとなくわかった。

 

「二人とも、同調できなかったのね」

「うん。最初はどっちが先に同調するかで喧嘩して、姉ちゃんを俺が呼びに行ったときにマルコが……」

 

 経緯はわかった。ソーラも恐らく本当に同調をするとは思っていなかったのだろう。けれど、自分たちが戻ってきたときには、二人は鼻血を出しながら泣いていた。となると、よくぞここまで連れてきてくれたとソーラは後で褒めてあげるように言っておこう。

 

「あの、姉ちゃん。ヴァンダムさんが帰ってきたら……」

「一緒についてきて、でしょ。その前に二人とも、自分たちがどれだけ危ないことしたか分かってる?」

 

 追い打ちをかけるような真似はあんまりしたくないけど、コアクリスタルの同調に失敗するということをあまり楽観視しないほうがいいことだけは、きちんと伝えておかないと。

 

「血が出るっていうことを、軽く考えちゃダメなんだよ。君たちが生きるために必要な酸素も栄養も、すべてこの血が血管を通って運ばれて行ってる。無駄な血管なんて一個もないんだよ。たくさんあるからって言っても、もし心臓や脳に栄養を送る血管から出血してたら、体に血が溜まって、栄養も行かなくなって君たちの体は死んじゃうかもしれないんだよ。ヴァンダムさん、いつも同調する時には自分か、ユウかズオがいるときにしろって言ってたでしょ? それは、万が一の時でも自分たちが対処できるようにって意味だったんだよ?」

 

 まぁ、ヴァンダムさんがいないときに秘密でドライバーになってみんなを驚かせたかったという気持ちは想像できるけど、それ以前に同調に失敗した子供に対して、その場で適切な処置ができなくて死なせてたという事実を作ることのほうがまずい。そうしたら、大人はその責任を取らなくては行けない。その結果、同調は危険だと後ろ指をさされ、他の子供たちにも思うように同調をさせにくくなってしまう。

 

「もう二度としないっていうのは、分かってると思うけど。もしも、いつかこの村にやってきた子がコアクリスタルを大人に黙って同調しようとしてたら、君たちが止めてあげるんだよ。いいね?」

 

 三人は真面目な顔をして頷いた。

 それを見届けて、私のお説教は終わりだ。

 そのタイミングとほぼ同じ時に、ヴァンダムさんがユウとズオを連れて戻ってきたことを聞いた。

 かくして、

 

「ぶぁっかヤローがぁぁああ!! コアクリスタルの同調は拒否反応によっては死ぬかもしれねえって、いつも!! 言ってた!! だろうが!!」 

 

 話を聞いたこの村の総領であるヴァンダムさんは烈火のごとくお怒りになり、ガンッ、ガンッ、ガンッ!! と、岩みたいなげんこつがマルコたちの頭に落ちた。なんでソーラもって思ったけど、たぶん連帯責任なんだと思う。そこから改めて同調に失敗することの怖さとドライバーになることの苦労を子供たちに語って聞かせるヴァンダムさん。それを遠くから見ていると横からちょんちょんと、肩を突かれて思わずそちらを見た。とげとげなパンクな頭とは裏腹に分厚い眼鏡をかけたズオは、そのレンズの奥の目を少し伏せて謝罪の言葉を私に告げた。

 

「悪かったなぁ。俺たちがいなかったばっかりに」

「……ソーラは、一応止めてたみたいなので後でヴァンダムさんにフォローしておいてあげてくださいね」

「ソーラが……。分かった」

 

 ズオが気落ちしているように見えるのは子供たちが危ないことをしたからだけではないだろう。それは私に関係することでもあるから、こうして目を伏せて気まずそうにしているのだ。

 

「何も、見つからなかったんですよね?」

「面目ねえ……」

「いいんです。大事なものは肌身離さず持ってましたので大丈夫ですよ」

 

