1
どんなに嫌でも、どんなに辛くても、朝は平等にやってくる。
この部屋には窓がないのでいまいち外の時間が分からないんだけど、恐らく寝付いたのは明け方だったと思う。そこからほどなくして、隣の部屋から聞こえてくる生活音に目が覚めた私は、同じベッドで体を丸めて寝ているコタローを起こさないように起き上がった。
頭の中で、昨日のヒカリさんの言葉がグルグル回る。
『今後は、これを誰にも見せちゃ駄目。明日会うマルベーニにもよ。約束できるわね』
その憂鬱さの最たる原因である
どこからどう見ても何かの基盤にしか見えないんだけど、そんなに危ない物なら捨ててしまったほうがいいのかな。と起き抜けの頭でぼんやり考えた。
例えば雲海に向かって放り投げたり……。地面に埋めたり……。
頭の中ではそう考えても、実際に行動に移せないのは、どこかでまだ『両親』というものに期待をしているからか。前の世界でも考えていた。この認識票を持っていたお陰で、父親か母親が私だと分かってくれて迎えに来てくれる、なんておとぎ話じみた空想を。
「バカみたい……」
八つ当たり気味に
ただ、私の手が痛くなっただけだった。
2
朝早くに、扉が叩かれたので開けてみるとそこには昨日ぶりのファンさんが立っていた。
恐縮したようにお辞儀をしたファンさんが言うには、今から謁見をするが構わないか、というお伺いだ。
てっきりレックスたちと一緒に謁見をするつもりだった私は首を傾げる。
「申し訳ありません。本来でしたらレックス様達のお時間に合わせるべきなのですが、聖下が是非アサヒ様と先にお話がしたいとのことで……」
「ええと……」
まぁ、偉い人なんだからスケジュールもかなり埋まっているんだろう、というのは理解できる。
でも、こちらものっぴきならない理由はある。
「あの、私一人で……ですよね?」
「コタロー様の同伴は認められております。それに、マルベーニ聖下は『楽園の子』のお話をお聞きされたいと申されておりますので、そこまで緊張しなくても大丈夫ですよ」
いや、緊張するって。と頭の中でツッこんでみるけれど、ファンさんはにっこりと笑って反対意見は受け入れてもらえなさそうな雰囲気を醸し出した。腹をくくるしかない、のか。
承諾の意思を見せて部屋を出ていくファンさん。それを追ってトコトコと足元に来たコタローを抱き上げた。
謁見の際に唯一の同伴者となるコタローに、驚くくらい固くなった声で私は言った。
「もし、私が法王様の前で変なこと言いそうになったら止めてね……」
「おう、噛みついてでも止めてやるから安心しとけ」
頼もしい限りの言葉を貰って、私たちはファンさんの後ろをついていく。
見上げるほどの高さの岩を切り出したような白亜の大聖堂。
そのたった一つの玉座の前にその人はいた。
500年も生きていると言っていたので、どんなおじいちゃんなんだろうと思っていたけれど、その人は青い肌に白い髪。威厳のために髪と同じ色のひげを蓄えた若々しい男性だった。動きにくそうなローブと重そうな帽子をかぶって、階段状になっているその上から私を見下ろす。左右には二名ずつ兵士兼神官みたいな人がいた。
「君が楽園の子――アサヒと言ったたかな」
「はい、アサヒと申します。初めまして、マルベーニ法王様」
「……なるほど。これは教育が行き届いているな」
マルベーニ聖下は目を細めて感心したように言った。何に関しても弱みとならないように、細心の注意を払って対応しようとすると、どうしてもこんな風に固くなってしまう。でも、今はそれの方がいいだろう。
どんな話をされるんだろう。楽園の行き方か、楽園の証明か、あるいは……。なにか、もっと別のことか。
「そう身構えなくてもいい。別に君に害をなそうなどと言う考えはない。安心してほしい」
「……は、はい」
「とは言っても、簡単に緊張など取れはしないだろう。君の楽なようにするといい」
「ありがとうございます」
私は詰めていた息を吐き出して、意識して肩の力を抜く。
腕の中で私を心配そうに見つめるコタローに一つ頷くと、改めてマルベーニ法王様に顔を向ける。
その人は何を受け取ったのか、私の顔を見るとほんの少し微笑んで見せた。