 私は服越しから鎖骨の真ん中にある硬さを確かめる。この村でお世話になることが決まって何度か、ユウとズオとヴァンダムさんだけでなく、他のドライバーの人たちも私の身分がわかるようなものが無いか、たびたび巨神獣の頭部に探しに行ってくれている。

 ここのフレースヴェルグの村は、私がモンストロに例えた巨神獣と呼ばれる巨大な生き物のお腹の中にあるらしくて、その巨神獣がたびたび雲海を吸い込むことから、村に使えそうな資源が一緒に吸い込まれていないか定期的に探しに行く。私の荷物はそのついでだそうだ。

 

「今度、アサヒも探索に加わってみたらどうだ?」

「うーん、でも私……足引っ張っちゃいそうですし……」

 

 行きたいのはやまやまだが、野生生物やらモンスターみたいなのがいる未知の領域に挑むには、まだこの世界の経験が浅すぎると思っている。できればもう少し、ここで保健室みたいなまねごとをしていたいのだけれど……。

 

「おう、アサヒ。そのことなんだけどよ」

「おやっさん」

 

 ズオの見た方向につられて顔を向けるとヴァンダムさんが頭を掻きながらこちらにやってくる。

 マルコたちはユウが食堂に連れて行ってあげたらしい。泣きわめいている三人の背中を押しながら、ここから離れるユウ後ろ姿が見えた。

 

「アサヒ、手ぇ出せ」

「?」

 

 言われるがまま手を出すと、何かゴツゴツとした石のようなものを渡された。

 日に焼けたような色の大きなヴァンダムさんの手が離れると、そこにはコアクリスタルが明るい青い光を放って私の目を眩ませる。

 

「――うわっ!」

「バカ! 放り投げるんじゃねえ!!」

 

 そんなことを言われても! と心の中でヴァンダムさんの理不尽な所業に反発しながら、反射的に放り投げてしまったコアクリスタルを何度かお手玉した後に無事キャッチ。どうやら、コアクリスタルっていうのはただ触っただけじゃ同調をすることは無いらしい。

 

「これは、あいつらが同調しようとしてたコアクリスタルだ」

「あっ、はい。これが……」

「おう、それでだ。アサヒ」

「はい」

「こいつと、同調してみねえか?」

「……はい?」

 

 コアクリスタルを掌にのせたまま、私はヴァンダムさんを見返した。

 

 

 

 手の中のコアクリスタルは海でも空でもない独特の青色の光を放っている。

 ヴァンダムさんが私に同調を勧めた理由は三つあった。

 まずは、私がこの村の新参の人間だから。コアクリスタルの適正者は年々数を減らしていることから、一人でも多くドライバーとなれるならそれに越したことは無い。村の戦力の拡大にもなるし、単純にモンスターと戦う力を得ることから行動範囲が広くなり、村での仕事に幅を持たせることができる。

 二つ目は、マルコたちが望んだことだということ。彼らが拾ったコアクリスタルが後後も残っていたら幼いころの苦い記憶として、しこりにもなりかねない。売ってお金にすることをヴァンダムさんは勧めたけれど、子供達が私が同調できなかったら売っていいと答えたらしい。

 そして三つめは、ヴァンダムさんの口から厳かに語られた。

 

「アサヒ、村の外の連中がお前をどう呼んでるか知ってるか?」

「知ってますよ。楽園の子、でしょ?」

 

 この世界に来て間もない頃。私はこの世界の地理も情勢もおとぎ話も、何も知らない漂流者だった。

 意思疎通はできるけれど、出身地がわかりそうなものは一つもなく、なおかつグーラ人もノポン族もブレイドも見たことが無い聞いたこともないということから、ただの記憶喪失じゃないと分かるまで時間はかからなかった。 

 私は、自分がどこから来たかについては、言葉の思いつく限りには話したつもりだ。けれど、それがどう捻じれてしまったのか、飢えのない満たされた肥沃な大地に身分のない社会という点から、私の世界はこの世界で言う『楽園』という場所と類似していると思われてしまった。

 そうしてついたのが『楽園の子』というおとぎ話から出てきたような二つ名だった。

 

「でも、その呼び方に何か問題でもあるんですか?」

 

 たかがあだ名一つ。と、考えていたのだけれどヴァンダムさんの表情からするとそうじゃないらしい。苦虫を噛み潰したみたいな顔で言い渋るヴァンダムさんの横からズオが補足を入れて来る。

 

「どうやら、天の聖杯が目覚めたらしいんだよ。天の聖杯のドライバーは、アサヒとおんなじくらいの少年だとかで、うわさに聞けばどうやら楽園を目指してるらしい」

「楽園って……おとぎ話なんですよね?」

「そうだなぁ。でも、アサヒは本物の楽園か、それに近しい世界を知っている。もしアサヒが天の聖杯を楽園に連れていくとするなら、どうする?」

「あぁ……。聞きに行きますね。たぶん」

 

 なるほど。楽園の子っていう二つ名に釣られて、天の聖杯とそのドライバー御一行様がここにやってくるかもしれないと。するとズオはまだ何かあるように、ためらいがちに口を開いた。

 

「天の聖杯は、伝説にもなってるブレイドだ。もちろん、フレースヴェルグに来るとするなら俺たちも相応にテストをするつもりではあるけどなぁ……。アサヒも、出来れば自衛できる力は持っておいた方がいい」

 

 ズオの言葉に私は頷き、ヴァンダムさんに向けてまっすぐ視線を上げた。団子鼻の白髪のおじさんであるヴァンダムさんの鼻の上には×印の傷がある。ドライバーになるということはああいった怪我もするかもしれないということだ。……でも、

 

「ヴァンダムさんは村も私も心配してくれたんですね。……なら、私も村のためになら挑戦します。ヴァンダムさん、同調のやり方を教えてください」

「……焚きつけたのは確かに俺たちだけどよ。あくまでこれは提案だ。強制じゃねえ。嫌なら嫌だって断るのも手だぞ?」

「それこそ今更じゃないですか。それなら、一度くらい同調を試してみて、失敗だったらそれはそれで経験になりますし……マイナスなことは無い、と思います」

 

 そう。私はもう覚悟を決めたんだ。どこから出血するかは分からないけど、次からはユウもズオもヴァンダムさんもいなくても、私が同調を見届けてあげればいいようになれるかもしれないから。

 掌の上の綺麗な青い塊が巨神獣の皮膚から差し込む日光とは、また別の光を放っているように見える。まるで、私を呼んでいるみたいだ。

 

「同調っていっても難しいことはねえ。息を深く吸って、胸にコアクリスタルをゆっくり押し当てろ。それですべて終わる」

「はい」

 

 どくん、どくんと心臓の高鳴りが何もしないでも聞こえてくる。

 強く緊張すると出てくる指先のしびれを感じながら、コアクリスタルを落とさないように慎重に慎重にそれを胸に押し当てる。すると、触れた面から細い帯状の光が放射線にあふれ出して――。

 そこからふっと、意識が遠くなった。

 目を閉じた覚えはないのに、私は別世界にいた。

 殺風景な黒い背景と灰色の地面の空間の向こうから何かがやってくる。四つ足だ。短い四つ足を必死に動かしてこちらに何かがやってくる。どこからともなく土煙がその足元で立っていて、私の目の前に来ると急ブレーキをかけた。そこから投げ込まれたボールを口でキャッチした姿は、どう見ても元の世界で見た世界の犬猫特集の飼いたいペットの上位ランカー。豆柴だった。そのお犬様はしばし投げ込まれたボールで遊んでいたが、こちらの足元にボールがぶつかると私たちはようやく対面を果たした。

 

「よぉ! 俺の名前はコタローだ! よろしく頼むぜ、ドライバーさんよ!」

 

 可愛らしい外見とは裏腹な若い男の人の声。

 目の前でちょこんとする愛玩動物が、これから私の相棒となる……らしい。

 

 




次話『青の岸壁』
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