私もなるべく笑おうとしたその時、突然ノイズがかったかと思うとマルベーニ法王の胸の辺りに黒い影が映る。がっしりとした体型に短く整えられた髪、そして胸に光る紫色の光は、かつて一度だけ合い見えたメツその人だった。しかし、その映像はまるで見間違いだとでもいうようにすぐさま掻き消えて、普通の景色が戻ってくる。
「どうかしたかね?」
「いえ、ちょっと眩暈がしただけです……」
頭を振って先ほどの景色を振り払って、私は今度こそ法王様に向き直る。
「すみません。――それで、法王様は私とお話をされたいと、仰られたそうですが、何からお話しすればいいですか? どんなことを聞きたいのでしょうか?」
「あぁ、そうだな。君の体調もあるから手短にするために端的に聞こう。私が聞きたいのはただ一つ。――君は、楽園で神に会ったことはあるか?」
やはり、という気持ちが滲む。私は静かに首を振って否定を示した。
「ありません。私はアルストで信仰されている楽園から来たわけではないんです。神様にも、一度も会ったことはありません」
「そうか……。ならば、なぜ君は楽園の子と呼ばれるようになったのか。その経緯を話してくれないだろうか」
「はい……。私は、このアルストとは別の世界からやってきました。心肺の蘇生方法も、そちらの世界で学びました。この世界に来たばかりで何も知らなかった私は、拾ってくれた村でその話をして、話を聞いた人たちがいつの間にか楽園の子と呼び出したんです」
腕の中でコタローが驚いたような顔でこちらを振り返っていた。恐らく、元の世界の話をするとは思っていなかったのだろう。けれど、逆にここで別の世界から来たと言わなければ、この人たちに嘘を言うことになる。嘘は重ねれば重ねるほど苦しくなるし、つじつまも合わせるのが大変になる。
どうせ戻り方はわからないし、私一人がこちらに与える影響というのもたかが知れているはずだ。だからこそ、ここで元の世界のことを隠すのは無意味だと考えた。
法王様は厳しい視線で、私の中の真偽を見極めようとしている。どちらに取られても構わないので、法王様が口を開くのを待った。
「何か……、この世界とは別の世界から来たというなら、それを証明するようなものはあるか?」
「物、と言う形でというならありません……」
フレースヴェルグの村まで行ければ、最初に漂流したときの学生服が残ってるけど、他の荷物は雲海に流されたままだ。今ここで証明することは不可能に近い。……ヒカリさんとの約束もあるし。
気まずい沈黙が場に下りる。きっと、法王様にとっては期待はずれに違いない。でも、それでいい。……それが、よかった。結局楽園の子の噂はただの噂に過ぎなかったと思ってもらえれば。
「……君の経歴はわかった。その上で確認したいのだが、君はこの後どうするつもりだ? 天の聖杯と共に楽園に向かうか? それとも、世話になった村に帰るか?」
「できるなら、私は元にいた村に帰りたいです……」
「ほう? なぜ?」
「最初に拾ってもらった村ですし、あそこには私の診療所を作ってもらった恩もあります。看なくちゃいけない怪我人も、子供たちもいっぱいいます。だから……」
「なるほど。だが、そうするには君の、楽園の子と言う名前は世間に広がり過ぎている。それはどう思う?」
「今すぐに帰りたいというわけではないんです。しばらくは、レックスたちと一緒に行動して、それで楽園の子の噂がある程度消えたら帰ろうと思っています」
「ふむ……。それは少し、具体性に欠く内容だな」
私の頬を冷や汗が伝う。確かに『楽園の子の噂が消えたら』という内容は具体性には欠けるだろう。方法にしても、タイミングにしても。でも、それならどうすればいいのかなんて、すぐに打開策なんて見えてこない。そもそも、この人たちがどんな答えを期待しているのかが私には全く分からない。
結果的に、駄目だと思っても私は俯いてしまった。
「おい、法王様よ。こいつはこっちの世界のルールってのをまだ覚えきれてねえんだ。あんまり意地の悪いことを言わないでやってくれねえか」
「コタ……」
そう言ってくれるのはすごく嬉しいけど、いつも通りの言葉遣いに逆に血の気が引いた。けれど、法王様はそれに対しては何も言わずに、顎に手をやって考えるようなしぐさをする。
「意地悪、か。確かに、少し答えにくいことを聞いたかも知れない。そこは謝罪しよう」
「いえ……。ええと……」
「――そこで提案なのだが、君をこのアーケディアに迎えたい。といったらどうするかね」
「アーケディアに迎える?」
「そうだ。報告を聞いたところ、君は楽園の子という名前が持つ影響力をしっかりと理解している。だからこそ、君がどこの国にいるかが今後は重要になっていくだろう」
「アサヒがインヴィディアにいると、戦争が起きるってことか?」
「……っ!」
「さすがに、そこまでではないが……。私は一宗教の代表という立場上、君がインヴィディアにいることを黙認することは難しい。こうして楽園から来た子共と噂されている以上、私たちは君を形式的でも我々の傘下に入って貰えなければ、国家として他国と軋轢が生じてしまう」
「自分の率いる宗教に深く関わってる人物を、なんでアーケディアが確保してねえんだ。ってことか?」
「話が早くて助かる。そうなると、法王庁はインヴィディアに何か弱みでも握られているのか。などの下馬評に上ってしまうかもしれない。痛くもない腹を探られるのは誰だって嫌だろう?」
「私がアーケディアに所属すれば、国同士のそういうことが、減るんですか?」
そう尋ねれば、法王様は頷いた。
もし、本当にそうなのなら。
それが巡り巡ってフレースヴェルグの村やほかの国の人が平和に過ごせるというなら。
きっと受けるべきなんだろう。
でも、
「……。すみません、それは今ここで決めなければいけませんか?」
「待遇面と立場に関しては法王庁が保証しよう。君にはジークと同じ特使に――」
「そういうことじゃないんです。そんな、国同士の関係に関わることを私の一存では決められません」
ひとまずレックスたちには相談したい。欲を言えばヴァンダムさんがいいけど、手紙のやり取りだと時間はそれなりに掛かるだろう。
レックスは傭兵団の次期団長だし、スペルビアの偉い人であるメレフさんや、ルクスリアという国の王子でいながらアーケディアの特使として働いているジークさん。この三人なら、それぞれの視点から私がアーケディアに所属することでどんな影響が考えられるか、より具体的に教えてくれる。……と、思う。
よく考えたらすごいメンバーに囲まれてるんだな。と、その豪華さに今更ながら慄いた。
「そうだな……。こちらとしては、君の意思決定が非常に重要である以上無理強いはしないが、なるべく早く結論を出してもらえれば助かる」
「わ、分かりました」
ここで話は一旦終わりとなった。
法王様が片手を軽く上げると、後ろに控えていた衛兵の人が私に近づいてきて、仕草と雰囲気だけで付いてこいと言う。私は戸惑いながらも、法王様にお辞儀をして衛兵さんを追いかける。
一応は猶予を貰えたけど……。ここから出たら、とりあえず謁見が始まってからずっと溜めていた息を全部吐き出したい。そう思っていると、背中を向けたその位置から法王様の声が聞こえた。
「アサヒ、良い返事を期待している」
私は一度立ち止まって、もう一度深々と礼をしてから衛兵さんの後を追う。そのとき、腕の中のコタローが苦々しい声で呟いた。
「……良い返事が来ること前提かよ」
「コタ、しーっ……!」
3
よく晴れたアーケディアのセイリリオス広場で私たちはレックスたちの謁見が終わるのをコタローと一緒に待っていた。その間もコタローとトオノと意見交換をしていたのであまり待ったという印象はない。
そうして大聖堂から出てきたレックスたちを見つけて私はみんなに向かって駆け出した。その中でホムラさん(ヒカリさん?)の姿だけはなかったのが気になったけど、予想をする前にみんなの前にたどり着いてしまった。
「レックス!」
「あ、アサヒ! ちょうどよかった。今、ホムラが法王様とお話ししててさ、終わるまでどこかで時間潰さなきゃいけないんだけどアサヒも――」
「お願い! 相談に乗って!」
切羽詰まった私の気持ちはみんなにも通じたらしく、緩い空気が一瞬にして引き締まったのを感じた。
話の進展が遅くてすみません
22話『タイトル未定』